連載は続く~ SF 掌編『できれば多忙にしすぎない工夫を』編


 各国中央銀行のやりくりと関わる金利の上下動で、その金利の水準がある程度の趨勢を呼び込めたと世の中の諸々の活動が察知できた時、その水準前提の巡り巡ってのやりくりとしてある落ち着きを見せる。
 するとめぐりめぐっての作用因のが働きあうくせとして、物価にまつわる落ち着き水準をもたらす。
 低金利の水準ということになればそれなりに、やや高めならばその水準として、ちょっと高めだと列島高度成長期のようなその後を迎える趨勢を長期間働かせつつ、経済の一応メカニズム的なものがそれは全体としての落ち着きを誘う作用因ではありえないよというわけで、上げ底運営である実質をさらけ出すような結末のなんらかを経済現象として誘うように働き続けてしまう。
 今時は、とりあえず低めの金利水準に応じたやりくりでやってきたけれど、成長することの色々な作用を思い出ということで、とても幸せだったのにぃ・・とセンチに、だけどとろけるノリで振り返らせやすいのかも、な、と素人老人ゆえ空想するしかないのだが、わざと物価高を誘い、悪夢よ再びを、夢のようだった過去の成長の年月を取り戻せで躍起になっているのが主に欧米系人脈だ、と素人が指摘してもそう外してそうに思えないのがネット発信盛んな今時の好条件の一面と素人老人は見たいけれど、話はさらに続いて、その物価高の原因が特殊な戦争だった、というのだから、困ったものなのだが、その過程の相当に変だった。
 超大国と関わる発信元の言い訳タイプのことはともかく、明確すぎるほど明確なのは、ウクライナにどぎつくもネオナチ人脈が政府に関わる形でウクライナ国は経済活動を盛んにして大いに稼いでいたということ。
 その原因を作ったのは既知の通り超大国USなのだが、19、20世紀の史実を再現し易い記憶にできている西暦2023年という時期において、ネオナチ人脈を他国政府の政変と関わらせてしまったの?と国際的な法治と関わる関係者が精密に調べつくすようなことがあれば、超大国の面子がつぶれるどころか復活すら不可能になりかねないほどの質の事態となってしまう。しかも現役の超大国という位置は、陰に陽にその体制を一応支持した諸国が応援することになってしまうし、そうなっているものだ。そこらはリーダーを信任して、そのリーダー的な指揮命令系を適正の範囲で認め合うこととそっくりの事象とみなせる。
 でも逸脱が目立つようになれば、リーダーとして不適格、とだれかが勇気を持ってか、既定の手続きとしてそれを使ってかして、異議なりを表面化することができるし、そうなれば関係者が集って論議くらいはできる。無関心層があつまっていないはずの関係者の間では、問題のあるなしをしっかり検証して判断される。
 超大国の権威を認め合おうとしている様はマスメディア報道からよーくわかる、と素人老人の受信アンテナはそうことばにさせる。
 でもネオナチだぜ、となると言い訳そのものがなりたちにくくなる。
 世に散らかる話題の一つとしてその話題が散らかったままでいてもらいたい場合、できるだけ根拠薄弱だけどそうかもという一点は必須として、だれかれと発信させる。
 すると事情通諸氏にとっては、そんなの論外と言ってのけられるのに、市場原理主義よろしく、対等の重みを持たせる演出でマスメディアをその一見ごもっともの一点を含ませつつ根拠薄弱な論が放送時間を賑わすものだから、見聞する方にとっては貴重な時間を割いているわけなので、いい加減に聞き流す風が日々の対応の仕方になりがちにしてしまう。もちろん、それこそある種の脈々にとっては狙い通りというわけだ、と素人老人は勝手にしつこく言い放っているわけだ。
 ネオナチノリだから結構乱暴だったりする。またそういう風だから超大国は利用したという話が伝わってくる。
 ウクライナの土地でもその連中が乱暴を働いていたそうだ。
 他のウクライナの人々が目の前でそういうことが起これば、多分、止めるとやり返されそうだから、そうはできにくかったとしても、気持ちの上で、ネオナチってヤバそうとか強く印象付けたと素人老人は想像する。
 でもきっと派手な野蛮で乱暴なことはしなかったのだろうし、陰湿なタイプのいじめっぽいことを積み重ねて、それをされた側にとってはトンでも事態となっていたと素人老人は想像する。
 言い訳できないネオナチ利用的なやりくりを20世紀後半以来の超大国は色々な局面で使ってきたことは有名だ。US映画でもほのめかしになるようにエピソードにして一般に紹介し続けてきた。
