連載は続く~ SF掌編『遊び心と勤勉さと、そしてだれもが年寄る』編


 ヴェーバー氏のプロテスタントは勤勉だを素人流に勝手に引用して、そののりで現代のスポーツ業界を牛耳ると遊び性を失わさせかねない辺りにふれたい。
 イギリスの元貴族のご婦人が生活の知恵の一種である日常使いのための植物知見を応用してみせていたことは相当以前にふれている。
 だから氏がカトリックだったかどうかはわからないので、素人流のいい加減な引用でしかないけれど、修道院とかでの農作業とかをうっかりイメージしてしまう素人からすると、スポーツは生活応用可能な発酵知見とか薬草知見とかちょこちょこっと小屋を建ててしまえたり、衣類の類をちょちょいと修繕してしまったりとかできる中小企業的協働性の方でスポーツ業界が持続性を持ててくれた方が、時に大儲けできてしまう興行業だとしても、持続性の辺りを忘れないでいられる遊び心も秘めさせた興行の楽しさを事業にしていてもらいたい気がする。
 だからお金集めが上手でしかも長期のメンテナンスの金勘定までできて(近現代試行錯誤の諸国はその後の新調が必須の建造物の費用捻出に四苦八苦しているのが実際なことをニュースでも率直に紹介されるようになっている。世界中で。)、サッカー場建設やその経営やをこなせる場合の規模決めでの、指標がどこらかも、その持続性の観点も込みでデザイン、数値化などできてしまう方が相応しそうだ。
 素人のインチキな概念とかことばの引用で欧米の諸氏に通用するはずはないけれど、万が一、引用(プロテスタントの勤勉タイプについてとか、カトリックのイメージに発酵や薬草やの生活上の応用を含めてしまうあたり)にやや現実味ありならば、多少は通じてもらえる。無駄を省き過ぎた勤勉方向は危険だ、の辺りに気づいてもらえるかどうか。ここらは前回の純化圧行使の話を引きずっている。

