連載は続く~ SF掌編『避暑、耐暑、頭寒足熱から教えてくれたのは介護現場だったな』編


 性差をものともせず両性は仲間として末永くやっていける。
 素朴過ぎるかもしれないが、素人老人の発信ということでお許しいただきたい。
 さて世には、男の都合なんだけどぉ・・・と断ることなく、いきなり"添い遂げる"なる決まり文句を倫理的になんらかのニュアンスを濃く含ませて放たれがちにしている。
 色々世の中の差別、人権を気にしていそうなマスメディア担当諸氏においてすら油断し過ぎにそこらを用いがちにしてそうだ、と素人老人は印象する。
 結局(と介護現場を担った一人のつもりの素人老人からすればの話にはなるけれど)男は先に逝きがちだ。残るのが女の方だ。
 オス性もメス性も枯れることなく老いは待ってくれない。と言ってしまうとわかりにくいかもしれないので、言い換えると、枯れないけれど発作するよりはいつしか程度に老いる。老いるは要オイルだ。うわべ枯れる。
 話が下ネタっぽい方に誘っているように受け取られても偏りすぎなので、少しずつ修正しつつで続ける。
 鳥のいくつかの種類では添い遂げるからヒトに近いとかの言い習わしも多用されがち。
 だけど、残るのは主にオンナたちだ。
 添い遂げ感を人生の最末期に経験してそのまま逝っていける相対的にラッキーな境遇はオトコの方が多い。
 ただし、最近の80代、90代は相当に元気そうに見えるので、ひょっとしたら同じくらいの比率で生き残るような方へ近づいている可能性も。(最新統計を調べずに書き込んでいる)
 そして男が女に依存的であることを強いる圧をそれなりに作用させてきたとしたならば、ないし女もなんらか思惑、思い込みが作用して依存的に振る舞い続けてきたとしたら、或る時、その時点以後を初体験することになる。
 ポッカリと依存の方向性を失う。自宅生活でもそこは変わりないと思うけれど、より規制圧が作用しやすい施設での生活の場合、より依存の普通が機能不全となって、茫然自失と自覚できないまま客観的にはその身体が継続していわゆるボケ症状をいつの間にか育てていて、ある日、ちょっとしたきっかけでヘマして、他者から見なし作用が働きやすくなるともう悪循環は目の前だ。本人はなんとか支えようとするけれど、老いゆえの反応の鈍さも"援軍"となってボケ症状を散発的に目立つようにしがちにする。だからこりゃいいぞとは表立って言わない施設現場担当者諸氏であっても、包囲網を敷きやすい条件発生ということで、問題行動には"適切な"介護手法をで、ボケ症状との付き合い方上手を自ら工夫できる余地よりも、他者からの関与増大によって仕方なしの服従行動に傾きがちとなって、ボケ症状改善とかゆったりマイペースどころか、日々のスケジュールをこなすことにふりまわされるようになってしまう。お隣近所との付き合いでの愛想使いは日用として使いこなす自信はあってもボケ症状や老いからくる反応の鈍い辺りを補う工夫を入り込ませる時間的余裕、マイペースを発揮する余地がより少ない状態を我慢し続けることになる。だからストレスも良くない方に作用させがちにする。
 ひどい介護対応をしてくる選択を誤った施設への入所を悔やまれるような境遇の諸氏の中にはだったらとわざとボケ症状を増幅させて見せびらかす機会を狙ったりする。
 そこらはわざとかどうかを判断するよりは表面的な症状に対応して業務で日々を過ごす介護現場担当諸氏にとっては特に問題となるよりは、それなりの仕事をこなすだけの時間経過となる。そこで、ボケ症状はそう重くないけれどわざサボタージュっぽくぼけて振る舞ってしまっている自分の実力は普通の老人だとか思いたいご本人の内側に葛藤を生じさせる。しかもボケ症状深化と見なされて、選択を誤ったかもの施設なのだからボケ症状の進行についてこまやかに対処してくれることはまぐれくらいにしか起こらないから(個別対応はほぼなくてグループでの対応依存(ありがちなのはワンパタンな老い向け曲を合唱させたり、弧歌唱にしがちのカラオケ依存とか(元気のない、とか寝たきりの方にたとえ弧歌唱でも大声で歌ってもらえることはその弧の方々の元気づけに使える)に傾きがちにしてしまう)そこまでボケてません表現すらがボケの深化かもと心配させて、ボケ深化の悪循環へと誘って、ご本人の介護施設余命平均値への近づきへと誘(いざな)われる。