 公務のCIAがちゃっかり先生とかになって、の類をドキュメンタリーにするのは仏系の放送局が結構作品にしてくれて列島でも数本は確実に放送された。
 でも今回の場合、それが明確になってしまうと、事態把握を混乱させかねないので、一方的な見方のみ放送されつづけてきた。
 ただ列島では、少なくとも一回くらいは率直な事態紹介のための発言をしてくれた専門家諸氏が、その後はまったく一方通行系の役割を担うような手法を列島放送業界も採用しているように、素人老人は受け止めているが、そこらは視聴者諸氏がそのようだ。
 少なくとも一回の貴重な発信を合計しても少々でしかないが、流石(さすが)に専門家諸氏の一瞥だから、見抜く。
 もちろん、ネオナチとの関わりも一度だけ列島マスメディア発信の中で紹介されているし、更に、戦闘が始まった当初、正確無比なロシアの攻撃が、戦争とはいえ、極力一般人の犠牲を無にする作戦らしいことが伝わってくるような初期を列島メディアは確かに報道している。どちらがどうこうということが不明確なまま犠牲者が出ている式の報道も直ぐに始まっているから、ごく初期をたまたま一緒に見ることができた列島在住の諸氏しかその体験は得られていないのか、それともネット上の媒体から再放送っぽく何度も検証してしまえているのか。
 とにかく当初、正確なロシアの攻撃に対して、ウクライナ自国民の犠牲も辞さずの不正確な攻撃で持ちこたえてしまったのがネオナチ人脈が支えるウクライナ政府と軍だったわけだ。
 ここでいかにも素人で老いぼれっぽい見方を披露してみる。
 超大国USタイプの場合、危ない連中を危ない事象と関わらせて、証拠隠滅のために最終的にはいつでも抹消処分してきたようだ。ここらはネットでの伝聞だからどこまで徹底的だったかは本当のところわからない。徹底しているなら映画・ドラマ並みということになる。
 ところが、荒っぽい連中はまさかの自国民の犠牲も辞さじ作戦に打って出て、短期戦で終わらせるつもりだった方にとってはどんでん返しの事態をもたらしてしまった。
 終わらなかったから、証拠隠滅作戦も失敗に終わった。
 超大国は他国にやらせてしかも自らの関与もすっとぼけられるはずだったのに、それができなくなったので、超大国の権威温存作戦に転換した可能性をこの事態に素人は読んだ。
 そのおかげで、シェールオイル採掘では失敗となって石油輸入依存の要素も持つ超大国のモロさ継続か・・から一気に石油価格急上昇でUS,ロシアともにウハウハの状態となり、
世間では(いろいろな製造過程に使っている)石油依存肥大の地表面の実情(1970年代噺ではふれなかったけれど、当時も相当に話題になっていたことだ[目立つのが1973とか])から、原材料価格上昇を受けての物価高を誘った。
 すぐ次に、ウクライナ産品が半導体中国依存と似て、地表面各地が実は依存していてこちらも原材料価格上昇の原因となり、それゆえの諸物価上昇を招いてしまった。
 列島の場合、ウクライナやコロナやの事象以前から少しずつ、散発的に物価高(たとえば非常時に必須と思える缶詰の類も密かにかなり上昇趨勢だった)を現象させていたのにそれに重ねるようにして、欧米諸国と比べて時差を持って急な物価高が始まった。
 あまりにも横並び値上げっぽく、ひょっとして便乗と素人の場合、そう受け取りたくさせるけれど、一応、原材料価格上昇と賃上げの資金が要るためらしい。
 後者の場合、高度成長期の悪夢の面と極く似てしまう。人々は稼ぐためにやたらと忙しくなって、組織に縛られがちしそうな気配が漂い始めた時期だった。それを嫌ったオルタナティヴ発想の美味しいところを逆用されて、期間雇用の悪弊を列島に持ち込んでしまった。
 介護現場にはしばしば人材派遣会社を介して働きに来る介護現場職がおられたが、その諸氏の口からはこの方がすっごくいいからこの介護現場を辞めたくなったとして、派遣会社を辞めるつもりはないというのが通例だったが、NHKが先日再放送していた『ガラパゴス』が列島在住の現役諸氏にとってはより身近に感じ取れる情勢をエピソードにしてそうに素人老人には思えるので、振り返って、介護現場って特別だったのかも、とドラマに教えてもらった格好だ。
 オルタナティヴ人生を自ら選び取って、下手すれば不安定な職機会と付き合うことになりかねないとしても、そこらは算段しつつの選択の余地ありでの、人生と察せられる。
