儀礼的戦争形式であってもそれはそれは厳しいものだった。とだれかしらは述懐してくれそうだ。
そしてそこへは貴族層の中から代表が果し合いの対戦相手の一方を担う。下手すれば本当にお亡くなりを予測事態ともなりえた。
部隊を率いて、いよいよという時にそれぞれから果し合いの代表が自分こそがつわものといった感じで登場して、致命傷とかその場では復帰は無理だね、くらいの極端な重症を負ったりで試合終了となり、一応、それぞれが納得してその場を引き下がるようにできている。
だから今いう所のニューギニア域のどこかしらの部族なこなしていた儀式性とひどく似ている。
またそういう引き際を心得てもいる厳しい自己制御法を身に着けていることを端からも感づけそうだ。
そういうタイプのロシア系のおひとりが江戸期の或る頃にナンパして、世間で騒がれたというと、あらぬ憶測を生んでしまいそうだ。
当時だってワイドショーネタにどっとヒトの耳は向きがちにしていたはずだから。
ナンパはナンパでも難破となると海難事故だ。今時は実務系プロの知事諸氏が多そうだけど、どういったタイプの都道府県知事が誕生するか次第では、その隠れた事績のなんらかとして歴史書を県とか市の図書館に一冊くらいは残してくれていたりがありえた。その昔、畑和知事の時には、ロシアの船ではなく、千葉の千倉あたりに座礁して大変なことになった中国船を当時江戸勤務中の児玉南柯氏が仕切り役として救助にあたった出来事についてその経緯を記録したものだ。
一方、ロシアの事例についてはなんどかテレビ番組で放送されており有名なエピソードと素人からは押さえて置けそうだ。
一応現状では以下から参照可能な資料(下田市"プチャーチンによるディアナ号来航と「安政の大津波」")
https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/category/100400shimodanorekishi/110777.html
番組から探るに、儀礼的な過程を尊重し合えるための一応のルールめいたのの重し効果をお互いが発揮できるように工夫できるくらいに、儀礼上の尊重し合える関係性表象の使い方は堂に入っている。
列島も恐らく、武家中枢の諸氏はそこらを身に着けていたと思えるので、文化・風習が異なるとはいえ、儀礼上の必要なプロセスを経させてより信頼の関係を得られるようにする知恵を昔の人々なりに機能させてしまえる。
ここらと比べて、一般人が激しい情動とともに戦争っぽい状況を担わされるような宗派宗教からみの争い事だと、とにかく残酷に殺しまくり合う。戦争の儀式性の真髄を熟達するような仕事柄ではない宗派宗教系の中枢諸氏にしても、だからその拷問行使はきわめて性別的差別が誇張もされて残虐に向かってしまうみたいだ。
欧米も列島でもそういうひどい出来事も儀礼性を熟知したリーダー層が仕切れる形での戦いぶりの様も両タイプの典型をいくつか人生の中で経験出来て、やがて近代の試行錯誤を固く固く(それこそが正解と思い込める勢いで)始める。
ここらは中国の共産党だって近現代の欧米ノリに乗った教育課程で育てられた諸氏が構成するはずだから、その固さ、固さの方につい誘ってそれこそが本筋とか思い込めてしまえるのりに誘われて、しかもその根底に弁証法の役割分担機能が盛り込まれているのだから、うっかりすると敵対の一方、敵にはことごとく厳しくすることでやりがいを感じ取れたり、見方にはぞっこんの方でついつい粗は見ずで油断してしまったりなど、やっかいな体質を内側に含ませがちにしてしまう。弁証法ということで、中国の共産党の先鋭な諸氏だけがその効果を働かせやすくしてしまうはずがないわけで、欧米の(右中左な)先鋭な各諸氏ほか地表面各地に弁証法頭をこびりつかせて先鋭だからこそやりがいを感じてしまっている諸氏が大勢いらっしゃることになる。
で表現型はつい固く固くにさせがちだ。膨大に知り得ぬ知恵の数々のことは置いておいたとしても、わかったつもりをより限定的に整理してしまうあたりが問題と言えそうだ。
現状の問題解決に当たってもしかり。一度言ったらもう聞かないタイプに成り果てやすい。
ヒトは間違いやすい。だから言質を問われるとか責任重大なケースだとしても、個においての発生しやすい間違いを制御できる過程を組織は持っている。
