連載は続く~ SF掌編『寝不足にしないワールドカップサッカー観戦法』編


 年寄の生活は暇そうで結構忙しいにも関わらず、早朝の海外発のニュース(ということで多分前日夜の)の翻訳放送を見ていたりする。
 列島の活動も含めて月面着陸噺も一応かまびすしい。
 そのF2放送発のニュースによれば、象徴的にNASAにもしも月からなんらかを採取できたら、それをたったの10ドルで買ってもらうとかの話まで登場するくらい、月の資源をめぐってのすったもんだが既に始まっている辺りを、少しだけエンターテインメント調に紹介してくれていた。
 ということで、月面着陸とかヒトがその地への話でつい盛り上がるような仕立てをしがちな方の諸国とは異なってそうな話を知ることができた。
 なので、おそらく、月面にヒトは降りなくても遠隔操作でなんとかなる事業をめぐっての、月面資源騒動がしばらく、これからのどこかしらの時期から話題を誘うことになりそうな気配を素人老人的には感じた。
 月を周回するステーションに誰かしらが遠隔操作のために常駐していれば事は済む。
 むしろ人手とか駆け引き等での実際の人の関りは地表面が舞台となりそうだ。
 月も身勝手に、(かつて歴史的には新しめのかっこつき新大陸争奪戦を演じたUS中・西部の出来事のように)先着順で土地の取り合いとかを成すのか、大手?が談合して、分け合うようなことをしでかすのか、もう少し賢い地表面ではうまくいってないけれど、せめて月の土地扱いを介して地球人諸氏のまとまり感を得るきっかけとするつもりなのか。
 たとえば月で得られる気体の一種すらが、それなりに重宝されるらしい紹介もあった。 それくらい、月には地球では得られにくい貴重な資源が眠っているというわけだ。
 それらを遠隔でも十分に扱いうる技術をそれなりに研究も技術も手段も積み上げてこれた比較的裕福な諸国ならば、危険回避で十分に月から地球へ今の技量でもって持ってくることができる。ただし、SFからみで指摘されてきた心配面をクリアできることが検証されるはずだ。かつての欧米脈とか宗教家と遠隔地貿易商人たちがやってしまったそれが未体験の土地へ慣れ親しんだ微生物やウイルスの類を持ち込んでえらい事態を引き起こしたように、月からその手のなにがしを地表面未体験ゾーンに持ち込んで、地表面規模でどえらいことになったら取り返しがつかない(その時点での悲惨を避けられないとしても、生き物世界のことだからやがて免疫が作用して、慣れたヒトとか生き物が再び蔓延りだす。だからといって一時のとてつもない悲惨を無視できるはずがない。まったくそういうことが生じない、ということも可能性としては十分にありうるので、検証が必要なわけだ)


