連載は続く~ SF掌編『青空がここちよいのは進化ゆえか』編


 蒸し暑い‟夏‟を知る(というより経験的記憶として染みついている)老人からすると、梅雨を挟む以前のわずかな時期、貴重にも、いくらかさっぱりした方でその暑さを得て季節を感じられる時期を使いこなしたくさせる。
 ところがそういう‟過ごしやすい時期‟だからこそというか、夜更かしと早起きの変化にとんだ日々を通過させやすくして、思い通りにはいかないものだな、とか、いい加減。
 ヒトのたまたまその中の素人老人に限ってはそんな感じだけど、自然の方はと言えば気象を激しく揺さぶる一方で、季節の空を演出してくれて、その空間の広がり具合の実感的体験を経験させてもらう。
 青空はヒトの観念・記憶の産物として広がり感を"直観"できた気にさせやすい。
 この時期の雲は、盛夏もだけど、空の距離感をよりリアルな方で、実感として響かせてもらえる。
 天にはそこまで!という距離があるかのように、そこでへし折れて、高く高くせり上がってから横にモクモクと広がる積乱雲と呼びならわすことにもしている雲の様など、ひょっとして空って意外に狭いの?とかヒトの観念をもてあそばせかねない。
 青空だってそうだ。
 宇宙ステーションに滞在中の諸氏からすれば、真っ暗な撮影スタジオの中で照明の当たった地球とかその周辺で反射して光る所を視野一杯にしている分にはどうってことないかもしれないけれど、ほとんどつい見渡して真っ暗な中にポツン、ポツンと反射する何かしらを視野におさめる感覚は、真夜中の不安な子供の体験とごく似てしまいそうだ。
 いやいやその真っ暗な夜をたいそう面白がってたぞ、という現大人諸氏も大勢いらっしゃるだろうが、一度や二度くらいは、と問えば、多分、かもね、くらいは答えてもらえそうだ。
 視覚上、宇宙(高高度)からの地表面はのっぺりしてみえる。月もそうだ。
 けれども、かぐやがもたらしてくれた映像ゆえ、地球儀はどうか?月球儀は既に凸凹のリアルが鮮明に表現されている。

 列島在住の諸氏においては馬はお馴染みだ。
 USの映画でも、時々、裸馬を数頭引きながら馬に乗った何人かが移動したりのシーンを見ることができる。
 列島の歴史もそこらは親切に細かく紹介してくれているから、駅家(うまや)が適度な距離間隔を持って配置されたり、生き物の馬を便利に使いこなす知恵はその昔から育っていた辺りは推し量ろうと思えば一般にも可能そうだ。
 激しく馬を使役する場面を見て、競馬とか馬を観察することに慣れている現代の人々からすれば、その馬は早く代えてあげないとへばっちまうぞ、とか直観してしまいそうだ。 競馬の1000m、2000mでも多くの競走馬はその速さを保てないくらい消耗してしまうのがよくわかる。逆に強い馬だと、その最後の所でぐっと加速して、それ以上は無理、という辺りを見せてくれる。
 重い装甲車タイプの乗り物に体は大きいし重い鎧をまとっただれかを乗せようものなら、馬たちは大変な労力を強いられた格好だ。
 だから素人老人の推測に過ぎないけれど、大昔から馬乗りの凄いやつらは体重がそう馬にとって負担にならない人々から選ばれていたとことばにしてみたくさせる。
 でかくて頑丈なタイプ諸氏は歩兵とか重たい装置を引っ張ったりする役柄に相応しい。 馬たちにとっては自在さを発揮させづらくするタイプと見なせる。
 その比較的軽い馬乗り諸氏を乗せたとしても、それほど長時間の激務に耐えられそうにないことは、ハッキリしている。
 そういった生き物たちを使うことがもたらす制約から"解放"されて、ヒトは勘違いして、乱暴者を演じるようになってしまったのだろうか。

