連載は続く~ SF掌編『暑い日々、たまには介護とかの話など』編


 助け合えることに感受の相性を添えることで、人生時間をか細いながら関係性を意識し合えるようにして過ごせる方へと誘う。
 ほとんどの場合、そこに子育ての事情が絡んで、子作り、子育ては、生き物全般にとっての大変なことだろうがヒトの場合はもっと環境を整えて、という性質を持つから、わざとくらい対他者に向けての子育て中のワンセット性を表示することになって、その間は助け合える相性の連携網は特殊扱いとなる。
 人生時間相手とした場合、ヒトは出会い続けるし、相性とかを無視しなければか細い連携網であり続けることに変わりはない。だから人生時間にとっての貴重な出会いが積み重なっていく。
 子育て期間はその例外扱いとせざるを得ない。
 その特殊性に気づけて、関係性のか細いけれど貴重な辺りに関心を向けられれば、初老ころから心配した方がいいボケ症状発症のほとんどの機会を忘れ去ったことにできそうだ。
 そこらは以前、(心の上で個人的、関係的、世の中の成り立ち的)依存関係の落とし穴のようにふれてきた。
 若い時分に発揮させがちな子作り・子育て利害からの相手欲しさバイアスだと、うるさいやつら+の事象ととりあえず押さえておけそうで、そこを外せる発想を子育て経験での試行錯誤から直観できるようになっている年代諸氏においては、残るは、各土地柄での文化的な約束事なりを相手への依存症に誘わずに済ませるようにとか、(電話サギの類だったり)カジュアルな犯罪行為へ片棒担ぎのお誘い予防とか、か細い信頼関係を得ての話として万が一にどういった距離の相手としての助け合いネットワークを形成できるかとか、想起しながら無理の少ない方へとその都度改良していくことで、多分、地表面規模での宗派宗教規律へも心配過剰に誘わない想像しやすい状態をヒトの集団の営みとして表現させやすくするのでは、など素人老人は推察する。

