連載は続く~ SF掌編『超極格差問題を解消する』編


 ヒトが集団の営みを巧みにする、ということは活動中の生き物ゆえの能動性発揮ということで無理はない、と素人老人仮説のその先としてここは押さえておきたい。
 お先真っ暗のように喧伝されがちな超大国らしからぬ超大国USの現状ではあっても、ヴァナキュラーな造作ということではその限りのなんらかの造形と見ることも可能なIndy500がもうすぐだ。
 見栄えの舞台といい、そこでのスピードプラス質量がもたらす効果に身をさらせる入場できたラッキーな諸氏の膨大量がありうるのは、広くて、その手の騒音をも邪魔としない土地柄ならでは、と素人老人は見てしまう。
 そこに欠かせないドライヴァー諸氏のヒトならではの精密なスキルとそれをすら支えるとりあえず現場のメンテナンス技術スタッフ諸氏の連携ぶり。
 オーヴァルトラックのレースはそういう座った状態で事態に接せるタイプを可能にしてくれそうだ。ここらは、とにかく日常を少しずれたところでの体感・体験といったヒトにとってのかけがえなさを、いかにヒトの集団性が工夫しあえて、日常を支えることにつながうるかといった活動中の生命体にとっての試行錯誤と相当に関わってそうだと素人老人は察している。