それゆえ極端な独裁でもない限り、個人の間違い、ということで問題の要所がわかりきるようなことはまずありえそうにない。
けれども、ヒトの集団の営みはそういうヒトの間違いやすさを踏まえて、統率の責を担うだれかたちを育ててきた。
間違えました、で済みそうだけど、近現代の固さ志向は、それこそ失墜を意味するように作用させてしまう。
この組織運営の中で、結論として出して、施行して、失敗しました。とは言えなくしてしまう。でも実際においては失敗している。で責任取れと無責任にか、揚げ足取り目的かでさんざんな圧を加えられたりする。
それもだから必要以上に邪魔と受け取らせてしまう。
間違いやすいヒトが、間違って、その修正を引き受けやすい仕組みにしているか、欧米のりの近代試行錯誤の発想のまま固く固くして、間違ったらば、自分たちがこれからしようとしている試行錯誤をできなくなる、とその立場の失墜を劇的に心配してしまうような立場を自らが作ってしまって、そこについて何かを成そうとしていただけなのに、自らの失敗のせいにして、だけどそれは認めたくないからで、他に向けての責任逃れというか、問題関心のはぐらかしかに邁進させたくさせてしまう。そういう弁証法役割分担であり、近現代の欧米ノリの民主化の独特の固さというのを、各地が各地として思想の営みとして育ててきたはずの柔軟でもあり、しっかり考えさせもし、雑多な人々こそが構成員であることを受け止めさせる包摂性発想や、各地の土地柄なりの脈絡に乗った知恵の形成力ということも無視できない感受性とか、大雑把に言えば暁舜という事例について現欧米も含めて参考にできるくらいの急ぎすぎに気を付けてね発信は必須の時代と素人老人は見ている。
こういった程度の前提を控えてもらえれば、トランプ政権が成った頃の
USでの国民諸氏の判断のリアル感受性の辺りは触発的、と素人老人は振り返る意味で感じ取っている。
世間の情報を取って、それを世間にフィードバックしてくれる貴重な嫌われ者諸氏は、それこそ、そうただ嫌われるだけではなく、様々に独特のしがらみを人生とともにの中に受け入れてこその上場受信力を発揮している諸氏だ。
だから発信の担い手諸氏を見て、なんだ、こいつら!とムキッとなるかもしれない諸氏もいらっしゃれば、こいつらの言う通り!とが合点が言って、風呂上りの一杯はうまいねぇ、と悦に慣れる諸氏も同時に成り立ちやすい。
けれども、そこらを均して、少し冷静になって、得られた情報を諸々のわかりにくさ読解のために挿入してみるわけだ。すると、世間のAIからすれば短時間でその文脈程度は学んでしまえるというか、接続可能な文脈にしてしまうとは思うけれど、ヒトにとっては、しっかりどういうことが新たに起こりえても、新発見をだれかが、その貴重な情報提供ゆえに可能にし続ける。
情報について計算をはみ出して、もう一つの文脈の成り立ちを提供できるにあたって、やみくもな組み合わせを試してとかではない、ヒトの経験にとっても脈絡から、それをさりげなく為してしまえる。
けれども、そのために、一般人にとっては危ないとか金かかり過ぎとかで敬遠したくなるような情報をえるためのしがらみを引き受けて、怪しげかもしれない情報を率直な形で提供してくれる諸氏が育っているおかげだったりする。公務系にそれを担わせばそれは諜報部門として成り立つけれど、情報発信をするにあたって、どういう立場を使いやすいとか、テレビのドラマにも登場する、そのやりくり程度のことも頻発するので、公務系頼りということではなく、それなりに、ジャーナリズムの怪しさが、底のところでは昔のやくざか不良諸氏のような下々に寄生して食っていける自分たち発想+営んで生まれて育ってをちゃんと意識出来てヒト社会と付き合えている誰かの目線を失っていないことで、ヤバさの敷居勘を直観てきに働かせられる、そんな怪しさの際どい辺りを踏まえられるやつら、という限定を厳しく指摘できそうだ。
ともかく情報提供・発信してくれる諸氏をその時の視聴するだれかの気分次第、思惑次第で毀誉褒貶してしまうわけだけど、その際、発信源諸氏はなんらか言うに言えないしがらみを人生に引き込んでいる苦渋の辺りは押さえておきたい、と素人老人ゆえ考える。
