連載は続く~ SF掌編『こつこつと、時に大胆に、時におおらかに』編


 食料不足がそのまま生活の持続可能性を脅かすような土地柄の諸氏においては尚更、物価高が生活の持続可能性に不安をもたらしがちにしている土地柄の諸氏においもその同じ内容を何度も繰り返し聞かされたからと言って飽き飽きしないタイプのデータについて、ネットから実は簡単に調べることができた地表面の今日的事情を、素人老人はこう押さえた式に整理箇条書きしてみたい。
 その前に、ウクライナ穀物云々とか物価高とか頼りにしたいマスメディア業界の中で自らの意見としても発信できる番組司会進行の主だった諸氏が、その背景の実質のところ歴史的な流れについてその気になれば実に明快に語れることをしつこく印象出来るくらいに話題の都度発信してきてくれなかった不手際(とハッキリ言えるけれど)を、当然業界の調査部門が熟知してちょっとした会合(ミーティングの類)にてその程度の整理データは機会毎に周知させてきたろうに、とがっかりというか視聴者をもう少しは大事にしてもらいたいものだな、とか指摘しておきたい。

 なぜアフリカ諸国がこの今の時点でウクライナ穀物を輸入できなくて生活持続可能性を損なってしまうのだと疑問を持つことは恐らく通常の発想において倒錯的と見なされるかもと思いながら、主にグーグルから検索して安直に出だしの方に近いところからざっと目を通した。

 では早速箇条書き

 実は列島報道事情においてはUSが極端に濃く関わり始めたIMFWTOなどがこの事態の遠因であり直接的原因となっている。
  1980年代に上記の国際機関が構造調整プログラム(SAP)を各地で実行した。
  SAPが実施される土地柄の条件次第という要素も指摘できるけれど以下
   換金作物の輸出収入により国の財政を潤す計画
   食に回す自前の農生産の削減分は相対的低価格の輸入農作物で補う
  *これらは植民地タイプのモノカルチャー農業からの脱皮の目論見もあったみたいだが、むしろその変形的継承となってしまった。
   WTOは農産物の関税を撤廃させた(より安く輸入しやすくなる)。自前生産への動機付けよりも輸入依存でいいよなの趨勢を激化させてしまった。
  *その証拠として1990年代の世界の農産物貿易額は3000億ドル。
          2010年代は1兆ドルを超えた。
     支払い手段収入を得にくいまま出費必須の日常食について輸入依存、という話。
  少し老人か(素人老人のような)充分に老人の世代にとっては当たり前の既知に属することだけど、今の時点で似ているかそれ以上の寡占化が進んでいるような話も読めている。
 穀物の生産・流通の構造として

   生産地がごく限られた国々に頼りがちになっている
   流通は穀物多国籍企業の数社に頼っている
    *小麦の場合輸出流通の90%を7か国+EU
     トウモロコシの87%を4か国
     主食を小麦・コメ・トウモロコシ依存過多の状態。
   穀物市場のシステムは不透明だ→投機行動を生じさせる

参照資料は主に2つ
https://www.gef.or.jp/globalnet202208/globalnet202208-5/
https://liberal-arts-guide.com/structural-adjustment-program/


 ここからは素人老人の独断(だけどざっと読み流してください)
 未だに新自由主義系発想からくる国民国家否定の趨勢を担う諸氏が国際機関で活躍しているらしい。
 一方で、不思議なのだけど、世のファストフード文化があからさまにする(要素を絞っての)大規模な画一的生活文化を浸透させる中央統制の志向の辺りも活発な現状を地表面各地で観察できそうに思える。
 そして、その主脈な諸氏においては(わかりきったことと見なしたことを押し付けるというよりも、サイエンス試行錯誤の検証過程を大事にする発想からする)啓蒙もその考え方の軸にしつつの民主制試行錯誤の人々と素人老人からは空想できるので、現US主脈のように面倒くさがって多くを市場原理にさらして勝ち誇る残り物諸氏を操っとけ!で行くタイプ諸氏とも異なる。
 ただ現WTOIMF系人脈の主流はUSだったと記憶するので(最新の人脈構成は実はだいぶ前に変化してたよ、ということもあるので、そこらはネット検索なりで確かめてください)、今の困難を招いたのはその人脈の発想の結果だ。
 それでも持続可能性においてこの困難を乗り越えての模索の要素をそのいくつかの人脈に読めるのならばまだ救われるけれど、悪名高い穀物メジャーが未だに健在で、しかも農薬とか農生産と関わる道具立てについても寡占化させていて、作る場所が限定的で、作物の品種においても限定的で、・・・・とくると欧米発と察せられる持続可能なヒトの世作りのための二酸化炭素をどうこうの話が吹き飛んでしまうほど、夢物語を未だに活きている主流に数十億の人々が無理やりか巧みな誘導術によって、地表面の条件次第では、一年単位か半年単位位のスケールでの激変がもたらす現生人類にとっての悲惨可能性とご一緒に誘われている格好と、素人老人からはシンプルに想像できてしまう。
 もちろん、素人老人はやっと今になって遅すぎる気づきを得ているわけだけど、当然日々情報を検証していることが仕事のマスメディア業界を含む各専門分野の諸氏においては、わかっちゃいるけど・・程度の深刻な受け止めはできてそうに思える。
 しかも惰性というか、日々の発信では一言もそれらに触れられずに来ているのだから怠慢の誹りを免れようもない。
 列島政府は劣化してしまったのかなんなのか、この趨勢は、株とか債権とかの分野の金融からの縛りがトンでもないくらい各分野の研究にすら及んでいる現状を容認してきたその付けが作用してしまっているのか情報公開の思いっきり度なら唯一くらいのUS系の研究にも詳しいタイプ諸氏からさえ大っぴらな発信は出ていないみたいだ。
 それくらいだから大国オルタナティヴのインド・中国・インドネシア・ブラジルほかの諸国でさえだんまりだ。
 だから狸系の列島政府もその特徴が生きてこないのか、狸は淘汰されてしまったのか、館林の人脈(特に有名なところでは綱吉氏)は情けないことだな・・とがっかりしてそうだ。ポンポコポンの・・・ボンでオルタナティヴ情報発信の勢いはいつでも可能なのに。

