連載は続く~ SF掌編『前半の後半と後半以降をたっぷり見ての感想』編


 経験的には高度成長の頃、諸‟事変‟の類的なかく乱要因が混じりつつも年間で一般にとってもそれなりの金利由来の微小収入はあり得た時期、物価の方も相当に並行的に上がり続けた。
 経済規模は人口増の急激さに応じた変化を伴わせている。
 そこらはだからこれからも、長期趨勢のタイプとして、地表面各地で似たような原因と結果の姿として現れそうだ、と素人老人的には押さえたくさせる。

 エンゲル係数的な指標での済み続ける住居をどう確保できうるか、できているかと関わる収入との関係を気づかせる指標を想起してもらって、それとの対比から金利とか物価の少々の度合いなど勘案できるなら、今時の物価高だインフレだ日銀の操作だとか色々言われがちにしている内実に関する概念の整理も多少は必須と見て取れそうで、地表面規模では一方で金利を上げての営みがどの程度の水準に落ち着かせてのことなのか判然としないまま、また一方ではその趨勢の圧を被る形で、現状の低い水準を同じように上げた方がいいんじゃない・・?とかで誘われるニュース圧が流行りになっていて、流行だから素直にいっしょに高金利の世の中を楽しまなきゃぁとかなんとか、お気楽でいいはずもない、と老人的には印象を持つ。
 危険要素的異手法については修正を始めている。低金利の営みが悪いのか、高いとして、どれくらいがいいのか。
 物価高の原因に円安が明確じゃないか?!とニュース報道は賑(にぎ)やかだ。
 入りが少ないよりは多い方に越したことはないのだから、ということで、ドルと円の現状の差のありかたを双方が(ここらはいつでもそうしたいのだと思うけれど)利用できるところを利用するように工夫している。より得する側というあり方は、起こりがちなことだ。原油高は相当な収入増を生(しょう)じさせそうだ。
 売る方にとってはそれでも買いやすい程度の価格の範囲を想定出来ているはずだから、円安の現象を生じさせる他の現象の恩恵を被っていることを踏まえながらも儲かっている一方の出費増程度の現象にして、ニュースだけは‟景気良く‟煽ることを止めないでほしがってそうな感じだ(と素人老人は意地悪く想像してみる)。

 ヒトは生命をつい軽く見がちにする。軽く見るというより、事前に貴重さを意識させて整備、準備を怠らないでいる、ということを不得意とさせがち、で結果、軽く見てたんだろうな、となる。
 けれども実質のところで、無理やり短命に誘う類については自らのこととして想像しやすい世代も相当にそだってる感じが同じニュース報道からは伺える時代趨勢を見るようにさせている。
 だからUS発での専門組織的規模での大量出動は今でも可能かもしれないが、人口規模からする大規模の中からのランダムな採用には既に気持ち的に耐えがたい本音が見え隠れする世の中になってそうだ。
 無理やりが通りやすいどこかしこでも、伝統が生きていればいるほど、その本音のところは表向きの強気とは裏腹に、命の持続が可能にする日々の生活を繰り返していける幸せ感の保ちについてより敏感になってそうに思える。
 そういう時期であっても一方で激情を弄べる心理作戦系が煽って暴走事象を誘発させて、それなりに乱暴沙汰を演出出来て、そこへなんらか対抗で打って出るには蛮勇を震える専門部門以外の要員が求められるとして、それはより限られた土地柄とか、特殊事情から激情に誘導しやすいとかの条件をワザと使ってそうするとか相当に今時いわれえる‟無理筋‟な大儀とか強制力の巧み使用が使われがちのようでもある(と、世界ニュース見過ぎの今時の老人も老人の空想)。

 戦争嫌いは普通の頃だろうけれど、時に、激情にかられて・・・というごく短期の思い込みからの暴走は、巷の喧嘩沙汰同様に、少数の中でたまにおこりがちにする。そして、そこらが円満に穏やかに解決へと向かわせる世間の知恵がいかにいつものように育っているか試され続ける。けしかけるたとえだけどCIA的工作活動は列島の1950年代前後の時期の事象を振り返れるだけからもそれなりに真実性を帯(お)びさせる。
 各国、各土地柄においてそこらのしがらみ経由からのわかりにくい政治を引き受け続けてきているわけで、そこらの清算がUS衰退を待つほかないのか、US自身による情報公開趨勢なりで、改良の意味合いからのほころびを見せてくれるのかなど、多分、関心は寄せられてそうだ。

 安全に、公務系のそれなりに介入していて、その支えに乗って市場のメカニズムも巧みに応用するような人為性を発揮して、利便の地表面規模でのやりくりに情熱を注げていれば、人口規模それぞれで、減少することもあれば増えることもありでそれぞれに長短ありだし固定的でもないということを押さえて置ければ、戦争ごとでないのにダイナミックに熱を注げて、満足感もたっぷりだし、時にはがっかりが待っていて、その対照としての、うまくいった時の感激は数倍ともさせうる。そういったヒトが延々と成してきた事々に謙虚に向き合えるなら、素人的にはUSが蔓延させたのではと空想させがちなのだけど、薬依存での無理やり波つくりなどは不要となりそうと察する。

 そうはいっても列島では今のないしすぐ前までの首長諸氏への責任論が湧かないように数十年前の設計者たちの無策に責任を求める上下水道問題でニュースの一面側面が華やかになっている状態だ。
 年度での行政だから、毎年、生活と直結するインフラに関する点検を帳簿(工事とかメンテナンス費用とかの項目を見ることができると思えるので)も含めてこなしているならば、今になって大騒ぎすることなどありえなかった、くらいに巷的アンテナは反応してしてしまう。
 社会保険料系依存の論調に悪のりして、水道料金上げの大儀に使ってそうな辺りも気になる。
 こういったリアルについて、素直に、代々の首長諸氏が怠ってきた責任をふれて、どうしょもない事態に陥らないための費用負担を求める形を取る方が相応(ふさわ)しそうだ。 マスメディアのニュース内容編集部門までがそこらに加担していてどうしょもない、と老人の老人は思えてしまうが、そこらは今時の気質(入り組んだ、今時へと至る人事部門圧のなせるわざの一種と素人老人は見る。様々な部門にその弊害が生じやすい)としてとりあえず、置いて、下水道の現状は更に、古い順に壊れていくわけではないリアルも伝えている。メンテナンスとして年々順に修理・改良をほどこしてきたならば、古い順でおこるわけではない下水道の劣化の解消策もその定期的作業に拾われて、例外的事態への出費で済ませられていた可能性大と察する。
 点検してこなかった代々の首長の指揮命令系が動かなかったゆえに、今になって、大騒ぎして出費増を求める格好になっている。
 そのやり方も社会保険料負担方式へ誘導する発想でのもののようだ。
 だからそこらを主導している人脈のくせから、どういった根を持つのか多少は知りたくなる。

 超大国がおっかないだれかたちとして緊張関係を演出すること自体は、思いつきでの大事件捏造発想を持つ危険なだれかがその権限・権力を使って暴挙に出てしまう動機の辺りを制御はする。事のかすかな一端に感づかれただけで、瞬間的に撲滅される程度の性能の辺りを超大国の緊張関係は匂わせる実力がもろ出ているから。
 でもそこらも、端々を理念的温和の底流で統一し続けられることの不可抗力性が万が一でも想定できるヒトからみ事情相手ということから、危険要素込みでの超大国間の緊張演出策と見なさざるを得なくするように、素人考えでは想像してしまう。
 パーティ発想を演出に使って、仲間組と仲間外れ組を明確にして、ヒトの勘定を弄べるように仕向けれておくなら、端々ではそれらを本気にして、暴走するやつはどうしたって出てきてしまう。映画やドラマの劇的効果の効力を観客の反応に見れば即気づける。
 大方はそうでなくても、世の中のいつもの姿における様々な格差が有力層という形とかそのほかの理屈から暴走容認で動けば、ごく一時的であっても大変な混乱は生じてしまう。
 そこらを年月を経て、経験は物を言うで、ヒトは色々不可抗力的攪乱を避けながら、よりダイナミックに元気に活動し合える場を用意しようとしてきたのだから、パーティ発想の含みのところに気づいて、世の中せいぜいがお互い様でいくしかないのだから、と、公務系の仕切りのところを統制発想が一人歩きしないで済むこれまで培った知恵をシステムの形として活かして、安全・安定・張り合いとかが好循環を生んで生活習慣病すらが世界的な規模で激減してヒトそれぞれの天寿をまっとうできる世の中っぽく動いている様もえがけないこともなさそうな気がする。

 と安心してしまうのは早すぎるようで、AI育成のためにじつは下働きの膨大な人々が被る劣悪な雇用状態がひたひたと知れ渡ってきたというNHKBSのドキュメンタリー番組を見ることができた。
 データセットを準備することに膨大な人手が関わっていた。
 ならばとそこすらAIにこなさせるようになると、AIにおける自己内循環がもたらすデータセットに依存するヒトの世の中をヒト自らが誘い込む形となって、そのレジームはどの程度の年月持続可能なのか、新たな(捜査部門も含む)実務系専門分野が必要になってきた。
 ちなみに、デジタル部門のジャーナリスト氏だったかが、今時のAI系はPCに連想ゲームをさせて、その結果に関心しているPC愛好家たちのような描写をされている。

 

