連載は続く~ SF掌編『(へそとは関係なく)ワープして新羅郡を訪れ、その後一夜明けてU-23男子サッカーの試合を見る』編


 旧新羅郡の台地を通って荒川へと流れ下る小河川のいくつかの水は適度に澄(す)んでいる。
 荒川左岸でもより中流域での関東平野に目立つ台地は、その裾から崖のようにそそり立つほどではないけれど、急な崖の形を見せる。高さにして10m未満程度。
 それと比べて、旧新羅郡があったとされる台地は、10m以上の崖を見せつける。
 https://habs.rad.naro.go.jp/ から閲覧可能な旧列島地図でより鮮明になるのだけど、‟新‟荒川の流れも曲がりくねっている以上に、江戸期舟運の盛んだった新河岸川が荒川右岸をくねくねと曲がりくねりながら流れ、ここらで荒川とつながっていた。
 ちなみに江戸期の挑戦的経営層(舟運の担い手諸氏とか)には常陸、下野、上野、武蔵の境近辺から移動して事業を起こして成功させるようなタイプもいたりする。居地から移動してそこを本拠地にしてしまう気質の持ち主諸氏が多分、大ぜいいたことを想像させる。 どの程度の澄み方かというと、ハヤの類が群れて元気にいるのを見ることができる程度と指摘できる。
 家庭排水や工場排水が混じりやすい土地柄の街中を流れる小河川であっても、それなりに群れる魚種として、諸氏において観察されているとは思うけれど、その見え方が、水の透明度次第の辺りを指摘できることで、旧新羅郡を流れる小河川の水の質の一面を指摘できそうだ。
 栄養溶け込み過多だと底の方の生物相のあり方から汚れてるなとか色々印象させられるのだが、栄養に乏しい海の場合、そこに栄養をもたらす様々な要因が逆に指摘されたりもする。プラスチック類を魚の類が栄養にできるようになっていて・・ということは当面期待できそうにないので、迷惑ゴミの一種に過ぎないが、たとえばサンゴが海の生き物たちにとっては起点となる栄養源であることの指摘は、素人老人にとっては新鮮な印象をもたらしてくれた。
 そのずっと以前に柴谷氏と槌屋氏との対談にて窒素リン酸カリのうちのリンの循環についての知見へ言及があり、海の動態の一面に気づかされた時も相当に新鮮だったりする。
 新鮮じゃないとまずいのか、とか返されそうで、じゃ神仙を選ぶか・・とかダジャレ抜きに、だけどまさに爺さん臭い表現もあるしな、とか、ニュアンス違いの印象を持ち出せないわけではないが、果物は腐った系を楽しむたしなみ方もあるけれど、素人老人のいつもはできれば神仙ではなく、新鮮なくだものをおいしく感じるとかで、押さえたくさせる。
 旧新羅郡へ荒川左岸から右岸へ、更にその崖を上り切る意欲を萎(な)えさせなければ、なんとかたどり着ける。
 だけど、まっ平らな台地が広がっているというよりは、西から柳瀬川、黒目川、越戸川、白子川と幾筋も河の流れ毎に展開する台地と低地との上り下りも必須だ。
 カシミール凸凹地図表現から確かめてもらえるなら、台地の起点から末端にかけての流れということで、その凸凹具合も自ずからの辺りを観察してもらえる。
 そして、高志書院高麗郡関連の諸著作の中でも触れられる新羅郡は、現状の考古知見からは、ひょっとしたらもう少し別の位置に、より中心的土地がありえているのかもの仮説もしてきされるくらい、いかにも郡の政治が機能していたタイプの考古知見が登場していない。ただ、荒川河川敷沿いの崖っぷち地域の台地上の辺りにより集住域を認められるなどの知見は既知になっている。
 台地のより上流域は、いまだと乾燥気味な畑地や雑木林が広大に展開していて、昔もそうだったのか今の利害からそうなのかは確かめる必要あり、だが、高麗郡にしても、水流を利用できる北と南、その間の乾燥気味な畑地か雑木林域という構図を現状観察できるし、南域に廃寺系の様々が考古知見から紹介されて居たり、それなりに素人観察上の参考にもできそうと素人老人は受け止めているのが現状。

 山口博氏が指摘(*)する菅原道真綜緝版万葉集全20巻(現20巻)の第15巻などにも少し興味を持ち始めた素人老人と指摘しておいて、今朝みたばかりの男子サッカーU-23の試合の感想。
  *ネット上で公開されている"万葉集平安朝形成説は可能か"『上代文学』を参照