そこらを踏まえて、江戸期の経世の論で出版さえもこなした諸氏程度の情報を元に、生に、外交それも軍事的なかけひきとかも含むような要職すら担った人物が、他国の要人をレッテルは利するような議論を現絶大なメジャー部門を担う媒体でインタヴューに答える形で今の時点でも表明してしまう愚かさ、を生な形で、捉えたスクープのようなニュース報道だった。
その手の情報程度でISとかとも関われていたとしか素人老人に伝わってくる情報では推し量れないので、実際、オバマ政権の要人諸氏は、いったいだれにそこまで煽られていたのか・・とUS事情であっても地表面規模で影響することゆえに当時についての情報提供を求めたくなった。
とにかくビジネスライクが本流ではないUS外交だからトランプ氏の政治は煙たがられそうなことはわかっても、ペンス氏流に弁証法役割分担発想のまま対中国外交を険悪にして点数稼ぎできる狭量な発想の諸氏にトランプ氏の外交も誘導されていた向きを遠くからは感じられたし、同じ仲間の間の弁証法役割分担の演技の全うだとしても、世間に迷惑となる演技を担ってしまう人脈を採用することは、人事選別の段階で余程US事情ではあるのだけど注意してもらいたくなる。
とにかくトランプ氏が条件のやり取りから交渉事をなんとか成してしまう手法には長けてそうだったところが、ペンス氏ノリがせり出して対中国外交を険悪化しそうになっている過程で、バイデン氏の上海人脈がネットでも話題になり、なぜかバイデン氏人脈はそれを認めてどうして悪いので行けない余程の悪い事のやりすぎがあったのか、折角の人脈を亡き者にした感じで対中国外交険悪化に加担してしまう始末だから、もう子供の政治みたいに素人老人からは映ったものだ。そしてずっとその延長が続いているわけだから、なにかしら世界の政治が二大国によって遊ばれている格好と愚痴りたくなる。
USの民主党系のバイデン氏の外交が子供じみていると察知できるなら、元々は癒着するくらいの仲を形成できている間柄ゆえに、色々な工作を働かせて、US内の貧しい諸氏にとっては有効な100円ショップかどうかはわからないけれど中国製低廉な商品ので回ることは決して反米にはならないと察する。
IT・通信の絡みでの対相手国からの諜報利害など、いまさらの話で、上段も休み休みに言いなさいよと元気な(漸九郎か大金持ち同心にでてくる)姐さんたちから一喝が飛んできそうなものだけど、お互いにどこの国々間でも、同盟国間であっても、厳しくネットワークの要所の信頼を保つ探り合いと点検は常時のことじゃないの?と、なのにわざわざ御大層な話題にしてまで、なんで?という問いかけたくなるのがこれも素人老人。
数千万人を平穏にだけど飽きさせずになんらか人生を全うしたくなる動機を持ち寄れて手ごたえを個々に応じて感じ取れてのように誘えて、束ねられる自主独立観たっぷりなわりに並行して中央集権の納税システムもきっちり機能させているようなことを、円滑に成せることは、相当に難しく、いつでも試行錯誤の要素を含ませがちにしてそうに素人には映っているけれど、地表面規模で乱暴狼藉とか麻薬の怪しい蔓延で稼いで更に怪しい方のネットワークで資金循環を生じさせるなんて言うのはご法度だけど、そうさせないし、各地が元気に自らの持てる道具立てを工夫して活躍できているはずの地表面を特定の思い込みの固さでがんじがらめにできれば世の中が平穏なり、経済を回せるとか思えたら、それは多分勘違いの典型の一つだろうくらいは、素人老人でも指摘できそうだ。
猛暑には"でーく"(発音が訛っている)の知恵。
必ず用意するもの
①カチンカチンの氷から作ったかき氷
②熱湯を使った日本茶(*コーヒーは汗がかえって出やすいようだ)
仕事をしていて汗だく。ちょっと疲れも出始めて・・
現場監督し早速読み取って、おい休み時間にしようじゃないか
おーすっ、ということで、休み時間。
皆の前にかき氷の入ったカップが並ぶ、
それを頭がキーンのならない程度のスピードで食す。
なぜか汗が引く。ふーっと一息。
でそこへ熱湯のお茶が。
ずずっ、とすする。ちょっと熱いけれど、冷まし冷まししながら飲む。
冷たいのを飲まないと、くらい気温が高くて体も熱い感じという場合もあるから一概には言いにくいけれど、低めの30℃台ならば、この方法が、体のだるさを誘いにくく、発汗も一時的に抑制されて、さ、仕事再開に入りやすかったりする。