 家計ではメンテナンスと新規事業(家庭だと家電製品の買い替えとか新製品購入とかも)の両費用を頭に通常は置いて考えて生活されているものだ。
 でも列島に限っても昔作った上水道管の耐用年数が過ぎてそれを新調するのに費用が掛かって水道料を引き上げないととかの話をその事業そのものには直接タッチすることのない利用者に向けて突然公表するようなことが起きている。
 上水道をただ通すことを公務系に頼んだわけがない。
 持続的に使っていく施設としての上水道施設の敷設を昔の人々も頼んでいる(はずだ)。 そんなの憶測じゃないか、の論が通るはずはない。物はなんらか老朽化して朽ち果てることは自明と言って差し支えない。否、プラスチック類があるではないか、となるともう屁理屈の類だ。
 結果、こういうことになって、無いものは出せないから、今の時点で対処するしかない的お役所風を吹かせても、当時熱意を持って持続的施設である上水道を作った諸氏に対する侮辱の性質を消すことはできそうにない。
 経過的実情論から細々と具体的に無しえなかった原因を指摘されそうだけど、それは寂しい現象だ。
 金回りが良かったり、一億円が各自治体へ配られたりとかいろいろを経てきて、注目視点の使い方を誤ってしまう。それでも首長とか選ばれて立つ立場の諸氏は、仕方ないのだから、で惰性を選んでしまうのどうか。
 人口減による困った方の経済活動への影響については経済学者諸氏がそれを予見できる趨勢を読めた時点から指摘されてきている。既知なのだ。
 それでも、工夫次第では、世界経済事象とのかかわりにおいて、旧来の影響力を保てたり、少しは減少させたりが起こってしまう。
 経済規模が問題なのか、一人当たりの生活の質の支え合いの可能性についての人口減との関係性から読み取れる問題にどういうことがありうるかが問題なのか。
 世界での影響関係ということでは、力づく勢力発想が蔓延しがちだから、規模が物を言ってしまいがちにしそうだ。
 そういう点では、列島人口減少趨勢は、その影響圏を縮小する方向性が濃厚かも、と予想しておくことが要るのか、そうしないで済む人口の割に規模拡大を目論むべしの方での策を用いるつもりなのか。そこらにこだわり過ぎず、一人当たりの質を保ちつつできることに挑んでリアルと付き合うっぽい方で行ってみるのか、素人だとそんな程度しか持ち出せないけれど、1億数千万人が数千万人減って、規模は減っても、協業のための知見を試行錯誤すれば、より多人数が必要な事業の数を減らすとか工夫して、などつい考えたくなるけれど、これまでどこまで必須の事業にヒトが配分されてきのか、と言えば、素人老介護職の経験からして、少々の給料アップで支えようとしてきたにもかかわらず、そしてその当時就職難の事情すらあったにも関わらず、介護業界に求職殺到のような現象は起こらなかった。海外系でも、地道に介護術を学んで国に返って活かすとかのタイプ諸氏が就職してくれた施設などはそれなりに活気づいたかもしれないが、生活の都合で介護職に就いた諸氏にとっては、ストレスの多い職場だしワル知恵を教えられて手抜き仕事でも可のような安直さを常識のように錯覚させられて失敗修飾人生体験になってしまったような諸氏だって大勢いると想像しやすい。
 日勤帯を担い、しかも責任ある立場の人々が基本をしっかり身につけってもらえるような初期の持続的な働きかけを油断するだけで、組織仕事はガタガタとなりうる。
 それぞれは就業前教育を徹底して受けられてそれなりの技量を持つのに、それら各人が新人諸氏相手に、日々交代交代で自分流(施設流と本人諸氏は思い込んでいたとしても)での教習を重ねることになる境遇の諸氏もまとまった介護の基本を身につけてもらうには相当な遠回りをさせることになってしまう。遠回しの末に基本って、こういうことなんだ、と気づける機会を持てれば幸いだ。
 時がたって、今時、そこまで雑に教育したつもりになれている施設は無いと思いたい。 施設入所後の返金的寿命の話もかつては流通していてそれなりの短さだった。長くても10年間とかではなかったか。
 施設にもよるけれど、生き物であるヒトは逞しいから施設の職員がどう指図しようが自分流の他人に迷惑かけない生き方を通して、憎まれっ子世にはばかるとはとか陰口を叩かれても長生きできてしまう。それに、ひどいと思えば、家族もそれに気づいて、特養の順番待ちがやっと来たので施設を引っ越しますとかで、移動して、長生きする可能性もありうる。
 そうやって20年間以上の介護保険下の介護施設運営が流れているから、利用する側の観察力とかことばの使い方も流暢になって、しっかり選択して入所が数を重ねることで施設運営の側も改良とか営み上の不都合を見抜けるようになる。介護の仕事でストレスをためてうっかり年寄に八つ当たりする感じで粗い仕事をこなしてしまうのが現れやすいので、ヒトは弱い立場で他人の助けを必要とする人々を助けられる立場を喜んで受け入れる。
 ところが・・・先のように(或いはちょっとしたお互い様関係を作り損ねたり、相性の問題からそういった関係すらを拒否られる関係しか持てないくして)ストレスをためることになり、で問題を起こしがちにしてしまう。悪知恵系はだから老人たちが悪い、ということに皆の合意ですることに誘う、としても、例外発想の何人かがいるだけでそういうことが繁茂してしまうということにはなりづらいし、入居者本人や家族諸氏がしっかり観察眼を働かせていれば(大変お世話になっていて多少は我慢しないととかよりは丁寧にことばを交わせて、本人の病的性質とか家族のクレーマーっぽさを持ち出されない工夫を施して置ければ)経営層とかはより慎重に落ち着いて対応してくれるはずだ。
 ただ、ごくごく素人老人発想になるけれど、食事時間が固定的な施設が今でも一般的そうで、そこらはそれこそ特殊な施設で、一般的には、自分の生活時間割に応じていつでも食事対応可能のような巷の食堂風の設置であってほしい。
 また就寝時刻とか起床時刻の固定的扱いも老人の個性性からして、無理を強いる方に作用すると思えるので、そこらの個別対応も一般的趨勢にしてもらいたいものだ。
 色々なサービス(様々なケースの外出付き添いとかだ)を販売して、大いに稼いで、公的病院経営の赤字化が避けにくい性質とは異なる経営体質が可能になる介護の業界を成功に導けないか。現役の頃に働きが悪くて・・・というリアルが自らも認めるタイプの場合は確かに多少は我慢できそうだし、我慢すると想像できるが、それなりに稼いできた諸氏こそは介護サービスが必要になった境遇において、それら使い勝手の良いサービスを大いに使って介護業界を豊かにする一助になってもらいたい。
 自宅で余生をまっとうしたいタイプの少なからぬ諸氏においては、余程のことでないかぎり介護サービスは不要と察せられる。
 それくらい意欲のある諸氏は、後からやってくる現役世代へ向けて、こういう老後もありだからねのケースとして多少はネット発信とかで活躍し続けていただきたい。

 サッカー女子諸氏もやがて老年を迎える日が来る。
 それでも昔取った杵柄ということで、足が手のような器用さ、やさしさで物ほかを扱って見せてくれる辺りは、期待できそうだ。
 中には、サッカー女子オイオイ(老い老い)クラブその1とかで活躍している諸氏もおられるかもしれない。そういった日々の時々は、多分、近くのスタジアムでのWEリーグの試合を応援しながら見に行ってるんだろうな。
 今時の70代80代90代100代前後の諸氏は200までは若造とか勝手に思っていた連中以外は皆既にお亡くなりになっている。今活躍している女子サッカーの凄い足技選手たちのその後、年寄りになってボールをさばく姿をほとんどは見ることができない。

 

   川柳もどき

    時代劇風に

    その手のひらからうちわが、ひらひら
    舞い落ちて
    足袋の裏