連載は続く~ SF掌編『扶餘・加耶・列島・高句麗・新羅・百済へ点と線』編


 わかっていることとわかっていないこととその淡いのような事象などを峻別して語れる歴史の語り手諸氏は昔も今もいらっしゃる。
 そういう歴史叙述のいくつかを文庫版になっているとか図書館で貸し出しているとかで入手し易いところで、触れることが出来て、加耶の件についても、少しだけ素人空想を展開し始めている気になっているところ。
 岩波書店から出ている古代史をひらくシリーズ中に『前方後円墳』('19)があり、そこに加耶百済関連で参考になる記述を読めた。
 カシミール地図を逐次参照しながら、それなりにイメージを膨らませることはできそうだ。
 鉄の取引や流通やが軸の一つと指摘できそうだ。
 その前に、参照したのは、申敬澈(シン ギョンチョル)著"加耶の情勢変動と倭"(p231-253)。
 参考までに、百済の方は禹在柄(ウ ザイヘイ)著"前方後円墳が語る古代の日韓関係"(p255-276)
 平凡社東洋文庫版の『東アジア民族史』1、2巻もカシミール地図同様に参照した。
 申氏はヒト集団が具体的形象を営々とさせながら、時に移動し時に定住することを踏まえて、証拠のいくつかを提示して、その勢力的集団移動の様を指摘されている。
 加("伽"を最近は用いないようだし"加羅"(ウィキペディアではこちら)ともしていない)耶を語る場合、扶餘という前史がふれられる事になる。
 285年の出来事からその一派は弁韓(東洋文庫版では"弁辰")の地(洛東江下流域)へ移動してくる。
 申氏はそこを主流が弁韓系から扶餘系へと移ろい(葬制、たとえば殉葬とか北方系の習俗を例示している)、明確には大成洞(テソンドン)29号墳が突如出現したことを起点と見ている。[3世紀末(290年代とか)]
 古墳番号だとまぎらわしいのだけど、大成洞1号墳が加耶勢力の退いた時期としての画期となっていることも指摘している。[5世紀第1四半期(400年+25年未満とか)]
 京都府山城町にある椿井大塚古墳には歴史的に特定のごく短期間にのみ作られた鉄鏃が埋まっていた。
 大成洞29号墳にも同じ形式の少し古い形式のが埋まっていた。
 椿井大塚古墳は箸墓古墳より新しい。
 そこから申氏は箸墓古墳について大成洞29号墳と同時期の造成と見る(p237)(つまり時期としては3世紀末となる。"誰の墓か"話題へのヒント発信となる)。
 大雑把な加耶勢と列島のとある地方との関係を押さえ易くしてくれる発信と素人老人は受け止めた。
 とある地方、としたのは、倭としてしまうと、あたかも倭の範囲ないし、倭勢力の主力との関係を語っているかのように読者に錯覚させてしまうからで、ここはより慎重に申氏の指摘と付き合ってみたい。
 山城町とか箸墓古墳の土地といい、全て淀川水系関連の土地柄と言えそうだ。
 淀川~①木津川
    ②大和川
 京都勢を持ち出すなら、~③桂川~鴨川
             ④宇治川山科川
 で、奈良が話題の時期にも先住していた主力諸氏の在地だったりしている。
 申氏は更に列島古代史関連として重要な指摘をされている(p243-)。
 半島の編年の成果として福泉洞10、11号墳は5世紀第2四半期と特定されている。