 やっと本題にたどりついた。

 昨夜から早朝にかけてU23年代AFCのサッカーをカタールから中継していた。
 ここは現代だからこそ可能になっているので、人口の膨大量はこういうことも可能にする一面と見なしてみたくなる。
 脇道が長くなってはいけない。早速本題へ。
 (素人であり相当に老人の)当方からみても、代表試合(でしか見ていないが)ではかなり評判を呼んでそうなことばをアナや解説者諸氏から当てられる細谷選手が、代々の代表FW同様のプレーしかできてないじゃん、とか受け止めたくさせるシーンが目立つ。
 が、今時の若い世代はとにかく(一応メンタル面を棚上げして)体的に業師たちだ。
 パスをこなそうと集中できた時にはワンタッチで数段をやってのけて攻めあがらせてしまう。ただ時間稼ぎと言うことではないタイプ。
 ということはトラップの繊細さは言うまでもなくパス精度も良好ということが結果から判明する。
 中には蹴鞠式発想で浮き上がったボールの落ち着かせ緊急要請を感じられないままヘディング返しを続けてしまう選手もちらほら見るけれど、多くが即(ボールを)落ち着かせて自ボールを確保しにかかるくらいの反応を見せてくれる。
 FWポジションの細谷選手も荒木選手も来るボールが自分の力を加えやすい位置関係になるタイミングを待って蹴る姿を目立ちがちにしている。
 FWポジションの選手はMF、DFポジションの選手と違って、蹴るタイミングは素早いとされている。たとえば女子サッカーで現状怪我休養中の浦和の安藤選手がベレーザの藤野選手は蹴るタイミングが早くてDFの邪魔するタイミングを取りずらいようなことを指摘されている。諸氏においては印象の濃いワールドカップでの右サイドからゴールライン沿いに攻めてその狭いスペースのままGKの背後に蹴りこんでの一点シーンを覚えておられると察するが、助走している段階かと判断したGKにとっては突然その瞬間に蹴られてしまうタイプだ。
 ここらはベントスの大島選手がMFだったりFWだったりで出場するのだけど、FWっぽく蹴るタイミングも持ち方は他の選手がタイミング合わせする時間をとても惜しむくらいに、素早く蹴りこむことが普通だったりする。見ればだれでもすぐに気づける。
 素人流にその動作を翻訳すると、普通は自分の都合(力を加えやすい位置とか)にボールのバウンドが成るを待って蹴るのに対し、FWタイプ発想では、まず蹴りたいときがそのタイミングで、ということからボールの状態に合わせて自らの体を瞬間技として調整して力の伝わりやすい状態を得て瞬間蹴る。
 突然性のからくりはそこらと(素人老人は)見る。
 細谷、荒木両選手は相当な若手ならではの要素とプラスFW的動作をこなす逸材と見なされているようだけど、ベレーザの藤野選手が自らのその(タイミングの早さ等)素質を自覚的でないから、放っておくと、ボールを待って蹴りやすい状態にしてシュートのシーンの方が目立って、どうしても強く蹴ってなんとか得点したいという方になりがちから悔しがりがちにしてそうなのだが、安藤選手がヒント発信してくれたことに意識的になって場面に応じて、自覚的に早いタイミングでの蹴りを使い分けできるようになれば実質いかにもFWっぽいゴールシーンを量産してくれるようになりそうだけど、同様、細谷、荒木選手にも同じことが言えて、蹴りやすい状態を待ってそのタイミングで蹴るのではなく、体をボールの瞬間の状態に合わせて蹴る方に発想を切り替えられれば、得点になるシュートの量が見違えるようなことになりそうだ。MFの山田選手は気質的にはFWっぽくない感じだけど蹴りタイミングの使いこなしはFWっぽいので、参照してもらいたい。

 U23だから、未だ若者たちだ。だからか、ボールを自ら買って出てもらいに行く風が若干弱い。そのちょっとした受け身感の効果は絶大で、トラップや状況判断にミスを誘いやすくしてしまう。
 自ら買って出る気持ちの方向性は、体が反応して周囲の状況を確実に押さえたくさせる。欲望としてそういう方向性を取らせる。
 またそれと連続的な要素として、必須のボールを相手チームに奪われない巧み感覚・動作を体が煩く求めてくる。
 だからトラップも見事に止めてみせるし、次の動作に応じた置き方を勝手に体が選んでいるし、次の動作のための向き相応しいボールへのタッチ感と置き所を得ている。
 周囲感知の直前版を記憶ボックスに、瞬間今の像との比較から出し手を察知できて、瞬間直前の判断通りに出すか、ちょっと修正で他へ出すかとかどういった出し方がいいかなども瞬間技で判断可能になっている。
 そこを受け身発想で動いていた場合は、瞬間遅れが積み重なりがちにして、どうしても微妙か、取り返しのつかないミスを犯しがちにさせてしまう。
 現代表チームのU23世代選手諸氏が、そこらをこの窮地、自分のよこしなさい!!なんとかしてやるから・・とだれもが思ってボールを待ち受けつつ動いてパスコースを開拓しているならば、そのパス連携は即得点に通じるような突破動作もそこかしこに誘発させやすくする。相手チームの陣形は保ちきれなくなるし、短いパスのおとりが、ミドル系のパスや浮き球系でのゴール前混戦の場を生んで更に得点機会をもたらす。
 上背とか体力で格差を意識させられる場面でも、そういった積極発想を基盤に、動く舞われる元気状態を保てれば、格差を逆に応用してしまうことはいくらでも可能。
 特にペナルティアリア内での攻防となれば、そこらのニュアンスは選手諸氏ほど熟知されてそうだ。わざと転ぶ必要はない。積極策での動きが嫌でもそうせざるをえない相手チームの弱点を呼び込ませる。

 FW選手の蹴るタイミング。
 各選手はボールを自ら買って出てもらって状況展開に関わって代表のゲームを楽しむ。

 

連載は続く~ SF掌編『爺さんの余計な一言(ひとこと)x2』編


 元本保証のない金融商品への"投資"の類について、テレビ画面ではお馴染みの金融商品通諸氏が趨勢を示すデータを紹介しながら、また司会進行諸氏による問いかけなどにこたるようにして、買い時の辺りをことばにされる。
 とりあえずそういう景色はお馴染みの事と察する。
 が、それら諸氏は、ごくたまに、本当にごくたまにだけど、たとえば、ということで、世界の手堅く儲けようと投資に巨額をつぎ込む有名人諸氏は、非常に長い時間を経た結果として投資した巨額に応じた儲けを得ようと試みている辺りを率直に指摘してくれている。
 もう少し具体的には、微々たる利ザヤを長期間の投資の結果として得る。
 投資額が半端ではないから、微々たる率であってもそれ相応、ということになる。
 そして必ずしも期待通りの運用の成果を得られるわけではない辺りもしっかり踏まえられての投資ということだ。損してしまう場合もありうる。ただそうならない安定的運用をしっかり計画的にこなしている。
 話から素人老人が察するに、個人が為しうるそこそこの巨額程度では時にやっと生活費の足しにできる程度しか得ることはできないような感じだ。
 生活費の一部すら投資に回さないといけない諸氏においては危険なお金のつぎ込み方となりうる。
 日々の株価変動に左右されない投資タイプを選び、しかも長期の結果として巨額の投資からすれば少々の利得、ということになる。でもそもそもの元手が巨額過ぎる額なので、少々が一般人からすればとてつもない額として返ってくる。
 一般にとっては、だから投資信託的な人為の超巨額安定的投資でしかも安定的運用の達人諸氏が担い手となっているどこかを探すようなことをしないと、似たことは起こりそうにない。
 そして巨富諸氏は、生活費以外の巨額を運用できている。使いたいものに使うお金以外の巨額、使いがわからない余剰のお金が巨額で、それを運用している。
 一般が生活費を削ってでも投資信託に委ねる形とは性質がまったく異なっているくらいは気づけそうだ。
 だからとりあえず生活費をざっと計算出来て、余剰についても計算できるどなたか諸氏ならば、額はたとえ小さいとしても、投資信託向けに資金的"余裕"はありそうなフリくらいはできる。でも時々貯金を削って高い買い物をしたりしてしまうタイプ諸氏にとっては相当にリスキーに違いない。


 上手な消費者、世の中の方が知恵をおしみなく提供し続けて、だまされにくい仕組みを育て続けて、賢いし嗜好に応じて旺盛に消費してくれる人々が元気にしていてくれれば、経済の基本式の一端については相当の堅牢な世の中運営を可能にしているなと、地表面各地のそこそこに稼いで、もうちょっとだけ豊かに生活してみたいなと仕事熱心な人々からは観察されてそうだ。
 つまり消費行動は世の中の経済の営みをとてつもなく引っ張ってくれる原動力だけど、(広くとらえてもらいたいが)仕事もしないで体をこわしてまで消費生活に埋没して消費が活発なため、豊かな経済統計数字が出ているだけの世の中運営の場合、その豊かさは長続きしそうにないだろうくらいの想像がしやすい辺り。
 ただ仕事現役世代というのも一種の特権で老体に鞭打って的仕事スタイルになってくるとそれを見るのはちょっと辛そうだ。そこらの質のバランスをちょっと距離を置いて眺められるくらいの気持ちを保ちつつ、現役を謳歌して、おいおい老後の消費生活に入ればいいとかで押さえてもらって、現役ならではのお金の使い方も可能だから、そこらにいかに稼げる仕組みとしての工夫がその時代時代の知見から注げるかも大事そうだ。
 しかも作る、流通させる、売る、買って消費するというようなサイクルを想起して、金余りがいたずらに作り出す消費の事態は、ヒトの世では度々生じる万が一のちょっとした不可抗力的変化に応じさせない仕組みを常態とさせそうだから、インフレ的膨らし粉手法が似つかわしくないことは鮮明としておけそうだし、無用に作り過ぎても、実害がゴミ処理の方で密かに肥大していくタイプは、後々効果として負の遺産を残し勝ちにするから、消費は大いに結構なのだけど、あり方への工夫のきめ細かさは不可欠のあたりは、経済通諸氏においては問題ないだろうとしても、煽られる人々の量次第では、不可抗力要素とさせかねない。
 介護世界でのお金のめぐりを開拓するちょっとしたヒントはそういうめぐりめぐる辺りへの遡及と言えそうだ。
 とにかく消費させて儲けよう、ではダメなわけだ。実をめぐれるようによーく考えて介護の世界での消費生活像を描けるようになれば、貧富混在を前提にしても、それなりに、お金がめぐることで貧の側へ少しだけ底上げのための余力を産めそうだ。
 基本、国とか財政系の支えが要るとして、それを支えに、更にの部分を活かすかどうかの辺りは、介護部門でいかにお金を使ってもらえるかだから、うっかりとかつい使ってしまって程度の使い道のお金も是非介護部門で使ってもらえるとそれなりに気持ちが充実しますよとか、元気がでますよとかに通じる損した感を醸さないタイプの商品を開発する考える努力とかがないと安易な販売では、介護部門での消費拡大はなかなか、といったところか。