 ところが既定の列島就職環境として派遣労働も、現役世代の中での就職探しの重要な選択肢と見なされてしまうなら、大人たちがどれほど厳しいこともあるかもしれないけれど、多くの場合、支え育て合ってくれる人間関係を少しずつ経験していって世代縦断、横断の昔のような赤提灯とかねちねち系の関係構築とは違うけれど、やはり先達諸氏が後継者を育て事業としての継続性に本気になって取り組んでいるのが仕事の世界だったりすることを経験して認識できるようになると、ある種の底流っぽく作用してくれるうぬぼれるタイプとは違うけれど自信っぽいのが浸み込んでそうなのを感じられるようになって、後進のだれかたちの面倒を見ることが面倒な方ではない方で取り組めるようにさせたりが起こるはずの、人生経路を経にくくして、ずっと担うだれかだからこその技能を継承しあう貴重な機会をお互いが必須として持ち合うことを希薄の方に向かわせかねない。
 2000年代に入って以後の急激な住スタイル(デザインとか諸々)変化をその以前を知っている世代は通過している。そういうある種の豊だからそう可能になったのか、そもそもの工夫しない民間住宅設計に工夫が持ち込まれただけなのか、そこらは調べずに書き込んでいる最中なので、できれば世のネット発信の方で紹介していただきたいけれど、急に個別の住宅を購入して住んでの境遇をより多くの諸氏が得たばあい、その土地の公務系が下水に必要な予算をつぎ込めた土地は、それなりの住環境を保全できたかもしれないけれど、水害はどうか、火災の時は、大地震の時は、とか住環境問題は恐らく多くの土地で棚上げ状態に近いと素人老人の実感予想だ。
 多くは、下水処理以前の下水が農業用の用水路を兼用して、ヒトが出す下水はとても汚れている上に界面活性剤をふんだんに使う宣伝がまかり通り易い時期だったりすれば、水中の生き物の多くは死滅するし、死体が流れ去った後の水も淀んで臭気を放ち易かったりで、住宅地を開発するにはの大前提抜きの開発だったことがばれてしまうような住宅地が列島には膨大に出来てしまった。
 下水は露骨に生活妨害となるから、住宅地の用水はやや綺麗に流れるようになったけれど、その先の農業用用水域は汚水がたまって、汚いままとかもありがちなことだ。
 それくらいだから、歩道、車道ともにアスファルトを敷き詰めた、それなりに便利になった分、水害の危険、現住宅地ならではの水害の起こり方が発生し易くなってしまっている。
 ここらはF2テレビのフランスでの6、7月の水害報道などでもよく伝わってきた。
 列島の住宅地も似ている。そこに降って浸み込まない水は低いほうへと水流を形成する。当たり前だ。そしてより低いところへと流れる。一定以上溜まれば、今度はヨコに広がりだす。足元などを厳密に気にして歩いてきたわけではない住民諸氏にとってはどこになにがあるのか想像すらできないでひざ下か、ひざ上の水面を眺めつつ、ザバザバザバと逃げ惑うことになる。
 より田舎に住んでいる人々は相対的にラッキーかもしれない。舗装の広がりが農地のある分、少なそうだ。
 つまり全体的高所から眺められるなら、局所に災害が短時間だけ生じるっぽい。
 しかも激震並に一時、起こってしまう。ヒトにとって一日というサイクルも貴重だけど、呼吸は、我慢できるタイプ諸氏なら数分できそうだけど、通常、1分間くらいのものだ。
 激震並みに水没が2分間続くだけでも、半数以上の諸氏が犠牲になりかねない。
 大雑把な数にしたのは、呼吸のことはともかく泳いで逃げおおせた諸氏を想像できたから。
 そして性別で分ける必要は決してない、とした上で、とにかく両性がやたらと働くことに忙しくさせている。今日でもそうだ。物価上昇のスパイラルが始まると、必ず、一般の生活は忙しくなるし、その手の事態に変化を誘う知恵ネタのマスメディア系報道か番組が長寿命番組として見たい時に見られるくらいにはびこる。
 豊になったから今度はゆとりだ、という筋も、実質のゆとりを工夫することなしに、教科書の内容を端折る方でやってのけた列島近年史を振り返っておこう。
 明治以後の中央集権のどこかおかしいところが、時々顔を出す。
 公務系には試験が課されるから、そこらは必ずフィルター作用を発揮させて、ある程度の人材質はそろえるようにするだろうけれど、地表面、どの土地柄も、いざ近現代の趨勢を受け入れた場合や中央集権化を成した土地柄では、公務系を育てられているかどうかが、国の構成員である人々の生活の質のある程度を既定してくる、と素人老人は察する次第。
