連載は続く~ SF掌編『氷河期の規則性は崩れつつ、定型化もしつつ』編


 進化ということを質的な支えを幾分か伴わせてイメージさせやすいのが、見るからに太っているし活動的なタイプでしかも子育てを終えた年代になって一気に糖尿病を深刻にさせて透析に依存する生活を迎えるとか、そうなる以前でも糖尿病ならではの体の不調の状態が生活しずらさへお誘ってしまうとか、そういうタイプ諸氏が世界を見渡せた場合、相当におられる。
 その大昔に、かなりの長距離を航海できた人々がいたからこその太平洋の小島の数々について知識として持てる今時、その地においても、習慣としての経験知を台無しにして、今風へ傾いた諸氏においてはその素質を顕現させやすくしているようだ。
 或る過酷な条件を克服してしまうだけでなく、子を生み育てを幾世代も積み重ねて、それなりの伝統知を形成させすらしうる人々において、現代の衣食住と関わる豊かさが、その生じる年代が子育てを終えた頃だったから世代継承はなんとか果たせても、その後の人生ということでは、糖尿病系の辛い生活を伴わさせてしまう。
 そのシンプルさにおいて、いつかたどった経路をもう一度経験するような環境的激変を時間をたっぷりかけながら経験するかもしれない現生人類にとっては、とてつもない貴重な進化のタイプの典型たちが、この今風の豊かさにおいては非常にきついことになってしまう。たまたま発現が子育てを経てからか、子育てには差し支えなかったから、だったりしている。
 一方で太りがもたらすと一般化しすぎることは慎みながらも、一応ストレス耐性を相対的に身につけてしまうが故の太りの状態を、貧富の格差を肥大させた土地柄では、不満暴発防止策に使っていそうな気配くらいは素人老人からはつい指摘したくさせる。
 有り余ったお金が巡っている状態の中、もしもそういう生活習慣病で生活事態はちっとも面白くなれない状態であっても生きながらえることはできて平均寿命への赤ちゃん年代での貢献とは違った形での貢献はできるようにしてしまう、とかも、こなしてそうだ。
 既存の中に可能性として様々に散らばっている。それが進化現象の素のようだ。
 突然変異が条件変化に応じて即時的に起きて、なんとかなるとかの話にすることもない。
 或る時、突然変異して、それでもなんとか生きながらえられた奇跡が、だれにも気づかれないまま世代を継承していて、或る時、その特性が、他の人々には耐えられそうにないのに、なんとなく耐えられてしまう。そしてなんとか生き延びて世代を継承できたりできなかったりが様々に生じてしまう。
 インフルエンザ知見がそこらを示唆してくれていることについては、コロナ騒動の頃にふれさせてもらった。
 時々の突然変異の大抵は死滅しやすいというイメージ。
 むしろ、院内感染知見も同様だけど、既存の同類の多種の中に、極小の状態で潜んでいるやつ、目立たないヤツだけど、遠洋航海を自然任せの知恵でもって耐え凌いで、世代継承までこなつやつが出てきたりする。そいつらはこの今の世の中のどこかにこっそりかどうかはともかく、われこそは、と名乗りを上げているわけではないのに、いたりする。
 その一方で、進化経路の悪戯(いたずら)は、そこでもたまたまそれが有利に働いたから、と後知恵を持ち込むことは出来るだろうけれど、氷河期の中でも間氷期が終わって、極寒の時期へと向かう激変し易い時期での、典型的に劇的に気象の激しい時期に遭遇した人々の多くは、一日住む(活動して寝て)という基本すらができにくい一週間とか一ヶ月とかを経て、ほとんどが消耗しつくしてしまうとかが起こってしまう事だってありえないことではない。今ヨーロッパ各地での局地的水害の様は、"劇的タイプ"のかすり傷タイプだけど、現地の諸氏においては戦争どころじゃないぞ!!と大声で叫びたくなるくらい大変な事態となってしまう。
 能登半島だって、もう半年になるのに、大変な状態が続いている。
 その劇症型が気象的には恐らく安定的と見なしうる間氷期以外の変化しつつの長年月の間では起こりうる。"気温変化さ"が並でないことは公開されている色々な年輪(層)系の資料から探られたグラフによってだれもが気づける。
 だから現生人類に限っても、各人の可能性がその先、意外に生き易くしてくれたなと、振り返れるケースもあれば、そういった現生人類の中の差異などどうでもいいくらいの、激変が現生人類の予定をより短縮させてしまう、ということだって起こりうる。
 ほんの少々生き延びて、やがて消え去るとかも起こる("文明の利器"を改めて開拓するには時間と人数が足りな過ぎて野生の環境では再び食われる位置になっていたりとか)。
 ただ、ここらも恐竜研究が知見を紹介していて、山の手線内の広々としたところで、ティラノサウルスの場合、数十頭がやっととのことだ。
 人々が知りたかった恐竜密度(人口密度の発想で)の知見が実は、恐竜研究者には知られていた。
 巨大と巨大な食事量との関係からの住み合う密度がそんな感じとイメージし易い。
 でテレビ番組ではヒトの数の多さが指摘されている。ここらは印象操作にもさせかねないから、もう少しサイエンス発想での経路も必要と素人老人は察した次第。
 ヒトは沢山になって、様々を可能にしてきたし、可能性の膨大量を想像できるようにもしている。
 一方でその多くを支える基本の衣食住・時間(活動と寝ることと)の膨大量をいかにお互いさまにできるのか、食うために素材を集めたりが伴う。食えば、消化されて出す他ない。
