連載は続く~ SF掌編『三脈を想定してみた』編


 卑弥呼に象徴される集団の営みの一方で、独自性の脈もそれなりに育ちやすかったと想像しやすい伊都国人脈のことも仮定できる場合、規模的に数倍以上だった可能性大の加耶諸国からみの集団の営みのことを加えたらば、主脈3派という素人老人想像も無茶苦茶ではないと見なしてみたい。
 そこらは3世紀に入ってからの倭外交の活発さが帯方郡との絡みゆえの面を強調したくなった場合、素人老人的には仮説に向かわせた。
 313年のきっかけもだから列島事情に響く。
 3世紀の動きと285年の出来事と、313年までを一応押さえてから、さてその頃、倭の主脈はじっと九州域に住み続けていたのだろうか、と疑問を投げることも大事そうに、今は思えているのが、素人老人にとってのもう一方の空想だ。
 とにかく那須国造碑のような漢文を扱い、更には彫ってくれる職人まで抱える人脈が活き活きとしていた列島事情だ。
 九州にだけじっとしていた、とは、(素人老人の空想上からは)考えにくい。
 また北の九州域はギリギリだったかもしれないとしても、過激な自然現象にさらされてほぼ九州在住の人々が一掃されるようなことが起きた以後での渡来の九州先住の起点ということも重要な観点と察する。
 また先日、NHKBSにて、DNA知見応用ということから古代列島の人々がどういう構成を遷移させてきたのかの辺りをより巧みに分析できるようになった現状を踏まえて専門家の幾人かが開陳されていた。
 その手のデータ扱い的応用は、基準をどうとるかの辺りを、押さえて理解するようにしないと、精細、精緻なのに、実態の実はごく一部とか各所の個別事例については実に確かだけど、はたして当時の全体を見通せただれかたちを昔に戻れるとして、説得できるかというと、そういうデータ扱いではないよ、ということがしばしば起こりがちだったりするから、とりあえずそこらには注意しつつ、とにかく、指摘されたことを受け入れてみると、縄文、弥生期については、既存の知見をそう外さないで済んでいそうで、現代人との比較を持ち出した途端に、かなり違ってしまっているようだ、となる。
 ではその違いは弥生以後ということになるのだけど、いつ?
 でそこらが現状わかってきた。もちろん、骨サンプルの数は微々たるものだ。
 数えられる程度だ。
 けれども、とにかく、東アジア域の広くからの人々の渡来と血縁が想定されるデータとして得られたのが現状のようだ。
 縄文の人々は列島に一種閉じ込められた状態で、長年月を営んでいた。
 だから純といえばそうだし、ヒトの交流が激しい広域の地でのデータと比べれば、特殊な塊扱いになってしまう。
 その後、海面水準の上下動の後を受けて、広域での交流にさらされる環境下、北東アジア域の人々との交わりが濃くでるデータとして弥生の人々(縄文の人々との交わりも含む結果として)のデータが残る。
 更に、そこに東アジア広域の人々との交わりが長年月続いて、現代人の特徴データにしあがってきた、と押さえられそうだ。
 DNA分析からだと、古墳期に想像したくなる加耶諸国の集団の営みの規模は大勢の中の一コマだったの?のように想像したくさせるが、考古を踏まえた専門家諸氏の指摘を参照してきた素人老人は今でも頑固に、その規模は他を上回って大規模だったように想像したくさせたままだ。
 対中国外交を表向きの主流として担った魏志倭人伝以来の脈々と密接でもあるし、帯方郡出張所発想をより濃くする人々も相当に持続的に帯方郡消滅以後さえも持続的に主脈と関わってきた人々を想定する今回の話にしているので、そこへ対話皆無ではありえない加耶系諸勢力が各集団の営みととも大挙して列島へ移り住んできたことを想像できた場合、それが平和的な環境下でのことだったらば、それなりの集団的列島内での勢い、気運を生じさせていたろうくらいの想像は無茶じゃないように素人老人からは察せられる。
 列島事情を経時的に押さえるためには、渡来の時期によって自らが持って育てうる基礎教養に時期ごとの違いを持ち込みやすくしていた、と仮定した方が無理が少ないように素人老人からは想起しやすい。ヒトの賢さにとっては教養要素も重要だし、経験的な(世代継承要素も含む)積み重ねも同じように重要だったりする。