 現代テクノロジー周辺ならではの詐欺の類を取り締まる方もかなり工夫されているようなので、素人も押さえどころの急所とはいかない素人っぽいなりの押さえどころの近場とかがほんのり気づいてもらえれば程度に、指摘してみたくなった。

 

   川柳もどき

    陽の沈む少し前くらいだったか
     ふと気づくと
      耳の辺りを蚊がうるさくしているので
       よーしとばかり、手のひらで耳の辺りをたたく、パシッ!
        いっ時、そのブーン音は止んだ?
     むっ、と暑い夕方、とおもいきや
      な、なんと17時で明るい、い
       やはや、4月も下旬で、まさに新緑の頃合い
        ここは、連休、木々がたっぷりのどこかをめぐるか
             ぼんやりしていたらいつのまにか
             ヒンヤリしてきた
         ということはなく、暑い
             先が思いやられる・・・・

 

連載は続く~ SF 掌編『数日置いての2試合の感想』編


 今回で一応終了らしいけれど、ライブ演奏をたっぷり浴びてから試合を見る。
 ナイターもそれなりに雰囲気を醸す。
 偉そうにダメ出しっぽい書きっぷりについてはど素人が物の弾みからつい書いてしまって・・・程度に受け止めていただけるとありがたい。

 中堅世代である神谷選手、鈴木選手それぞれの性格についてチームメンバーからネット上に紹介があり、それはかなり参考になる。
 で神谷選手タイプだと若手年代だが、ベレーザ系チームで長年活躍してきている樋渡選手タイプとの相性が良さそうに受け止めた。中堅の両選手ともに中堅世代ながら先ベレーザチームで活躍している北村選手のようにスペース次第、ワイルド系の憑依を得た状態に入れた場合だと相手チームの一人くらいは巧みにかわしてシュートに持って行く、といったタイプではない感じに今は受け止めたくさせ、けれども激しく動くパス連携にもちゃっかり乗ってよりは狙いを定めたゴールへ長距離を飛んでくるボールへの対応するタイミング取りが得意そうな神谷選手の場合、ユース年代のチームでも見せていたヨーロッパ巨体チームが巧みにこなすゴール前選手への精度良い浮き玉系ロングパスを反射的に出せるタイプの一面を持つ樋渡選手との相性を素人老人的には見てしまう。
 とにかく今時の試合状況との関係でその試合での選手が引き受けた役柄・位置次第でその選手達は相当に消耗するから、交代すること自体はごく当たり前の試合展開とみなせるようになっていると素人的には今風を受け止めていて、生な試合の積み重ねこそゲーム勘が必須のパス連携仕掛けをガツガツと使いこなすベレーザチームのようなタイプでは交替こそが、いつでも全選手を新鮮な状態にしておける条件になっているという観点も指摘できそうに思える。
 そこで、木下選手同様に元気に飛び回る飛行機たちを管制する役も引き受けるアイデアを持ってそうな岩崎選手が時に相手チーム間のやり取り中にこぼれ出ていただきのボールを自チームの選手との間で譲り合うような瞬間を持ってしまうのは即改良の余地有りと察した次第。譲り合う瞬間的場面が起こるくらい瞬間的余裕があるのだからそこは声掛けなりシグナル発信なりで譲り合い出現の前にどちらが取るかを決められないとまずい。でないと次の仕掛けや展開に瞬間の遅れをもたらしてまう。ワールドなきわどい試合ならあってはいけない事態と察せられる。
 どんどん声掛けしまくって逆に相手チーム選手諸氏が判断に困るくらいにしてもかまわないのではないか。
 そして高校サッカーチームの特異な監督氏の如く事前に勝つアイデアからの動作が要る。
 パスの受け取り手が一人では生々しい試合で頼りにならない。2人、できれば少なくとも3人は事前に見て、想起しておいてボールを得た瞬間から、その先のイメージでもって正確にしかも鋭く蹴りだす。相手がミスらないようにで、緩く出すなら、今時の女子サッカーでは簡単に相手チームに奪われてしまう。ないし、届きにくいあいまいなボールがころがることになる。
 自チーム内でボールも人(選手)も動く。だから相手はそれにどうしても追従せざるをえない。そこらはベレーザチーム選手諸氏にとってはごく当たり前になっていて、相手チーム選手の寄せを限界までこらえて、そこでパスを出すことで方向性において、スペース確保性においてもちょっとした余裕を生んで次への仕掛けへもっていけるようにしている。
 ということで、柏村選手がどこへだすかとキョロキョロして余裕の姿を時に見せる様は、そのベレーザプレースタイルにとっては、相手チームにとっての態勢準備の時間提供ともなりかねないのだから、これもまたまずいのではと、素人老人は強引に考えた。止まらず動き続けて、相手チームの予想を外し続ける試行が要る。
 視野の広い岩清水選手がある程度のスペースを得てボールさばきしてくれている時以外での村松選手のフォローも全開状態で、仕切りなおしのボール出しについてもその先を見込んでのパスだから、村松選手からすれば急(せ)かずの発信も込みとはいえ、観客の期待からすると安易に(もらった選手が)バックパスせずに体調良好な時のMF陣がこなすタテ方向への相手すれすれのパスとかヨコとかナナメへパスを動きながら重ねて相手の消耗すら誘って、ゴール周りへの仕掛けまでしっかりイメージ共有して動作し合ってくれると、中堅年代頼りになり過ぎずに、パスを動いてもらいに行くことがちっとも億劫そうではない若手選手たちが、一人二役、三役をこなすおとり作戦で、GKもどうなってんの???となるようなプレーを演出してくれそうだ。
 億劫がるどころか、しぶとさまで披露してくれていたのが若手も若手の松永選手だ。
 できることなら90分間可能なスタイルを開拓してもらいたいけれど、その勢いで状況を作り続けてくれるならば、相当なスペース変容への加担となりうる。疲れをスタッフが観察できて、若さからの回復も難しそうと判断されれば交替してもらう。だからその動作の特徴をできるところまで発揮してもらえる。ベレーザチーム系チームで活躍されてきているので当然、シュート系も得意のようだから、山本、藤野選手らへアイコンタクトとかシグナルを送って、飛び込んで一点!というシーンも十分にありうる。
 DFの池上選手は若手ながらこちらもしぶとくDFっぽさを相手チームの激しい攻撃モードへ対応させてみせる。が、試合によってそのモードにスイッチが入らないようなこともあるようなので、そこらは、これからも注目して見て感想など書き込みたい。
 サイドからドリブルして上がり、仕掛けるというシーンでも、いくつかパタンを使い分けてそうで、ここらももう少し試合を見てから感想など。
 素人老人的勘なので当てにはならないけれど、山本、藤野両選手が構えてくれている状態ということでなら、土方選手はゴール周辺での集中動作、直感技などに挑戦してもらいたい気がする。当然、アイコンタクトなりの瞬間超人技が要るけれど、今時の若手で2022U-20ワールドカップメンバーならそこらは普通にこなしてしまえそうだ(その後の年月も経ていることだし)。
 だから監督采配は大変だ。試合状況が消耗選手を生むので事前にはわかりにくい。そして必ず替えることで次の試合でも活躍できるし、代わって入った選手もゲームの生々しさを新鮮な状態にしておける。次でもその勘のたぐい、身心の反応系を生なましく作動し易くしておけるようにする。どうベストな組み合わせの複数をつかいこなせるか、贅沢だけどそれができないと若手主体のチームを活かしきれそうにない。
 たまたま山本、藤野両選手がサイドから仕掛ける場面を作れるような出場機会が可能な時には、先の土方選手にとっての選択肢のようなことが可能になる。
 しかもワイルドモードに憑依すればそれなりの積極的な仕掛け可能の北村選手やいつでも活発に仕掛けたく待機している柏村選手、池上選手たちを密かに叱咤激励している村松選手や岩清水選手が背後に控えて、そこから出たボールを巧みにコントロールするし観察眼鋭くボール奪取に走り回りもしてくれる木下選手や生の試合慣れを回復してこその岩崎選手がより積極的に場面に仕掛けアイデアを発揮するような(アイコンタクト、声掛け込み)パス出しが瞬間技になってくれば、動き出したがっている選手の複数性が相手チームに混乱を生じさせうるし、そのまま得点への通路ともなりうる。パス連携が藤野選手へ渡って、こりゃドリブル・シュートか、と俄(にわ)かに思わせつつ、パス連携の輪に入って、逆サイドへのミドルなパスが出て、そのスペースと使えた北村選手か松永選手か、身体耐性も身につけつつある土方選手自身によるゴール前持込シュートというシーンも十分ありだ。そう見(魅)せておいてMF、DF位置から上がって得点も、と意気込む若手選手たちがシュートということもいくらでも可能になるし、不意ともいえるけれど時々あるように村松選手がいつのまに?!と相手選手たちからは驚きのシュート、も起こりうる。活発で動き予測が難しいMF、DFにめぐまれたベレーザチームだからこそ、FWなりMFなりで出場している山本、藤野コンビならではの仕掛けもこれからの試合ではたっぷり見ることがでるかも、だ。どちらでも単独で持って行く仕掛けをより速やかに動作させられる、から、相手チームの意外を突けもする。なんとこの二人がワールドカップを彷彿とさせるかのようにワンタッチでのパス交換でゴール前いボールを運び、しかもどちらかともなく相手の隙狙いでシュート、しかも野球でもそうだけど取りたい方が無理やりでも望んでしまうライナー性シュート以外を巧みに操って。山本選手のゴールも藤野選手のゴールも地べたを這うタイプだった。どちらかというと素人の老人が観客としてみることが出来ている試合では藤野選手の場合、ライナー性を多用している感じだったけれど、点を取ったのは走るゴロのボールだった。山本選手のは見事に地を這うタイプでしかも回り込む回転の効いているボール。相手選手の又抜きを経て、ゴールの左側ギリギリをすり抜けた。
 忘れてない?で若手、中堅選手の方に相手チームの注意が行き過ぎている時、岩清水選手がテレビCMのようにひょこひょことゴール前を横切ったかと思えば、GKもうっかりで1点、ということが不思議にはならない。
 攻撃モード全開となると、ベレーザチームのGKのお二人(田中選手、野田選手)のどちらかにとっても大忙しは避けられない。ライナー性のボールを受け止める快感、そしてそれが見せ場にもなってハイライトシーンでは必ず採用されがちという辺りにも関心を持ってもらって取れない位置へのシュート以外は全て取るか弾くかできる。ゴロは難しいけれど、そこはプロのいつものトレーニングが活きてくる。浮き玉系コース狙いのシュートは落下地点判断慣れ、熟練しておけば意外にギリギリ技で弾けるものだ。気持ちが入って動きがこわばって、でギリギリでの悔しさだけ残すプレーにしがちかもしれないが、神戸チームのGK山下選手が見(魅)せたプレーのようにイメージトレーニング慣れしておいて、いざという時の集中とこわばるよりは動作してしまう身体、身心系にしておける。
 交替で出てくれたり、出てこなかったりの選手が何人もいらっしゃるけれど、どの選手もベレーザチームっぽく技や動きを発揮してくれるので、見ていて楽しくなる。
 相手チームの相模原チームについては、まず汎用性として、ベレーザチームが時に見せる弱点追いをするよりは、自チームとしての得意なスタイル、形をモードスイッチが入った時の共有イメージにできることがなにより大事と素人老人なので安易に提案できる。
 FW系は活発にゴール前へ押し寄せる動きをこなす。だからパス連携を少なくとも3つまでは確実にできる瞬間は持つ工夫を開拓できことが必須だ。
 ロング、ミドルの浮き球パスの精度良いのを蹴れる選手を2人くらいはいつでも出場のチームに居てもらう。すると、得点可能性圧が、どんなに強いチームにも響いて、仕掛けの交換場面が何度も生じて(特に観客にとっては)相当に面白い試合になる。(選手諸氏は相当に消耗するかも)