 アメリU-23代表チームと日本U-23代表チームとの試合をNHKBSにて見た(ばかり)。
 日本U-23代表チームの先発メンバーは、かなり精度を保ってボールをやり取りし続ける力量を披露してくれていた。
 しかも素人老人である当方はオフト氏といってもその手腕についてより具体的には再放送されたオフト氏が高校生男子サッカーチームをコーチした内容くらいしか知らないので、それを度々引用することになってしまうのだが、シュートへ向けての動作の一環としてボール移動の速さならパス回しだ(対ドリブル比較)、ということでの連係プレーについての考え方を素人なりに踏まえさせてもらっていて、それと素人流発想を織り込んでしまっているのだが、このU-23チームはすばらしく精度の良いパス回しとシュートへと誘う発想共有の下、試しのシュートをも何本か積み重ねている。
 今時の女子、男子サッカーの若手諸選手はとにかくボールさばきが上手(2011年なでしこの際立った足技トリオに輪をかけたくらい(視野配りを含め)上手)。だからか、チームとしての育て方に向くように、お互いがお互いを補完し合える方の発想も生々しく使いこなす。上手下手の発想が介在することなく、その瞬間必要な関わり方での最善を尽くせるタイプ。だからこそ、監督・スタッフ諸氏による人選はゲームの質へと相当に関わりうると別の面を素人すらが指摘可能と見る。年代に関わらない代表チームの以前の試合で、解説氏が、組み合わせの妙の辺りをその日の選手の動きから指摘されている。FWやMF,
 DFでもフォワード的に動き出す選手が前を向くことで可能になるプレーにつながる場合に、実際に生々しく、前を向くプレーにつながる、別の選手のプレースタイルとして関われるか、そう関われず、後方を向く方へ誘いがちにするプレースタイルの選手かで試合運びが相当に変わってしまう、というもの。
 ここらは年代無関係、U-23ほか年代別代表チームでも同様と察する。女子のチームでも同じだ。
 さて、印象に残ってしまったのが、パスを得てドリブルで疾走する荒木選手が、その脇の方から追い抜いて、いいタイミングを期待してますよモードを発信しつつ前方に出た藤田選手へ、(女子でいうなら藤野選手っぽく)タイミングを瞬間図って、早めのパス。それを藤田選手が精度よくトラップして即次のプレーへ。そこでも入れてほしいぞ、と素人の老人はついことばにしたくなってしまうのだが、ゴールをわずか逸れてしまう。
 ただ、こういう形への試行を試合中に一二度試せて、次に決めきる、というパタンは凄技選手たちの試合では珍しくないから、この試合の状況の中での一回試せたことの次を期待させるシーンと素人からは見なしてしまうわけだ。
 後半に入って選手交代毎にパス精度は微妙に落ち続けて、しかも、アメリU-23代表チームも長いバスを使ったショートさせた攻撃パタンを多用するようになり、ボールを奪われては攻撃の圧にしばらく消耗させられ、ボールを得ても精度いまいちの連携チームゆえに簡単に相手チームボールとなってしまって、その隙をついての一点を得たものの、のような試合運びを目立たせた。
 ケチをつけるノリよりはリアル描写ということを意図してのことば使いになるのだが、一点を取れたとして、その一点のシュートを蹴れる位置にいた偶然は他のだれかもそのポジションや役柄を任されているならば可能だったのか、それともその選手の特有性だったのかの検証は必要だ。素人考えに過ぎないけれど、動き回る中で90分間精度のよいパスやボール扱いができて、相手の大柄の選手からの圧にもマラドーナ選手並に転んでなるものかプレーを貫けて、状況に慣れればシュート精度も100%に近づけられる選手ならば、筋肉もりもり多重もたっぷり系でなくてもかまわないのではないか、と思えてしまうわけだ。見極めとしては、精度が落ちて不可逆だなとスタッフ諸氏が判断したら即交替する。
 その時の候補の一人として体の具合が相手チームにとって、負担となるかもの要素から選択されることもありうるし、他の可能性の方で別の選手が選ばれることもある、という使い方でがっちり系は候補にしうる。
 アメリカのU-23代表チームの圧のかけかたが前後半で変化したというよりは、シュートへもっていく仕掛けの方で間を省く作戦を多用してきたと素人からは伺えた。だからボールを自ボールとして確保し続ける時間の違いが前後半の様代わりをもたらしたと、素人は見た。
 それくらい各選手の負担感は、チームとしての連携性が即席にも関わらず濃密な世代のチームの場合、人事を仕切るスタッフ諸氏の関りの度合いは大きく作用してしまいそうだ。
 怪我の対策としては、もうプロチームの世界に素人が口出しできるものではないのだけど、素人発想から少々。
 瞬時の衝撃可能性に対してはとりあえず2通り指摘したい。
 その衝撃を吸収なり逃す筋肉系作動が一つ。(イメージとしては、筋肉系、骨格系が柔軟に一方で衝撃を逃す(スポンジのごとく物質的にも)、一方で体の各所に無理な引き離し力が加わらない支え力を効かせる)
 もう一つは、逆に、衝撃がダメージにならないように筋肉系をより緊張、引き締められて一種食いしばってその衝撃を跳ね返すタイプ。(イメージとしては、こちらは体がカチンカチンの一固体となってしまうような感じ)
 瞬間でも弱い部分、目とか鼻先とかのダメージを回避する敏捷性は必須だろうが、力の加わるのそれ自体を回避する動作が要る時以外の動作として、そういった二つの身のこなし上の瞬間が可能と見る。


 O-70、0-60の男子サッカーの試合はハイライトで見ることができる。
 未だ見ていない。
 そのルールが興味を誘う。
 アイスホッケータイプの選手交代ルール。
 11人先発に対して14人が控えている。これも面白い。
 素人老人感覚では、体育会系の昔タイプを多少ひきずってそうな世代ではあるけれど、サッカーといえば恐らくO-80の諸氏もきっとサッカーを面白がれていると察する。
 0-60の写真の一コマはそのももの上がり具合からして衰え知らずな感じだ。
 女子も多分、オーバー年代に澤氏とかの世代がこの後に三十年して、参加してくるから、相当に本格的な試合をみることができそうだ。澤氏が16歳で出場した国際試合の頃の現役選手諸氏も実は凄かったことはNHKBSで放送中の伝説試合集をみれば素人の老人でも気づける。だから10年か、20年後にはそういう女子試合も各地で繰り広げられてそうだ。