連載は続く~SF掌編『”おせち”は作って準備する』編




私:師走・・なのに、思いついたので、長いけどぉ・・。
君:どうぞ。
私:まったく聞いてない、って感じ。
君:だって忙しいもの。
私:聞き流しモード、よろしいでしょうか。
君:どうぞぉ。
私:つれない。
君:それって大げさ、よ。
私:・・!確かに、じゃ、続ける。・・・一つ目は、BSで放送してたんだけど、人体の第一回目、導入編で気付いた。それに最近の健康ライフで血管研究の高倉氏が言ってたことなんかを重ねたくした。人体での話は安保知見で再編集して解きほぐせると思えた。その方がより整然と、ということはより自然での現象として相応しい説明に近づけられると思えた。がん転移というのが一定のくせを持って生じる。それを体内ネットワークの在り方の方から説明してたのを、素人的にストレス連関視点で見ることができないかとかでここでふれていたけど、現象、対症的に表現するだけだと、医療での失敗とか後悔の視点からして19、20世紀越えの為には”根本”原因みたいなところへ関心をいつでも向けられることが要る。いつでも確実さの観点がヒトとか生き物には働いている。特に観念肥大系としてが普通のヒト的生き物にとっては確実さを追い求め続けている。だからこそ自由放任論と激しいしつけの論とは不適切とシンプルに指摘出来て、けれども、一方にはしつけの論が要るし、もう一方には自由を感じられるとかその先の自由とかの実感が要る。身体はいつでも初回体験でいることはできない。そんな状態だと、ちょっとした日常動作にも延々と時間を食うことになる。そんな生活など想像できない。それくらいヒトはごく普通に慣れて身に就くことで日常を成り立たせつつそれは動態として受け止められているから必要とあらば変化させて習得にいそしむことができる。その際に、この典型が唯一正しいのだからこれでいくべしの論を他人に強いることの不自由さについて繊細とか大胆に自覚し合えていることは大事だ。ただとにかく慣れ親しんで時間浪費を交わせている事態はなんらか伝承をできた習得したおかげであることに謙虚な発想の起点が必要。でないとトンだ自由論、空論が登場しやすい。で高倉氏はがん細胞が細胞を食っている可能性を指摘していた。そのことがもしも検証できた場合、これぞ安保知見の裏付けとなる。というのは、先祖返りと安保氏が言うように、ミトコンドリア取り込みの(マクロファージ的)貪食作用を想定できるならば食う細胞になることはちっとも不自然ではなくなる。そして免疫の基本からしてもしも自分へ向かうことを異常な免疫の作用と見るのなら、それこそがん細胞など通常なら免疫系の対象外であるはずのことになる。のに、意外と無頓着に免疫で治せるとかの話にしがちだ。それこそ、ノーベル賞さまさまのような話になってしまう。ここらは免疫の通常の在り方として異常視しない方で見ることでも(こちらの知見に近い方でより免疫系の知見を学んできていることは他でもずっとふれてきた)、安保知見の応用に差し支えない。現象的に先祖帰りした状態の細胞を回復させる逆方向の努力に向かわせること。でストレスフリー環境というか快の方でのストレスを強めて、不快の方を避けるような医療環境が治療に貢献してしまっているかもの指摘を以前してみた。看護師諸氏の対応もそこらを踏まえていてくれればくれるほど快として効果する。病院環境といってもヒトのことも含めて全体的な、という視点が要る。・・お茶にしよ、ちょっと。
君:淹れてくれるの。ども。・・・・ふーっ、温まるわ。
私:ボクも・・・。ふーっ。
君:真似しないで、よ。
私:えっ?