 

 さてつい先日、大宮ベントスチームと千葉レディースチームの試合を見てきた。
 千葉チームもFWの活発さを活かしきれていない感じだ。
 パス連携も精度やパススピードの使い分けの阿車の紙具合次第で、速攻がもっと得点できそうの直前圧まで可能にしそうだ。
 DF有吉選手の弾き返しがあったようにベントスチームの守備がモードスイッチオンになるとちょっとやそっとでは点を取れなくなる。
 それが持続し続けるか消耗の方が表に出てきやすくなるかで、相手チームの攻撃モードスイッチのオン、オフの切替えに工夫が要りそうだ。
 そうはいっても大活躍で守備を固めてくれていたのが乗松選手。大げさにならないくらい孤軍奮闘。一時はパスを出しつつ相手チームのゴール方向へ上がる動作も見せた。
 その際、その積極果敢な仕掛けを読み損ねたか、自チームのボールはバックパスを選んでいた。実に見せ場を失わせた感じで、堅実さと魅せ場作りの相反の辺り、実に難しそうだ。
 そうは言っても元気なベテランDF有吉、乗松両選手は動き回っている。
 有吉選手と若手大島選手(この日、微妙なフェイントを使って相手を交わすとか、相手ボールを積極的に奪いにいくとか出場中は相当な動きを披露している)とが相手ゴールの方へ走りこみ、ひょっとしての二人が絡む仕掛けが始まるかと思わせてくれたが、ボールがそちらへ向かうことはなかった。ここでも堅実な方を選択していたようだ。
 エンジンがかかってきたか観客席からは遠い側に位置していた若手杉澤選手も相手ボールと積極的に絡むようになりまたフェイントを使いこなしてボールを運ぶなど、仕掛けのための一歩の動作を披露してくれている。
 ベントスチームもその先の連携へとつながりにくい感じだ。
 必要な時の早いパス出しと速く走るパスボールによって相手の接近をかわして自ボールを持続させられる。そこらをしっかり正確にトラップしたり受け止めて相手にとられない動作をいつでもこなせると観客は瞬間瞬間どうしたって湧く。
 生々しい状況でもトラップ精度がよければ即次のプレーへと展開できるので、そこらを練習とか試合前のウォーミングアップ時の精度を保たせて生な状況でもいくらでも発揮できるメンタルの辺りは、ほんのちょっとした心がけとかイメージの持ち方で改良できてしまうのがヒト性だから、素人が心配することもないけれど、とにかく仕掛けて得点へ持って行ける連続プレーのためにこそのトラップを普段とおりに披露してもらえれば自ずから点につながりそうだ。
 ただ今時のサッカーを身につけてプロのトップチームに入ってくる若手は自身は圧に耐性を持つ前の身心状態だとしても、攻めモードでは今時の圧で対峙してくるので、若手、中堅世代が多くいる各チームとの試合では、そこらへの耐性もイメージしてもらえることが大事そうだ。でないと自ボール保持時間を少なくさせかねない。しかも得点力のあるチーム相手となれば、一方的な試合運びにもなりうるから、それでは観客はどちらのファンとかではなく満足させるのが難しくなる。
 ベントスチームのもうお一人のGK今村選手の活躍は、乗松選手の堅牢さや有吉選手のファインプレーがあったとしても、すばらしいものだった。
 名は上げないけれど、スイッチが入るまでは・・・だったけれど、スイッチが入った各選手が相手ボールへ果敢に圧を加えるようになり、ボールを得て、消極的なバックパスに走らず、相手を引き寄せつつパス出ししてスペースつくりに加担するとか仕掛けイメージをそれなりににおわすプレーがそこかしこで披露されるようになって観客としては試合展開をより楽しめるようにしてもらえた。
 積極的に攻撃モードを使いこなせる選手諸氏はそれだけで楽しませてもらえる。
 けれども、トラップとかパスの緩急使い分けをちょっとでも油断すれば今時のサッカーでは自ボール維持を困難にしてしまう。どちらかのチームだけを応援しているなら余計、そうでない観客にとってもゲーム展開としては物足りなくなるのだから、生々しい試合舞台でも稽古場の精度を発揮してもらえるなら、それは観客的に歓迎となる。

 