 ブロードキャスト系ニュース報道でも活躍しているF2のフランスだけど、サッカーでも大活躍中だ。決勝は同様にすごいプレーを必ず見せてくれるアルゼンチンチームとだ。
 準々決勝、準決勝の試合をNHKの4K放送とネットの放送で一通り見ることができた。
 パスの精度が良くないと今時のワールドカップのサッカーではベスト8には残せそうにないな、と素人老人に感じさせてくれたクロアチアチームやモロッコチームなのだけど、着実、堅実プレーで勝つときはかつ、だけど勝ち抜けないで苦しむ日本チームの弱点と言えば、だれもがパスの精度を同じように正確にしているわけではない辺りだ。そこらを改善できれば、もう少し試合の中身を魅せる方にして、ベスト8など夢ではなくなるし、常連にもなりうる。そのかわり似た技量のチーム間での競り合いを経てだから欧州系の強いチームのような決勝戦まで体力を持続させるような試合運びとか疲労回復トレーナーをしっかり雇えるとか相当に豊かな条件が必要になりそうな気配だ。
 というのは、準決勝でのクロアチアチーム、モロッコチームは前半の試合運びからして、それまで見せてくれていた精度はどこへやらの日本チームより少し上手くらいのパス精度で苦労するはずの試合にしていた(だから相手チームはその分、読めて、余力を残す試合運びを選べたと想像する)。
 ワールドカップベスト8チームクラスになると、パス精度と受け止める精度それぞれにほんのちょっとのミスでも、ボールを奪われやすくする。
 そこを突く試合運びはだけど疲労にも直結するから、読んで、放置したり、攻めたりをバランスよく使い分ける。
 精度をちょっと欠くと、思い通りの試合運びができなくなるから、それは即疲労を呼び込む。相手チームに先制されれば疲れはどっと押し寄せる。更に、試合運びを重くさせる。そして疲れる。そこでワールドカップファンに向けて奮起しようとアドレナリン頼りのノリを自らの身体に持ち込んでみたところで、それは結果的に疲れをもたらす身体状態を呼んでいるのだからその先は推して知るべし、となる。
 3分間激しいボクシング、を想像してもらえればいかにヘトヘト作用を生むかわかりやすくする。一般だったら腕も上がらないくらいになりうる。打たれてヘトヘトというより、自らの激しい動きがヘトヘトへと誘う(怒りノリも武者震いの類から想像しやすいはず)。
 ワールドカップの試合を積み上げていくことは相当に心身を疲れさせてしまいそうだ。 にもかかわらず、決勝ちかくまでいく常連のチームはファンの目からはそれなりのプレーを90分間見せてくれる。そこらの体の使い方に慣れていそうだ。
 チャレンジャーの位置にある各チームは懸命だ。それゆえ、使い切ってしまう的な疲労をため込んで長続きしない試合の積み上げに誘う、そう想像したくさせる。
 だからパスの精度とか受け止める精度どかの技術も必須だけど、疲労管理も相当に関わってきそうだと、今回のカタール大会で素人ゆえ、(老人年代になって)学べた気がした。

