連載は続く~ SF掌編『環境に応じた形化を成せばなすほどの辺りとハプニング』編


 とりあえず物価高のことをインフレと呼んでおこう、らしさを感じる素人老人的受け止めから、とりわけ欧米諸国でのインフレ趨勢をぼんやりイメージするに、上がった物価が下がりにくくなっている辺りについては、人のすることだからの観点から充分に、当面の趨勢を考察可能と見るし、一方に原材料ほか諸経費が物の生産、流通に付加的に作用しての物価高という辺りも今時、ニュースでお馴染みになっていて、基礎的条件が違ってしまっている支払い手段である貨幣の出回り易さをいじってどうこうする局面というよりは戦争がまずは問題だろうくらいのことはニュース報道が盛んな(地表面規模である程度にぎやかになっている)おかげでだれもが程度に知れ渡っていたりもする。

 シンの方もそうだったように今時のゴジラは絶滅しないというよりむしろ地球と共にくらいの寿命を保持しているかのごとく描かれている。
 またもやそう思えたアカデミー賞受賞にニュースに踊らされた素人老人は早速ごく近くの映画館を訪れて、そんな印象を改めて感じていた。
 とにかく音が凄い音量でもって出ていて、それに心が知らず知らず揺さぶられていた。
 肝心のVFX体験としては、とにかく水CG表現は、特許物を各作品が使いまわすようになっているのかどうなのか、水っぽいので、すんなり見入っていた。テレビ画面サイズ感ではなく、映画の大画面の水がいかにも水っぽいのだから、すんなりが正直なところ。
 ただし、ここらはより水っぽい描写を可能にしてのようなことも避けられないから、追々、かつての水はちっとも水っぽくなかったね、のような昔語りも登場しやすい表現の時代性の辺りには注意が要る。

 とはいえ、ヒトっぽいだれかたちがきっと宇宙のどこかに・・・を期待しての本格的研究調査やそこらを踏まえたマスメディア作品など賑やかそうな一方で、ヒト自体がたったの氷河期系の集団性生き物に近い辺りに気づけてもいるのだから、その取り上げ方自体が誇大と受け止めて時に冷静さを気取るくらいは必要かも、など老人くせがつい出てしまう。
 地球史において相当な年月(数千万年間)続いた恐竜たちはなんとあっけなく失せたことか。というよりも、膨大に試行錯誤させる種誕生物語の中で、べらぼうな数の種が滅んで、それでも未だ膨大量が試行錯誤しつついる感じだ。
 そして太陽系の寿命とともにか、それ以前のなんらかでどうしたって地球上生命の現象は途絶えることになる。
 素粒子の運動性なりエネルギー状態のなんらかと生命現象とを結び付けられるなら、とにかく生々流転で条件に応じて形とも成しては消えてまた・・・と繰り返し続けることになっていそうだ。
 ヒトとか地表面生物系のイメージでの生き物を想像して、宇宙のどこかに?と期待する向きには、ハビタブルな地表面でさえ種は雑多を試行錯誤させつつ年限がくれば滅びるようなことを展開し続けているのと似て、宇宙でも同様と見なせれば、同じっぽいのを見つけること事態が奇跡近そうだくらいの推理もしたくさせる。軌跡を見つけられるかもしれないから、多少は追跡調査も無駄にならないかもしれないけれど、つぎ込みすぎもそれなりに危なっかしそうだ。