連載は続く~ SF 掌編『観念上のなにがしを緩く共有しあうことは南米でさえ試行してきている』編


 実際的可能性からしてそこらで満足しておかないと・・・そんなニュアンスから民主主義をめぐる試行錯誤(理念的探索なり実践的試行なり)を"眺(なが)める"ようにしないと、ただちょっとした安定が必須の人々にとっての日々の生は翻弄されがちにしてしまう。
 実際的可能性とことばにできるだけでもそこにはヒト個々がそれなりの実感を込めて様々にイメージとことばを与えることができてしまう。
 実際上の試行錯誤そのものが多様に拡散させがちにする。
 真綿締め系が好いか、露骨な独裁系が好いか。
 どちらにしても、悪(わる)の方で統制を効かされるならより多くの人々ないしどうしてこれを言うしかないと固持するだれかたちにとっては時間的猶予を少なめに不都合な方へと誘われ易くする。
 伝説的なことばの方で解釈できる場合、どちらでも受け入れやすそうだ。
 ここらをとりあえず押さえておきたい。意外と、指導層次第の辺り。
 真綿方式の方がワルの登場へ制御を加え易いかどうかという論点を、真綿方式主催者系は持ち出そうとしてきていない。むしろ自らの試行の含みの代わりに、独裁系の暴走しやすさとして蔭・影に隠しがちにする。
 真綿方式はたとえばマスメディアをとりあえず発達させて、それなりに機能させえている各土地柄でのそれも一つの要素として多くの要素の協働作業がなんとかそれっぽく社会的像へとまとめようと試行錯誤されている。
 ここらをかつてなら、指摘できることすらが危うかったかもしれないなと素人老人は空想してしまう。
 今ならば、真綿方式も独裁方式もどちらも担い手次第だし、民主主義の芯の辺りを伝統的な方から接近するにしろ変化を求める方から接近するにしろ意識に載せることにおいて共有のなんらかを持ち合えている限りで、無茶に走らないで済ませそうにも思える。
 まとめることの難しさに苦心しつつで指導層が工夫し合えている限りで、対話なりがいつも成り立っていそうだ。
 個々の成長を待てないようでは将来の無いことを指導層もこれからの指導層も承知できている。
 成長しただれかたちが、めぐる今と密接な個々の現場を支えることで将来へと連続性を保たせることを指導層もこれからの指導層も承知できている。
 そしてだれよりも巷のだれかたちこそそこらをことばとしては煎じ詰めているわけではないとしても実感できている。
 とはいえヒトなりの観念系が膨れ上がり続ける限りということで、思惑の渦が様々な軋みを日々に投げかけてしまう。
 一年とかで区切ってご破算に願いましては・・・で実際的な営みを信仰の数々に埋め込んできた(観念を操りがちにする)知恵が逆に、時代の流れとともに、宗教の別物へと分岐させて、その観念を共有しようとし始めてかえって対立の源泉にさせかねないようなことも起こったりする。
 実際的知恵の面、要素よりも、それぞれの余って立つ違いの方で区分したがらせて、際立つための観点への置き方が実際的知恵応用から遠ざかるようにさせて、他がやたらと気になりだすような工夫に走らせるのも多分ヒトの観念系のいたずらだ。
 差異系の本体を自覚して、それの暴走方向を選ばないで居られる工夫もそれなり役立ちそうだ。
 かつてを想起できれば、それは確実性への訴えに応えてくれるはずだった。じゃないと生活持続を困難にしかねなかった。
 実際的であることはその論が伝えうるなにがしを実際的時間において一応だれもが持ち合えるところまでことばが練られていないとまずい。
 簡単なことばでだませてしまうことも、だからことばの練りこみとしては中途半端とハッキリ言えそうだ。
 こねくり回したことばのまとまりを念入りに速読して理解して、そんなことをいつもこなせるだれかたちに依存せざるをえない世の中は異常だ。
 そこらを実際的ヒトの観点から共有し合えるならば、もう少しヒトの世の中の営み方への変化のもたらし方にちょっとしたヒントになってくれないか。
 裏方が個別専門家して、関心のあるだれかたちがいづでもアクセスはできる。でも、とにかくその地味な作業をこなして参照可能な状態に更新し続ける作業を担ってくれるだれかたちも貴重だ。
 個々の事情は様々での日々、とりわけ"現役世代"は多忙なはずだ。
 だから個々の参照可能な資料の数々が日々更新されたとしても、だれもにとっての共有しうる資料とはしづらい。
 各ことばを練ってだれもにとって検討するとか更新への具申が可能とかで接近可能ななにがしとして共有して、暫定的押さえ方でもっての共有も暫定の状態で可能になっている動的巷をちょっとだけ空想できると、それなりに民主主義の試行錯誤の状態として、真綿方式だろうが、独裁方式だろうが、無理を少なめにして、無茶へと誘う相当手前のところで世の中の営みが、個々の地味な作業の集積としてなんとか日々の連続性を保たせているリアルを踏まえた秩序観のようななにかしらを各世代でもって共有できてそうにも思える。

 出羽弘明氏による『新羅の神々と古代日本』('04 同成社 "古代日本"を日本国名の無かった時期と指摘されている・・P8)にざっと目を通すだけでも、氏が人生の後半期にめぐりきれないほど列島各地に新羅系とみられる神社の数々を認められるのが現状のようだ。
 素人老人観点からすると、それらを日本国の政府が成り立って以後の統一利害からまとめてしまった結果を見ての事態か、そういう作業以前お残存なのかが、わかりにくそうなことを指摘したくさせる。
 各地への統一作業が熱心に長期間にわたって行われていたはずだから、そこらは余ほど注意して検証しないと、込み入った事態を単調に判断させかねない。
 ただ、半島事情への思い込みからと素人老人に寄せて指摘してしまうと、列島においては新羅系だろうが高句麗系だろうが百済系だろうが、しっかり混在できていて、共存させてきている。巷次元で棲み分けの細部を可能にしてきている。現代に素人老人にとっては当たり前の姿として今の時点で各名称の由来を指摘されて、より当たり前の中の多様を受け止めることになる。
 そうはいっても、表向きの専門家諸氏の学問成果の範囲では列島史としての試行錯誤には大変な混乱を勢力争いとか趨勢を掴めるかどうか不確かな形での提示のままのようにも素人的には受け止めるように誘われている感じで、底をひたひたと流れてきたなんらかを探し出せないことは無い辺りへの言及もそろそろ欲しいところだなとか身勝手な素人老人の空想は継続中。


 各地におけるヒト系諸氏の営みこそが貴重なのだけど、グローバル商売の単調さを求めてしまう趨勢も巨額が動くゆえ波として絶えることの無い世の中の半面を指摘しておいてもそう不思議がられないと察する素人老人だ。
 各地の民族音楽の達人をグローバル商売系の支払い手段たっぷり部門が誘って音楽現象の一面に加担させるような時、今時の趨勢では、リズム単調、テンポ高速演奏を自慢したがる方へと誘いがちにしてそうに素人老人からは見えてしまう。
 江戸のお囃子系が転がすような跳ねたり転がったり緩急の巧みを軽い(太鼓や笛の)音曲として提示してしまう辺りが、リズム単調、テンポ高速版に誘われて具体を想像できるなら、今時の現象の一側面のリアルにちょっとだけ気づかせてくれそうだ。
 当方はだけど、伝統は伝統で担い手諸氏の貴重さを踏まえつつ、そのリズムとかテンポとかのヒトにもたらす要素を現代的に解釈できて(だからどの要素に注目できるか次第)なんらか音楽への応用ができるといいな、という発想の方で、事態を押さえてしまうタイプだ。

 


   川柳もどき

    西ノ島での出来事を追う研究者諸氏の発信をテレビで見ることができる
    そこの場合、鳥がもたらす。飛んできてついでに・・・のタイプ。
     だけどうまく生き残れる場合もあれば火山噴火自体が絶滅をもたらしもする。
    そしてまた鳥が飛んできて・・
    どうやら風が吹いているからやたら軽いのがそれに乗って飛んできたりもするらしい
     そんなわけで、飛ぶことが大昔から起源のなにかしらを担ってもきたようだ
    恐竜は飛んでいたか・・
     鳥が恐竜の末裔なのだから、当然・・・・
    ヒトは・・・どうなの?!


 早めに次回、女子サッカー試合見てきた記を書き込みたい。

連載は続く~ SF掌編『2試合みた素人老人の短い感想』編


 4月の7日と10日早朝、ネット経由での生中継をしてくれた Shebelievecup 女子サッカー試合を見てしまった。
 ごく近い将来を見通しながら世界の指折り各チーム女子サッカー関係者はご覧になっていたはずなので、日本代表チーム=なでしこチームがその実態のままを見せることを避けて示せたとしても、実力のほどは素人老人観察の範囲でも伝わってしまった可能性ありと見た。2試合目のブラジル代表チームもそうだったけれど、ごく主要な選手に限らない出場したらそうなるタイプできつい圧がかかってきそうなことを予想させる。
 ただブラジルチームとの試合での審判氏は危険プレーについては厳格に反則を取っていたから、その水準で審判してくれる試合でなら、怪我系の乱暴プレーについてはかなり事前から抑制を効かせられそうだ。なでしこチームにおいても、ちょっとかっかきてとか、集中の方向を間違えて反射的につい・・のタイプのプレーは簡単に反則を食うことになりそうだ。
 審判諸氏による制御を踏まえたうえでも、上手な選手は乱暴ではないタイプからの圧の行使を巧みに使い分けてくるから、それなりに見ごたえのある試合は期待できる。
 そこをまずはかわして、ゲーム的仕掛けの応酬まで展開できる個々の力量と連携とが機能してくれるようだと、普通にサッカーとして面白いゲーム展開を堪能させてもらえる。
 とはいえ、潜在する力量がそうだとしても、明らかに一敗と引き分けの試合しかできていない。
 本当に力量は確かなの?と当方同様の素人諸氏は問いかけてくる。
 でも素人でも老人だとなんとなく気づけたりしてくる。
 個々の力量と言うことでは、なでしこチームは際立っていた。
 ブラジルチームにもそれは言えそうだ。
 ところが連携となると、ブラジルチームほどではないけれど、ボールがまったくつながらない。ブラジルチームが先かなでしこチームが先かはわからないけれど、それが可能になった方がパリ五輪での試合では抜群の結果を残せそうだ。もちろんスペインチームの仕上がり具合も気になるところだ。
 ということで、素人老人なりに気づいて指摘できそうな辺りを2,3ふれておきたい。
 まずつながらなさについて。
 AFCでの若者系チームの時にあれほど積極的だったDF古賀選手が不必要なくらいバックパスを多用して場面の改善には使えていなかった。代表チームでもベテランチームに属するとそういう消極策、逃避癖が癖になりやすくなるのか?そこらは問いとして投げてみたい気がする。
 古賀選手がそうだから、不要なバックパスを多くの中堅ベテラン選手が使いこなしてしまう。そしてそれは状況を改善するためのものにはなっていない、からこそ連携は途絶える。
 たとえ短いパスでも状況判断から素早いのを出す必要があるにもかかわらず、確実さを思ってかちょっとだけゆるめにだして相手チームに取られてしまうケースも頻繁に見ることができた。長短の素早い、鋭いパスを出しあえて、トラップ完璧ができるなら、それ自体がファンを密(ひそ)かにわかすことができる。多分、USでも女子サッカーを見慣れていると見え、ちょっとしたボール扱い上のフェイントとか連携のいいプレーにはわいている(音声からわかる)。
 その2回程度の連続でも場面は展開可能。3回目の時には状況によればスペースすら新たに開拓出来ている可能性すら想像できる。
 早く鋭く出すパスは今時の(相手チーム選手からの)圧の素早い行使への対応としても有効だ。しかもそれを適格にトラップしてすぐに次のプレーにつなげられる(持ち前の)力量を生な試合の進行形として表現できる気持ちの準備も要る。圧に慌てているようではいいプレーでファンをわかせることはなかなかできそうにない。
 いつでもパスを出せる誰かたちを見通して置けるくせが必須。ここらはBSテレ東のサッカー応援番組の最近ので世界各地をバックパッカーとして歩いた経験ももつ高校サッカーの監督氏がずばり指摘されていた。自分にボールが届く前に勝っとけよ!!と強烈だ。 クライフ氏健在のオランダチームは多分クライフ氏依存が濃いチームだ。今のなでしこはとびぬけてだれもが上手(うま)い。と言ってそれぞれに得手不得手も持っていてボールキープはどうも・・・という諸選手は多めに目立つ。ここらも短期に工夫して、ほんの少しだけ余分にキープしてその時間に助けを呼べるとか、自ら事態を変化させてしまうとかできるようにするだけでも、個々の力量を発揮する場を生じさせることができるようになる。
 状況を改善できないパックパス系の切羽詰まってとか余裕たっぷりなのに、で出すパスが追い込まれ状況を生じさせて、連携による攻撃モードをなかなか誘えなかったのが代表チームの最近の状態と素人老人には見受けられる。そこに先の遠慮がちのパス出しが重なるから、力量発揮の連携パタンを応用できる場面そのものがなかなか出てこない、ということになってしまう。