実際的対応力を勘違いして倫理的に心身化してしまうと、万が一寄り添ったり、体を抱えて支えたりが必須な状況でもぎくしゃくした姿勢での支え方のようなことを誘発させかねない。そこらは、儀礼上、体を触ったり密接に寄り添ったりしなれた諸氏の方が、ある程度のところまでは、上手にこなしてくれそうだ。
けれども、コツが必要なことに変わりはないので、儀礼上のしぐさを応用すればできると思い込んでいるならば、少々練習しておいた方が良い。
状況に応じて、動かせる動かせない、どこを支える、ふれるふれないの注意が要ったりする。
多分、本人の状況にもよるけれど暑苦しいとか感じられるくらいの状態を読み取り損ねて、そう感じさせてしまうなら練習が必要と指摘できる。
さてもう一つ、ヒトも野生を有する。
施設介護の方も業界の活発な部分がこれから人材を養成してくれてきっと将来的には充実してくると察するけれど、多くはできれば終の棲家の延長で送りたい。
するとどうしたって家族も関わる。
ただなぜか家族とか親族とかの近さはこかんにふれることを難しくするみたいだ。
そこに根拠としてヒトも野生、の観点を持ち込んでみたい。
老後のネットワークは事前に準備できていることが必須、辺りは最近ふれた。
でも折角の家族・親族が身近にいてくれて、それらとの協働が為されないというのではもったいない。
素人老人観測からすると、家族とか親子だからこその言いたいことを言い合える機会を持てているならば、それは老いにとって不機嫌にさせるかもしれないが活性の素にもなってそうだ、と指摘しておきたい。
限度はありそうだ。
そうやって言い合える関係は、野生において、勝敗の明度に作用させてしまう。
それに加え勝敗の決着を露骨に示すこかん表示を伴わせるはずがない。
ということで、親子や夫婦間ではなかなか下の面倒を見あう協働関係は成立させにくい性質くらいは注意が要りそうだ。
そこらの性質由来の事態対処不適応感を受け止められるとして、勝敗感を持ち込まずに済む発想の転換を工夫できるなら、個々のケースでの成功例として紹介し合えるといい。
慣れた介護職がこの場合おむつ交換とか排泄に関わる介護の事態対応ということで、熟練諸氏が巧み技を一般でも再演可能なように教えてくれるはずだ。
そこらを納得がいくまで繰り返しトレーニングして、終の棲家での応用に役立てる。
こういう介護の状態というと多くの場合、脳血管系の疾患から片麻痺となったご本人にとっても大変にご苦労の多い状態と想起できる。
ついこの間までいっしょに生活していただれかたちが、大変な作業となって介護を担うような日々はご本人も辛くなってしまいそうだ。けれども介護技術をインスタントだけで充分に再演可能な質にまで習得したご家族のだれかれが、不快経験を誘いかねない下の世話まで手軽にこなしてくれる実際に遭遇できれば、多少は晴れ晴れした気分に誘えそうだ。
移乗の介護技を何度も繰り返し練習してからだで覚えてしまえば、入浴の際の困難が実は安全第一を忘れずにのペースでなら軽くこなせることにも気づかせる。会話しながら、安全第一にたんたんと入浴の時間は過ぎていく。
そこをきれいにしてほしかったのさ、の痒いところにも注意が行く肌理の介護入浴をご家族がしかも重量負担をかなりの程度介護技によって回避させながらできてしまう。
慣れて、ご本人の能動動作の勘所がかみ合ってくると更に手軽な介護でしっかり安全な介護ができてしまう。
食事でも家族相手なら、そのちょっとした不都合を率直にことばにできる。急がないのは当然として、ちょっとした食べにくさを遠慮せず、当事者にとっての好都合への改良技開拓へとつなげられる。本当に介護の細部は個別対応にごく近づく。
川柳もどき
ヨーロッパではごく短時間、上昇気流と下降気流の運動がある圏内に閉じた感じで循環してしまうことがあるそうだ。昔から。
そうすると暑さの悪循環で土地によっては40℃台も簡単。
ただ実験的発想でまともに受け止めるとそのうちその中で燃え始めそうに思えてしまうが
実は、山火事とかある種の地表面成分循環にも貢献する作用の一つであるらしい 限定的に見ても上下の運動に東西の動きが加わって別の局面はすぐそこ、ということのようだ。