連載は続く~ SF掌編『格差か落差か、ないし・・』編


 ヒトがなす世の中の事、社会とかの用語から把握される人為の諸々をまとめた状態とかをも含めて自然の状態のように理解できた時に、状態としての‟死‟で押さえらる絶対的静止状態を、どの世代のヒトもないしヒトが今に思考してきた宇宙においてすら、経験はしてこなかったと想起できる時、生きていることの詳細は、むしろ身近だったりしてそうだ。
 均すイメージを想像してもらえば、気づけやすくするし、うっかりもさせる。
 温湯(あつゆ)と冷水を混ぜて、丁度よい湯加減を試みる。
 空想上は、そこにバランスした一帯、一体が成立してくれる。
 ただ閉じていないことを想起できるなら、更にの関係要素を簡単に日常的に気づけたりする。
 容器のこと、容器が接している大気のこと、床面のことなどは、あえて考えるまでもなく、それ自体としてあらかじめ気づけている要素とも思える。
 そこになんらか指標において、相当な格差を生じさせているとき、それを均そうと、状態次第では、かなりの激しさをともなって均しの過程が生じやすい。
 台風が発生して、均されて消滅するような過程については列島在住の諸氏においてはより馴染み深い経験の一つと察する。
 ほぼマクロ的にヒトが体感しているような格差解消へと向かう要素間の運動について、その詳細ということへ関心を寄せるならば、その細部の各部についてからして、ちっとも死の状態ではないことに気づかされる。細部の細部・・・とそのエネルギーの状態へと視線をたどりたくさせるけれど、そこを置いておいて、空気、大気の状態程度に、ヒトが細かく感じてみたいと思えれば、そこにも動き続けざるを得ないような状態を、測定的にも、体感的にも得られやすい。
 とにかく、とまたもや素人老人の端折りを採用してしまうのだけど、自然の現象における到達することのない死の状態ないしその方向性とは無縁と思えるような状態が日々、この瞬間瞬間動き続けている。

 激しく気象の現象があらわれやすくしている、と今時を押さえることができるのなら、きっと格差のなんらかが作用してそうだ、くらいの想像は素人老人の場合、ついしたくさせる。
 つまりついことばは慣用に向かわせやすくするのだけど、年寄りのひねくれっぽいのが発情して、いやいや、そうじゃないだろ・・・と一言付け加えたくさせてしまう。
 暑いところもあれば冷たいところもあって、その格差の程度が、現象の激しさに見合うようにしているのじゃないの?!といった辺り。
 死に向かうことなき自然の動態の千変万化と一応押さえうるならば、たまには平穏な状態での均しになるような各地性を人為ででも可能なら、そうしてみることも試してみたいとか、そこらは人為の極端な限定性を踏まえない大ぼらに近い対自然観が言わせてしまう場合にのみ、極論に近そうだけど、現象が限定要素において、そうならば、それなりの限定要素との語り合いということでの関与くらいは可能とも素人老人からは思えたりする。

