連載は続く~ SF掌編『SFが羽(は)ばたく』編


 多弁で面白くて・・・だけど冷静に振り返ればだまされてたのかも・・・のような話が渦巻く政治の世界を相手のマスメディア担当諸氏においてはその手の話法に騙されてたまるか以上に同様に話を面白く関心を誘いながら、しかもそれらタヌキにだまされないどころか‟真実‟をことばにさせて出させるまでをこなす意欲まで内に育て、そしてタヌキ症候群に感染すらしてしまう、ということもありえそうだ。
 だから政治家相手に内情は、本当のところはどうなの?といった関心をめぐって偽装タヌキで攻める番組構成、という事態には視聴者諸氏は何度も遭遇されてそうだ。
 ところで、それが大地震をめぐる備えとも関わる話題に応用してしまうスタッフ諸氏が関与するような場合、どうなるのか、を素人老人的には見た気になっていた。
 1時間30分(宣伝時間込)の時事ネタ報道番組のBSTBS版を2月の16日の夜見聞させてもらった。
 そこでは低確率とされた土地での地震発生はなぜ?のような話題をめぐる番組とあらかじめ宣伝されている。
 一応1月1日の能登半島地震のニュースが未だに生々しい状態だから余計に素人老人は興味を持ってしまった。
 番組の進行としては南海トラフ地震の発生確率の数値の話題から入った感じだ。
 20%の予知情報も有力だったのに、60から70%になったのはなぜ的。
 視聴者向けには、どちらの確率を採用するのかに当たってサイエンスに相応しいのはどちら、というニュアンスを感じ取らせようとしている。
 進行の松原氏も、ゲストの元総務長官の片山氏、名大の鷺谷氏、東京新聞の小沢氏も、特にゲストの諸氏は地震予知がマスメディア系報道においてすら現状無理なこととされている辺りをしっかり踏まえているようで、番組が発する問いの内容に、千歩くらい譲って確率とかいつ起こりそうとかと関わる予知からみのことばを慎重に選びつつ付き合って答えてくれている。
 松原氏も当然、報道してきたいつかではその類の言葉を発してきているはずなので、恐らく、その時点でも地震予知は現状無理ということをご存じのはずが、そこらを棚上げして、回りくどく話題を一応ふくらませているつもりの問いかけの順を追っている。
 つまり素人老人でさえこの番組の進行の場合、10分間で済むものを1時間ちょっとくらい使ってたな、と思えたわけだ。
 やがて話題に変化が持ち込まれ、実は、危ない大地震に備えた巨額予算が組まれることが慣行化されていて、片山氏の知事経験からして、大地震対策とは相当離れてしまうような事項に使われたりがあると指摘されるくらい(理由付けがそうだとして国と自治体が2分して負担し合うから自治体はその事業を引き受けるとその半分分余計に費用負担が増えてしまう)、無駄な出費が込みになっている辺りを指摘・紹介している。多分、この番組ではここらを重心にしていたのでは、と思える。地震予知の無茶は10分間の濃縮解説で済む。確率表示の低い土地での地震頻発列島の実情をレポート込みで番組に取り入れて、能登半島の場合の復旧の大変さの要因など探って応用のアイデアへのヒント発信程度の番組にもできたろうに、という素人老人過ぎな感想もことばにしてみたい。
 一方で、同夜のBSフジ版では、税の組み立てと使い道について整合させて、世の中の営みとどう関わるかについて世間に説得する過程も込みで仕事することに慣れたかつては官庁勤めだった片山氏(自民党)、玉木氏(国民党)、経済評論の加谷氏がステルスタイプの税金についての問いに答えていたのだが、BSTBS版が紹介していたそれなりに巨額の大地震対策費用についても、能登半島地震での生々しい教訓をいかして今何に使ったらいいのかとか配分とかの実務経験系ならではの発想を開陳してもらえらた、余程ありがたかったが、番組局が違うし時間帯も別々ということこでそうはならなかった。
 地盤が脆いの能登半島のような土地柄は、第三紀層が表面を覆う関東平野各地でも無縁とはいえないから、いい教訓にできそうだ。
 どういう道路網として構築できるのか。
 上下水道の敷設にしても、どういう材料とか仕掛けとかたとえ壊れても復旧しやすさとかをあらかじめ組み込めた仕組みでの工事が必須のようだから、設計面での技術者諸氏も、敷設の技術者諸氏も合体してアイデアを詰めてもらえた方がより良いものにできそうに素人老人的には思えた。
 今やスマホは高齢者も使いこなす時代。だからその途絶は致命的な事態に近づかせやすい。そのためのアイデアも列島事情を想起できればいますぐにでもの類と察せられる。
 断たれた水源、排水網、だとしても、なんとか現状を維持できそうな代替手法をかなりの広域、人口の局地の各所において可能にし続けられる事前の準備ということも具体的に今用意できた方が相応しそうだ。
 災害時のインテリジェンスとかを強調されていた専門家の意欲を踏まえるなら、道路網寸断状態を前提に、緊急性、対応性の順など踏まえて、固すぎて融通の巧みが機能しなくなることも一人のアイデアが凄いとしても鳩首協議だってたまには発明発見をもたらすことを思えば、統制状態にしないけれど、最低限の通路を確保するアイデアの線は有効に使えそうだ。そしてどう何を送るべきか(必須の予定や希望)、そして送り込めるか(リアルな制約)の辺り。
 同乗する中に介護発想で鍛えた看護師部門が一人でも関われるとそれなりの対応の広がりを可能にする(現状許された医療行為と介護領域をテキパキ個々の事情に応じてこなしてくれる)。
 森林の維持管理の列島版はどうなっているか。
 過疎の各地で、避難はどうおこなえるのか。
 大地震時の火災は危険なことがわかりきっていることを踏まえて、消防のための諸アイデアとその先の実際対応策はどうなっているのか。
 建物はどのように堅牢に作ったところで地面が動く・変化してしまうことへの対応とはなりにくい辺りに気づいて、建築家の頭脳と閃きに期待してすべての建築について、斬新な設計、施工の具体はいつできあがるか。それに基づいて資金は動く。人生設計も変わる。
 大きく経済の営みの都合としての、稼ぎ手の問題を自動車とかIT関係とか(エネルギー源ということで)基礎部門の電力とか燃料とか素材とか巨額部門の設計次第のところに、どういう工夫を持ち込めれば自然災害耐性となるか。
 それでとりあえず巨額を回せて、その他の日常を支える変化に富んで融通も聞かせうる部門の各地がそれなりに資金繰りに苦労しないでなんとか営めていれば、地表面での様々な不可抗力の負荷をどうかわしつつの辺りへの関与の方で、巷との間にバッファ程度の干渉帯っぽいのを備えられる。
 素人的にはこんな程度の大雑把な使い道しか提示できないけれど、もう少し詰められる諸氏において、大地震対策巨額予算の使い道は無駄などしてられないぞ、となる案を導いてもらえそうだ。

 


   川柳もどき

    たまたま地震災害をテレビ画面に見ていて
     歴史を振り返れたつもりになれた時
      病的にならないような注意が要る
      とはいえ
       そこら色々を心配するその精度とか広がりとか深度とかのイメージ
        にゆだねて、暇なしで観念系を作動させている様は
      科学なりサイエンスなりが誕生しつつある様のようにも
      受け止めたくさせる
    安穏を否定するものではないのだけど・・・の辺り
    超密度でもって想像できること、すること
    が
     かけがえのないように映るなら