 時事問題を想起してみるといい。
 たまたまNHKBSではイスラエル建国当時の生々しいドキュメント番組を放送していて、素人老人にはけっこう参考になった気にさせてもらった。
 今のイスラエル国のある土地が未だそうなっていない時期からユダヤ系の人々が移り住み始めていた。その頃のユダヤ系の人々にとっては、実に近所付き合い的日常を支える人々の混じり合い質を踏まえた、心地よさ、住みやすさを実感されていたようだ。
 そこに優勢発想を含ませた先住権発想もからませた勢力的圧を行使できると思えた人々が欧米政治とともにその土地へ押し寄せるようになる。
 列島在住の素人老人からすると、話を急ぎ過ぎずに、ちと、振り返りたくさせる。
 住み心地抜群と実感できたその土地・・・ということは、現知見からして、棲み分けした多民族状態ではなくて、日々多民族が入り混じる環境において、住み心地が良く感じられる事態そのものを実現していたと、(素人老人的には)見なしたくさせる。
 かつての或る極端な破壊的出来事を経て以後なのだけど、巧みの長年月の積み重ねを経て色々雑多な人々がそこで住み心地よく住み合っていた、と見たくさせる。
 そして現状、住みやすいどころの話ではない方に、そこに来た人々はしたままにしている。
 自らの自力を見誤っていたのでは?と問いかけてみたい。
 色々な人々が長年月に耐えて住み心地よくしていられる発想を育てあえる人々と、なぜか紛争に振り向けがちにして、住み続けるにはいつでも武力をようしてしまうような発想で営まれる集団と、現状、みなせるなら、問題の在処は見やすいのでは?と問いかけやすいと推理したくなる。
 つまりその既存である住みやすい土地にずっと住み続けたいならば、それまでのその土地で営まれた来た知恵の辺りに謙虚になって学び直してみることも大事そうだ、と思えたりする。
 現状から察するに、内輪に暴力的に他人の土地に分け入る人々も目立つほどいるようだ。つまり内輪すらが、将来的、長期展望において、危ない要素(集団の営みとして世代を積み重ねている)となりえていそうなのだ。
 敵味方で気持ちをたかぶらせてしまうと、そこらを見損(そこ)ないがちにさせる。
 現状からはもう一点、余分な指摘になるけれど、暴力系は本当に嫌悪されている感じだ。派手な出来事で視聴率稼ぎするメディア業界すらが、そこらを匂わす人々なり出来事なりを採用し続けている。
 余計ついでに指摘してしまうが、世のカナリア諸氏はリアルなデータを持ち寄って、試行錯誤要素を無視するような乱暴な議論ということではないノリから、当面とすぐ先の問題群に向けて採用するなにがしの選択に迫られる場合での絞り込みを試行しようとしているようだし、NHKBSのワールドニュースづいている素人老人的には、氷で埋(うづ)もれるヨーロッパや北のアメリカ域は今、正直に雨量たっぷりだし、ちょっと寒気にさらされると大量の雪が降ってみたりの辺りをニュース映像として率直に発信してくれている。
 気温現象の気まぐれについては、天気予報報道がより専門家も登場させて、しかも一般がわかる専門用語のくだいた版を使われて、伝わりやすくもなっていたり、放送大学も一般が受け入れやすい内容の気象講座を毎週放送してくれているので、より素人老人としてもわかりやすくなっているわけだけど、ヨーロッパ、北のアメリカ域での降りやすさが寒波到来で翌年まで解けない根雪となって、それが人生時間程度でも続けば、スポンジの固いののような姿から、より氷の緻密さに近い姿となって、いよいよ氷河形成か、とずっと将来のだれかたちはことばにしてそうにも思え始めた。
 海洋表層の水温はしばらく原発系熱水によって、北極海の氷が減ってしまうとかの目立つ現象へ影響し続ける水準を保ちそうだ。
 そんなことにはおかまいなく、地球の運動は、氷河期独自の運動系としての営みを継承し続けそうだ。
 だから紛争を嫌悪し続ける大勢は実は、多分正直に反応していると、素人老人の空想は見なしている。
 それよりかは、往来の安全に世の中の趨勢を傾けて、巨大なしかも時期によっては急激にも生じる気候変動への地球在住の人々的対応が可能になる準備を今からしておかないと、ボートでやってくる人々の規模どころではない、大変なことにしかねないわけだ。
