連載は続く~ SF掌編『弥生期の倭と燕国』編


 人口が特別激減しているわけではないのに、どういうわけか人手不足のニュースが舞いがちだ。
 1500円ほどの品物にとうとう1900円ほどの値札がつくようになった。
 1500円の品物が400円も値上がりしていた。消費税割合よりはぐっと高い率だ。
 これほどの値上げができるなら当然、この品物がいつもどうり売れているとして、その企業の従業員諸氏には値上げゆえの売り上げ増が見込めて、給料も当然、その分上がりそうに素人老人は見てしまうが、実際のところは不明。
 これほど激しい値上げに対して、同様の賃上げがありえたとして、その世の中はばかげていそうだ。と言ってしまうことを素人老人のことばゆえとして流していただきたい。
 人手不足についても、介護の世界では特定人脈が仲間をつどって集団でまとめてか、少しずつ集まって、職場の部分的構成要素となったりが起こりがちだ。
 熱心に介護に挑んでくれる集団構成ならば、歓迎だけど、追々、ちょっとぉ・・タイプだったりすると多数派かどうかはともかく、一定の複数性圧を行使できるし、人間関係に根づいた後ということでの対処という事態は、どうしても住居性を帯びる施設での介護の場合、騒動にするよりはそれぞれに理解してもらって良い方に向かわられるような思惑が先行するから、困った場合、解決は先延ばしにしがちにするし、施設内での問題性が顕著になれば、それを受けて、集団での離職というトンでもなことも起こってしまう。
 こういった実は集団的に動いている人々がこの列島にもそれなりに蔓延っている辺りを参考にできるならば、人手不足ということの起こり方の背景についても仮定を持ち込みやすくしそうだ。そこらは是非事情通諸氏が一歩余計に調べてくれてネットとか既存の媒体を応用していただきたい。
 素人老人はだから、コロナ騒動以前から趨勢としてあった物価上昇の最近の悪乗りの面についてもそれら集団性が発揮されてそうじゃないか、と投げかけてみたい。調べてもらえなければ、そのまま流れてしまう。
 素人老人的に何度か指摘している利益を上げよは単調に数字を追う方に人々を追い立ててしまう、という脈絡から、暗黙の期待としての物価上昇(それが生活に響くことまで考えないでついそう期待してしまう辺り)が減少させやすい、とまたも指摘してみたい。
 そこらの油断は、いつか来たそして何度も後悔しながら繰り返してきた、全体に目配りすることを億劫がった方での便法のようにも老人ゆえ思えたりする。

 さて本題。
 田中史生著『国際貿易の古代列島』('16 角川選書)に古代中国の燕が登場する。
 金属製品に特徴がある。
 半島・列島のからみで登場する扶余系の居住地のもう少し中国よりというか、現北京域にあった。
 前222年に滅ぶが、それまで、半島・倭国との関係を想起させる考古資料としての金属製品が顕著に出ている。
 加耶地域のこともふれられている。
 加耶系と金属は親和だ。
 で、MS社のCopilotに金属製品を介した燕(えん)と三国時代の半島と倭との関係を問うてみた。
 するとなんと現新潟の燕の金属製品のことまで指摘された。
 ここらは素人も同様に軽々しく類推していたので、Copilot ロボット思考もちゃっかり軽々しく類推してしまうらしい、ということで堅実な答えプラスアルファを得てしまった、ので、(このテーマに関しては)自分で(専門家の著作を読んだりで)調べるしかないか・・・と受け止めているところ。
 漢書に倭に関する記述のあることは義務教育や高校やで副読本なども含めておおくの諸氏が学んできたこと。ただ、漢書地理誌燕地条に記述されている、という指摘の仕方は素人にとっては参考になった。
 大抵は漢書地理誌ということで済まされてきた気がする。
 田中氏が燕国の特徴とともにそういう指摘の仕方をされてくれたので、より申氏仮説と合わせて、素人老人流の整理の延長に付加材料として押さえる時、連続的に受け止めやすくしてくれている。
 楽浪郡と半島~倭関係においての漢文使いこなし人脈との付き合いがどう育ちやすかったかの辺りも探れそうに思えた。
 往来が活発なことを想像しやすくしてくれそうな点も大事そうに思える。
 楽浪郡帯方郡人脈と半島(扶余系=伽耶系諸国)と倭は濃く往来していた。
 そこらを踏まえての古墳のことも解明が要るけれど、仏教絡みの経緯(いきさつ)がわかってくると、色々が鮮明になってくるのかも、などここらは素人老人、かなり安直な期待を膨らませてそうな感じだ。
 列島の経験を史実からごく大雑把に押さえるなら、継続性を持って、大混乱を招きながらもある種の自由度を確保し合いながら、よりそれを拡張することを志向もして、途中経過の現在を迎えている一面を古代史観察からは素人老人的に指摘してみたくさせる。
 未だに各地性をはぐくむ勢いは衰えていない。ただし過疎問題は、そこらに停滞的不可抗力性を関わらせてくるので、各地性の自律性とまとまり感での列島的試行錯誤に加担する向きにとっては注意事項と映る。
 列島中枢は外交上は、(お人好し系の)変わり者印象を提供することになるとしても、疑心暗鬼を生じさせるような発信を選ぶよりは、よりわかりやすい方で発信することを心がけてきたように見なしたい(特に弱者間での疑心暗鬼は弱体化悪循環に誘う)。
 サイエンスを純化発想で開拓してきた脈は(専門)分化へと急進化させて、全体としての質量においてもサイエンスとして専門家となるような思考そのものを不可能にさせかねない方向性に邁進(まいしん)中だ。
 漢方発想での事態把握を可能にする(たとえば腹診など)サイエンスバイアスの使いこなしだって多分、純化試行脈同様にサイエンスを育ててくれそうだ。
 どういうことかというと、余程の偶然が機能してくれない限り、いつかは同じことばで同じ事象について語り合えなくなってしまうヒト性をヒトゆえに切り離すことができそうにないから。
 実際的時間を区切って、成果を成果として応用できて、のところで耐えて、次の世代に渡していくことの繰り返しで、そこに実質的熟成のその先をあてにはできない辺りに、そろそろ気づいておいても損はなさそうだ。
 ことばを使わずに、熟練工の古代史以来を想像くらいはして、伝え合えたとしても、現存の諸々を前に、時間的にも、たった一つの精度に近づき得ない辺り。
 その時はこれぞ、とその確かなそっくりを真似てみせたつもりが、専門家水準で見逃していたことに後に熟練技術者・学者として気づけたりは、ありがち、と察する。
 だから分化の方向から寄せ集める試行もありだけど、全体把握の方から接近できることも同じようにありと察する。

 


   川柳もどき

    専門家諸氏はすでに燕にも気づいていたし
      加耶諸国の動態にも気づいていて
      燕絡みからは楽浪郡帯方郡・半島諸地域・倭
        を関係の中でとらえてもいる
    そして何年もたって今年はもう2024年(令和6年)
     素人の興味はどういう整理の成果を今年は読めるのかな
     だったり
    マスメディアはそこらを多分、拾ってはいても番組には
     してくれていない(多分)