君:もぉ、ジョーだん。冗談、よぉ。話、続けたら・・。
私:ノーラン版バットマンの4Kを見た。そしてちょっとばかり思ったわけ。情報として色々に撮った素材を組み合わせとか以前、読んでた。だからと思うのだけど、第三作目の場合特に、場面によって画質というのか見え方がかなり違って見えたんだよ。でそれがその場面に相応しいからとか実際に考えられてそうしたのかどうか・・、ちょっとわかりにくかった。ということで4Kで見ることを前提にする場合、一貫性とか、その効果が出てしまう辺りを意図しないとダメとか、わざと偶然に晒すにしてもやはり効果が見えてしまう、ということには意識してもらいたいかな、なんて、思ってた、ね。それと監督自身はどうでもよくなってしまっているかもしれないけれど、ダークナイトで持ち出した悪役の主役が担っていた行動原理とそれと対抗してもいいしすり抜けさせてもいいし、なんらかやり過ごせる代案っぽいアイデアとかを表の主役たちが持てるのかどうかの辺りへの次の作品化とか、ライジング("rises")でちらっと期待させてたかもしれないその次への展開、果たしてロビンと組んだバットマンのエピソードがバットマン続編として登場するのかどうかの辺りは、なんというか、未だにもったいぶられた感じがしてるんだ、よ。
君:・・、答えた方がいい?
私:できれば・・。
君:亡き王女のためのパヴァーヌ・・二人のシーン、でしょお。
私:アン・ハサウェイ氏・・・登場。
君:ふふっ。
私:印象に残ってるのは、そこだけじゃない、よ。
君:・・わかってるわ、よ。
私:北極の氷がとける、ってなぞなぞ、わかる?
君:うーーーん、どうかしら。
私:ほんとうは、わかってる?
君:そうね、でもすぐにわかっちゃうと、かわいらしく、ないでしょ?
私:かわいいとかそうじゃないとか、そんなより・・・魅力的、だよ、って、ダメ?
君:もう、わかってるから、いいわ、よ。とにかくアイスコーヒーとか、よ、ね。氷。
私:そうだよ、ね。南極の陸地を覆う氷の話となんかごっちゃな場合がマスメディアでの話には多くてさ、なにげに子供が聞いてたら・・なんて心配性?
君:多少、心配したくなってしまうのかなぁ・・。聞き流していいんじゃない。
私:そろそろ正月。
君:だから、忙しい、から。
私:その忙しい年末の先に正月休み、ってことで何もしない自堕落を唯一国民的に許し合う稀な時期、じゃない?正月。三箇日(さんがにち)。国民的、っていう表現だと王国とか旧発想で想定する国家っぽいまとまりも近代の意識を啓蒙してなんとか営もうとする試行中の近代国民国家タイプも入り混じってわかりにくい。とはいえ、帝国的なしきりでグローバル秩序をなんとか保とうと試行してきた人々にとってはどっちだっていいかも、の可能性大。構成員をできるだけ市民的に啓蒙継続中の世代交代の在り方に想定したいなら、それなりにそれぞれを尊重し合う意欲はもっている個々人が面し合うとか、どこかしらの土地で生活し合っている、と考え易いけれど、どこでもそうだろうけど、ヒトは未だ解明以前。わかっているようでわからない不可抗力の錯綜面も込みでお互い様を保ってる。そういう危うさと仕切り役たちの理念のもろさとか、そこらが時代的な整理状態によっても人為の在り方に作用して、それこそ放っておけば別の形もありえたろうにの良い面を見れば損したかもになるし、もっとワイルドというかボロボロな乱暴面が出てしまうことを想像するなら人為にまかせておいて少し良かったかもになるし、そこらは本当に時期時期にしっかり思考素早く整理して一般に提示居続けないとダメなところがある。話が膨らみ過ぎたけど、正月にはおせち。これはだから自堕落公認のための準備食品。昔なら昔ならではの材料と調理法で保存食を作っていた。しかも年月を重ねて、洒落っ気も加味され続けた。その一つの形を伝承的に各家庭で振り返れるはず。だから時期時期に応じた保存食としてのおせちができて当然。しかも工夫の技量とか知識の含みも大事。保存食知見、調理法、それらはその時だけではなく役立てられる。本当は食品だけに限らないで編む技量伝承とか色々な伝承が可能になりそう。そういう各家庭のきっかけにできていると社会人というか他人と付き合う必要と密接な年代たちにとっては無理を省けた人生を持てる。