 現日本における古墳時代編年と関わる須恵器について、初期須恵器のTG232型式は福泉洞10、11号墳に埋まっていた陶質土器とほぼ同時期か若干新しいと申氏は指摘されている。(p243)
 申氏はその型式上の段階TK47について、現日本での前提から6世紀前半の編年と押さえ、そこから稲荷山古墳の鉄剣から特定された編年(471年説)とその稲荷山古墳に埋まっていたTK47型式須恵器は6世紀前半のものではないのか、という知見上の矛盾となってしまうあたりを、既に列島の歴史事情通諸氏において不思議がられている事象について、穏やかに、省みることへのヒントを提示されている格好だ(列島の歴史事情通諸氏においては雄略との結びつきに固執するあまりの編年決定ではないの・・と盛んに指摘されているのが現状のようだ・・・531年説)。ことわざにある通りに遅すぎることは無いので速やかにここらは訂正してもらいたい、と素人老いぼれゆえ、希望を持ち出したい。
 倭勢力が細々と対中国との外交を断続的にこなしていたのとはまったく別行動で、しかも狭い列島事情ゆえ遠いか近いかする親戚だっていたろうに、近畿の方では加耶の勢力がやってきて開墾してその土を盛り上げて墓にも使いつつ象徴的意味も持たせて元気だった。
 しかも、和訳である東洋文庫版の中国の歴史書の文からして扶餘系の人々は体格は相当にでかい方で良かったし、気持ちはしっかり、だけど寛容なタイプだったような紹介記事になっている。だけど殉葬とかそれなりに今日から見ればかなり野蛮な習俗も継承するような集団の営みだったし、これは内輪の論理だから外の営みへ強制される類とは違うだろうと推測可能だ。
 そして鉄を濊・韓・倭・帯方郡楽浪郡などと取引していたし、鉄を銭のような使い方にもしていた勢力の末裔諸氏である加耶勢となれば、ことばの問題も解消し易い。どういうことかというと、実用的に違う母語の持ち主達相手の交渉事を長年月こなしてきた各地の担当達が仮に継承もこなしていたとするならば、列島にそのうちの中心的な加耶の人々が入ってきたとしても、列島内でのその使い手とは簡単に交渉可能だし、外の世界とも同様の方式を応用すればよいだけだったりする。
 東洋文庫版での文には新羅が登場した頃では、新羅の主流は対中国との付き合いに百済の翻訳介在が要ったことを紹介している。
 そこらはことばの事情としての古代を押さえるヒントにできそうだ。
 だから対外取引を鉄という重要な物を介して相当頻繁にこなしていた人々が育てたことばということの在り様も古代の一面として想像しやすくしてくれそうに素人老人には思えるがいかがだろうか。
 いよいよ大挙して加耶の人々がやってきた大成洞1号墳の時期についての申氏の指摘を紹介したい。
 西暦400年の出来事がきっかけとなって二派に分かれて移住した。
 一派は高霊域(地図では半島南部洛東江沿いをたどれる)へ。
 もう一派は上記の通りで列島の初期の加耶系の人々が居たところから離れた古市・百舌鳥古墳群の辺りへと移ってきた。
 以下の指摘については学問的検証が必要とは思うけれど、現日本で見なされている古墳時代中期開始期の編年について、大成洞古墳築造中断の時期(5世紀第1四半期以降)から列島での古墳時代中期(既知としては4世紀末)の開始という順を申氏は指摘されている。

