連載は続く~SF掌編『『グッドバイゴダール』を二度見て』編




私:急速におとろえるタイプの台風24号、はなんとなく気象庁情報を追いかけていて予想はできてたけど、それでも、の風の強さに驚かされた。
君:すっごかった。強風。
私:なまってる?
君:そういうこと、気になるの?
私:言ってみたかっただけ。
君:なら、・・いいわ、よ。今日は、お天気。
私:ふふふっ、で、映画見てきた。
君:だろうと、思った。なに?
私:多分、珍しい。
君:なんの、こと、珍しい?!
私:イオンシネマで Michel Hazanavicius 監督の 『グッドバイゴダール』('17 "Le Redoutable") やってた。
君:それが・・珍しい、の。
私:わたくし的には。
君:へぇーっ。そうなのぉ。
私:夫である Michel Hazanavicius 監督と夫人である Bérénice Bejo 氏も出てた。
君:あら、そぉお。ふーん。で・・。
私:そうくる・・・っと・・、ゴダールで行ってしまった、けどぉ・・・。
君:実は、 Bejo さんにも興味があって、って・・。ふふっ。
私:・・・、それには直接答えず、映画の感想、長くなるかも、だけど、聞いて、ほしい・・、どぉ?
君:久しぶりだし、いいかなぁ・・・、忙しいから、なぁ・・・。ってもったいぶってみせるのは、あなたの、真似、よ。
私:じゃ、O.K.が出たって受け止めて・・。この数日間で2回見てしまった。一度目は、字幕追いながら、二度目はほとんど映像を追いつつ。
君:フランス語、わかるんだ。
私:ことばだから・・、特にわかる必要は、ないかも。初回ので筋は一応押さえたつもりだったし。
君:どうぞ。
私:やくざな平等論にならない平等論感覚で女や男が入ってくることを前提に出来てる、とか、わがままなやつらの跳梁跋扈には一応気を付けられる感受性を前提に出来ているとかが仲間内で共有、だいたいのところそうできてるっていう場合のチーム活動として、ならば、こんな風にできるんだろうな、と思えた、よ。とりあえず、ひょっとしたら裸に印象し易い作品かも、と思って、まずは裸の扱いについて、そういうことを指摘しておきたかった。女が女性(おんなせい)ないしメスの魂を表象できるにはただ裸では、田舎者のリアルの話でも昔話として言ってしまったけれど、キレイとかの幻想を持たせにくい。オンナ性からすれば男にもそう言えるのかどうかは、キミの口から聞いてみたいけど。とにかくなんらか演出を経て、男はある女性に感応して官能幻想みたいなのに、少しだけ溺れたくなるかもしれない。けれども、裸とか局所で、というのはあくまでも商売系の片方の利害だけのノリだし、わがままなやつらに基盤を置いたやくざな平等論とお隣同士の発想だったりする。飽きて、燃えての繰り返しをただただひたすら繰り返して、飽きて使い切って捨てるっぽいヒトの姿としては相応しくない、方に誘いがちだ。そういうのとは離れて、その離れ方の観念の置き所が押さえ所を外していないか近い場合に、きっとたとえばこの映画の裸扱いのようなのが可能になる。けれども、その先の話につながることだけど、演技上、ヴィアゼムスキー役もゴダール役も作り手たちが得ている観念とは違ってわがままなやつらの包囲網内ですったもんだしているタイプたち、なんだ。たまたま録画しておいたフォルカーシュレンドルフ監督の『スワンの恋』(' )もざっと見ていて、男役はその恋焦がれる心理に忠実であろうとしているタイプとして演じ切らせていた。だから相手として実(じつ)に見えてしまうので、女はどうにも幻を追いかけるバカなやつという実際感覚がただただ募るだけのように描かれている。だからって女自体もわがままなやつらの包囲網内での演じだから、どうにも異性への表象形がステレオタイプ化していて、今時の視線にとってはちょっと辛くなっているのじゃないか。ただ恋焦がれる方向性を仕切ってくるわがままなやつらを個々性感覚からもう一人の何かのように感受させるバヤイユ氏らのヒントを得ている人々はそう距離を置いて見ることはできていると思うけれど、そこに入り込めるか入り込めないかで困惑させられる観客になる人々にとってはきっとつらい体験になりそうだ。今時はバタイユ氏以後だし、その影響を得た岡本太郎氏らからも部分的はヒント発想を得ているはずの時代だから、『グッドバイゴダール』の裸の現れ方もそのように入り組んでいることをいちいち構造的な発想で解明するまでもなく、ピンと来て、流せているものと思いたい。風呂好きな列島の人々はずっと昔からそれに気づいてたんじゃなかろうか。清潔にしておいて、いつ何時衝動に駆られても、生(せい)のまぼろしを共有し合えるかとりあえず試行錯誤できる、とか。そして子供を作らないための(考えなくても結構うまくいくとかで)工夫が要らないような手法よりは天体観測とか化学とか科学への興味を誘うような工夫へと関心を広げる。そしてお互いの時間的なずれは当然ともなうとしてもお互いにとっての気付きへと近づきつつの人生を楽しめる。欧米流の合言葉に直せば、の話で限定的に使うなら”愛”って、何?の一応の答えになる。列島発想だと既に日常化させてきたことを、改めて一語の概念で、というのは本末転倒のようにも、ボクには思えるけど。第二期というか後半期のゴダール氏の映像はいつもそこらの巧みを持ち込めている。