 そのアイデア、では、金儲けにはならないよ、とかその昔から言われてきた。
 しっかり発明の特許とかを得ないと、生活の足しにはできそうにない。
 そうも言われてきた。
 それくらい儲けられることの度合いについてはヒトは集団の営みの中で算段することに慣れている。
 小銭稼ぎ程度をこつこつ積み上げつつ、そこそこに人生を全うできるようなやりくりをその上手さ加減程度の差は各営み間にもたらしそうだけど、それなりの幸せな人生を可能性においては送りやすくさせる。
 大金(おおがね、たいきん)を稼ぎたければ発明クラスの知見か技術を考えだし、それで一時的に世の中が認めて、高価な買い物をしてくれて、一方は大いに儲かるし、他方は利便を満喫できる。
 価格の均し効果は、なんらか管理の要素の多少を含む市場にゆだねられて、有意な期間を経て、無理、無茶を生じさせない価格が人々を喜ばせ続ける。
 高値での購入仕方なしを受け入れさせる場合は、先のような場合にごく限られることになる。
 本当にそうであるならば、金融への一つの見解である、中小零細がこつこつと機能させている営みを支えられる地方金融とそれらをつないでいるかもしれない大金融の営みの一面の有効性は明解そうだ。
 ほんのつなぎのところを(借りて、貸してが工夫し合えて)やり繰りできるだけで、そこそこの稼ぎにもかかわらず世の中は回転なり運動なりを継続し続けられる。ヒトの生身の感受の相互性において、その継続的安定度などは肌身として押さえ合える。
 瞬間に産業連関の全体図が体感されているようなヒトならではの実際的な感受性。
 それがそれぞれの請け負った属性において、属性独自の語彙なりで押さえられている。 相互的対話にはだから翻訳なり、インタープリターの類の介在が必要になる。
 今時は、昔と違って、そこらをことばの問題として意識的に向き合えている。
 けれども、お金(ないしその身代わりとしての)自体を売り買いするようになって、膨らし粉効果を発揮させることを覚えてから後、打ち出の小づちは超便利とやたらと、支払い手段倍増計画でもって荒稼ぎしてしまうことを流行らせて、落ち着かせどころを見失って久しくしてきた。
 一方に、こつこつ経済の営みを持続的にこなつ英知を育てつつ、それを根こそぎにさせかねないお金自体の操作が支払い手段効果を膨らませてしまう営みがあたかも成り立つかのように営む思惑を幻想であるとはいえ、こつこつだって厳密には幻に支えられる要素的一面を持つゆえ、双方譲らずで、世の中、実際には、借金をどう扱うかの難しい問題を先送りにするような対処頼りにしがちにしている。
 生活苦に陥らせず、かといって、無駄、無茶な営みを放任させるわけではない、仕切りの辺りを意識におけるような営みについての試行錯誤を継続化させうる、徳政のあり方を、打ち出の小づち効果ばかりに夢中になりすぎて、準備不足のままにしてきたので、世界の営みのまとまりとして不具合を生じさせやすくしてしまっている。
 事業を大きくすることは可能。だけど大儲けは、言い訳にはなるけれど、発明とかで、だれもが一時的に認めて、高価格を払う気になるなにかしら以外は、こつこつタイプに甘んじなければいけなかった。そこらが支払い手段を基軸に経済の営みを回すことに慣れたヒトが編み出した知恵の要点の一つのように、素人老人の不勉強度合いから指摘したくさせる。
 (支払い手段の額という意味合いから)金余り状態にすることで、確かに、様々な実験的事業に現代の人々は手を付けやすくしている。夢のような話が試行錯誤に乗りやすくなっている。
 けれども、遡って、産業革命を生んで後(のち)、とにかく(燃やし損ねて各地に積みあがりつつあるプラスチックごみもその一つと指摘できる(し各種合成系の品々のことも想起しながら))高エネルギー消費生活形態をとことん持ち込んでしまって、そのツケを、地表面各地の生活に振り向けるようなアイデアを持ち出してみても、多分、追々気づかれて、だけど、その時に、軌道修正に手間取ることを想像できるならば、今、軌道修正できた方が適切では・・・と素人老人などは空想したくなる。
 そこらは、気象現象を生じさせる要因の一つと見なしうる格差問題について気づければ、それなりの察しがつくと素人老人的には受け止めている。
 また一方に広瀬本が示唆してくれる政治部門での営みでの、勢力的利害が切実な辺りをどうこれからのために工夫し合えるかで、ふくらまし効果依存ゆえの過渡期を持ち込んで、そこらを考えないことにしてきた可能性を素人的には持ち出してみたくさせる。
 (支払い手段としての)大金(たいきん)を有しないなら、助けも、脅かしも、お誘いも、お付き合いもできない。
 しっかりものとしてそれぞれ集団の営みを仕切る役をこなすだれかたちにとって、そこらは昔も今も、ヒトの観念に作用させることを体感的に熟知して使いこなしてきたと素人老人は察する。そして、その根拠となる大金をこれまでと違って得にくくするような転換を図ることは自傷行為に近いと(その担い手諸氏に)直観させてしまいそうだ。
 純粋なとは言い過ぎになりそうだけど、経済の営みについて純粋っぽいあたりに関心を向けてその化学反応系を通して見成した時に得られる知見と似た発想をそこに応用するなら、どういう経路をとろうとも経済の営みの純粋っぽい働きにおいては、そう沢山具体性において儲けさせてくれるよりは、経済の営みにおける様々な工夫を飲み込んでくれて、営み続けさせてはくれる、と入った落ち着き方、動態へと誘うなんらか方向性を知見としてもたらしてくれそうで、だけど、その他もろもろはけっしていつでも純粋っぽい傾向として現れるようにはしてくれなくて、20世紀から21世紀にかけての時点においてならそれを政治経済学的把握からなんとか自らなんとかしていけるまとまりにできるだけしておきたいよね、とかで、協働・共同できるよう事情通各氏において工夫され続けている、とか素人老人からは伺えているように観念のうちで落ち着かせている。

 


   川柳もどき

    最終生産品のなにがしについて口出ししてそれがより利便上適切な製品へと即改良されれば
     買いたくなるかも程度の関心から
      探し出すだけでも、切りのないネット探索を"楽しめる"って・・・?!
     同じ楽しむ用語も、引退の
     小野選手が凄いと思えたのはジダン選手だ、と
     ネットからは貴重な映像を普通に見ることができて
     現役引退近かったかの頃に見たワールドカップでの氏のプレーよりはるかに噂のジダンっぽいプレーが盛沢山
     どうジダン選手が楽しんでいるのか年寄は空想してみた
     相手がジダン選手のプレーに反応し、それにまたどう反応することで怪我にも巻き込まれず、その追い込まれそうな場を潜(くぐ)り抜けられるか
     ググらなくても自らの知恵で潜れるから楽しそうだ
     その反応技がスピードやちょっとした器用さを棚上げして
     動作の順繰りに関心を向けるなら、超人的技と見ずに
      その場、その場での最適解かどうかはともかく相手の邪魔を外しまくる考えとか直観とかと動作を同期させている凄さはともかく、だれもが相手が
       そう動くなら、こちらはこう動いた方がその邪魔を外せるし、お互い
       怪我をしないですませられそうだなの方向性で無理なく動作順を選べそうな気にさせる。
       生なやりとりがくりだす新奇な場面を
       なんなくやりすごすその凄さの一方で、順路はだれもが想像できそうで、
       動作を真似て、それが生な場での選択動作として瞬時に出てきて、
       抜き去って、得点にまで行けたら
       残るはジダン選手の体格を真似られない場合を
        なんとかする
      ちなみにジダン選手は50代そこそこの年齢だし、
      監督とかなさっているようだ