 包摂の思想はだから貴重だけど、実際的となると難問山積と察せられる。
 列島に隙間のない建築が必須のような発想が、浪費しないための大儀で持ち出されつつもあって、そこらもこんがらかりを助長させてしまいそうだ。
 ここらを話題にしてしまうと更に、脇道がつづいてしまうので、ここは省きたい。
 (廃棄物への根本的解決アイデアは必須だ。数千メートルに達する氷河の下になる廃棄物へだれが責任をもてるというのか?)条件付き核エネルギー利用の不可欠を指摘したのは、一応、ここらをふまえての発想が下敷きになっている。
 氷期の深化に応じて人口が素直な変化を伴わせるならば、激変期であっても、なんとか凌いで、過激な氷期の人口にまで縮小させるものの、ホモサピエンスは一周期で終わらず、二周期目も試せるようなことになるかもの空想も可能になる。
 でもそのための膨大な各分野の詳細にわたる準備を欠かすことができない。
 それが人生期間での伝承が可能であればより円滑となるけれど、いつどうかわるかもわからない周期の出来事を迎えてしまうような時期に遭遇したホモサピエンス諸氏にとっては、空想か科学かまったく判断しにくいままその時期を過ごすことにもなりかねない。
 それでも騒々しく平和的な激しさの中で、準備し続けて置ければ、ヒトがどうできるかの記録と実際の試行錯誤をこなせるというわけだ。記録が伝承して、遠い将来のだれかたちが簡単に読み解けるようなことばとして息づいているならば、貴重な経験をヒトが果(は)たせたことになる。
 だから(代理系も含めて)紛争している暇はない、と素人老人は特に欧米系に向けて発信できそうに思えている。
 各地性がローカルな乱暴狼藉を容認する経路から包摂力をほこってもらっても困るのだけど、各地性が各自の試行錯誤をも包摂できて、しかも、中央集権のありがたみをお互いのものにできているような動態を想像できるならば、列島が経験してきた3世紀での中国との出会いと漢文を自在にこなせる列島内人脈は中国思想脈(ないし今でいう(収入源のあり方において)官僚的に生業(なりわい)を営む志向の持ち主諸氏)とも通じていた関係からやがて仏教思想との遭遇も可能にして、この濃い二脈と渡来加耶系が抱える各営みが一応、既存列島住民との関係においてはひとまとまりと意識し合えていたと想定して、もう一脈を形成している場合の、列島山脈ならぬ、三脈と押さえておける。
 それぞれ渡来の時期の異なりが伝承発想を当然質的にもことにさせて、自分たちにとっての自然さ加減が表現型として営まれてしまう。
 各自性を重んじることの急所はわかっていても、それを放置すれば、意見百出で、まとまることもまとまらないまま、偶然の激変状況任せに期待するようなことにさせかねない。で、中央集権化の事業は、多難な推移を辿らせ、列島版、中央集権化事業を、今では、一応、暫定的状態として示せるくらいには、世代交代を含めて継承の試行錯誤状態を迎えているくらいは、試行錯誤の初期段階がほとんどの西欧の嵐の後の地表面ということで、現状を押さえる試論も可能では?と世のこの手の事情通、専門家諸氏に投げかけてみたい。
 世界史年表での古代部分、中国との関係からする楽浪郡帯方郡やの活動時期、仏教が中国でどう動いて、半島、列島へと学びを波及させてきたかの時系列や、人々の生業が住む場所を固定的にできたり、移動することになったりの時系列を羅列整理してみることだけでも、以上のような素人老人的過ぎるけれど、空想話くらいにはできる。

 

   川柳もどき

    水温を温かめ安定な水槽にメダカ
     少しぬくくなったり、寒かったりの季節
     大抵はじっとしている
     水槽の下の方か中間あたり
     時々
      いつもなら普通だけどこの時期はめずらしく
      水面に浮く
      エサをもらい慣れているメダカゆえ
       そうやって待っている(空想ではない)
     目は横についているメダカだけど
     上の方からエサをまくこちらを
     よーく見ている感じだ