連載は続く~SF掌編『エミシや130mやミシガン大学や』編




私:ちょっと寄り道したいんだ。散歩。人生上の散歩。しかもちょっとした話題の時間の。・・・。買っておいた本がたまってきたので休みを使って走り読みしてみた。
君:読書・・・じゃない?!走り読み、休みも、仕事、みたい。
私:(せわ)忙しない、には違いない、けど・・・、本によって必要な数値資料を探したり、とりあえず著者の研究からわかりかけている指摘とかを参照したり、そんな走り読み。
君:であなたの気付いたことに耳を傾ける、聞き役が、私、ってわけ、ね。
私:当たり!です。って、とにかく聞き流しでいいから、聞いてて。
君:変に謙虚、謙虚っていうか、ちょっと消極的、よ。
私:そうね、でも、やっぱ、忙しいんでしょ?いま。
君:いいわよ、聞き流すから、ふふっ。
私:では遠慮なく・・・。列島の歴史の古い部分についての関心にもう一つ、つまり遠藤氏らの書紀読みに加えて、って感じで同成社松本建速(たけはや)著『つくられたエミシ』('18)を今になって得られたって思えた。内容的にはだれでも気付ける筈(はず)、六国史古事記風土記に目を通している諸氏であれば必ず気付けていた筈のことに松本氏が丁寧にたどることで研究書兼啓蒙書(市民の古代史シリーズ)に仕上がっている。日本書紀だけ蝦夷漢字が使用されている。ここらはだれもが文献次第で、確かめられる。古事記でも確かめられるはずなのに、市民社会のこの時期ではなんとエミシ読みに漢字の蝦夷を当てる改変を経てしまって、原文に近い文献を採用していない。だから今出回っている古事記を読んでも確かめようがない。ここらの指摘は市民読者にとって相当に貴重じゃないか。些細な事なんだけど、影響は大きい。続日本紀になるとかつての用法毛人が採用されている。その昔の事情では津軽海峡の隔たりは並じゃなかったのか、そこを境にアイヌ系の占める地域と加藤周一氏の云う雑種文化っぽい列島系の棲み分けを見て取れる。アイヌ語地名についてはアイヌ系が遠隔地交易の跡を残しているところから相当な活躍系だったには違いないけれど、列島域に関しては地名を残すほどの事態は5世紀前半まで、と指摘されている。山田秀三氏のアイヌ語地名の研究がかつてありえたことを忘れないようにしている。でここからは素人の身勝手な推理なので、コメディかなんかを見てるように聞いてもらいたいけれど、蘇我氏繁栄の位置は倭国の東で間違いない。倭国と言えば当然北九州域だから。倭国の東(宋書の中での記述)のエミシ(毛人、蝦夷)の地域の蘇我氏こそはで古墳の主を英国系はかなりの確度で熟知している。そこらはNHKの番組から素人でも憶測くらいはできる。列島の研究は大切に研究する方法が確立していないからなのか、研究が軽んじられて古墳研究は遅々としたままだけど、とにかく蘇我氏と東の古墳は相当に密接だ。でもってその蘇我毛人(ソガノエミシ)氏が古事記での登場名で書紀になると蘇我蝦夷になっている。昔の人に氏を付けると氏姓制度との混乱になりかねないけど、一応、今の時点からの語用なので、あしからず。無茶苦茶端折って素人見解を言ってしまうなら、象徴的に地付きの蘇我氏の中でも象徴的なソガノエミシ氏を葬り去ることを意図して書紀では蝦夷で統一されて、事件記述が採用された、と見れば、精密研究の研究者ののどに引っかかっていた小骨がひょっとしたら取れてしまうのでは、と思えている。松本氏からすれば蝦夷退治歴史記述そのものが創作に近いとされている。そこまで藤原氏系が残酷なことはしていない、ということになる。記述上は武力でもって制圧して列島をおさめたように感じ取れるけれど、実は、そうではなくむしろ相当な交易の濃さとして読み取った方が良い、とされている。グッドウィルハンティングの偽学生をやった若者のような読書家が市民の米国史に感動していたように、そういうタイプの啓蒙書では、ない研究書の要素を含ませる(つまり根拠を巡って異論反論を十分に許す書き方になっている)著述なので、同じ市民の立場でも各自が余生を使ってしっかり(現地踏査とかを口実に旅行も楽しみつつ)検証しながら自らの説もため込めるようになっている。なぜエミシ~毛人~蝦夷の起源・使い分けだったのかもしっかり文献含め紹介されている。そしていきなり今時になってしまうのだけど、観察ドキュメンタリスト相田和弘氏の『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』をこれは一応目を通した。