連載は続く~ SF 掌編『桜の開花を置いてけぼりにした気温変化の日、女子サッカー』編

 その後の列島史での展開を考慮できるなら、ということで、古代列島状況ということを素人老人的に押さえる場合、一つ、媒介役をこなししかも導き手の性格も有したと想定できる旧楽浪郡帯方郡由来の漢文使いに達者だった伊都国人脈の脈々を決して忘れない関係性において平安期や鎌倉期終焉くらいまではたどりたくさせること。
 そこに仏教脈がどう関わっての厚みを持った展開であったのかも、奈良から京都へと遷移した事態を踏まえられるような中味を素人老人は想像になりがちにするけれど、事情通、学問系な諸氏においては資料を踏まえた考察など期待したくさせる。
 日本国出発時点以後のシステムを支える上でのことば上の諸発明の数々がいかに定着し、育ち、それゆえヒトのなすことゆえに変質すらしてしまって今日に至るのかさえ、大雑把過ぎる表現ではあるけれど解きほぐしに期待できそうだ。
 古代列島は申氏仮説に依然基づいてしまうけれど、加耶系集団移住のきっかけから、各地性をより濃くした性質を相当に強く持ち育てて以後を展開させることになる。
 だから各地性からして漢文脈が支える権威筋のその根拠性を示す脈絡なりすらが各地性ゆえにかき消される性質を帯びている辺りを想起させながら、列島を纏め上げる660年以後の展開、事態をより密着的に追いやすくさせると、素人老人的には空想してしまう。
 それゆえ、文書行政をしっかり持続的に支えるタイプの官僚系っぽい人々はごく稀なまま以後数百年程度は推移してしまう。その代役を仏系教養の人々が支えた可能性すら素人老人は妄想したくもなる。
 技術や生産・流通などの実務的な力量は、その豊かさから持ちえた文化ともども既存権威筋よりも華やかだったろうけれど(ここらは九州系発想の諸知見諸氏の中味の逆転のあたりを示せる)、それだからこそ、各地性の自立的性格も多分説明可能になりそうだ。
 だから前方後円墳の規模云々でまとめてしまいたい欲望を少しだけ我慢してもらって、そこから一気に統一されていたとかの話にすることも少々慎んでもらえれば、よりリアルな古代の列島での歴史展開をドラマとしても描き易くするし、多分、人々が為したことゆえの相当に面白いドラマを様々な場面を区切って(あたかも江戸期のそれぞれの舞台を切り取って色々に描けるように、古代当時の列島を描き易くする、と素人老人は少しずつ古代列島に親近感を覚えるようになりつつあるけれど、これは他人諸氏からすれば素人の妄想に近いかもしれないのだけど)日常の中に落とし込めるようにもする。


 さて本題は3月30日。昨日の夕方近くから急にポカポカ以上の気温の状態になってその延長での30日になっていた。
 急な変化に薄着して、しかも陽射しを浴びつつ暑さまで感じるくらいになってしまった。
 多分、桜の花の方は、仰天して、(気温に反応しての)瞬間咲きすらできなくなってしまったのではないか。
 試合前、まったく久しぶりに楽器や声による生演奏で(極く個人的ではあるけれど)気分を盛り上げてもらってその勢いから試合を見させてもらえた。たまにはこういうこともあるものだ。
 ①前半と後半でのゲーム展開は対照的だった。
 ②藤野選手が我慢しきれないくらい激しい圧を仙台チームは行使した。
 ③各チームにいくつか指摘できることをふれたい。
 それでは順を追って、
 【①について】
 どういうことから対照的と見たのか。
 前半、日テレベレーザチームはオーソドクスに対応した。
 勢い良く機敏に相手のボールを奪いに行くことはせず、相手チームの仕掛けに応じる形での展開を見せた。
 当方は初め、仙台チームがパス回しなり動きなりからベレーザチームのボール奪取の動きを封じられているのかと思おうとしたのだけど、そうではなく、お互いの隙ありでそこを攻めるタイプの攻防、と言う感じだ。
 意外にそういう対応関係の場合、仙台チームはかなりベレーザチームを圧(お)していた。
