連載は続く~ SF 掌編『爺じぃがブイブイ言わせてどうする』編


 半島事情をつまびらかにしない素人な爺ジィゆえ、半島に住み慣れた諸氏ないし列島で半島地理事情にそれなりに詳しい諸氏にお尋ねした上で書き込めばいいようなものだが、そこは爺ジィ、つい先走って、漢江(한강)~洛東江(락동강)を通って倭人たちが住む土地へ来たようだ、と先走りついでに空想しているところ。
 ~のところは今55号線が走り、鉄道のトンネルが通っていて、その両端に小河川が通じているのを好都合の方で勝手に受け取ってしまえば、10kmを荷物と共に歩くことになりそうだ。ここらもここが昔からの道なのかまったくわかっていない空想に過ぎないのだけど。
 そうやって、『九章算術』や『周髀算経』を和訳のほんのさわりを知ったくらいでも充分に測量関連の技術・知識は半端ではない辺りに気づかされて、その後、半島を出て対馬壱岐と来て西風と共にの東に向かう流れに乗って、宗像神社のある島に寄りつつその先の末盧国へと到着するわけだ。東の流れに乗ってしかも東行での(ここでは大島経由)千余里ということで自ずから先は特定されてくる。今の遠賀川河口のところから洞海湾へと入る。その過程に今とは違って相当に広い江川を通って枝光へと至る。
 ここには、これまでの空論過ぎる邪馬台国論争にけじめを付ける上で相当謙虚に中国の文献二書の指摘が踏まえられている。
 もしも異論ありとするならば、壱岐からの流れの向きを利用するかしないかの辺りや、舟運は外せないからその上で、千余里の先をどう選ぶかとその次の明確な方位と距離との相性の問題を先取りして、判断のどれかを提示できそうだ。
 当面は、以上の酒井正士氏の説(『邪馬台国別府温泉だった!』小学館新書'20)が唯一、当時の中国の実力に見合った仮説と、素人の爺ジィは見たい。

 さてテレビ付(づ)いている最近の爺ジィはその中から2本、話題にしてみたくなった。
 NSOなる会社がインターネット全盛の今時、潜り込めればなんでもござれのスパイソフトを作って大いに稼いでいるらしい。
 地表面事情においては超大国がそもそも諜報を使い放題にしているレジームを地表面の人々は生活しているので、悪用という概念もこんがらせがちにしてしまうけれど、とりあえず番組では悪用した場合、相当に困ったことを生じるというように紹介されている。
 作り手はエスプリ(esprit)ということばを使いまわせる土地柄だから、先に持ち出したNSOが多分この番組では要だったりしていたはずだ、と爺ジィゆえ後になって気づけたりもしている。
 ネット情報を適時必要に応じて使いこなしているのが超有名なNSAなわけで、それとNSOだ。OにAだ。AからすればOはただの抜け穴に過ぎない。(ひょっとしたらの杞憂ゆえリアルを損なわないよう、下ネタ発想はここでは尻の下敷きにして忘れたことにしておいてもらいたい)
 ということで、NSAは大胆不敵にもなんだけど、NSOも民間企業の利益活動としては相当に不適切な活動をしていらっしゃるんじゃないの?!とキツクレポート発信していたわけだ、と素人爺ジィは最終的には受け止めていた。無料放送版でツールドフランスを流していたのを見ているが、2023年版のル・マンは有料仕方なしだとして、2022年版まで無料放送になっていなかったのには、ちょっと残念な爺ジィだったり。

 さてもう一本。
 こちらはBSNHKのドラマ。交通警察が舞台。
 何度か見ている女優氏はいつも可愛い誰か扱いされやすい役柄を演じている。
 しかも、ちょっと単調というのか、覚えこんだ尺度をしっかりもののようにして、それで人を見る。判断する。そういうキャラクターとしての側面もいつものことだ。
 だから素人の爺ジィは断固、女優(男優でもそうだが)にはヒトの多面の一部を表役にせざるをえない辺りを含ませて演じさせるべし、を指摘しておきたい。昔ならば特定のキャラを持たせて、それぞれのキャラがぶつかり合って、そこに一人のだれかの複雑さを感じ取らせる演出もありえたかもしれないが、今時は、忙しなく流れていくので、一人一人として、複雑性を演じて、その表面での付き合いをせざるを得ないところから、何かが生じ続けてこんがらかって、いっこうに揉みほぐれることも無く、事態はどうしょもなくなっていくのだけど、忙しさにかまけて、ヒトはたくましく生き合うことを選び続ける、という具合がより今時のリアルと素人ゆえしかも爺ジィなので、そう押さえたくさせるわけだね。
 特に交通事故は欧米流の善悪とかどちらが正しく片方は悪いという明確な処断は難しい事象とこのドラマでも押さえつつ、しかも、番組が進行するうちに、むしろ善悪は明確だっぽい方に落ち着きどころを探るような演出・構成となっていた。
 だから余計に爺ジィは老いの不平不満爆発というほど大げさではないのだけど、グチの一つ二つのりで、折角の事態把握の複雑性を持ち出せたのなら、英国版ルーサー刑事ご本人の複雑人生が公務系を担う人生たちには付きまとうのだ的リアル演出のほんのさわりでもいいから真似てほしかったと思えたわけだ。公務系に助っ人としての頭脳明晰系女性が関わって、複雑さを更に複雑にしながら難をなんとか乗り越えていくルーサー刑事のことを個人的に恋人のように好きになってしまった助っ人の頭脳明晰な女性は、だから、そのことのリアルにも気づいて、自死のようにしてドラマチックに亡くなって逝く(ちょっとしつこい表現ご容赦)。
 公務中に飲酒かよ!・・・・・と絶句しながらいつも事件解決を期待してじっくり見てしまうのが、やはり英国版モースの各シリーズだけど、こちらも当然、複雑に人生をこなしている。
 安易な路上駐車なら余計迷惑でなんとかしろ、の類かもしれない。
 一方で、気軽に、そういうことのできるゆったりした土地柄のすばらしい風景・情景を取り込んだ映画・ドラマも沢山作られてきているはずだ。ヒトは色々をこなせる。
 BSNHKのドラマでは警察幹部人脈の女性が路上駐車していてそれが大事故の原因を作っている。
 で先の安易な方向を印象付ける構成と演出と役柄で充ちさせて終了となった。
 ドラマ仕立てなら、その路上駐車こそがなにかを急な状況としてだれかが追跡開始して、超感動物の捕り物へと連ならせていたが、駐車のところへ戻ってみれば大事故が発生していて・・・で事はそこで終わらず、めぐりに巡って、大事故の関係者にとっての先の捕り物がめぐりめぐってということで奇跡的な救いともなった、とい顛末として描けることは、ヒトの複雑さとして押さえられる事象・リアルからして、奇跡的な出来事ではない、と爺ジィ発想からは言えてしまえると押さえるがいかがだろう。
 放送大学の自然科学入門の番組の中、数学編では、ケーキ好きと一括りでなにごとかの成否の判断が可能なような演出だったり、世の中、シンプルにしようと試みつつ更に複雑にしてしまう類は数限りなく満ち溢れていそうだ。

 

   川柳もどき

    下ネタを封じ過ぎてもいけない
    爺ジィ年代ともなると性別如何にかかわらず
    健康持続のためにも
     ブイ・ブイ
      ブイブイブイブイ・ブゥブゥ・・・
      言わせて
      結果、旅行しまくれるのもお楽しみ