 そういう行き止まり感を(たとえ一時的錯覚だとしても)払拭させるようなすっきりストレス解消イヴェント系の娯楽を通り抜けて、少々頭活動しやすい状態に持って行けたとして、今時流行る格差のひどい状態はなんとかならないものか、と考えない貧乏人、おお金持ち諸氏は間違ってもお一人もいないと察する。そこらはヒトならではの集団の営みに関わることだ。
 つい心配できるわけだ。
 で素人老人も、ちょこっと考えたりした。始めて、早速、多少の小金持ちの立場を得たところで、生活上の必要経費との絡みからすると、貧乏人諸氏からすれば隔絶したある種の心配からは遠のいていられる位置だろう!くらいには見なされそうな状況とはいえ、かかってしまうわけだ。日常の費用捻出の額がそれなりに必要になる。田舎暮らしの諸氏が、ちらっと都会ど真ん中の生活を思い描ければ、家賃他の経費がいかに高そうかくらいは想像しやすい。付き合いも、田舎の今時の付き合いというわけにはいかない。孤立無援で余分な費用の心配無用、というご仁もいくらかはおられようが、通常、その位置を確保し続けるには、それなりの支払い手段循環の輪の中に埋没し続ける必要は欠かせそうにない。
 ということで、端折ってしまうけれど、或る程度のリッチな立場もそれなりの費用がかかって、素人がうっすらと期待したくさせた税金の新造案は、難しそうな具合となってしまった。
 一応言っておくと、エンゲル係数と収入段階とを照合してその傾向の現代版を押さえて、そこから有効な税制の大雑把なのを引き出せないかと考えたわけだけど、多少の金持ち程度ではその生活を保持するためにの圧が働いて、税の新設では、無理の要素を押し付けるような作用も避けがたそうに素人老人からは思えたわけだ。
 億円をばくちで失っても生活を圧迫しない、生活の心配を不要とするような高額所得とか超巨富にはヒトの集団の営みの歴史の初心にかえって、負担のいくばくかについても太っ腹になっていただきたいものだ。ただ、より人数としては沢山いらっしゃるはずの中途半端な所得層は、そこらはケチる方で対応するような"生活苦"要因を抱えてそうな辺りは無視できそうにない。となると、ヒトの集団性にとっては、改良する手だてはとことん限られてしまうのか?という話になりかねない。それは大問題だ。まずい。
 ということで見方を変えた方がいいと、なったのが素人老人にとっての問題をめぐる地図探索だった。
 今の惰性ということでは、特定(商品と関わる)市場での"勝者"にその後を任せようという超大国発案方式を強要され続けている。なぜ超大国なのに、出費せず、入りの一方的な方を他国に強いるようなことをしてしまっているのかは、19,20世紀という時期的なしがらみが濃く関わってそうだ。
 一応、未だになんやかや言うかもしれないが、民主制の実質は困難を極めるし、だから暫定手法を開拓できるはずのところを、困難をまともに考えて受け止めてこりゃ面倒とばかり市場が含ませると知賢諸氏が発見してくれたいくつかを採用して、市場原理主義で行こうということにしてしまっている。
 そのために、過去の条件を汲み取ってその限りで勝利しただれかたちが、まったくと言うとそんなことはないだろう、世の中は連続的に時間経過し続けてるじゃないか、と反応を誘ってしまいそうなので遠慮がち、ごく近いとはいえ過去は過去、今とこれからは不確かだということでは、ヒトの営みを経験してきた諸氏に共通している。傾向とかを読むことはできるけれど、為にする方で解釈させがちにもしてきた。ただし、ヒトの集団の営みには意図の方向性も関わらせているから、くせが表現されないこともないわけで、そこらを汲んで傾向性、規則性、法則性などを見いだせないわけでもない。けれども、それだけで万事快調という訳には行きそうにない程度の慎重さは欠かせない、と素人老人は、言い添えたくさせる、が、とにかく、条件が違ったとしてもついこの間を読んで成功したのだから、これからも同じように上手く運ばせるさ、ということで指揮命令系のなんらかを委ねることにする仕組みを採用していることが問題だろう、ということを指摘してみたいわけだ。
 成功して巨富を得て、というと表の役を買って出て色々を試すのが巨富なのかと、格差問題を隠そうとするメディア発信術の一つに幻惑させられかねないわけだけど、隠れて活動する膨大な巨富たちや金融利ザヤ作戦で日々膨大に支払い手段を動かしている層のことだ、ということにして話をすすめるなら、その巨富ゆえに目前の成功は得やすい。損の額もバカにならないが、失敗費用込みで我慢比べはお手の物にできる。実質ヒトの集団の営みと関わる工夫かどうかとは無関係に、当面の成功を得られやすいわけだ。
 その積み重ねとしての現超格差問題をはびこらせている、と見ることに無理は少ないと察する。
 だから見方を変えてみたときには別のその解決法もないわけではなさそうだ、程度の、楽観も誘える。そういう余裕がないと、思考は追い込まれて、たいしたアイデアを用意できたりしないのがヒトの性質(たち)だろうと素人老人は推測してしまう。
 そして分断して暗黙の支配(時には力づくでの)を可能にしてしまう19、20世紀版超大国手法のメディア情報術をかわしつつまで工夫できる一般、巷が活動中の生命体であり続ける限りで、そこそこのオルタナティヴは成していけそうに素人老人なりに思えている。
 列島古代史を素人流だから多少強引に関心を持って追っているところゆえ、歴史知見に委ねられることも巨富諸氏に方向転換を誘えそうに思え、巨富が育てる一面を持つ、半端な支払い手段大量保有諸氏層ということも或る程度明確になっているので、そこらまでは変化を誘えそうだ。
 つまり、各地が自発的集団の営みをあたかも家族の協働のように機能させていた想像を働かせられるならば、喰いっぱぐれのないような工夫の一つ二つはリーダーは必ずこなす。そして信頼を得て、生きがいを得る。だからその重責を全うする気にもなる。そういう巨富というかその時代のある方向性を担う諸氏が成すべきことは、そういうヒトの集団の営みと関わることだ。そういう認識を捨てて、自らの安全を確保するためにひたすら支払い手段の保有量拡大い励むようなのは、ヒト性からは極端に逸脱している、と過去からの由来を想起できるならば、素人老人ですらが指摘できそうに思えている。
 家族的な温和さは、時に油断するわけでもないのに、怠け者を含ませる。そこらは昔話からも色々な押さえ方が可能になるあたりは、衆知のことだ。
 集団の営みの存続にも関わるような危機を誘う場合もあれば、発明発見の担い手として時には集団の存続上、不可欠の役をこなしたりする。頼もしいやつとしても登場したりするのだ。だから一概には言えないくらい、怠け者現象は集団の営みの相互性由来の脈絡から探れることがリアルなとらえ方に結びつかせそうだ。
 ハグレサルを生むようになると(ヒト集団の場合は、他人の飯を食ってたくましくなって故郷に戻ったり、職を得た場所でかつやくしてくれたりの話が登場しやすいけれど)”統御されたやくざもの"とは別物のような場合、食っていくための乱暴狼藉を自己責任で敢行してしまうようなやつらも出てきてしまうから、そこらは昔から集団の営みにとりこむようにリーダー層の重層性が苦心してきたことに当たる。ヒトは比べることもしてしまうから、つい嫉妬心とかの類が体内で悪さして誘うようなことが起こってしまう。そこらを熟知してリーダー層は工夫を重ねてきたし、次から次に生まれてくる環境、条件、そして世代相手に、手を変え品を変えて、なんとかなんとか集団の営みへと誘うことを試みてきた。
 しかし、(大中小の)巨富を得て勘違いした層をも今時は生んでしまっている。
 超大国の勘違いの底にはばくち層がひしめいてそうなことも関わってそうだ、というのが素人老人の19,20世紀広瀬本読者観点からの見方だ。
 男子が戦争に大勢出てしまったとき、女子野球興行まで為している。
 男子が戦争が終わって帰ってきたとき、人気だった女子野球を即座に止(や)めて、男子野球に切り替えてもいる。
 ばくち用のプロスポーツなわけだ、と素人老人はドキュメンタリー番組を見ていてピンときて憶測してしまった次第。
 恐らく、細々との一般向けではなく、支払い手段が宙を飛ぶような具合の社交諸氏の世界のできごとのはずだ。或いは、諜報からみの暗部の出来事も含まれてそうだ。
 とにかく本格的な争い事はUKでの商売も有名だけどUSでは違った形で、ばくちの材料に使ってしまう気質は、列島視点からすればなんとかならないのか!?と愚痴りたくなるけれど、盛んなままのようだ。そうのノリで巨富活動している諸氏が大勢いらっしゃるからなかなか過去を振り返ってくれと素人老人が指摘したくらいでは、その気にはなってくれそうにないけれど、映画だって、そこらはスポンサーと表現の軋みのところだろうから、期待しすぎは禁物だろうしで、わかってはいても、改良にはもう一工夫が要る、といったところか、というのが素人老人にとっての今日この頃の観測。

 

  川柳もどき

   うっかりすると列島古代史とか歴史資料読みが音楽を遠ざけがちにして・・・・
   そんな折り、なぜかアフターダークのフィッシュプロの画面の背後で、音は、沖至トリオ1970年7月14日大平スタジオでの演奏だったりして・・・
   その続きにはベン・ウェブスターグループ演奏やビル・エヴァンストリオものの演奏が混じって・・・・・・・・
   PCのモニターの上っ面の出来事で、とてもIndy500のレース場の雰囲気じゃないけれど、模擬的には
   ICR2で、今時の市販版コックピットに潜り込めば、ちょっとした気分、かもな、とPCいじくり老人の側面がジ(じぃ)ワ、ジ(じぃ)ワ