連載は続く~SF掌編『猛暑の中、テレヴィ番組三昧』編




テレヴィのドラマ『医龍』を新作のドラマとして見た。つまり、今まで見たことはなかった。ただし、いつかどこかで部分的に見ている。長髪で悪役のような奇人のようなキャラを演じている医師役とか麻酔医のやはり特異なキャラのしぐさなど、ごく短く見たのを覚えている。
このドラマは一方に外科医の技量のための場数は海外の紛争の場にあり、という誘因を含ませつつも、広く近代・啓蒙の線で医療をとらえた時に出てくる諸テーマ(何が大事かを判断するために必要な考え方とか、何がヒトを助けたことになるのかとか等)をもめ事の芯のところに据えて一応見るものにも考えさせるようにできていると受け止めてみていた。
第一シーズンの11本、ということで2006年放送のもの。なんと13年も前の作品だった。
介護現場と違って、医療とりわけ外科の手術からみの場は、裸どころか内臓まで丸見えにしてしまうすごい番組で、というか外科手術だからどの番組だって当然そうなるには違いない。性別に関係なく、内臓を赤裸々にしてしまう。しかも力強くも、或いは繊細極まるタッチで内臓をいじくりまわすシーンも沢山出てくる。リアルな現場ではもっと激しく、また繊細に内臓を扱っていると推測できる。それが日々膨大に繰り返されている。そういうヒトの集団的営みの一面を想起させる。
だからプライバシーに関しても医療者の本格派ほど細やかな人格であるようにドラマでは描かれていた。
そうことばにしてきて探偵氏、ふと、事件性から考えている。
外科医は力量のある人々にとっても手術・症状の様々について場数をチーム医療としてこなせるかどうかによって、結果的な力量の育ち具合が移ろう。
そこで番組では紛争の場での救急的医療への参加がいい機会だよ、となるわけだけど、そうだとしてもその同じ時期に生まれ育った土地柄で同様の体験を詰まるならば同じように育っておかしくない。むしろ紛争の場ならではの危険を回避できたより集中した体験すら可能になりそうだ。
恐らく紛争の場ならではの緩さ、失敗こみの場数体験を想起しておいてそう外していないはず。経験を積むということは失敗からどれほど学べるのかというのが、ヒトの通常の様だ。そこを失敗を極小化させるための一つとして啓蒙系の試行錯誤を置ける。
ところがその啓蒙、近代の線において一方に失敗を許さない圧が働きがちだ。確かに、の一面も強くあるので、表現上は難しいのだけど、ヒトは失敗ゆえに成長できる面が大いにあるわけだ。その失敗をはじめから遮断してしまう試行錯誤の過程とは。
それに加えて近代・啓蒙の線で昨今ではそれがゆえのクレーマーノリのようなのが生じてしまっている。そこで留まっていてはヒトの集団的営み上、ただ不都合にしか作用しそうにない。失敗、クレーマー系からの追及が、医療従事自体へ不都合に働く、とかになれば、もう啓蒙の底流をなんとか改良しないとダメ、ということになりかねない。そういう事件性を探偵氏は心配している。
そんなことを考えながら、キミがかつてしていたように(今もそう?)ながらでテレヴィ番組を流していたら、なんと介護施設を評価的に見て回っている多少高齢な上岡氏を関わらせた列島施設事情を紹介しているではないか。しかも、かなり問題性を近代の線で押さえようとしている。近代はただ単調と複雑すぎる合理性とかで括れるものでない、検証に耐えるお互い様性の観点を外せない。
それが働いている。
認知症の人々は判断力を一応、一人前と見なされない。なのに買い物を誘導する。
糖尿病系の人々に糖質たっぷりのお菓子を積極的に売りつける。
さすがに介護施設だから、目標売り上げ額とかはあっても、罰とかを控えさせた売上額のノルマを課するようなことまではしていなかった。それでも先の件についてしっかり問題性を指摘している。マスメディアでもその程度には啓蒙が届いていて、列島の支払い手段の散らばり方への工夫を考えるようになっている。体をわざと壊してそこに費用が掛かって儲かっても必要なところの必要を充たせないようでは、なにもならない、ことに今時の大人たちは気付けるようになっている。何かが変だった時期から、そのからくりに気付けるようになってしまっている。
食事も手を加えて、作り立てくらいのを提供しようと思えばできるし、そうした改良を機敏に柔軟な思考転換でできる経営人のいるところは相対的に歓迎されやすいことを紹介していた。内部告発な元介護職諸氏も登場していたけれど、要するに、わざと悪い介護環境にしてしまうような現場の人々は今時だといつのまにか情報公開されてしまう、ということだ。それくらいの身軽な、介護環境改良の情報空間はインターネット登場によって、一方の圧くらいにはなりうる、ということのようだ。そこにマスメディアも遅れてはならじ、くらいに番組作りを普通にするようになっているようだ。
すると私ももう少し、大雑把に見過ごすという構えではなく、もっと事件性の視点から介護現場についても探偵の力を発揮してもいい、というようにうけとめていいのだろうか。






君:あら、もったいぶって、いらっしゃる。
私:そこは、話をポンポンって進め過ぎても、ね。
君:工夫、ってこと?
私:多分。
君:他人事、ね。
私:並行してパッチアダムスの何度目かの再放送をBSで見てたし・・・・。
君:善人ぶることを回避しながら、ということは緊張感を抜くことなく、いかにパッチアダムスキャラを発揮し続けられるか、ってこと。そういう彼女を犠牲にしてしまうエピソードが切実な映画だった、わ、よ。
私:そだね。なんとか助けられないものか、ストーリーを作り替えたりして。でももう昔の映画だからね。それを踏まえて、油断しない今風を志せる。
君:探偵さんはどういうキャラ?
私:どうかな?きょうも、施設の部屋でPC、スマホとかじゃないんだ、これが。PCいじってたみたいよ。PCのパワーが必要なゲームでもやってんのかね。
君:オタク?探偵さん。それってオタク、よ。
私:PCいじってるからってオタクキャラ、とは限らない、と思うけど。
君:いまだにキャラ、つくれてない?・・・・。
私:きょうこそは・・・いつもそう思い続けてるんだけどぉ・・・。そこを汲んでほしい、なんちゃって。
君:パッチさんはもっとずっと爽(さわ)やかなことばの術をもってらした、わ。少し、油断してしまうかも。
私:じゃ、お茶しながら話の続き、なんて、その前に、散歩?
君:・・・・どうしようか、な・・・。って、いいわ、よ。
私:決まり。