 ヒトはそれぞれとしてサッカーの熱気に興奮して人生の一時を満喫してみたり、宗教にのめりこんでこれぞわが人生と思い込めて見たり、実世界はこれだと政治分野に挑んで自らが熱く充実してみたりして、だけど追々、老いて、介護となんらか関わることになる。 介護職経験のだれにとっても話になるかどうかはともかく、素人老人的に指摘できるごく一端だけ書き込んでみる。
 それらの事情は仲間を生じるし、熱き仲間関係を生じさせやすいと察する。でも・・・介護にとってのあてにある相手となるのは大抵の場合、難しいはずだ。
 なぜだかについては、素人考えを持ち出すほかに、多くの諸氏が考察して発信してもらえるとありがたいけれど、とにかく、あてにしない方が無難なのだ。
 多少元気なうちに、人つながりで介護施設を選んで入って、その内輪の情報網でもってその施設になんらか有利な影響関係を築けたとする。でもそのうち衰えが目立つようになったころ、その内輪関係を使ってしまったことを悔いる時期が必ずやってくる。問題群を見えないようにする方に加担してしまったあたりに気づけたりするはずだ。悪くする方に加担することだって気づけずに、起こりうる。
 どうしてもだれかの手が必要になった頃に実際の介護ということの切実さに気づけるようにする。
 その時に介護の担い手問題も同時に気づけるし、生じるわけだ。
 大げさなことというより、些細な事の集まり、膨大量と見た方が実際に近い。
 自らの避難行動は無理だ、と自分の心身状態を自覚できている。なのに、施設内でたとえシミュレーション質であっても避難の実際を日々繰り返しイメージできている介護担当は何人いるのか、まったくわからない。それもちっとも大げさなことではなく、日常の万が一への心配要素を無くせるか無くせないかと切実に関わってくる。
 サッカー観戦話を事情通諸氏、プロの諸氏、愛好家諸氏が朗々と語って見せる場合、多くの場合はシステムを熟知して、定番の動きをめぐっての感想に近いものに収れんする。 でも実際の試合はそうだと展開的には固定的に、沈滞ムードの状態に近い。
 動く選手はアイデアを試す。生々しい場面でのなんらかの瞬間発想から体が動いて、アイデアを瞬間想起して試して、しかもそれに応じる身体能力を発揮する。極端にだれにとっても意外なプレーを披露するすごいやつらもいるけれど、やってみればファンのだれかだってできるかもと思えるけれど、予想を超えたアイデア次第を試合中に出してくることで、試合らしい試合が動く。
 介護の仕事でも、定番は確かに必須で、だけど、それはごまかしにも使えてしまうものだ。そして介護職ならだれもがそこらを感じあえる。場数をこなしている諸氏ほどそこらのニュアンスは微細に感知できる。新米のごまかしはすぐに見破られる類だ。
 そういう感知能力でごかましを行使されると、場数を踏んでいるだれかたちでないと、なかなか気づきにくいということも一方にはありうる。
 そして生々しい現場の中で、定番の質の熟度を高めてサービス要求に答えられる力量も必要だけど、日常のことを想起して、アイデア次第の余地へのチャレンジも不可欠ととりあえず指摘しておきたい。入居の諸氏が、その中身については教えてくれる。そういう要求なり要望なりを気安く言える持続的な関係が育つ介護施設の雰囲気とかもだから大事になる。五月蠅がったり、急き立てたりの雰囲気が漂いがちだと、施設の質としてそれらを醸成し続けることは難しそうだ。
 ここらでいくらか感じ取られたかもしれないが、介護の施設というのは、もちろん経営の一種なのだけど、その上で、現役時代、なんらか自らのこだわりにおいてなにかしらに熱くなってだけど退職して、しばらくして衰えを感じて、介護施設に入居となったりするわけだけど、現役時代の人脈とかを無いものにすることはないけれど、とにかく、リセットが要る。介護施設で働く人々も、発想としてはそこらを装置的工夫で持ち込めた方が仕事を円滑にしやすくすると察する。
 リセットして、お互い様を基本に置く関係性を新たに介護施設で作りあっていく方向を選択するような過程を自らに持ち込めるなら、その施設の運びはそれなりに、その線で動くようにしやすくなる。
 もちろん、だれかには時間をかけているようで自分にはわずかしか関わってくれていないと思い込めたりの様々が、入居の心には生じやすい。そこらは入居のご本人において、介護担当において、働きかけあいのきっかけがいつでも要ることは言うまでもない。
 新に入居という場合、慣れのないどこかを慣れた場にできるまでは、リセットもへったくれもない時期となりそうだ。でも施設がそもそものところで(入居者間の関係におさまらず介護職各人との関係においても)お互い様の発想を大事にする実際が機能しているようならば、あらかじめの準備としてのリセット発想も自らの選択として持ち込みやすくする。生活の場がそこへ移ったのだし、介護には過去の熱く仲間意識を働かせたその対人の発想の質では対応不能に陥りがちにすることに、気づけなくても、介護職諸氏は気づけて、それなりの対応力を自らに育てられることが要る。
 気づけなくても、と言ってしまったけれど、実際にそうなのだから、例外なく、介護の為にはリセットが必須で、ということで、過去の人脈を大切にしなくていいという話にする必要はないけれど、(介護職ということではなく知人・友人・親族とか)お互いが介護対応力を発揮できるようにお互い様の基本に帰って、人生を見つめなおせることが晩年前の数十年間の必要条件となりそうだ。ここらは医療関係者、とりわけ医師諸氏なども、例外ではありえないので、気づいていただけるとありがたい。

 

  川柳もどき

   介護職は生活リズムを乱し勝ち
   なぜなら日勤もあれば夜勤も混じるから
   そんな身についた生活習慣がワールドカップサッカー試合のライブ中継観戦に
   役立つこともありなのか、ありなのか
   多分、大ありなのだな、と老いたサッカード素人の
   満足げな溜め息