 後期に入ってベレーザチームの守備の手法は多分、改善されたということばが適切なくらい、体力を消耗しがちにもさせず、だからと言って色々な場面にも瞬時対応できる形を持ち込めている。仮にパスミスや危ない位置関係での相手チームによるボール奪取と言う場面に遭遇しても、かつてのような失点し易さの条件を相手チームに与えるようなことにはなっていない。DF、MF選手諸氏が状況に合わせて複数、攻めの相手チーム選手の好き勝手が出来ない程度に走力、位置取りを状況に応じさせて機動させている。
 ロングのピンポイントパスやパス連携からの攻め入りなどを相手チームが駆使してくるなら、それなりに、より工夫が求められるが、その余裕を持つためには各チームがパス連携の精度がより付くように育て合っていかないと、プレーしながらの余裕確保ということは難しい。だから、ということで指摘してみたいことは③のところで。
 仙台チームにとっては貴重な前半のシチュエーションだったのだけど、そこで点を得られず、木下選手の動きとボール出しの精度によって、一点を取られてしまう。
 【②について】
 体力を消耗させない工夫込みの術を身につけて、現状のベレーザチームのパス連携やゴール前技を発揮できるような試合展開となると、今時のWE各チームで五分に圧を分かち合えるチームは皆無と素人老人観測はことばにしたくさせる。
 ヒトの身体は20代半ばくらいになると大人の目から見て大人のガッチリ感、対象無理を強いても体力面では踏ん張ってもらえそうな体つきになっていたりする。
 ベレーザチームの若手選手はそれ以前のガッチリ化に向けた育ち盛りの段階の諸氏だ。
 つまりサッカーのゲーム中に審判次第で怪我の多くを制御できる余地をより多くさせる、という辺り。
 体が伸びた状態の背後から勢い良く体の圧が入るような場合、下手すると鞭打ち症状を誘うような打撃を蒙る。だからその種の選手間での暴走を審判諸氏は制御できる。
 この試合でも、ベレーザチーム各選手への圧の加え方はいつもどおりの強度が見られた。
 山本選手が抱きかかえられながらそれを解きほぐしながらドリブルやパス機会を見出そうとするシーンを観客諸氏にはお馴染みと察するが、同様のことが、今ではベレーザチーム各選手に起こりがちにしている。そこを厳しく取りすぎると、ベレーザチームの動きは活性して・・・だから、審判諸氏がそこを見過ごしているはずは、ないけれど、得点機会をめぐるきわどいシーンではつい手が出てのようなイエローかものタイプの審判による静止が入るけれど、それがより他の進行中の場面でスルーされ続ける場面としてくり返されるようだと、ちょっとゲーム進行としては素人老人観点からはゲームの面白みをそがせないかとか心配になる。
 代表チームでの活躍以来更に激しく圧が加えられ易くなっていた藤野選手は、この日の試合の一場面で、複数選手による抱きかかえが、鍛えられた足腰ゆえに抱きかかえられながらも自走してその窮地を脱する勢いを失わなかったために審判氏が錯覚してしまったものか、それがずっとスルー状態で、藤野選手の方が根負けして、グランドのへたり込んだ。
 素人老人観点からは審判諸氏に期待を投げかけるとともに、藤野選手だけに限らないのだけど、注目選手で力を他チームの選手に自覚的に示せている選手諸氏は、これからも普通じゃない圧を工夫されるとまず断言できる。逆にその圧こそが、海外の猛烈な圧を加えてくる試合でも耐性となる素質を養える機会にできる。だから、その圧を審判がどう判定してくれるかはとても貴重で、怪我とかゲーム展開をつまらないものにするくらいの過剰な妨害となっているあたりを見逃さずに反則で取ってもらいたい。
 圧をこうむる選手へは、審判を理想化しすぎず、だけど信頼はして、その限りで、ボールをめぐってのプレーの場合、ボール保持には我慢が要るあたりをより意識して持続的な気持ちの方で反応できる慣れ、場数の積み重ねを工夫してもらいたいほうで期待してしまう。NHKのBSが過去の名プレーを含む試合のいくつかを再放送するらしいから、今時の忙しなすぎる試合以前の世界の名プレーを見て、耐性の辺りも学び取れるのではないか。
 一つ、耐性そのもののシーンではないけれど、圧をかわすということでは、参考になりそうな名プレーを事前の紹介番組で見ることができた。
 マラドーナ選手が5人抜きした一連のシーン。ほかFW系選手がドリブルで持ち込むシーンによく見られた。
 早く走れる選手はスペースを使って遠くへ蹴って一揆に加速しながらゴールをめざす。