君:ちょっと耳、傾けちゃったかな。
私:だから、さ、おせち。好きなのはこれまで通り作ればいいし、別のを今手に入りやすい保存食に仕立てることも(特別すぎる材料では失格のはずだから[ちょっと昔の数の子はバカ安値だったっていうから、今の発想で勘違いしてはいけないし])正月を楽しく、楽(らく)にすると思う。たとえば極端にはなるけれど、糖尿病症状が出ている年寄りを抱えた家庭なら、それ用にいくらでもおせちを工夫できる。それがおせち、ということでいいわけだから。今は精米し過ぎてない米もいつでも手に入るし、長持ちするから、特におもちにしなくても食べられる。もちにこだわることはない、と素人発想でしかないから、当てにし過ぎても困るけど、そんなことを今の時点で言ってみたい気がする、よ。(保存食の)レトルトカレーでおせち、だってきっといいんじゃないか、な。それだと工夫というか手仕事の技量伝承の機会になりにくいから、もう少し、なにか工夫があった方がおせちっぽい、という風に言える、かな。ごはんを炊かない。おかずをこしらえない。そんな食事の準備しない状態での、いきなり食事可能なおせち、っていうあり方。それに向けた想像。それが大事。準備ではそれなりに手仕事ほか食とかも含めた仕事の技能・知識伝承が伴う。そうでないと長期の継続的な繰り返しとしてはもったいないことになる。ドライフルーツ、カリフォルニアレーズンにかなりのライバル登場、トルコの干しブドウ、なんて。
君:なによ、それ、干しブドウ?
私:そぉ。イチジクのドライフルーツがトルコでできたのだったのは知ってたけど、干しブドウは年末にやっと知った。少し味が違う。癖があるとかの違いじゃない。ほんわりと味わいが違う感じ。京都、大原のかつてのイギリス貴族の末裔氏が昔の知恵を伝承されていることはテレヴィ番組を見てる人たちには既知のはずだけど、啓蒙の時代ではあっても意外に商業利害先行の宣伝に乗せられやすい一般の方が体に無理にならないタイプの知恵を迷信とかにしないまでも忘れて、それなりに危険要素とお付き合いするような合成品に目が行ってしまってる、ってこと目立たない?これってボク的には不思議体験。今時というかコマーシャル全盛の時代、マスメディア啓蒙の弱点ぽい。今や、どの局もそこと密接になってる。マクルーハン的に言えば、ごっちゃになって、探せばお役立ち情報も含まれてはいる。でも探せなければ、流されやすい、こちらにバイアスは働きやすい。今時は。しかも、煩型的に振舞う役柄も敬遠されがちになってる。そこらは実際となると、どれが正しい?とかでそれなりに難しい面も相当にあるだろうし。年月に晒す必然とうまくかみ合いにくい日々情報発信の現マスメディア状況。担い手諸氏にとっても痛し痒し。でもそれでも専門家、専門の大学教育を受けた人々の中からオルタナティヴを発揮してくれるようになってインターネット応用も盛ん、相当に賑やかだ。色々学べる環境も伴わせている。ボクにとってはかなり助かっている。有難い。
君:私は?
私:とてもありがたい、です。
君:それでは・・仕事中断、してぇ、散歩、する?
私:外、かなり寒くなってるけど、いい?
君:いいわよ!
私:どぉ?
君:既に冷たくなってる、死んでるって意味じゃないから、(あなたの)手。
私:そりゃ、わかってるしぃ、目の前にこうしている。だけどキミの手、ほかほかしてる。どして?!
君:あなた、口ばかりで体、少しも動かしてない、でしょ。歩きましょ、少しは運動になる、わ、よ。
私:そういう、こと、動いてない、と、こんな、違う?うーーん、そういうことかぁ。
君:なにを、ぶつぶつ・・、出かけましょう、よ。(手が冷たいなら)途中まで、手をつないでも、いいわ、よ。さ、早く。
私:いつも、冷たくしとこう、かな。
君:・・なに、よぉ。それって。ダメェ。寒くないようにして、早く、早く。
私:・・どうして、こういつも、キミって段取り、いいわけ?
君:準備、よ。予め。
私:キミの極意!
君:ちょっと単語、古すぎない、でも、いいっか。ふふっ。