 そうはいってもヒト自体にとっての数年間すらが実感たっぷりの事態なことはだれもが認めてくれそうだ。
 たった一日の出会いがとんでもな触発を誘うということだってヒトの場合に限らず、それっぽく動物達のいくつかでは起こってそうだけど、それでいてヒトは生まれる前年のことを遠い過去のような実感の無さをどうしても伴わせがちにする。
 そこらが世代論の背景をなしていそうだ。
 ただ、昨夜、ネットにてそのハイライトを見ただけなのだが、2022年U-20女子サッカーのパス連携技に感動した目を疑うようなAFC2024年U-20の前半から後半途中までのハイライトシーンを見ることになる。
 動きつつゴール前への攻めのモードで長短の素早いパス回しで相手の追従を困惑させてシュート機会を伺いつつのプレイタイプは、日テレベレーザチームのFW土方選手が得点したシーン辺りからそのハイライトの中でも得点とからむ形で選手の配置、動きから観察できた気がしている。大雑把には全体の経過時間として80分前後からその先でやっとゴール前での、2022年U-20タイプのパス連携モードが旧タイプ(とも指摘できる、当てずっぽうでの蹴り込みにゴール前の各選手がとにかく混戦しつつ応じて得点を狙うプレイタイプを披露していた。(この準決勝の試合以前のハイライトもこちらのプレイタイプに近い印象を持つ))のノリから変化して位置取り他も機動して、ボールが選手間で動きやすくできる感を観客に示せていたように受け取れた。
 選手間の位置の取り方パスを巡って動いてもらいに行ける動作をこなせるか否かなど、ちょっとした身のこなしを面倒くさがらずに出来る面子(めんつ)ということが関わっているのか、ただ、スタッフの仕掛け方指示がそうさせているのか、そこらは端からはまったく想像できないくらい素人老人なのだけど、パス回ししてゴールに何度もFWが上手なら何点とったか知れないくらいの配球をこなすパスプレーをやってのけたチームを育ててしまった実績を持つJFAのスタッフのはずだから、今回のAFCでの試合展開の対照的な有様についてはできれば以後に生かしてもらえると、見る方の都合としては相当にありがたい。
 2022年以降の世代ならば・・・とついこの間まで括ってしまっていた素人老人としては、動いてパスをもらいに行ける総合的技量を随所に求めるサッカープレイを期待し続けているということで、Jリーグやその司会進行役所氏の宣伝文句に誘われすぎないくらいの視聴を試みてもらって、やる方も見る側も面白いサッカーへ誘ったもらえるとありがたい。


 燕国から楽浪文化、帯方郡加耶諸国の経験と特定の地域的広がりを背景に持つ列島の雑多性についての具体性の辺りは、少しだけ押さえたくする素人老人だ。
 古墳時代を出現させた可能性大の加耶諸国の趨勢と列島での出来事の辺りについては、ひょっとしてということで、松本建速著『つくられたエミシ』からまたもや引用。
 p85あたりを参照願いたい。
 2世紀から5世紀前半:東北北部ではほとんど集落跡が見つからない(p87)
 その期に見つかっている遺跡は八戸市田向冷水遺跡(5世紀後葉から6世紀初頭)だけ(p87)。
 その後6世紀終わりまで集落遺跡どころか土器片すらない(p87)。
 田向冷水遺跡は土器も住居もすべて古墳文化社会のものだ(p87)。
 弥生時代中期以前と後期以降の間に、たとえば竪穴住居跡が見つからなくなるなどの変化が生じる(p87-88)。
 6世紀後葉:現八戸市域に住居跡出現(p88)
 7世紀:東北北部東側広域に集落形成(立地特性として台地上)(p88)
 8世紀後半:東北北部西側に集落形成はじまる(p88)
 9世紀:東北北部西側に(東部と比較して)大規模な集落形成(立地特性として台地縁辺)(p89)
 7世紀以降の人々は農耕や馬を飼い、カマド付き竪穴住居に住み、鉄器を持ち、幾種類もの土師器を使っていた。(5世紀前半までの東北北部住民の続縄文文化と石器使用の生活(弥生中期以前と違って竪穴住居跡を残さない居住形態)と比較できる(p89))

 広域を統制する法治なりが機能しての指揮命令系由来からする集団移住の類ではなさそうな辺り。
 古墳期での集住と移動のリアル感が漂っていないか。
 考古資料の年代特定術をより細やかに出来た時、ぐっと歴史を描き易くしそうだ。

 

 

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