 でもそれが単調ならば即ボールを奪われる。
 相手選手に接近することになるけれど、フェイントのために敢えて事前に避けず、近づいて、フェイントしながらしかもボールにもフェイント方向づけを与えて、長く蹴りだして、体の方のフェイントが効いて前の選手をかわし、ボールも安全に別のスペースを転がっていて、勢いの惰性を使えているので、止まって待つ相手選手は、動きのタイミングをつかみにくい状態のままだったりする。そこで簡単なフェイントと長めの蹴りだしで更にかわしで、残すはキーパーだけ、というシチュエーションすら生じさせられる。
 走りが早くて(女子代表では宮澤選手とか藤野選手とかが目立つ)ドリブルもこなすタイプの選手にとっては過去ビデオは貴重と察する。
 切羽詰った感からドリブル+疾走の場合、視野を狭めてしまうかもしれないが、ドリブルでの何人抜きかを面白がってこなせている状態(マラドーナ選手の場合は弟さんと過去のいきさつを持っていて、面白がれるエピソードをいつも記憶の引き出しから持ち出せる状態にしていた感じだ)から空きスペースを瞬時見渡せて選択できるようにしておくことも欠かせそうにない。
 【③について】
 前回の試合で得点している20番廣澤選手(2018年U-20世代)と17番佐々木選手に注目して見ていた。
 前半、廣澤選手はからだの使い方を巧みにしてボール保持を試みられている。ベレーザチームのボール奪取圧が本格化する前の状態を前提に、だけど、その動作をフォローできる数人(ベレーザチームがここらを100%こなすようになると隙なしチームと化す)が寄せてパスコースを示せるようにゲーム展開を組みたれられるようにすると、それなりにごちゃごちゃシーン抜きの見ごたえある得点場面を(仙台チームとして)持ち込めそうだ。
 ペレーザチームの若手選手お一人お一人が凄い足技とゲーム勘の持ち主たちと素人老人は察するのだけど、この日、久しぶりに途中出場した13番木村選手の動きが活発だった。
 今時のサッカーではたとえドリブルでも持ちすぎは禁物だ。
 この日の木村選手に持ちすぎてしまう状況を誘った程度にフォロー技を必要な場面に提供し損ねたことはそれとして、むしろフォローが加わって、パス連携を狭いスペースでこなし別のスペースへと誘って空間を作って、ゴール前の攻防へと誘う発想の共有の辺りを素人老人は感じさせてもらえた。ここらが若い選手に多くを任せているにもかかわらずそれなりに勝ち負けでも実績を残せている要因かもなど余計な事まで想像してしまう。
 大阪チームも若手主体なのだけど、詰めの連携に共有の形式の使い分けが支えとなっているのかどうか。もしもそこらをいつでも引き出しから持ち寄りあえるようなら、得点機会で相手チームにいつも圧を加えられる。余計な心配が錯綜して、シュートコースのための余地を生じさせやすくする。
 ということで、9番神谷選手、32番鈴木選手が時間の問題だけど、日テレベレーザチームのゲームのりに慣れて動きの同期に身を任せられるようになってくれれば、その突っ込み勘がより輝くようになりそうだ。
 AFCU-20出場直前ころの試合でいい突っ込みシーンを見せてくれていたヘアスタイル変身の土方選手が代表出場で凄い得点を成した代わりにか、本日の試合ではゴール前への突っ込み感(タイミングをつかむ巧みさ。ボール保持力はいうまでもないし)がイマイチだったように感じたのだけど、黒子役を買って出られる山本、藤野両選手(自らがシュート力を発揮できる両選手だけど)だけを取り上げても、こりゃ後期の試合が楽しみだと素人老人は勝手に思っていたりして、神谷、鈴木両選手にとっては2018年U-20世代が2022年U-20世代を参照して、自らの技量に修正を図れるいい機会にできそうだ。
(パス相手をいつも探すことが出来ていて、もちろん相手チームの選手の動きを合わせての画面になっているはずだが、場面が違って、相手チームがボールを回しあっているならできるだけ早くこちらの中でのボール回しになる工夫を即イメージできていないとダメなくらいの身も心も躍(おど)るようなゲーム展開がシュートをもって一区切るになる映画が試合中に幾シーン(長回しで)も演出され続ける)