列島生活してるボクからしても、一歩踏み込むヒントに満ちている。刺激になる、とずっと思えている。その第一期、前半期の終了を告げる、エピソードじゃないか、というような映画のエピソードになってるように、ボクは受け止めてしまった。ゴダール氏、ほんと嫌なやつだよ。この映画のは。ヴィアゼムスキー氏のことは故人でもあるし、以前にもどうでもいいように『バルタザール・・』にふれて指摘してしまっているので、この映画の作者諸氏も同じような扱いになっている。わがままなやつらとご一緒で人生の波を構成したがってしまう。涙のシーンは、馬鹿げたゴダール氏に同情無用だけど、だからってそれが女性の方にはね返らないんだ。『カラビニエ』を面白がってしまったわたくしとしては、前期ゴダール氏をそこまでの人物とは押さえにくい。もう少し違ったやつだったはずだと信じたい。ただそういう表現型を採用していた頃のゴダール氏もなぜそうもんもんとしてしまうかと言ったら、それはそれ、しっかり可能性の卵を抱えてたんだ。ことばってのはなんとなく簡単に流通するのが当たり前のようにして”使うこと’に’”してる。ところが真実に近いところ、実体はと言えば、そうは通じ合ってない。学問が足りないながらそこをしつこく(普通の関心ではしつこい追及はつい敬遠してどうでもいいことのように流して、<リアルなそこでの争点について接近し損ねて表象の記号の所に近いところで>どうでもいいことで実は言い争ったり悩みに悩んだりして人生を全うしがちだけどね)は整理してきてくれている。わかってる人々にはだから一応押さえたうえでの先のこととしてことばが流通する。そういういつでも多分、初対面のようなことばが行き交う場であることにいつでも気付きながら映像に収める姿勢は後期ゴダール氏の特徴の一つだ。仕草、対他人としての動作についても”どもる”ことがついて回って当然、という感受性が漲(みなぎ)っている。それがステレオタイプ的に初めてどうしの恐怖心を伴う出会いのようにイメージしてしまうなら、ゴダール氏ですらアンヌマリーミエヴィル氏との生活は簡単に破たんしてしまうと思える。そういうリアルを共有できることとご一緒に、ということはちっとも矛盾してない。『グッドバイゴダール』のゴダール氏が妙に慣れ合える役柄なことに気付けるのはゴダール映画にふれてきた人々の”特権”ともいえそうだ。前期のゴダール氏はそういう雰囲気も引きずっていたのだろうか。一方で、突き放し方も粗暴でね。知的な遊戯の面白みを愉しめてない。一方で、情緒的に走る現象を映画作者たちは押さえてそのことをゴダール氏の感受としてセリフにさせている。情緒の機微も距離感も性別とかについてもリアルでの生き物性にしっかり気付きながら、それではどうしょもないから、ということでの工夫を歴史的に積み重ね、日常性に引き受けさせてきた列島の生活っぽいあたりを、一応対比はさせておきたい。この映画のゴダール氏に限ってなら、よくぞそうなってくれて、しかもしっかり別れるべき人物とは別れて後期のゴダール氏を用意してくれたものだ、と感心してしまうわけ。映画からはゴダール氏はそれまでのゴダールと、ジャン=リュックとも別れた(”死別”した)ことになっている。同時代の衝撃としては交通事故、の方だったのだけど、ね、記憶としては。資金とか名声とかさえあれば評判を取れる、ってことの演出は短期に正体がばれがちだ。だからここで登場してたデザインに関わる、ファッションに関わる人脈とて、生々しい場でのせめぎあいをリアルには生きている人々だ。富あり名声あり、だけではその時だけの話になってしまう。近代ノリの啓蒙を担う意思、意欲を持つ勢力的な脈だとしても、その先での生々しいフィルターを得るのは至難。もちろん、寡占下でのもたれあい、でインチキ占めすることは可能だから、状況次第のところは確かにありそうだけど。ゴダール氏はそういった人々と近いところでいい刺激を得やすかったとも参考にできた。ゴダール映画の一コマ一コマにはそういった栄養を得たところからの発信の要素を指摘できそうだ。Bérénice Bejo 氏が演じて、ゴダール氏が失言したのへ”失礼よ!”と相当に強く叱責した時に指摘された、おじさんのことだし、その関係の人々を想像させる。
君:散歩、に・・・。(わたしは思わず、キミの口へ指を当ててしまった。なぜならこの映画に似すぎてやしないか心配になったから)
私:ちょっと待って。その先、言わないで、まずボクから言わせて、ここは。
君:”むぐむぐむぐむぐ、むぐ”、ふーっ、なによ、いきなり、もぉ、びっくり・・・。
私:散歩、しない?
君:・・・なによぉ・・・、・・・いい、わ、よ、散歩。・・変なの。
私:それから映画館に、なんて決して言わないで、でもお茶なら、歓迎。
君:いつも、そうしてる、じゃない。
私:そうね、そう、だった。ボクって、映画見たらみたで、それが背景になってるっぽい。
君:多分、ね。短い間、とは思うけど、影響されやすい、みたい。ふふっ。
私:行こうか。
君:行きましょ、外、未だ暑そう、よ。半袖でいいみたい。
私:ズボン、キミっぽく、こんな。
君:えっ、それ、真似?!ショーゲキィ!!
私:それ、初めて聞く、キミのセリフ!メモっとこぉ。
君:だれかの真似、でしょ、それ。
私:くっ、くっ、くっ・・くっ。
君:ふっ、ふふっ。