連載は続く~SF掌編『ヒト、はどうするつもり、っていう話』編




君:枯れてると生き生きしてると、対比されそう、ね。
私:そこ、そこだ、よ。うっかりすると、ね。
君:そう、よ。どうする、の。あなたにとっての、たしかぁ・・仙人?とか、なんとか・・。
私:仙人。一桁年代の頃の願望っぽいの、つい口にしてた?かも。・・・それって枯れてるイメージには違いないんだけどぉ・・・。一方でぇ・・・なんつぅかぁ・・元気っぽくて、動き回りやすい?・・・一種、自由を得た状態?、そんなイメージ、だったような。
君:自分のことなのに、なにか、頼りない感じ、だけれど。でもなぜ仙人、って思う、わよ。
私:そこは、ね。田舎者、なんだよ、どっぷり。だから、オンナ性の積極さ、今で言えば、恐らくわがままなやつらが女性たちの方で表現されて、それに辟易するような、ただこれもまた大人のコマーシャルなステレオタイプイメージから、下ネタ一辺倒で判断されても困る、そんな所。
君:ふーん、なんかわかりにくい。もやもやが残る、わ。
私:幼少だから子供たちの心とか体の動きもはっきりわかるし、なぜか田舎者だからひしめき合う大人たちを全的に体験もできているから、他人である大人たちの多くについても分かった範囲ではあるけれどわかったつもりになれていて、で今なら猥雑さとかそういった面倒っぽく感じられる諸々を直観的くらいに引きうけた状態で、なんかなぁ・・である時キラリ、滝田ゆうコミック、っぽく電球の速度くらいでキラッと閃いた、感じ。それは記憶の限りでは、鉄道線路脇の旧荒川からは遠く離れた土手(堤防)の上で、寒い冬が終わりかけていたごく春先の乾いて冷えた風を受けながらだったような。ウィルスには絶好のような環境にも関わらず、風邪もひかず、ちょこまかしてたかな。
君:えっ?!その頃からちょこまか・・・くっくっくっ・・。
私:そこで・・苦笑・・・それって、ないでしょ。
君:可笑しいもの。・・可笑しい。
私:話題、変える。少し固め。勝手に話すから・・・
君:怒(おこ)ってる・・。ふふっ。
私:武士誕生物語。
君:いきなり??
私:これまでの推論は、天皇系の幹がしぶとくて、藤原氏との対抗関係で考えてた。けれども年末年始のテレヴィ番組だったか、なにかしらきっかけがあって、それで一気にまとめたくなった。白村江の件を扱った唐支配下の北九州という番組もチクリ程度には刺激になっているんだ。なぜか天皇系の桓武平氏系や清和源氏系が行く先々に地名的に藤原氏系が囲んでる。それを先ほどの推測で押さえようとしてた。それに一気な変化を読んでくれた、感じ。底流には太田龍氏による桓武天皇の扱いが、なんとなくただ流してはおけないかも、で記憶のどこかに置かれてたし、前田晴人が物部氏の本を出していてそこから『桓武天皇の帝国構想』なんていうのを知るに及んで、桓武平氏についての以前の仮説は当然棚上げ状態にしていたんだ、よ。で、今年に入って、つい先日、むしろ桓武平氏清和源氏が藤原系の武士といっしょに地方へ散らばっていった、と考えればもっと整理がつきやすそうだ、と思えたわけ。それが江戸期に頓挫する。武家かもしれないけれど、徳川政権の取り巻きはひょっとしたら藤原氏の思惑一辺倒が通りにくい脈を主流近くに抱えていた可能性を指摘できそう。それを挽回するのに明治の導入が要った。であればよりわかりやすくなる。明治のそういった性格については他でもここでも何度か指摘してきたような。ただ王権的に理解しがちな藤原氏脈はいつも天皇の権力を奪還しようとしてしくみぼやけかたからそれができないまま縁戚の方での関与しか可能にしてきていない。変な話のようで、それが事実っぽい。少し話は逸れるけど、ネアンデルタール人が発展的解消してしまった説が昨今では有力みたい。混血していつのまにかいなくなった。ヨーロッパの方ではそれが濃い仮説になりうる。じゃ、それ以外の地域では?体格とかの能力が桁違いにホモサピエンス=現生人類系を上回る人々の形質が遺伝的に可能性として伝わっている、ということで言えば、でかい人々にはその可能性を探りたくさせる。しかもひょっとしたら『サピエンス全史』の著者を全面的に支持するわけいにはいかないけれど、フィクションを信じて悪いことも良いこともごっちゃに仕出かしやすいホモサピエンス⇒ホモデウスの単体では滅びが待っていたのが混血によってどうにか絶滅を先延ばしできた、と想像できないこともない。それを敷衍して、体格とか能力を持った縄文の人々がやはり混血で発展的に居なくなって現日本人に溶け込んでいるという理解もしたくさせる。ホモサピエンスが濃い集団性だと結構他へやばい。相当にヤバイ。他をやっつけて自らも滅びる。けれども、相手の賢さ、寛容さにもフィクションとして感応できる一方を持つホモサピエンスだから、どういうわけか混血して今日まで生きのびてきた。なぜかそう考えたくなってる。だってあくまでも観念操作だけど、さ、多数決次第で他人を助けることも、他人を抹殺することもしてしまうそんな集団って、危ういでしょ。でもネアンデルタール人縄文人の人生が加味してくれることで、そこにブレーキとかオルタナティヴが働く。そういうイメージ。縄文期を生きのびた列島の活動の所へ様々に大陸からまた別の集団的移住がありえて、だけど致命的対立を選ばなかった。その後に独特な藤原氏系の関与が始まる。百済観音のような巨人系かも?の仮説を少し助けにしてしまえばヨーロッパで生じたネアンデルタール人との混血の脈々の端々の一つがどういうわけか朝鮮半島経由で列島にも関与することになって・・・。それと縄文混血脈は意気投合して、滅びを選ばずに・・なんていう時代小説くらいは書かれてもおかしくない。どう?