 ことばへの信頼・法治を志向するその可能性に賭けてそうな現代の世界の指導層ということに一目置くなら、世界には共和国や民主義国や人民国がほとんどで、お互い様の蹂躙にあたる(色々な意味合いからの)暴力沙汰については法治の方からの制御が働きやすいと思える。
 超大国への信頼の証として、各国が様々な役柄を演じ合って、若者たち(現実を学びつつ、より理念的ことばの学習を、どうしょもなく先鋭に信じ込みやすい(とにかく若い)年代)にとっては、わかりにくいことだらけを棚上げして、分かった気になる方で折り合いをつけて大人社会へと出で立つしかないような具合に素人の老人からは見えてしまう。
 けれども、そこらの弁証法役割分担の辺りにこだわり過ぎても、込み入って若者時間にとっても一朝一夕とかついでに、で上手に付き合いきれるリアルの場ではなさそうだから、素人老人の先入観からすると、とにかく理念とかの内実を検証できる力を知識他でつけながら、現実理解のための言葉の方の習得も怠らないようにして、しかも自分流の生理との正直な付き合い方も忘れないようにして、必要以上に自信を失わないで済むような工夫もしつつ、お互い様の距離感とか時間感覚とかたとえば医療においても個々性、オーダーメイド医療くらいの想像力を発揮できる医師が育つように働きかけ合えるようなお互い様観をお互い様にしておけるくらいの世の中構想程度は持ち合えて、すると、世界大、地表面規模において、持ちすぎた支払い手段の各個における使い方の工夫位は、地球上に住むヒトの知恵として共有できているようなイメージなども持ち出せそうだし、加耶諸国のバラバラ性における個性と諸国としてのまとまり具合の特性とかより具体的な研究から判明する内容次第では列島のある時期以後と列島内文献が登場し始めた時期以降へその解釈に当たっての勘違いや筋やがより明確になってきそうだし、金利収入で巨富を嗜好するタイプだった‟ローマ‟の趨勢を真似てはまずいとか、今時の超大国が手本にしたほうがいい先例はということで持ち出せる事例の読み直しも放っときゃいいのさじゃなく、少しは親切に知識系が提供した方がいいだろうし、とにかく、役割分担のこんがらかり事象を見て、将来を決めるよりは、もう少しリアルに近づける学問もしながら、世の中とまじわって大いに学んで、しかも個々の時間をしっかり確保して、忖度の嵐との相対的距離を置くことも忘れずに、その役割分担のリアルな分野で活躍したい若者は公務系を目指すことになるだろうし、使いまわしになるかもしれないけれど巨富を得ることもできると思惑できる若者は少し挑戦系の分野をめざして思う通りにいかずにありがちな人生をたどることも失敗ではないのだから、思う存分楽しめばいいわけで、またそういう試行錯誤もできれば、そういう土俵なり舞台を成り立たせて置ける費用面を個々なりに負担することでその世の中の営みは可能になるから、公務系の腐敗にだけは充分に注意するし、そうならないタイプの公務系を応援しながら、公務系ではない膨大な人生たちが巷の自発的形を時期時期なりに描くことになりそうだ。
 素人老人的には、民主だ、共和だとわかったつもりにならないで済む列島タイプの流れもたっぷり尊重したいタイプだ。
 それらことばを用いただれかがそれを生きているわけではない辺りをお互い鮮明にしていられるならば、それらが発する理念の辺りに気づけて、同じことばを用いていなくても臨む・望むなんらか、志向のその先はお互い様と指摘しておいて差し支えなさそうにも思える。
 晦渋(かいじゅう)にしてごまかすタイプもまずいのだし、シンプルっぽくして実は個々性について無頓着の方へ誘うようなことも実に迷惑なのだから、そこらも流れ去ることばの奔流(ほんりゅう)に忖度し過ぎずで、論争ならばそこで結論をすぐだすことはなく、持ち帰って一晩程度は寝かせて、それから考えたってヒトの場合は無茶なことではない常識をお互い様にし合えることが大切なように素人の老人は押さえてみたい。
 研究にしろ、事業にしろ資源、その場に必要な知見・技術を持った人々や必要な道具や材料や設備やに使える資金・支払い手段の類が欠かせない。
 それをどこへどう配置し合えるのかのあたりをめぐって、個々の都合の内実の様々が試行されてきた。
 今も決定的な何かに落ち着いたわけではないけれど、大儀のためのことばの数々はともかく、知りたいことをめぐる様々な学問の分野での観測の数々も膨大にこなされつつあるようなことは限られたテレビ報道からもその一端には気づかされる。
 そういうことが今は可能になっている。知見の更新が賑やかだ。
 その一方で、正統性の心理作用に働きかける脈絡から豊かにしていないと馬鹿にされそうとかで、支払い手段のめぐりを不釣り合いに保つ思惑も地表面規模では行使されやすいのでは、と素人的には疑問を持ち出せる。
 氷期になれば住めないところに、今の時点で膨大なエネルギーを消費して、何か蓄えようとしていることに矛盾はないのだろうか、そこらだ。
 氷の厚さがリアル観を提供してくれる。
 もっと地球の住人であることのお互い様性の発露についてしっかりことばにしておかないと、急な場で、ことばにつまるようなことにしないか、の辺り。
 観察の予算次第かもしれないけれど、最氷期に向って、どういった土地柄だったのかの地表面規模での層研究の今はどうなのか。
 激しい気象に弄ばれる地表面各地に近いのか、それともパラダイス系の土地柄も安定的に続いたのか(断続的ならば危険地帯の一つだ)。
 支払い手段の使い方、個々の巨富性に勘違いが持ち込まれていないのかどうか。
 地球上の住民間で、調整機能、お互い様性を持ちあえる質の辺りが、将来のことを考えた場合、今だって問われてそうな気がするのは、素人の、かなりの老人だからだろうか、素人老人からすると、少しだけ老人性心配性かも、くらいと、老人だから、素人だからそう気づけたつもりになれているのかも、など指摘してみたい。