 毅然としてという表現型以前に、担当諸氏と馴染んでおく準備も相手次第で、なにか(賄賂使いのような)下心ありかもとか思われて、より距離を置いた介護に向いてしまう可能性だってありうるし、慣れ親しんだ関係からなにかと目配りしてくれてと思いたくなるような錯覚をもたらすような介護を生じることもあったとして、それは介護施設での現場担当としてはありえそうにない。一人ひとりの面倒を見ることで手一杯の人員が配置されるのが通常料金範囲での施設介護の現状、という今時の知見を押さえておきたい。
 そこらは、介護施設に経営アイデアを試行錯誤できるタイプが資金面でも支援を得て、介護のサービスを沢山試行錯誤させて、継続できるものを沢山残せて、それが他の施設でも参考にできて、できれば各地で参考にできて普及して、介護事業の中での使いたいサービスへの利用者諸氏からの出費が賑やかになって、それなりの介護事業資金循環がマスメディアと宣伝企業群とで成す信金循環くらいにわかりやすくそれなりの規模生じさせることができれば、社会保険収入依存プラスアルファがもたらす更なるアイデア投入も可能になって、介護施設入所者諸氏にとってはとても使い勝手のよい、居心地のよい生活の場へと変貌させうる。公費依存となるとどうしても公費依存医院経営のように頑張ったのに経営上大変なことにに向かわせがちにする。そこらを他で余分として使うなら、医療や介護で使って満足感を得られやすいサービスとして開拓する余地のようにして示せる。
 コロナ経験を率直にネット社会ゆえに公開してくださっているので、大いに参考になるのだが、コロナを受け入れることが即コロナ以外の患者諸氏の来院を敬遠させる方に作用させて困らせている。施設的に仕分け可能でしかもその費用もなんとかできるどこかならいいけれど、そうでない医療施設はそのままその後の沈没を待つことに直結させかねないではないか。そういう大局からのコントロール不足を一つ指摘できる。
 もう一つは、医療的コロナ対応にべラボウな費用が掛かかること。対応したくてもその費用を捻出できなければ、ないし負担しても将来的な負債として残りかねない辺りのここは完璧な補填策が必要だけど、そういうことは全国満遍なくではロス膨大での出費増をまねきかねない。
 つまり明治以後(1867—)としても150年以上たっていて、マクロからするミクロでのすり合わせは準備不足だった。そこらは素人老人からすれば、とってつけたような即製中央集権化が明治だったからで、それ以前からをしっかり踏まえた人脈利用ほかでトンでもを犯したつけと、諸小説など参考にして指摘したいのが今時の素人老人だ。
 民主主義の制約をその概念を急に持ってこられてもわからないとしても、これまでの知賢とすり合わせて民主主義はいかなるあり方かなど理解はできる。その上で、それならこれまでもずっと一人前を育てて列島各地では活発に民主主義を無理なく試行錯誤してきている。どの要素がより育っているかどうかは地表面各地の性格によって異なってしまうだろうが、追々、ある民主主義の状態へと収れんはするでしょうくらいに押さえて、どの土地柄こそが民主主義先進地とかのトンでも勘違いを生じさせることなく円満に地表面でも悪逆非道を懲らしめがら生活の質向上(といってもこれも各土地柄に応じての観点含みでワンパタンは具体的発現としてはありえない)、貿易交易を工夫して、遠隔地貿易商人にだけ利益が集中しない20,21世紀ならではの国民国家概念採用の各土地柄との交流を盛んにしましょう。とかまったく違った20,21世紀像も描けないわけではないが、既に20の方の世紀は過ぎ去っている。