 巨大古墳系には加耶系の人々の関わりが濃厚という素人推理もしたくなる。
 偶然ということでは列島ことば流通の問題の一つは氷解させたのではという気に素人を誘ってくれた。
 九州を主な活動地としていた倭の人々だってそこにとどまり続ける理由はない。
 とにかく稲作は人口圧と結びつき易い。土木に長けている集団の営みならば巨大盛り土にして耕地を開拓して更なる応用もこなせる。そうでなければ、新地開拓が安易な方法となりうる。
 ただ膨大な古墳の分布と温和な勢力であり今で言う商取引に長けた加耶の人々とがどう関わったのかは素人老人程度の想像ではちょっと今のところ停滞中といったところだ。
 それに、列島においてその後のことをふれておくことがその特徴を明確にすると素人老人は察する。
 半島の高句麗系、新羅系、百済系の人々が列島では各地に温和に住み分けることができている。
 そのままだとヒトの為すこと、ボス的な争いが、食わせていく都合と秩序とのせめぎあいが各地で頻発してしまう。
 そこを半島での経験や列島での長年月の経験を踏まえて中央集権化の挙に出る。
 その後の試行錯誤、数奇な人生たちのあふれ出しは歴史物語として極端なくらいの話を充ちさせがちにしてきたけれど、煩型が沸々と所狭しと沸きだす情勢において、力づく一本やりではない策を採用できた場合、それなりの長年月を試行錯誤として経ることにさせる。そう素人老人は見る。
 世界中が、列島の試行錯誤のこの先の成功如何を密かに気にしていると思いたい。
 分権は気持ちの上で中央集権的な合作機運を共有できていないと、中々円滑に温和に結果を将来させずらい。
 いつだってヒトは揉め事を生じさせがちにしてきた。そこをいつだって穏やかに纏め上げて、次の世代へと託すことを繰り返してきている。
 現代における近現代タイプの生活様式は非常にエネルギー浪費でしか持続させえない仕組みで埋まっている。そこを気づいて軌道修正しようにも、一般からして、それに順応するほうで、観念だけは、効率を高めて浪費しないようにとか、自然を大切にとか。実は忙しなくする勢いに加担させがちにしている。
 そこらの不都合が実際にどう機能しているかを説明するのは、介護職経験から簡単だ。
 給料動機を少しだけ機能させるようにして、一方で趨勢としての職業探し圧が生じても、介護業界の中で(に向けて)お金のめぐり(宣伝(発信メディアを含め)業界を軸に各産業の脈々が注ぐタイプ。消費を誘ってそれもめぐってなだれ込む仕組み)を生じさせることには今のところ成功していないみたいだ。だから介護業界内発明的、開拓的に事業が動き出すほどに人が集ってこなかった。現状多分、大変なくらい人手不足なのでは。
 軍事費用に大判振る舞いできるほど世の中ゆとりたっぷりと主導層は勘違いしていないだろうか、と素人老人は心配だ。介護に関してなら、一人に二人か三人が付かない限り、24時間の介護請負は不可能だ。二人の場合なら機器を応用して一人分が可能なる必要を指摘できる。三人だって、休暇は必須なのだから、ギリギリで無茶な要員だ。
 介護はとてつもなく負担を伴わせる。そのリアルを見ようとしないと、主導層も油断して無駄使い(最低限プラスアルファは摩擦費用として必須として、それプラスのところ)をしてしまってしかもそれこそが秩序のための社会工学的工夫なのだ、と思い込んだらそれは勘違いというよりも無知に近い(と素人老人は察する)。たとえば介護のリアルと緊張関係を持てるような発想を持ち込む必要を指摘できる。
 元気な若い夫婦者諸氏ならば、子育てということの深刻なリアルを想起してその緊張関係のもう一方を提示されるかもしれない。
 (老若女男)お互いの摺(す)り合わせの中で具体的に時代相を暗黙的とかも含めて合意的に形成できるリアルは動物であり生き物であるヒトにとっては不可欠の過程なので、そこを剥ぎ取る能率、効率の形式的導入は、それなりの費用を積み上げさせてしまう、と老人年代からはヒント発信可能。
 公務系が出過ぎれば即弊害は生じさせやすい。黒子性が必須の役柄だ。
 でも公務系が活動状態を維持してこその市民社会的平穏であったりもする。
 そして地表面各地の事情は、もっと複雑にバラエティに富む、と素人老人は見ている。
 地表面で行き合っているし生き合ってもいる人々が、その全体性においてまとまり観のいくらかを共有できて、しかも各土地柄がその持てる力量を試行錯誤できる自在さを保ち合える全体的な平穏な環境維持を、自然災害頻発の今時においてどうのように可能にできるか。そこらだろうと、素人的には想像している。


 だから若者達には、今時、各地で生じている出来事のいくつかについて、読みの別の線をドラマ的に語っておくことも参考にしてもらえるかも・・・など余計なことまで言い出したくなる今日この頃だけど・・・・


   川柳もどき

    中干しなんていう農の方のやり方をつい先日ネット上で知った
     ちょっと時期を間違えるとカエルは根絶やしになるそうだ
     梅雨の雨降りの一時、ちょっと散歩
     で、
     田の畦の近くを通り抜けつつ
     踏まれてペシャンコの小さいカエルたち
     それは悲惨なのだが・・
     こいつら育ってた・・とも思えて
     安心してしまうのは
      老いぼれだからか
     中干しは田によって色々のようで、今、試されているのかもしれない
     カエルは・・・・・・くどくなるが、クローンの宝庫だな
     この数の多さが、田舎の生き物達の支えというわけだ