 

   川柳もどき

    三郎の滝近くが生業の老夫婦のドキュメンタリー番組
    夫は弱みを吐けば妻がそれを隙とみるかもの思惑を正直にことばにするタイプ
    そのことばをそばで耳にする妻は、素直な夫として見ることばを聞き手に返す
    夫は妻がパーキンソン病そのもので、辛い方の老いを生きていることを知っている
    夫いろいろ挑戦的に試行錯誤するのを妻が助けてきた
    夫はいっしょにいること、いられることの老年のリアルをことばにしている
    そういう取材の様を仕事しながら近くで妻は聞いてもいる
    月にヒトが行く行かないの話にしないと月の観測のための予算を呼び込みにくいのかなんなのか、でも、そういうこと以前に、月知見も相当に書き改められながら新知見が膨大に積み重ねられそうなことをサイエンス系発信番組は伝えている
    USの情報公開は健全そうだけど、内容からわかることはUSの酷いことを鮮明にする皮肉というか、ドウナッテルンダ的。
    CIAとアジェンデ政権転覆事件。CIA系帝銀事件・下山総裁殺害事件
    沖縄での(駐留米軍関係者による)やりすぎ乱暴事件の数々。米軍憲兵系の上官のことばは官僚的だったし
    多様な巷を標榜する欧米の今時と多様が住み合っていた今は戦争している最中の土地を含む中東の地中海沿岸域とのコントラスト
    ちょっと前までの無謀な先輩たちのツケが混乱を紛れ込ませてそうな辺り
    地表面の将来の課題は鮮明。自然のめぐりめぐっての辺りは嘘をつきそうにない
    地表面の住民にできることはたっぷり、今だからこそ可能ということも指摘できそうだ
    沢山の人手が分担し合って、何かに手を付けて地道に積み上げて将来の人々に役立ててもらうとか