 中央集権化発想にも極端な大雑把さを発揮してしまえる場合、2方向を指摘出来て、一方は面倒くさがり屋系だ。
 もう一方は個別の具体的多彩、各種土地柄事情に目配りできて任せられるタイプだ。
 面倒くさがり屋発想が何を採用しやすいかはここでも、以前にも何度かふれてきた。

 民主化は面倒くさがり発想では無理だ。
 列島での歴史経験が明確にしてくれている。
 しかもなんども言ってしまうが、初期条件や途中経過が多くについてその後の展開を制約してくる。
 だからとにかく戦争に勝ってことを成すことの要素としての失敗ということを試行錯誤する活発な部分は肝に銘じられるくらいでないと。
 また過程も大事で、だれもが面倒見のよいタイプとして人生を送れるほど元気じゃない。だからそれぞれの気持ちの良さを持ち寄って補いあえる仕組み的工夫のきめ細かさも欠かすことはできない。
 そして自然はいつでも同じことを繰り返してくれない。規則性と不具合の繰り返しすら規則的ではない。たまたま現生人類の活性できている時期が氷河期の中の間氷期ということで偶然くらいに落ち着いていて、地震とか竜巻や嵐とか限られたイメージ可能な自然災害への対処の力を試行錯誤していれば、地域住民の多くはなんとかそれらをしのげてきた。
 間氷期はいつまで続いてくれない。その変化対処にはヒトは苦手を一気に発揮してしまう。
 でもそこでも試行錯誤の余地は十分にありそうなくらい、サイエンスとか工学分野での研究は実際が今はかつてよりも多彩に資金もめぐって試されてきている。そういう偶然の時期を使わない手はない一方で、その資金源は泡(あぶ)く銭だ、という面を有するのだから、世の中の営みについての研究というのかヒトを知ること(人文科学を疎(おろそ)かにしてきたつけをどうしていけるのかも大変なことだ)を踏まえつつでないと、資金集めの利害だけを肥大にさせかねない。
 ただし、(どういう場合であってもそれなりに認め合える)支払い手段なりの余裕こそが、急場を救えたりする。助け合いの方向性+資源を奪い合い状態にしたとしても支払い手段を介在させての経路分岐をなんとか急場として可能にできたりする。
 今時は限定性ゆえの緻密な地表面ネットワークが幻想的に出現してしまった格好だ。
 しかもとことん脆い構造だ。だから主脈諸氏の理念を良しとできたとしても、具体的な策においての失敗を認めて軌道修正しないと、手遅れとかのいいわけでは済まなくしてしまう。
 貧しい諸国の指導層もそこらの循環についてリアルな現状把握と将来構想についてしっかりスタッフを育てて、基盤としての国民国家を多様な構成の諸氏に一応認めてもらって、その使い勝手を構成要素諸氏が使いあえることで、構成各地がそれなりの生活基盤を準備できるようにするとか、仕切り直しを図れるいい機会ともすることができそうに思えるが、とにかく現超大国の心配性が諜報と事件屋を蔓延らせてしまって、トンでもな面も息づいているのだから、やりくりは大変そうだ。

 


   川柳もどき

    倭の五王エピソードの欠落に明確な説を載せないのは
    学問としては相当にヤバい
    だから素人で老人としては、せめてこれくらいは・・で
    400年代の権威筋の活躍を載せることには遠慮が要る
    くらい
    百済の(仲間割れするくらい乱暴な)残党脈を包摂仕切った桓武の頃を想起して
    もう一方の数ではかなり多い人々の活躍への配慮が働いたのでは
    と思いたい