連載は続く~ SF掌編『漢方は介護に向く』編


 素人(でしかも超高齢者の)発想に過ぎないから、できれば諸賢、とりわけ指摘する内容上の事情通諸氏らへの刺激となってより相応しいアイデアが登場してくれればの、年寄の希望が多少関わっての指摘を以下に。

 たとえばワインは土地柄によっては日用品の一種だ。
 だから価格次第での売り上げ現象は生じやすい。
 一方、べらぼうに高価な高級ワインだったりすると、少量を超高価な値付け可能ということから、それなりの思惑、目論見を飲み込んでくれる特殊市場を形づくりやすくしそうだ。
 そして世論を誘う、ワイン製造業者を誘うマスメディア発信の今時の内容はというと後者で勝負してみようじゃないか、儲かるよ!タイプが目立つ感じだ。
 後者の方で並ぶことをより多くが競い合うことで、価格の安定とか高くし過ぎない圧が良好に働く趨勢よりは、がっぽり付加価値稼ぎ発想の方に人々を誘いがちにする。
 そこで、これまで(素人老人が)用いてきた購買力に関する‟上げ底無理やり安定策‟は一見安泰を保ててしまう。
 生活の足しにはならない趨勢が続きやすい。
 今の物価高を列島版においては各国中央銀行が動かす金利の差・違いと見なすニュース報道が目立つ。
 人々の生活はより安定的な展望を必須としている。
 わずか長くて100年か百数十年程度がヒトの寿命と受け止められているのだから、その間の人生設計くらいは自らの判断をある程度介入させうる条件を求めたくなるのが尋常だし、近現代の理念的試行錯誤はそこらも一つ求めてきた(はずだ)。
 ということは政治駆け引きまじりに物価を変動させまくるようなことの混入ができるだけ少なくなるような物価の状態へ加担する各国民国家の営みが想定されているはずだ、と素人老人は近現代の試行錯誤の辺りを見つめてみたくする。
 どうなの?!と言ったところだ。
 給料など酷い例はUSを持ち出せれば済む。上下動がひどすぎる。一方にちゃっかり厳格な管理統制誘導を用い、一方で市場原理発想も応用してしまう。そして人々はそれに文句を言わない。どうしてかはわからないけれど、人生設計どころではないと素人老人的には想像してしまう。
 生活に必要な金額の或る程度の範囲を確保した残余の方が膨大にしておける巨富系のUS在住諸氏においては、そこらの物価変動や賃金変動など恐らくどうでもいいことか、経営上の負荷とならない水準とかの発想でとらえがちにするようなバイアスが働きやすそうだと(素人の老人は)察する。
 列島でも表面にはでにくい金あまり分の処理の仕方として、それなりの資産格差を生じさせて、経済上のかく乱要因をちょっとしたほこりがたった現象程度に流しておけるそうを生じてそうで、しかも金回り経路上の忖度が働きやすい構造のマスメディア状況は地表面規模ということで、各人わかってはいてもことばにして、それらを語り合う訓練抜きの状態が放置されて、平穏に議論に晒させる試行のないまま、一方にとって無難なことばが多用されがちにしてしまう。
 経済の学は相当に色々を経験してきているので、学者でもその忖度系外惑星っぽい位置で研鑽を積んできただけでなくしっかり落ち着いた言葉運用の練習がこなれた諸氏たちならば、明確な落とし穴を回避しつつの、だけど各位置のだれもにとって、下手を感じないで済むタイプの移行アイデアを各人の知見制約において発信してくれそうだ。それをまた検討し合えるその積み重ねと、新規に忖度系だった諸氏の気づき後の体勢からの参加を得て、議論は活発化して、きっとデータだけはだれもが応用できる形で準備されてきたろうから、それらをも使いこなして、固執の議論にしないで、いかにもな21世紀版の代議制民主主義っぽいのの一面を披露できそうにも思えるし、情報のオープン度合い、工夫次第ではより一般の事情通諸氏も含めた巷での研鑽状況も生じさせられそうだ。