 男たちが戦争状態を長く経験して母体保護のために、なんとか表役を我慢してこなしてきたのに、そのことを忘れて勘違いして、英雄気取りも時に顔を出す始末だ。
 そこらは欧米もそのほかの各地も似たり寄ったりで、困ったものだ。
 江戸期においてはそこに溺れた例外諸氏もそれなりにいらしたろうが、大方は性のことすら使い分けに成功して、日々を満喫させだけど、気候変動の時期との遭遇はいつもうまくいかせたわけではなかった。気候の激動時だったことも忘れないでおきたい。
 そういうとき、特に温暖慣れした現生人類の場合、温暖と錯覚しているけれど、地表面のどこかしらに氷河が残っている程度の気候条件がヒトに適していることが結果的にわかっているわけだ。それでもちょっとの低温化が植物栽培に影響し、食物連鎖も作用してで、めぐりめぐっての困った結果をしょい込んで、謳歌できたかもしれない江戸気運もむしろ散発的なラッキーとほとんど大変な時期展開を経験して人口増を経てきたのが列島の人々だし世界各地でもそれなりに人口増を経験できている(ひどいやり方の戦争も沢山経ているが(ここらは江戸以前列島も例外ではない))。
 急に死に別れて、大人の判断を持つ女子諸氏が、騙されでもしない限り、他に仲間を作る気にさせるだろうか。素人老人としては、そうはできないと察する。
 だから(多くの場合男の)相棒が生きている間に、慣れ親しめるもう何人かの相棒を作って置ければ、その伝手の信用度に応じて更にの知り合いネットワーク形成が可能になる。 その時に新興の宗派宗教は現象を想定したとき、あくまでも黒子でいてもらいたい気がする。集金事情はあると思うけれど、欲張ってはいけない。旧宗派宗教の古代に学ぶことが大事だ。集金したら、橋をかけるとか分け隔てなくだれもが使うインフラ整備に使うとかが求められる。
 とにかく、余計な関与は避けてもらう。
 そして各ご夫婦がそれぞれの自律性、自発性を尊重し合って、ボケないで済む自分育てのちょっとばかりを認め合っておく。自分は知らなかったけれど合えば信用できそうだなと判断できるくらいの期間の付き合いも経て、お互いが独立して知り合えた仲間ともまた更にほんのちょっとした仲間(相性の方向性は夫婦であっても相当に異なるから)になる。そうやって貴重な老いてはなかなか自発的には形成しにくい信用のネットワークをあらかじめ作り合っておく。万が一女の方が先に逝っても、男の方がボケ症状とか、捨て鉢人生にするようなことを制御できそうにする。
 元々依存的でない夫婦関係の場合なら、大抵は大丈夫そうだ。ただし依存的な振るうまいの工夫のし方すらこなせないタイプたちということだと、それなりに一方の欠損はヤバい反応を生じさせるかもしれないから、多少経過に注意は要りそうだ。
 大抵の処方ケースでは、その原因についての遡及について建前の医療概念を扱い慣れした感じだ。それだと、ご本人諸氏の苦悩の内実を救いきれそうにないことの端々をここでも幾度かふれてきている。
 添い遂げることがなぜ悪いんだ?と強弁したくさせる風圧は通常圧のようにしているのが今時と思うが、実は非対称なんだ、と今時風を装ってみることで、多少は通じてもらえそうだ。

 

   川柳もどき

    暑さ寒さも彼岸まで
    とは
    よく言ったもんだぜぃ
     7も8もほんのちょっと書き間違えればどれも
     9になるじゃないか、えっ!
     そう
     なにがなんだかわけのわからないことを言い出すのも
     暑さのせいにしておこうか、七