 もう少し、介護現場の事情に即してなんとかなる事例など話にしてみたい。
 以前ふれたように心理とか精神という場合の精神のことばを関わらせた医療部門はけっこう介護と密接に関わる。
 介護現場の側が指摘する場合がほとんどと察するが、問題行動のお年寄りはその部門の医療の判断から薬が処方されて、自らの体の傾きすら認知できなくするタイプの薬品を日々飲み続けて、その元気力を極端に低下していることで転倒ほかの問題行動を起こすということで安全のための拘束に向けた段階的対応処置が介護現場では採用されがちとなる。 脳血管系の疾病から認知機能における日常の動作の上で部分的不都合を生じさせるようなことになる方々の一方で、高い血糖値が継続しやすい体質となって、その先には透析治療が待っているだけのようなタイプのお年寄り諸氏もいらっしゃり、この方々の中には認知症状を淡く生じさせる。
 そうなるとご本人にとっても大変だが、ご家族とかご近所にとっても慣れたインスリン処方に心配するだけでは済まず、家庭でのやりくりのどこに破綻が生じるかで心配するようなことになってしまう。
 独居老人がその境遇となると、ご家族でも資金的になんとかなる層から早速介護施設頼みの心が囁きだす。
 そこで、介護施設にも、ご家族にも多分役立ちそうな素人老人介護経験発想を書き込んでおきたい。
 そのご老人の元気度合いを探る。そこらは家族の目線も、ちょっと客観的な介護側、ケアマネ目線などいくつかの方向性を持ち寄ってみることが大事だ。
 そして、元気は元気。ただし糖尿系の諸氏は追々元気でなくなる。(働き過ぎから糖尿系に誘われた諸氏ならなおそうだ)。しかも認知に関わる点数付けをより普段着の気持ちの落ち着きの下実施できてそこそこ実力に近い数値を出せたとする場合に限りたいが、元気さを裏付けるようなら、そして施設入所を試して嫌がるか、しばらく試して、数カ月たったとしても戻りたくなったら即戻す確約を成して(ただし選び方を間違えてストレス満載の施設に入って疑似問題行動老人とか疑似認知症老人のラベルなりレッテルを張られてしまうこともあるのだから、事前の戻すことに向けた準備は間違えることなく敢行できるようにしておく必要あり、だ)、とにかくこの時点では最終的には自宅療養を選択できる。
 できるように仕向ける環境整備のための製造業・小売りの余地の辺りに素人でも触れることができる。
 介護現場で働いて数年程度でも十分に世の諸氏における習慣の身に着け方のそれぞれくらいは気づかされる。
 良し悪しの観点も持ち込めるから、そこは棚に上げた上で、昔の諸氏は習慣をしっかり身に着けたタイプをより多く見かける。
 そしてその分、生活上の破綻を招きにくくする。介護現場担当諸氏の誘い方次第で問題発生にわざと誘うこともできる要素だから、現場を仕切る現場の責任者には余程の経験を積んで人員の困った方の工夫にも動じないだれかたちを雇える人事部門を鍛えておくなど、余計なお世話になるけれど素人老人は指摘しておきたい。
 ある程度パタン化した生活の繰り返しで晩年をなんとかできるくらいに生活と関わる全般に習慣を身に着けている諸氏を前提にする場合、火事の心配とか、水の出しっぱなしの心配とかへの対処は、使い慣れた道具のその使い方を継続できる形での更に工夫を加えた改良品の提供ということをヒントにできる。
 以前七七系の介護発信でも部屋の配置とか急変は問題発生の原因だから注意してねなど基本事項にしていた。
 それでも、介護が必要だからということで改良して変えてしまったりが起こりうるような発想が今でも善きこととして起こりがちと察する。
 生活習慣と関わるから、若いころから、でも逆らいたがり屋さんの子ども年代に無理に強いても反抗しまくって気づくには数十年かかってのようなことになりがちにするから、ほどほどにしてできるだけ若い年代に気持ちを入れかえてもらって老年期に通用する生活習慣を身に着けてもらう。そしてその習慣の心身動作上の慣性を応用する形で、道具・設備を整え継続しようできるよなメンテナンス・備品補充・製品入れ替えが可能になるような長寿向け商法を世界に先駆けて列島の丁寧商品製造・販売が担ってしまう。
 製品が丈夫で使いやすいだけではなく、一度使い方を覚えたら、性能はアップしつつ、いつでも同じように使いこなし続けられる商品の数々、となれば、うっかり若気の居たりの彷徨いはありえても、人生の途中で、また使いやすい使い慣れた操作の製品に戻ってくる。
 今時だと、そして今後も電子系の小物を雷とかも物ともせずに使い続けられる世の中が継続すると仮定できればスマートフォンは超有名過ぎる人物でもあるジョブズ氏の置き土産ともいえそうだし、アラン・ケイ氏のコンピュータ系伝統の一つをこの短期間に達成させてしまったのかと驚きの絶句を漏らすだれかたちもきっと狭い地表面にはいるはずで、そのスマートフォンが機能にとどまらすポップなのりでアップル社が普及させさらに当然わざと他のということにしてだしたアンドロイドOS系の携帯端末ほかも大変な普及を見せて、それが多くの世代に通用する形となっている前提条件を踏まえられるこれからを想定するとき、習慣としての手さばき・指さばき操作によって操れる道具たちとの感触体験も同じく若い年代から継続的に似た操作のままで性能はアップさせつつ可能になるようならば、それらは将来のオルタナティブとして絶大だったりする。
 ばあちぁん、おいしいもの、食べたいとかわがままな孫が言い出す。
 しっかりもののばあちゃんは、少し我慢しなさい。がまんすると、きっとおいしいものが届くよとかだます。
 素直系な孫はふーんとうなづいてくれる。
 そこでばあちゃん、だまって、そそくさとスマートフォンの場面を操作。宅配で、近所の和菓子やから、糖分を押さえて虫歯量産には貢献しずらいお菓子を頼む。自分のは大きさが一回り大きいし、虫歯の心配の要らない境遇だったので、糖分もたっぷり。
 少しして、こんちはぁー!の声。
 孫に向かって、ほらっ、来たよ。行っといで、とかうながす。
 孫、えっ!と喜んで飛び出して戸口へ。
 抱えて持ってきた。
 蓋(ふた)を開ければ大小の二つだけ。
 ばあちゃん、おや、相当ぼけてきたかな、と自覚する。なにしろ、この場面は想定外。孫は大小の2つを目の前にしている。
 ヤバッ、と気づいた時にはもう遅かった。
 なんとなく、目線を感じるばあちゃん。
 仕方なく、大きいのを割って適当に二等分できたようにしてみた。
 すると孫、今時の子供は・・・、大きいのを二等分、小さいのを二等分してみせた。
 こっちの方がいいよ、ばあちゃん、だって。
 虫歯になるよ、とはもう言いづらい。
 当然、生え変わった歯には悪影響となってしまうけれど、もう遅かった。