 素人アイデアをちょっとした叩き台にしてもらうつもりで持ち出してみる。
 介護施設の多くは緊急避難に向かない設計でできている。
 散歩しながらその建物を観察できるくらい列島ではそこら中に建っている。
 まず介護と関わる発想のところから準備させたい、というのが素人老人流だ。
 列島で長年月育て鍛えられてきた「漢方」の選り抜きと"判断・認定"された諸氏が介護施設を経営できる最低必要条件になっている。
 安直な漢方の熟練ではそこは通らない。ただし、認定となると賄賂とか人脈とかスクールとか色々なしがらみが物を言いやすくして結局元の木阿弥現象を誘いやすかったりするから、そこらの現象に関する事情通諸氏の中でも行政のプロっぽい気質の諸氏の援助を求めて評価する人材まで事前のフィルターにかけることが必要になりそうだ。
 そうなると数が足りなくなるのでは?というのが付け込む勢力の常套句なので、そこらは実際の方で解決できるだけの意欲のある連中を必要数準備することが大事になりそうだ。
 漢方の熟達者であれば年齢は問わないし、資金集めなども、ただ個々に任せてしまうだけでなく、助力を求めるケースなら、それなりに応じていくことが要る。
 そこらへは漢方に実力で通じているならば、介護施設の営みは質を欠かすことはないし、営業上も、安定的なことを、漢方だから、ということで素人老人は押さえてもらえると察する。
 施設設計については以前に、大雑把にふれている。
 緊急時に必要な物品、毎日必要な物品のそれぞれを性格に応じてしっかり場所を分けて使いやすくして置けることのその先で介護条件が満たされていれば、働く側の準備はある程度満たす。住む諸氏(いわゆる‟利用者様‟諸氏だ)はそこにずっと住む。その観点の機微、肌理をちょっとでも外すと、実に住みにくい住居化させてしまいかねない。
 建物の構造とかは事業者の勝手で、選ぶだれかたちがきっと取捨選択するさ、では実情、済みそうにない。そこは介護保険法なりで、JIS規格とかISO規格のような感じで、痒い所に手が届くタイプの決まり事を事業者に求めておくことが欠かせない。
 しかし、漢方の熟達者発想は、そこを更に上回る設計で答えると予想できる。
 ただ、病院は治ったら(長期入院という事態のことはともかく)出る人々への対応施設だ。その発想の医療熟達者が介護施設の住人へ的確なアイデアを持ち込めるのはごく限定的なことを踏まえたい。プラスかクロスして修正してのようなアイデアが介護の施設には必須となる。
 けれども、漢方は副作用防止の必須とともに、長い付き合いのマイルドな作用系に熟達した観察のプロたちだったりする。
 熟達した漢方医の腹診はきっとナースの手ざわりをはるかに凌駕してヒトの免疫系を活性に導くし、状態診断の精度を発揮してくれる。
 漢方にも致命的ともとれるし、制約ともなる副作用がともなう。そこを厳密に管理しきれる漢方の熟達者が介護施設に密着している。
 つまり診断による処方で薬がでることもあれば、診断からの証が薬方に向くよりも生活質への働きかけにも使えたりする。そういう応用技を用いることで、食とか散歩とか時に筋肉運動系とか様々を証(この試行錯誤が最適解へと近づかせる)の支えから多くの応用技を施行させやすくするし、熟達者ならではの漸近線を描かせやすくする。
 今時の漢方は非常に汎用に用いやすいパッケージ仕様だ。
 値段も保険が効くならお手軽価格になる。しかも収入源にしやすい価格だ。
 すぐに熱を下げたいなら、今時の化学薬品系で知られたいくつかが準備されている。
 でも、老人諸氏の日頃の免疫を鍛える発想は漢方に分がありそうだ。
 その状態で時に漢方薬が処方されれば副作用の管理も万全だ。
 証の方から、どの程度に肉食を進めやすいか測れそうだ。
 ないし、陰陽の向きから同じ肉食でも内容を工夫できる。
 老人は変化に弱い。だからそこらの肌理は中長期的に万全へと近づかせやすい。
 体の不思議は、食いすぎない、というよりその体調の時、小食で我慢すれば、体調を復帰させやすい、ということが起こる。免疫知見の応用に過ぎないかもしれないけれど、貴重な知見だったりする。体力だ!大食いしろ、ではない!!場合。
 更に求めるなら、漢方の熟達のみならず、経営発想とのからみで、動く術の日々の改良版に精通していてくれること。
 雇っただれかがそれに通じていることも大事だけど、経営する本人たちがそれらに精通して、だれならどれを使えるかとかをすぐにはじき出せる。
 そこに支えとしての証知見が噛んでいる。

 素人はこの程度にしか持ち出せないけれど、現代の介護事情に精通した諸氏が、漢方事情にも通じた諸氏において、介護施設経営に関心のあるなら、肉付けなどしてもらって是非本格的な始動を期待したい。

 


   川柳もどき

    年末もそれなりに女子サッカーは賑やかなのだけど
     関東圏からはかなり遠くの
      スタジアムでのことだったりで
     折角の自転車こぎも
      巷のポタリングとまり
       といったところ
     寒くて晴れてて(風もそよそよ程度で)
      こりゃもう自転車日和(びより)なんだけど
     昨日が20、日