連載は続く~ SF掌編『関東圏では新築ブームが継続中』編


 2013年版の放送大学講義『音楽・情報・脳』第14回にて、日常での雑音・騒音まみれの音環境に高周波成分を観測して、CDでは色々言われているし、通常使われがちにしている楽器の音成分にもその高周波域を欠いている辺りを指摘した後、その成分を含む音環境はヒトの生理に良い結果をもたらす、という知見を紹介している。
 その番組のみで、教科書とか関連知見をフォローして感想くらいはすべきところを素人老人のいつもの通り、そこらはまったく省いて、その時点でのただの印象から、現代の環境に濃く浸った人々の生理観測がそうだとして、もともと熱帯雨林とかその高周波成分も含む音環境において人生をまっとうし、世代も継承してきた人々における生理観測はどうなのか、とか、もう少し言及が欲しかったように受け止めていた。
 可塑的対応現象を素人老人的にはより広範に応用させたくしているので、ある聞きなれない音環境において、それぞれのそれまでの環境と照らして、可塑性対応の働きが機能して、それなりにストレス源をそうとしない方に可塑的な変容なりをもたらすのが生き物じゃないか、とつい思いたくなる辺り。
 担当の学者氏らは当然なこととしてヒトにおける可塑性知見を踏まえておられる。
 そして、遡及の範囲ということでは、素人老人の受け止め上、こちらの感想領域には届いていない感じがしている。

 人権とか個々への尊厳のまなざしとか民主主義勢力的標ぼうとかを口ずさみながら、一方で選(え)り分けを露骨に表示することにしがちなパーティ形式集会やハグの類を使いこなしたくさせる欲動を押さえられない趨勢とは実に対照的だ、と普段着発想から想起できてしまう土地柄も地表面各地にありそうだし、とかも似た感じ方に乗っかってそうだ。

 そんなノリから能登半島地震関連ニュースなど見ていたら、隆起の大きかった土地の住民から、家が傾いてそこで起居し続けることの心身への影響からしての困難などことばにされていて、ちとばかり地震対応ということの別の一面を想像してしまった。
 耐震性の東日本大震災以後版が丈夫な住宅を建てるように仕向けているらしい。
 その規格外だと新築では売り物にできないくらい厳しい。
 ところで、その丈夫な建物が壊れずに、ずっと住み続けられる状態で建ってはいるけれど、傾いてしまって・・・といった場合、どうすることができるのか。
 素人老人の境遇から、数件分、土台作りのところから新築住宅建築現場を通して見ることができている(ただしずっと張り付いて観察というわけではないので、とびとびの印象に過ぎない)。
 土を均して平面を作り、そこに地下深く杭の類を埋め込んでいた。
 そうした上に、鉄筋をセメントで固めるタイプの基礎を碁盤目っぽく凸で囲う凹を含む一体として作っていた。
 だから見た目、手のかかった相当頑丈な基礎と伺えた。
 その上に、完成部品や半完成部品を組み合わせて、ごく短時間で一戸の家ができてしまう感じだった。
 そういった耐震住宅が傾いてそこに住み続けられそうにない、となってしまうなら、費用とかにおいては保険他でなんとかなるとしても、基礎工事にも相当な費用がかかってそうで、丈夫な分、壊して、建て替えるにしても、これまでの住宅を壊すよりは手間暇かかりそうに思えた。
 関東大震災知見から諸氏において知られていると察するが、それなりに関東圏でも隆起したりがその程度の大地震では起こってしまう。
 家の建つ密度が半端ではない関東圏においては、傾いた丈夫過ぎるくらいの家が膨大量となりうる。その時、回復策はどうありうるのだろうか?と素人老人的には大変そうな方で想像してしまった。
 そこで、代案的に思いついたのは、壊れ方への工夫だった。
 家具の様式発想にも工夫を組み入れて、部屋の調度が破壊的地震に遭遇した際も、散らかりはするけれどヒトを圧死させるような崩れ方はしない。
 家は力を吸収するようにひしゃげるけれど、再構築も方法として完成していて、素人でも直せる。
 結局、大地震の際、普段生活に使う道具の数々の整え方の新発想とそれを促す家具・調度の改良的デザインによって、散らかったの整理し直すだけで大抵は片付くし、建物の方もひしゃげたのを、段取りを追って組んでいけば、元の通りになる、そういった、素材と組み立て方を世界の建築家諸氏が発案してくれて、寒暖湿度様々な土地柄に応じた応用技を加味することで、文化の多様さも自ずから結果として生じてしまうしで、いいことだらけになりそうではないか、など空想中だ。
 たとえば、むかしの平氏の勢いのまま大地震にあったなら、重たい屋根が前提で安定する住居という発想を切り替えて、軽いけれど建物全体としては安定している住居を改良発想から構想してしまったと、思えたりする。
 そこから更に、列島各地のニュースならぬ、列島各地の遺跡に残る建築物については、長年月の大地震に耐えた建築物はそれこそ地震対応建築技術の賜物(たまもの)としてそのまま残して、技術の粋(すい)を研究者・技術者・事情通諸氏によって研究し尽くしてもらうし、一方、弱体な建築物については、原型のまま3Dプリンタを使いこなすなどして、軽くて地震に耐性を持ちつつ風雪にさらしてもちっとも劣化しないタイプの丈夫で長持ちタイプに作り変えて、‟原型のまま‟公開できるといい、と素人老人ゆえお気楽な提案となってしまう。
 丈夫過ぎて、つくりかえには返って不都合ということもある辺りに気づいてもらって、建築家諸氏における発明発見の類を誘えたらいいな、と空想か孟宗かこんがらかってしまう素人老人の午後のひととき。

 


   川柳もどき

    人付(づ)き合いこそが
    集まってなんぼのもの的
    文殊の知恵のたとえを生む