映像作家ということでその作品も見たくなるのだけど、ネットで探していて『選挙1,2』『精神』『Peace』へはいまいち興味を誘わず、ネットに載ってなかった『港町』『牡蠣工場』『Second Life』『The Big House』に関心が行っている。けれども、著書の中でミシガン大学の学部の長であるマーク氏はそれら既刊のDVDはしっかり見ていたりする。或る期間の授業を達成する(これが退職まで続くのだから、ずっと年がら年中と思うけれど)ために講師・教授陣へもしっかり密着して気持ち作りに工夫以上のことをしている。利害の中をどこに軸足を置くかはマーク氏次第だけど、とにかく巧みにして学習することに意欲を持つ学生が集まり易いミシガン大学の学生たちになにかしらプロフェッショナルの一階梯となりうる諸々を身に着けさせるべく授業作りに邁進している感じだ。そこにたまたま関わりえた相田氏のはったりと優柔不断さがしっかり伝わってくる著作になっている。ここらの指摘を貶め表現に取るとするならば、それは偏見が強すぎぃ、と言ってしまえる。映像作家はそれくらいの胆力を持っていないと仕事としてやっていけそうにない。参照できそうなデータも知ることができた。ブルーバックス新刊『地球46億年気候変動』('18)横山祐典著。ミランコヴィッチ氏の周期指摘に依る、ように書かれている。宇宙線~雲形成の論とは区別を目論む方の研究の線、と察することができる。ここらはだから根拠としては”弱い”宇宙線の根拠だとたまたま氷河期でありその中での周期性についてある偶然とそれがもたらす時間を導き出しやすいけれど、ミランコヴィッチ氏の周期性を持ち出した途端に氷河期のたまたまた性が恐竜の頃だってありじゃないとおかしい、と簡単に指摘できることになって、どうにも具合が悪すぎてしまう。そこらを埋めるために二酸化炭素のめぐりを仮説にしている。ただし、観測事実もしっかり紹介してくれているので、海進、海退の後者について今の海水面から130m下に、最新の氷期では下がっていた、と紹介してくれている。氷河については、高いところで3000mもあった。重さほかの懸念材料を修正材料にして、そういう観測結果が紹介されている。それくらい現状は観測に邁進されている時期のようだ。素人でも、それらデータを検索することで、かなりの準研究くらいはできそうに思える。宇宙線仮説の強みは、丸山氏がちらっとネットでも指摘されているように、火山活動の同時期性の不思議とか順のこととかがわかり易くなる辺りだ。それはそれは宇宙線の仕業の論で何が起こり易いかの検証をしていけば、それなりに条件次第のシミュレーションが可能になる。だけどそれら(偶然事象内での)規則性だけではない、偶然がもたらす自然のとてつもない現象は地球規模となるとごくごく稀に起きてしまうので、規則性依存心は禁物、ということになる。
君:なるほどぉ・・。って答えるような話し方、だった、わ、よ。
私:へへっ、そぉね。素人の想像ってことで話し始めることにしてたから。もぉ、ずばずば、って、ね。
君:ふふっ。・・・相田さん、の作品、その後見たの。或いは手に入るの、かしら。
私:今のところ、ちょっとわからない。東京に出てイメージフォーラムに行けば時々上映しているみたいだけど。
君:ふーん。トウキョウ・・・。
私:そっ、とぅ、キョウ・・・、こんど行ってみる?
君:映画、見ないから。
私:映画館に行ってまで、って、ことね。
君:ミシガン大学って凄そう。
私:でもね、デトロイトとか、今のデトロイトはボクが知らなすぎだったのかもしれないけど、まったくその昔仕込んだイメージとは違っている。ちらっとドキュメンタリーで見た隙間風の風景がむしろ覆ってるような地域に変貌してしまってそこから立ち上がることが難しい状況らしい。
君:ミシガン大学デトロイト市の直ぐ近くってこと?
私:うん。大学のある Ann Arbor から Detroit まで94号線で行けるけど約50㎞くらい。
君:ということは・・・関東圏の範囲、かしら。
私:片道が、ね。広いことは広い。高速が使えて時速100㎞で飛ばせるとして、30分。近いのか遠いのか。でもとにかく市街がとんでもないことになっている。一見不可逆の悪循環に陥ってるような紹介になってた。
君:あなたの言ってたデンゼル・ワシントンさんの映画の話がなにかしら、関係する?
私:いいねぇ・・・。その誘い、もらっちゃう。
(ということで続く)