 ゴール前のプレーについてもふれておきたい。
 期待の宮澤選手が試合慣れしていない状態のようだ。反応がいまいち。
 実践的な練習のなかでゲーム反応勘を短期に回復以上にもっていくようなことが大切な感じだ。自力の状態であれば、なんなく軽くフェイント一本でゴールを決めていたと素人老人は憶測する。
 そこへパスを出していた藤野選手も、代表チームとなるとゴール前のプレーでは快調な時もあれば、消極的にもなると波が目立つ。
 大半のプレーを見る限りではベレーザチームの連携とも関わって相当に鍛えられた状態を保っておられて、かなりの切れのいいプレーをこなされている。
 だったらその現状の体力の可能性にかけてゴールまでも挑戦的な試行錯誤に打って出てもらいたくなる。二試合目でのゴール前の駆け込みの時でも、蹴りこむのも一つだろうけれど、身体能力の今に期待して、トラップで瞬間ストップのちの方向転換でキーパーを外しての楽々ゴール、程度のことは、女子身体どうしだからこそ魅せる場にできたかも、など素人老人的には妄想してみた。男子サッカーだと数mダッシュとかをまじえたフェイント技や強引なキックとかの演出が要るかもしれないが、女子ならば、筋肉特性から、その場での機敏な動作による変化、フェイントの類での対処でFWとGKの対峙の場面が生まれそうだ。その後のシュートも強弱、緩急色々、多彩な手法が可能と見る。
 ゴール前シュートモードを瞬間選択したなら、シュートコースの空き具合を瞬間察知するか事前のイメージから、そのままシュートの選択肢、フェイント応用からのシュート選択肢程度の2,3の選択くらいは瞬間イメージの中で、反射的な動作を重ねる気持ち的余裕と機敏さをくせにしておいてもらいたい気もする。
 中堅、ベテランFW陣はそこらの余裕を今から育てるわけにはいかないのだから、周りのFW,MF陣が状況を作って誘って、そこへパスを出すくらいの芸当が必須だ。そうして出されたパスへの(キーパー正面ねらいとは異なる)精度の良いシュートはお手の物なのが、現状の中堅、ベテランFW諸選手だと素人老人は見ている。
 状況を改善しないパックパスを受け取るDF陣は大変だったと(素人老人的には)思うけれどそれにもかかわらず、1試合目よりははるかにミスが目立っていない。
 中堅・ベテラン選手諸氏のくせとしてゲーム展開上解決してもらいたいタイプの問題としてはパス出しに困っている選手が要るにもかかわらず率先してパスコースを示すための速攻の動きをしてくれないことだったりする。
 たとえば、相手チームの選手を引き寄せて(だから状況に変化を持ち込む試行になる)からパスを出そうとしているDF石川選手の様子をしばしば見ることができるけれど、それにいつでも応じられるだれかたちがいてくれないと困るわけだ。気ままで、できる時もあればできない時もある、という状況はありえない(と素人老人観察的には)と言ってしまいたい。慌ててパス出ししてしまう中堅、ベテランDF諸選手は今時の早めに圧を加えてくる相手チームの連係プレーに、切羽詰まった慌てたパス出しでしか応じきれないくらいに追い込まれがちだ。
 でも迫ってくるなら、それこそチャンスにしてしまうのが、今時の若手サッカーを習得した選手諸氏だったりもする。
 相手のスピードを勘違いして、持ちすぎて、ゴールまでで致命的にボールを奪われるということも、中には見せられたりするけれど、そこらは場数を踏んで、より大胆にチャレンジして応用技にしてもらえる。
 いつでも動き出し可能なウォーミングアップ状態を90分間保てるくせを、中堅、ベテラン諸選手に期待したい。

 GKは次世代をしっかり育てることができているのかどうか。
 ベテランが素晴らしすぎて、試合出場機会を得られないまま次世代交替の時期を迎えることも実際的には可能なのだろうけど、なにかしら工夫があるといい気もするのが老人の愚痴だ。

 速いボールのやりとりに慣れている状態。
 ほんのちょっとボールキープの力量を養っておく。
 パスコースを動いて示すことがくせになっている。
 ゴール前ではフェイント使いほか2つ3つ程度の選択肢を瞬間技にしておく。
 多分だけど、武術に不慣れなクライフ選手は西ドイツチームの選手からのしつこい寄せをまったくかわせないままになっている。武術は相手の体重移動の動作を精確に見極めて瞬時の(相互の関係性において)動作で応(こた)えさせる。ここらを身につけて過剰なまとわりつきへは、瞬間引くことの反応系を圧してくる相手に気づかせるという手もある。やりすぎるとかタイミング間違えると自らの力でこけるかも・・の辺り。
 海外出張組の若手選手はWEリーグで圧への体力・技を磨いた若手と違って、そこらは無頓着のままな感じがしたが、実際どうなのか。そうだとしたら、早めに対応可能なのかどうか。WEリーグの試合での中堅・ベテラン選手諸氏によるゲームでの圧の激しさは若手選手諸氏を相当に鍛えてくれているようだ。後は怪我にならないように審判諸氏のコントロール次第のような気もする。

 中堅・ベテラン諸氏とは言っても40代の諸氏はごく少なくせいぜい30代の諸氏なのだから、ということでもう一つ余計なことを指摘してしまう。
 30代ならば、未だ未だ改良可能、と素人老人は見る。
 現若手選手諸氏のパス連携はシュート機会のところまでかの若手ワールドカップ世界一のスペイン若手チーム相手に、ボールを運んでしまう世界一クラスのことをやってのける力量を世界に発信済であることをまたもやことばにしておきたい。
 そこで自足とか自慢話にしてしまうと話はおしまいになってしまうけれど、現にWEリーグで現役の選手たちとして活躍中なのだからたのもしい。
 その魅せる女子サッカーを更に磨きをかけてくれている最中なわけで、サッカーのそういった連係プレーについつい惹きこまれがちな素人老人としては、色々な場面で、できればワールドカップとかの舞台でもその先を見てみたいと勝手に期待してしまう。
 その若手の連係プレーに中堅、ベテラン層が関われないはずはない、と素人老人が言えてしまうのは、実は、口外できないことになっているので、具体的にはことばにできないけれども練習を通じて観察できた範囲では、やはりプロということで、個々のボール扱いの力量は凄いとハッキリことばにできる。
 なのに、試合ではどうして・・・、となるのだけど、先のように、体が覚えこんだ常識の辺りが若手選手諸氏は練習から動いてパスコースを作ることに慣れているのに対して、多分、中堅、ベテランの選手諸氏はそういったくせまでは身につくタイプの練習をしてこなかった可能性大と推測する。
 だったら、そのくせを短期に身につけるだけですむじゃないか、と思えるわけだ。
 大体、ヒトというのは同じことを繰り返すのが苦手だ。それをこなして職人になるのは達人諸氏ということになる。達人クラスでなくても職人の年月が常人超えの技量を身につけさせてしまう。マニュアルで少しだけ真似事はできるようにするけれど、精度の持続性を保たせるには元の話に戻らせることになるわけだ。
 普段の練習がだんだん同じパタンになってきてついおざなりの繰り返しを中堅、ベテラン諸氏ならでは、ということで自ら油断してこなしてしまう。するとそれが実際のゲームの中でもうっかり失敗の方で出て・・ということも起こってしまう。
 老人的観点からだと、ヒトのそのくせへは、いつも同じパタンの繰り返しのように受け取れる場面がきたなら、そこに自由裁量の部分に対して、自らの発案でチャレンジの要素、何かしら試してみる要素を持ち込んで、いつでも新鮮なチャレンジの要素込みの練習パタンにしてしまうことでいくらでも飽きないトレーニングにできる。するといつでも同じパタンのプレーに精度を保てるようにする。うっかり油断の凡プレーの持ち込みを避けさせてくれる。トラップだって無限のパタンを試せるというのが素人老人の想像だったりする。そこら。