 その循環をかなりの臭気に慣れた世の中の状態に持っていければ、ある程度は巡らせられる。今時は、それがちょっとやそっとでは他人を巻き込むことはできないくらいの生活習慣ではびこらせがちにしている。
 風力発電に使われる素材もいつかは廃品となるけれど、その扱いがそれなりに負荷をともなわせることもテレビ番組で既に紹介されている。素材が厄介な品質なのだ。
 同様のことが、人の数と豊かさの度合いに応じてかそれ以上にかで、捨てるものを膨大量にさせやすくしている。
 ヒトの方である程度の制御を可能にして、と一応、ここでは置いて、運送業での制約の話題が色々ヒントを提供している感じだ。
 各"コンピュータ処理"系な諸氏がそれぞれ諸氏の"才能"に応じて、事態と関わる情報、データを集めて、より適した運送方法を計算させようとしている。
 公務系は想定的に仮に収入はそれほどではないとしても、資源を上手に使いこなせるなら膨大量を使いこなしうる、とは話にはしておけそうだ。
 だから日々の情報・データ処理の膨大量との付き合いに慣れた公務系が仕切って、計画立てて運送業に貢献する、という手法も考えられなかったわけではないと思うけれど、より多くを知っているからと言って、より現状とちょっと将来に向けてより適したアイデア込みの計画的提案を持ち出せるかというと、結局ヒトの為すことだから、というありがちな制約を伴わせがちにしてしまう、と素人老人的には察してしまう。
 たたき台として採用して、何年かかけて改良して"完成品"に近づける。という余地のある計画ならば、公務系発案策もそれなりに効果を発揮しそうだ。
 でも今時はそういう悠長な計画性は持ち込まれないだろうな、とも素人的には推測する。
 一方で、監督的権限をこっそり肥大化させておいて、市場原理発想からやりたいことはどうぞ挑戦してください。法治国家ですからと背景にしりぞいている。
 で、ファールし過ぎは見逃して泳がせつつ、厳しく絞るタイミングを待ってもいる。
 そういう公務系の偏り方もまずい、と素人老人は察する。
 公務系が日々扱いうる膨大な情報・データにおいて、その範囲から可能な全体像を踏まえた運送に相応しい形の多少大雑把な仕組みは提示できそうだ。
 それには権威とか、忖度のなんらかをまといつかせる性質が払いのかれて民間に提示される。
 それを採用してもいいししなくてもいい。
 一方で、膨大データの各地のコンピュータ処理系諸氏がそれぞれの案をしつらえて、各社に持ち込む。できれば、相互連携性を試せる機会をかなりの時間費やせるような仕組みが欲しい。先の公務系が用意した全体像案も利用できる。質問、応答の機会はオープン。
 現場ならではの、今だからこその性質もあれば、現場だからこそここはゴネとけ的な利害も錯綜しやすいから、そういったことも含めて現場ならではの解決も試行錯誤できる。
 現場の数々も(ヒトの為す脈絡上での)政治的思惑から無縁ではありえないのだから、筋の通った完成案に集約できるための経路にはそれなりの目利き諸氏がそれなりの影響圏を構成できる必要もありそうだし、利権からみでの事情通諸氏の中のたかり上手な諸氏の膨大量も必ずお金の動くところには・・で集ってくるから、そこらの仕分けにも別の目利き諸氏の介在が必要だったりしそうだし、もっともっと込み入ってそうだけど、そこらは事情通諸氏に任せつつ、公開された提案を一般が検分してみるしかない。
 豊かさが巧みに各地、各諸氏に行き渡った世の中の営みの状態ならば、計画系と各部署性とのからみがいつでも可能になるように工夫しておければ済みそうだけど、そうはいかないありがちな世の中の場合、USが今時経験できるドルの恩恵からは遠ざかる趨勢に気づいた時に社民的世の中の仕組みにしておければ、その趨勢であってもUSの世の中の営みにとっては安定の為のバッファ形成も可能になって、激変の中でも人々にそれなりの安定をもたらせそうだ、と想像くらいはできそうに思えている素人老人なのだが、同じ素人の老人が考える格差の実相については、善悪で整理しきれない要素を考慮できそうだ、と端折ってしまって、だったら、社民的な発想での、衣食住についての整理整頓による世の中の営み要素を地表面各地のそれが適していると発想される各所で応用してしまうことも、気象の激変の助走段階の今時においては相当に有効そうに空想中なのが素人老人ゆえだったりする。
 欧米の世の中は、ばくちを放置しすぎだろ!!?と列島在住タイプのひどく老人な素人はポロっとことばをこぼす
 野球とかのメジャーなスポーツ、話題の人はサッカーに賭けてたとか・・・
 万が一、野球が含まれていたとしたら・・・とんでもない一年分の話題になっていたかも
 そもそも収入を生むからということで今時のせちがらさが地方自治体を寄せ集めているらしいし
 放置すればヒトの性質の一面からして身を持ち崩すほど加担してしまうタイプの裾野をより多くが構成するような世の中にしてしまう
 ヒトが含ませる博打引力をある種の強烈な倫理観の下管理しきる試行錯誤は列島でも継続中と見るけれど、それにしても欧米は放置しすぎだろ!?
 格差の原動力にもなってそうじゃないか?

 

   川柳もどき

    空想ネット社会
     より多くがより多くと知り合い関係での情報・データ交換をいつものことにしているし
      それらを整理もしている
     だからジャーナリズムの世界はあがったりなことになっている
     微妙にヒトのこころの作用が働く場面にもなりそうな・・・
     ・・・お互い様のその先を準備できている発想のところは、ここでは出てきてないか・・・