 さて、最近の歴史資料のネット上での紹介の仕方には相当な工夫が盛り込まれつつある。ここらは素人老人感想。
 上野三碑の現場を3D描画で紹介しているのには驚きとともに、軽く動くのには更に展示の仕方への工夫を納得させられた。
 そして奈良文研のサイトのリンクから似た各地の3D展示をちょっと眺めることができ、表示されるまでは時間がかかったけれどそのあとの操作は比較的軽くできたので、ここらは相当に工夫されてそうだと感心させられた。
 ということで欲を言うならの相変わらずの素人老人のり身勝手発信になるが、カーレースシミュレーションではお馴染みのレーザー3D観測が一般的な今日この頃、それでもって考古の発掘現場を必ず測量しておき、安価に可能な3Dでのジオラマ化をしておけば、展示用の実物ジオラマも安価にしかも操作しやすい工夫込みで設置できそうだし、ネット上ではそのまま3Dのモデルとしてグリングリン操作可能な考古資料提示が可能になる。 先日引用した岩波の『前方後円墳』ではテレビ出演でもお馴染みの松木氏が弥生期から古墳時代にかけての考古資料にもとずいた通史を試案されており、素人老人的には年代規定などかなり参考にしたくさせたのだが、松木氏に限らず、同じようにその考古資料に接せられる歴史事情通諸氏がしっかり考古資料を整理できて試案を提示できるようになれば自ずから、ある程度の絞り込みが可能になると予想できるので、ないし歴史記述としての絞り込みをするには制約ありの箇所が判明しやすくなりそうで、そこらを手軽に操作可能(先の3Dモデルは産総研の諸氏が担っていたが更にネット上での操作ということでは改良できそうだ)な考古資料が年代規定をしっかりこなせたり検証し合えるデータ込みで提供されるなどより厳密化を図ってもらえるようなら、更に総合力としては凄いことになりそうだ。
 少なくとも列島古代を扱うには、東アジア圏というか当時の大国の中国の史料的実力を使いこなしつつ、現状深化・進化しまくっているらしい半島系考古資料探索の成果も逐次読めるような連携なりネットワークの一般向け版が為されるなら、列島発信も充実とともに、より確実な辺りを手繰り寄せやすくなる。
 邪馬台国位置の酒井仮説を出すまでもなく理系発想一本やりも結構工学系狭量な頑固頭という心配があるからほめ過ぎは禁物だけど、理系のある種の合理的に詰めるくせはそれなりに役立ってくれるはずで、だからこその先駆的な仮説提示になっていると素人老人はみているわけで、ネット状況を見る限りでは、列島古代史に限っても楽しみな展開を期待したくなっているところ。

 

   川柳もどき

    イルカ、ペンギンの泳ぎはお馴染みだ
    なんていうやつらだ、と感心させられる
    比べることもないが
    ヒトはやはりやつらとは違って
    不器用
    そうだな、でも
    苦しそうな息の音が聞こえるけれど
    その年配のどなたかは、25mプールを
    平気で何往復もされているんだ
    こちらは、片道切符タイプで、それの繰り返しがやっと
     若かったら・・なぁ・・・
     は言うまい
    高い青空、雲間を光るジェット旅客機の点が微かに響かせて通過してそうな
    7月のその日は
    暑すぎて