 

連載は続く~ SF掌編『東よりのユーラシア域に関心があるならなによりもフィリピン海プレートの動き調査に加担してくれないと』編


 薄利ででも事業を継続できる自信はあるけれど、やりくりは一人一人の才能でなんとかなるものではない、というリアルと経営に乗り出す誰もが遭遇するかあらかじめやりくりのための下地つくりを経ていたりするものだ。
 つまり大幅に端折ってしまうが、ぼろ儲けのための詐欺まがいかもろ詐欺の手法に蛮勇を振るうタイプ諸氏でない膨大な諸氏においては、たとえば金融部門の活躍を期待されるものと素人老人的には察する。
 個々では薄利ゆえになかなか(投資とか事業拡大用に)貯(た)まらない、ないし貯まりにくい。
 そこで事業に惚れてか、将来を期待してかでの資金・財の投資部門が活発に動いているか、事業の将来性をしっかり吟味するタイプからの接近で、オーケーなら利子をつけて貸す。借りる方は、利子をつけて追々なり時限を設けて返す。
 そういう貯めて置くことにも工夫の才を使いまわせるし、それを元手に貸して稼ぐ法でも才能を発揮できるだれかたちが、ここでも暴利に向かうよりは世の中の余剰を回収して運用できる力量を試すことになる。
 ここらの大雑把な連なりがそれなりに動き回ってくれるだけでもそれなりに事業の生々しさを想定しながら、持続的な活動態として機能させ続けられそうだ。


 ファン投票かでかつての心象に残った試合の映像を鮮明画像に改良してアーカイブに収める一方で定期的に公開もすることになったNHK版サッカー名試合集の第1回が放送され、奥寺氏、澤氏、東京芸大現学長氏が川平氏の名調子に乗って、(各氏)生な受け止めことばを開陳されていた。
 中で、澤氏は大変にオランダチーム、西ドイツチームの試合を面白がっていたけれど、忙しい試合ともおっしゃっている。現役感覚を踏まえた忙しい試合進行というニュアンスからと受け止めたけれど、見ていての要素も込みのようだった。
 実際、以前、快調な時のNHKアナ氏のテンポよいデータ提供が大先輩氏とこの日は一方のベテランということで解説されていた藤田氏との三人がその解説版も時代的な資料にできそうな内容を提供していたのだが、その時の第一印象から本日の二回目の視聴において、素人老人的には、試合中継解説の方ではなく、座談チームの方でお話しされていた学長氏が、この日のトータルサッカーを封じられていたオランダチームの試合ではその醍醐味が伝わらないから、是非、オランダチームが快調にその試合を疲労していたゲームをこそこの番組で放送してもらいたいものですね、とか指摘されていたことを、素人老人の意見としても是非、NHKアーカイブ担当諸氏に伝わってくれるとありがたいな、とか思えた次第。
 実際に、澤氏が指摘のごとく、パス連携の醍醐味よりは、忙(せわ)しなくボールを取ったり取られたりで激しく反則ギリギリのプレーの応酬場面の方が目立つ試合になっていたのだった。
 勝ち負けにこだわれる国際試合、それもワールドカップということで、スタジアムのファンはわいていたようだけど、時間を経て、テレビ画面を通じてみる素人老人には、学長氏の指摘に、そうだよな、と即反応してしまった。
 時々であっても再放送とかでも見る機会を得られやすくできるのは、そういう映像がたとえ一度でもファンに覚えられて、繰り返しの再放送に使える状態にないと、きっとそういうことにはならないのでは、とか放送事情には疎い素人老人ならではの感想になってしまうけれど、座談の3氏+司会氏が指摘されるように、きっと今時の若者たちも楽しめるし大いに参考にできる(ゲームとしての)サッカー運びを見られるのではないか。


 徳川は一つの系脈なのか?
 ‟新羅‟がつい出てくるタイプの源氏初期。
 ぐっと下って平林寺が岩槻から新座に移る。
 そこには松平が登場する。
 素人考え過ぎ!だからこそ持ち出してみたいのだが、古代の表ざたには中々されないだけど実質凄かった貿易っぽい列島内、列島と外部との交易での蓄財他について、桓武の頃だって蝦夷退治っぽいイメージのふりまきよりはリアルには松本氏指摘の交易利害の方が勝っていた辺りを想定して、各地性の重大要素をそこへ付加できるならば、一応利害調整をなんとかできていたバランスから、それがずれて、またもや調整が必要になり、今とは異なる情報やりとり環境では、時差ほかの制約が軋轢のひどいのを誘いがちにもして・・・とか色々その後の列島での史的展開の諸々を想像するにも思い込まれた以上の関りを想定できそうに思えないだろうか?
 源氏とか徳川とかであっても松平系は新羅を意識する脈であるとかなんとか、一統の生活を支えるためにそれなりにトップ部門は苦労していたとか、そこらの各地トップ間での利害調整のリアルを想定できる歴史部門ならではの博識を発揮してくれる物書き諸氏の活躍を期待したくなる。ないし素人老人が知らなすぎで、既にその手の書き手諸氏、作品は巷にいくらでもあるのかどうか。
 素人考えではそうはいっても、列島では各地性を温存しつつ、各地が関係性において平穏を志向・試行・嗜好してきたことに変わりはないと察する。ただ各地性温存環境は外圧の心理誘導とかに一時的に染まって結構危ない事も生じさせやすくしてきた可能性くらいは指摘してみたい。各地性温存環境、ということを前提に、だから一国集中バイアスが過剰な国情という見方も取る必要はないと見る。緩やかにまとまり感を共有する試行錯誤の面。地味かもしれないが、そこが芯のような気もする。各地に深謀遠慮できるタイプがいつでも育っていて、地域をまとめる面倒を引き受け続けてきた。
 パーティ発想はそこらは砕きやすくする。アンチ欧米バイアスの意味ではなくて、欧米系の理念(たとえば包摂性とか)が上手に事を運ぶには、そこらの自らが内に育てがちにする敵味方分離発想のところを改良できるなら、とかを素人の老人ゆえ、余計なお世話で、少々持ち出したくする。

 

   川柳もどき

    各大国の腹芸に付き合う脆さと安心感と
     同じ比でもプレートの方のフィリピン海プレートの動きくせのあたりを
     素人的には、もっともっと詳細に進行形の形で紹介してくれるような
      学術も含めた調査部門と紹介部門がいっしょになって
       日々か月に一度くらいでも研究の今と、調査、現状の今などを
       公開し続けてくれるとありがたい