 どれほど公務系発想を鍛えこんでいる諸氏だとて、数十億人が住む地表面での利害の膨大量に辟易しないということはありえそうにない。だから、ついわたくしごとに発想が向いて、というか、ヒトなんだからわたくしごとに関心を持ってあたりまえじゃん、とか急にハマっこになってもしょうがいない。
 そう誘う囁きは耐えることはないだろうけれど、だいたいそもそもでは共和発想がそう誘うわけだから、それこそ現代においてはメジャーな考え方の一つになっている。その上に重なるように民主を持ち出せるわけだから、民主、共和が、わたくしごとに絡まれろと、いつも誘ってくる。そうやってどこかに潜む誰か諸氏たちは、市場原理よろしく、利害の渦にとにかく誘ってしまって、いつでも結果成功・者諸氏と付き合ってことを処理し易くしている。或る意味、それもヒトの集団の営みの困難を前にの知恵の一つと老人ゆえ見なしたくなるが、やはり安易な処方箋の一つでは、と疑問くらいは素人老人なので、その賢者諸氏には持ち出してみたい気がする。
 だから理論に寄せて、雇用と物価を安定させてみて、そこで生じる労働意欲の問題とか産業展開の可能性・不可能性がどう発生するとかを整理して前提を保持しながらの工夫が可能になるのかならないのかを通過してみることもヒトにとっては貴重な経験とならないかどうか。

 例えばインターネット業界が抱えた先詰り感を棚上げして、とりあえず営業利害から様相を変えたAIを売り込み始めた。賛否両論の宣伝手法はお馴染みの一つで珍しいことではない。
 翻訳とかに生かされているアルゴリズムのタイプのAIは、文字の組み合わせに熟練して、考えて発現しているかのように振舞っている感じを出せるようにしている。
 間違いも精査すると見つかるし、こなれる以前の記号処理について同じアルゴリズムを応用させるなら、精査するまでもなく、ちょっと変な翻訳が目白押しとなる。
 だけど、日用品としての質からネット翻訳を利用する範囲では、素人老人、それなりに重宝している。けれども史実について詳述してあるような外国語を翻訳させた場合、ばつぐんに性能のよいアルゴリズムのもと働くAIだったとしても、検証の精査は怠れないと察する。ともかく外国語に精通しておけばこんな苦労しなくて済むのに、といった後悔噺が漏れ出そうだ。
 関心のない論文を多量に読み流す場合、そこにAI作文が入っていようがなかろうが、そもそも読み流しの質からしてどうでもよくなるはず。
 作文とか論文が素人の目には、更にご大層なはずだけど、自分にとっては関心外だしな、で一応目を通して、だれが書いたものかなんて気にしない場合を想像してもらいたい。
 だけどメジャーリーグのホームランが目を見張らせるしファンの数がどっと寄り付かせる要因となるように、ホールランにならなくてもクリーンヒットくらいでも、歓迎ということは日ごろ苦労している営業担当諸氏からはもれ聞こえてきそうだ。
 そこへ登場したのが今時のデータ量とアルゴリズムの組み合わせだ(プラス処理能力)。
 便利な面を利用させてもらっている身なので、とびつくか、挨拶程度にしておくかなど、軽率な判断さえ避けられるならば、ご自由にといったところか。
 とにかく素人老人からしても、資金をめぐらせるべき分野が相当に各土地柄の各所に散らばっている、ととりわけ公務系などは整理して、その多さに納税者への具体的説明と説得が要るだろうなとか想像してもらいたくなる。
 民間部門もチャレンジする部門が相当にあるはず、と見通せれば、投資の機会とできて、利ざや稼ぎの(投資ならぬ)投機に個人も団体も巻き込まれがちな現状をも少しずつ変化に誘えそうだ。
 ここらはそろそろ、マスメディアに登場する事情通諸氏がまとめてそこらを率直にかたるけれど、けんか腰に誘うわけではないことばを開拓して変化のお膳立てくらいはこなしてくれないと。
 ちょっとだけの金利上昇機運として、銀行系の融資部門が仮に活発化するのなら、金融分野の投機依存趨勢を転換できるかものかすかな(老いボケの)期待も働くというもの、

 

   川柳もどき

    水面を黒系のイトトンボのたぐい
    榛名湖をバックに、夢路作の裸婦画
    は陽に焼けていない小さな
    胸をあらわにしてなぜかやさしげにゆったりと
    水しぶきをあびそうなはずのイトトンボのたぐいたち
    それでも数匹がヒトに寄ってきては離れ
     黒の中に瞬間輝く色も