連載は続く~SF掌編『やや猛暑』編




自国通貨の値打ちが他国のと相対的に上下すると、株価も下落したり上昇したりして、なんてことは、ある種の脈絡が前提になってのような話だ。土俵の作り次第では別の動きもありうる性質だ。
金と結びつかなくなって、という支え感についても、ちょっとだけ買い物している時の不具合を想像できれば、いかにもな話に近い。額が鮮明で、お釣りの類が簡単だったりなど、現金の使い勝手と簡単に比較できる。財布と相談の実感から少しだけ離れた買い物を身に着けたければそれなりのツールが今では簡単に使えるようになっている。そこらはしかし人それぞれと言えるくらいには志向次第の棲み分けを想像できる。
個々の場での支払い、ということでは、通過の問題は、意外かどうか、惰性の部分を濃くしてしまう。
広く通貨の問題、ということになると、信用を持続する難しさと同時に惰性の要素に依存もできる。必要なところに集まり、それが功を奏すことを期待されている。集まることをめぐってのしかし困難のところを経験としても思考においても難しい、と思えた瞬間から、かどうかはともかく銀行タイプの金融のなりわいは生じ、怪しげな大中小の金貸し業の類は整理される方向にある。だから通過の性質故ということだけではない趨勢を見ることができる。
個々の場では支払いに使う。だから稼ぐ。そんな感じ。そういう大前提の背景を想像させる現象をことばにしておける。
大情況の方からは、結構散財(さんざい)的に膨大量が経めぐりがちだ。支払い手段の占有に極端な格差を生じがちにするし、そこには社会工学パスカルの原理圧の源泉を見ないわけにはいかない。
探偵氏が事件性としてどう見ているのか。たとえば銀行のような信用を築き上げてきた歴史性を振りかえれるなら、預かる信用に支払うのか、余剰を預けてそれが運用されるのでその利益のなにがしを得られるはず、ということで支払い手段の行先に分岐を生じさせるのか、日々の現場に作用してしまう。そして結果的に集まった(税金の制度的な集まりとは別のもう一つの幹として)支払い手段は、それなりに働く。
事件と言うなら、どのくらいの量としてないし必用量を充たしつつ、無駄に拡散させないでいられるか。物価の上下動により、持ち分が極端に移ろうことも実質人々の心配の種になってしまう。そうはいっても集めて役立てたい志向が日々時々刻々相当な圧を錯綜させている。その時々刻々の結果の姿くらいなら日々人々も見ている。
時代相としてある種の信用が行きわたっている。意識し合っていないで済む程度の質で。
支払い手段という質に注目しておくことで、集めて、何かを勝手、役立てる、ということの大局での位置づけからする、必要と満たせる可能性の質のところに関心くらいは働かせられるけれど、ここらにも事件性は絡む。だから探偵氏だって、通貨のことを事件として調べ始めると、参考書に当たるべきか減少から推測すべきなど、思案に暮れることになる。



君:なるほど、・・・なんて言ってみたけどぉ・・・わからない、わ。
私:稼ぐってことのおおまかな理解は呑み込めても、ヒトは怠けものだから、っぽい掴みから入ってしまうか、そうではない他の強い要素を想定して関係を探るかとかで、採用手法が相当に違ってしまうように思える。事件は現場だろうけれど、その背後は膨大だ。
君:そういうこと、言うから、余計にわからなくなる、の、よ。
私:そうだ、ね。そうさ、だからお茶にしよう。
君:って、なに?それ・・・。いいけれど。木陰がどれほど大切か、なんか、こういう時期だけ、気づける感じ、する、わ、よ。
私:くっ、くっ、くっ・・。
君:そこ、苦笑するところ、じゃ、ない、でしょ。
私:かも・・、とにかく、外に涼みに行こう、ってことで・・。いかが?
君:ふふっ。