連載は続く~ SF 掌編『持ち時間感覚はどうして年齢とともに・・』編


 ことば表現上は大雑把そうに受け止められそうだけど、とにかくズルが相互関係の働きゆえに、逐次、落ち着くところへと誘い続けてくれる。
 そこで、差異観点からするヒトの為す経済の営みについてはおしなべて、ズルが見つかり易い程度には各構成員諸氏にとって生活し易さの方へと誘い続けうる、と押さえ易い。
 ここらはより広く人々が範囲を意識しあえるくらいに経済の営みについて関わる決まりごとの個々の事情において熟知していればいいことと汎用的に作用しあういくつかの要点などはお互い共有しつつで、残余の不可抗力的出来事については、その都度、範囲の内部での調整装置(人や制度や)が作動してくれて、時間を経て解決へと誘(いざな)ってくれる。
 理想的にはそうだろうが、それでもぎくしゃくは残りそうだ、程度の事々については含まれるということで、それも知らんぷりされるようなことはないはず、と押さえて、差異の観点からするヒトの為す経済の営みにおいては、たとえば、江戸期の出来事として有名過ぎる銀についての計り方の違いが地表面の地理的分布において生じていて、そこらを全体像として理解出来ていただれかたちはそこに生じていた差異を利用してぼろ儲けも可能になった、というように、遠隔地貿易商人がどう工夫しあって莫大な利益を生じさせえたかの辺りと差異をどこに見るかの嗅ぎ分ける力量などが、当面のぼろ儲けを生じさせるにしろ、それが追々、その違いを使い分けうる力量中のズル要素に気づかれて、更にズルしてその状態を保持しようとしたこともあったかもしれないが、大抵は時間経過の中で、平準化していく趨勢は避けえないできたのが、ヒトならではの経済の営みだ。
 だから、今時の経済の営みにおいてぼろ儲けできている原因が発明発見という今でも特別視されている約束事以外のズル系の要素たっぷりな要因ならば人々の営みがそれを許してくれなく、その許さなさは、もっとズルじゃない商品をより買おうとかするかもしれないし、露骨に不買に走るかもしれないし、罰金とかのルールを作るかもしれないしで、色々手をつくして対応するようなことが起こる。
 市場を上手に使いこなしているならば、価格の上下動が激しく動く前に、市場からする調整機能が働き易い。
 ここらもより広域において、差異の観点からしてその悪用、ズル的応用をしにくくしている安全、安心な人々の交流圏模索が意欲的に営まれている時期を想定することで、なんとなくであっても了解してもらえそうだ。
 利益はそこそこに均されていくのが市場を上手に使いこなしている状態と言えそうだ。
 世の中に不要なものは滅多にありそうにないのだけど、それでも、似た働きのものが重複するようなことは生産から消費行動の間に生じやすそうだ。
 そこで無駄というか、余計なゴミが生じたりもする。
 ヒトがいくら大食といっても限界はあるのだから、作り過ぎも似た現象を引き起こしかねない。
 足りないこともあるだろうけれど、ある時期を区切って足し算してみるとヒトは結構余分に作りすぎていたりし勝ちのようだ。(根のところで不足・飢餓への恐れがありそうだ)
 より実際的営みを列島の人々に見ることができるとして、その人々は利益を盛りだくさんに上乗せして隠して商品のやりとりはしないタイプだ。
 他所ではそういう激しいズルタイプを演じ散る土地柄もあるらしいことを、土曜日中の経済番組で知った。今時のことのようだ。それだから景気がいいらしい。
 そのズルは市場が上手に応用されているか、差異知見なり差異感覚をその土地の人々が育んでいて、ストレス耐性と相関しやすいタイプのふくよかなだれかたちがついその切迫性に油断してしまうようなことが無いならば、経済は実力相応のところへと落ち着く方向を選ぶ。
 生産の担い手、流通の担い手、販売の担い手諸氏がそれぞれの思惑で動くから、いつも適切な落ち着き方へと誘われやすいとはいえそうに無いけれど、長い目で見れば、そういう落ち着き方を広域で経済の営みに工夫をくわえようとし始めたヒトの世の中においては、ある程度の安全・安心・安定をもたらし始めている。慣れない頃の(他人任せが膨らみ始めた営みの世の中での)経済の営みの激しさは経済学や社会科の教科書などが散々紹介してきた。
 巷での詐欺系のズルも未だに無くならないけれど、ネットを通じた詐欺系のズルは繁盛しているようだ。巷での知恵を応用するには、ネットの気安さに巷での濃度が注がれることになって、ネットらしさを損ないかねない、ということもあるのかどうか、ネットを通じたズルについては、市場任せの上手な応用面を働かせられるかかわり方くらいのアイデアはいくらでも(一方の悪用の勢い同様かそれ以上に)若者達も事情通の老人達も
提案してくれそうだ。
 定期的なくらい頻繁に兄弟の妻にあたる人物がなにかと面倒を見にやってきた独居老人が孤独死した上に勝手に火葬されてしまったという特ダネニュースを先日テレビで知ったのだが、最近の市役所職員は、職場の戸籍等のデータを漁りはするけれど、救急で独居老人宅に赴いた諸氏や独居老人宅の近所の人々にそのお宅を訪ねて来ていただれかはいなかったかどうか程度すら聞きに行っていないことが事実経過を紹介するテレビニュースからは判明している。戸籍を調べられる範囲をなんとかしろとか、親族に火葬を任せるなとかの話でニュース担当の編集係り氏はまとめていたようだがそんな台本を読まされるアナウンサー諸氏にとってはいい迷惑だったに違いないと、素人のかなりの老人ゆえ、冷静に受け止めていた。
 差異観点から経済の営みの広域を達成しつつある(地表面上の)人々がより安全・安心・安定的な生活を営めるようにするには、公務系も油断し過ぎてもらっては困るという程度の指摘は老人ということでお許しいただきたい。

 

 先日の女子サッカーの試合では、WEリーグ他チームにここらも注意しておければ、得点されることをなんとかクリアできるかもの辺りを紹介できそうに思えたので、(すでに強豪チームではあるけれど)育ち盛りの若者達がとにかく試合毎に工夫を重ねているところの日テレベレーザチームでは、なんどか引用してきている岩崎選手と柏村選手のお二人が、巧みなシュートを放っておられたのを、少しだけふれておきたい。
 決して力任せではないシュートを二人ともが放っている。
 お一人はゴールの天上部分スレスレを狙ったシュート(岩崎選手)。
 もうお一人はゴール上段隅(すみ)を狙ったシュート(柏村選手)。
 どちらの選手も途中出場が多いけれど、場数はカップの試合の頃からでも相当になる。
 そして、狙いをすましてのシュートをちょっとした瞬間に蹴り出している。
 両ケースともわずかに外しただけだ、とふれただけでも、多分、現WEリーグの女子サッカーの選手諸氏にとっては相当な脅威と受け取られるのではないか。
 実際、もうちょっとだけ実試合での圧に慣れてしまえば、かなりの確率で、その精度のよいシュートを決めるようになるかも、と思わせる蹴り方だったのだ(素人老人の感想)。
 こう紹介してしまうと、両選手への試合での圧が大変なことになるようなことを誘っているようなことになるが、ベレーザチームにはより多く、シュート力のある選手がいるわけで、特定の選手向けにマンツーマン守備体制をとったところで、一対一の弱点が露呈するだけと(素人老人は)察する。またパス連携巧みなチームの相手チームがまったくボール支配できないような試合はつまらないものだ。お互いがボールを支配し合えて、得点までこなしつつ、せめぎ合って、それゆえに技の様々が披露されるタイプの試合はこれからの季節、観客を大いに湧(わ)かせてくれそうだ。
 自動車とヒトの関係への想像力がよりリアルに働かせ合える時代になってしまっているから、多くの自動車のドライバー諸氏は、今時、年寄りにとってはかつてを思えばとても(大げさに感じられるかもしれないが)幸せを感じさせてもらえるくらい、状況に応じて待ってくれたりする。昔の若者、今たいそうな老人なので、恐縮してしまうくらいの経験になる。
 男子サッカーも格闘技売りは、そういった自動車とヒトとの関係についての感受性を勘違いできた頃までなら、お互い放任し合えたかもしれないが、今なりこれからはそういうわけにはいきそうにない。
 寸止めには猛烈な力量を要する。技術も。
 だから雑な力のぶつかり合い以上に筋肉系についても工夫が要るのはこれからもかわりはなさそうだけど、ヒトどうしが体を接しあう場面でのサッカー競技版としては、相撲タイプでの力の我慢比べシーンはありえても、ぶつかって弾き飛ばすタイプの力技は即反則となることで、体の大小が邪魔にならないスポーツ競技としてもより育ち易くなりそうだ。
 女子サッカーでも、男子サッカーのあらっぽいのを真似る必要なく、女子の筋肉系、肉体系、技(発想他を含め)系前提に様々に工夫しあえそうだ。


 レーザー測量の装置は一般にとっては相当に高価なようだ。
 貧富の格差が巨大な土地柄ではその巨富を用いてそこらは抄き放題な感じかもしれない。
 そのレーザー測量をドローンを用いて古墳測量に応用する番組を見た。
 3D可視化すると、デジタルデータ上、樹木の部分を簡単に除いて、地肌にごく近い凹凸の表現もできてしまう。
 その少し広い面の観測から、凹凸の読み取り知見ゆえに発見も十分にこなしてしまうようだ。
 他の歴史番組では桓武の時期を紹介している。
 なにかと事情通諸氏においては桓武についての話題が豊富のようだけど、かするくらいには、そこらまで踏み込んでいる感じだ(初めの5分間くらいしか見ていない)。
 確実に扶余系(ひょっとしてことばが近いのか、また、その系脈を意識し合える古代での関係性などありえたのか(九州系すらが巨大噴火ゆえに住民はその後の新参者諸氏だ))が膨大な意味での多数派なのが古代列島人脈のはずで、しかも660年を想起できるならば、権威のよりどころである中国筋との出来事から百済系の一派が扶余系の中でもなんらか意欲を発揮したくなっていた仮説も持ち出しやすい。一方で、中大兄(やその密さから鎌足氏)の立場は危うい。百済脈においてもそちらの方は危うい。
 そして高句麗系は、福信氏を代表させることで、多分、それなりの有力脈をその後も保っていそうだ。明治の頃にも高麗郡や高倉地名は残っていて、かつての古代ハイウェーが入間郡高麗郡も貫いているが地面の下だ。すごい瓦が廃寺跡から出ていることも不思議にはならなそうだ。
 そして扶余系の時期をずらした移住も関わる各地性が古代のある時期にはより争いを誘い易くしたことも押さえておけそうだ。
 ことばは通じやすかったら、それはそれでケンカもしやすくなる。困ったものだ。
 九州系に女性の呪術系トップを輩出させたことの内実を、加耶系の男子持ち上げ系との対照から興味を誘う。九州を意識できる脈々は今日において、少しは女性のリーダー層が育つ環境整備に(古代以来の発想からして)力を注げそうにも思える。
 男(おとこ)脈はだったら女性に任せてしまおうと、楽な方を選ばせかねないので、そこらはいっしょに研鑽し合えることが望ましいとか妙な言い方になってしまうが、素人老人はそう考察してみる。

 

   川柳もどき

    タイヤの注意書きに
     このタイヤは雨の日だととがったのを拾い易くなるとあった
     前日の雨降り後の水溜りが続く道を、自転車で走り
      翌日はパンクの修理となった
    先日、生演奏でギターの引き語り(ギターの(特に)音色や弾くリズム・テンポがよく)
     空が抜ける感じでその響きと空の色が・・・
     先に浴びていた木琴と踊りの質感や沖縄の楽器がヒトの声と重なるメリハリ感
      それらをバックにもしていて
     とうとうフルート演奏まで登場して、スピーカ音響の歪みが邪魔にならない生な演奏
      をいつのまにか満喫
     持参の(隠し味が蜂蜜)チャイをグビっと少々
      そうとうに老いぼれの日々が更に過ぎ