連載は続く~ SF掌編『平安時代サミット2024感想編のつづき』編


 平安時代サミット2024感想編のつづきということで以下。
 木村氏のアイデアについて十川氏が、大雑把に奈良時代平安時代とを比較して、むしろ女性の政治力としては、薄くなった方で指摘されていた。
 ここらはネットから簡単に読める
(https://www.toyo.ac.jp/nyushi/column/video-lecture/20150915_03.html)
『「西宮」木簡から考える-奈良時代平安時代の違いとはー』
など参照していただいて、素人老人は十川氏の指摘を受け止め、9世紀初め頃以来の変化ということで押さえておきたくさせる。
 蔵人(所)がどうやらその具体性を担っていそうだ。
 すると藤原冬嗣氏のことを想起させる。
 事情通、歴史通諸氏においては膨大な事態を想起されていることと察する。
 そして一方に奈良、平城京を遠ざける発想の濃さも想起できそうだ。
 それと関わるエピソードとして、当初の戒壇3つが東大寺観世音寺・下野薬師寺という辺りも、素人老人的には気になる。しかも下野薬師寺といえば、話題の僧道鏡氏が行ったところだ。
 平安京の担い手主流にとっては、嫌なその人脈と想起するなら、その具体的な一つ一つを並べてみて、いかなる基準を置くことで区分け可能なで、それなりの事実を浮かび上がらせることができそうだ。
 解説役の氏が女にだらしのないだれかにしろ、当時でも有力な女性人脈に食い入る結果をもたらすそのだらしなさは、追い落としの目に遭うのでは、と話題を提供していたのだが、そこらは今時の学生たちもまずはそう考えて教授氏にそこらを指摘するらしい。
 そこへ木村氏は、推し(おし)ということばをなげかけ、なるほどと学生たちの首肯を誘っている。
 木村氏が言うには、摂関政治という具体相においては、たとえ表向き断られようが、本音かどうか程度は確かめて色事にはまめに深海潜水艦のごとく深くつきあって女性ネットワークを構築できるくらいな男たちでないと使い物にならない、というニュアンスのことを指摘されている(現代人とりわけ欧米系宗派の倫理観の形式性が発散するイメージから軽はずみに判断してしまうと見誤りをたっぷり誘いそうだ)。
 つまり奈良時代の表向きにも仕組み的にも、女性たちが政治力を強力に使いこなせていたのが変化し始めて、変化して、それでも未だ、実力継承は成していたはずだから、隠然たる政治力との関わりを男性側が持てないなら、そこらは、推して知るべし、という平安時代の特質を思い浮かべられそうだ。
 おとこもすなる・・・をどう理解、受け止めうるか、の辺りにもヒントになりそう、と素人老人は受け止めているところ。

 素人老人の強引な推量からは、だから、倭国系、伊都国系の協働体はそれなりに、女性たちが決定的に活躍していたらしい辺りを感じさせる。
 が加耶系はある時点での仕掛けを列島に持ち込んで、あたかもそれが起源なり伝承のように思い込んでの世代継承を経てきた人々だから、奈良・平城京のあり方には、一体となって国つくりに取り組みたい、と思えても、なにげにしっくりこなかったのかどうか。
 事態としては、とにかく色々な角度から解釈可能なので、素人的には暫定的にこうもいえるよな・・・といった辺りを指摘してみた。

 660年以後の国つくりがはじまって、9世紀のごく初めの頃(一方に奈良の平野からは南部の空海真言の脈、その一方に藤原冬嗣氏(蔵人頭)一統ということになりそうだ。そしてこの主流に対する諸々はと事情通諸氏に投げかけて教えてもらいたいところだ)にもう一度、なんらか区切りとなる発想が注入されている。
 そこらを歴史家、事情通諸氏が早速解明してしまうのか、歴史探索素人衆がやってのけるのか、2024年、少々楽しくなってきた。