君:どう?ってそれに答える材料、私持ってないし・・。もう少しおしゃべりして。それから・・興味、湧くようなら、答えるし・・・。
私:で戦国の混乱までは恐らく藤原氏の思惑。地方を中央集権発想、つまり諜報脈とか意見が通る脈をしっかりこしらえてそれ以外はいくらでも自由、かどうかはともかくある程度その土地土地の利害を通しやすくしておく。でも中央集権利害から、そしてそれに乗ってこれからを構想する諸々については実質の談合で推し進める体制を護持していく。そんな列島史を想像したい。ただ明治を用意したくなるくらいに藤原氏脈が海外勢に依存してしまった足りない感のことと、そういう事態にした江戸ということを整理できるかどうかで、この想像にもかなりの変更が要るか、それとも近い線でその先の話を組み立てられるか、違ってくる。介護の仕事をしてきてそこで得た知見について、ここで紹介してきたんだけど、一つがメディア的には三方良しの商売発想として有名な近江商人の積極果敢な活動のこと。その中の一つに酒造業を指摘できて、伊達氏が進出した先に付いてくる格好で展開してたりする。しかも技術的に確固としている。技術伝承とその技術そのものが研鑽の賜物(たまもの)になっている。ボクが知ったのは仙台の方の事例だけど、介護職してての出会いがなければまったく知らないままでいた可能性が大きいくらい、貴重な出会いだった。そういうお年寄り、宝のような知見をごくあたりまえのこととして、ただ人生の内側で抱えているお年寄りが膨大に居るわけで、しかも介護施設で忙しなく辛い思いをしがちなのだから、もったいない、というかもう少し若者たちがなんとか付き合う心の工夫を開拓する必要を指摘できる。老人のことばを取れば一緒に介護の仕事を楽しんでしまおう、なんだけど、ね。こちらが楽しませる、というよりは話すことすら忘れてしまったお年寄りにちょっとしたきっかけを提供できて、話してもらってお互いが楽しいひとときを味わう、感じでいいんじゃないか、って思う。近江は琵琶湖を抱え、謎の中大兄と関わる地域。歴史の事情通、地元伝承に詳しい諸氏、そしてより専門的に資料扱いに熟達した諸氏が学問の為になんとかって思ってくれればもう少し列島の素人たちが不信に思っていることに明確な資料を提供できてしまえるのじゃないか。もうそういう時期でしょう、と指摘したくなる。相当以前に栗本氏が、氏はそれは問題だろうの発想で指摘されてたんだけど、ボクはそういうアジール(1970年代に流行ったんだよ)的偶然の列島環境をそれとして受け止めてたのが、列島はスパイ天国だ、っていう状況説明。それは逆に言えば、結構生活を不安にさせかねない様々な信心が実質共存できてしまっている安全な場所、ごく稀で偶然だけど持続もしている環境、土地、ってことだったんだ、と振り返れる。けれども、それはまさにイエズス会系な人々の内面的複雑さを許容してくれる天国だったはずだけど、違う思惑で関与し過ぎるとその偶然の持続を破壊させかねない。そこに気付けないのか気付けたのか・・・。列島ならでは、というよりも諸要素がこんがらかって偶然が持続出来ていて、しかも列島の藤原氏以外の群雄割拠勢力が(藤原氏脈だったらそれは一つを目指すように発想するのに対して、それぞれの自助努力に働き掛ける発想の意味での)和志向を外さないまま来ているから、根付きの人々が距離感を大切にできる限りで寛容に受け入れもするし、ある面、厳しいところもそれぞれ流に持っていて、それらがまた時代と共に変化までしてしまうしで、実にとらえどころがない(ここらは地元の祭りとかの伝承の実質的な変化・変貌から推測可能)にもかかわらず、それに19、20世紀の荒波(一気の情報操作、シャワー効果)に晒されて、肝心の若者たちが一方的に一時的に大人たちの言うことを聞かない(意見交換とかが成り立ちにくい状況)事態を生じやすくさせて、改良とか進歩のための破壊とか以前にそれ以前からの伝承の中身を検証する機会のないまま流行りの何かで身体を形成しがちにしてきた、にも関わらず、未だに、偶然環境の持続は細々と続いているように、年寄りには受け止められる、だよ。ここらはキミにも聞いてみたい、んだけど。
君:余計にわかりにくくなってる、わ、よ。わたしが難しいタイプのことばを覚えるようになった頃にはアジール?そういうことば流行ってなかったんじゃない、かしら。わからないことだらけで、そう指摘されても・・っていうの・・。
私:実権のようなポジションが間違ってはいけない立場では、きっとうまくいかない。ヒトは間違えるから。だからそういうポジションは象徴的に置く。担うだれかにとってはストレスの多い立場、ということにはなる。一方で間違えつつ実権的な立場で実務が動く。間違えた内容によって入れ替えとか、修正が法治の下で動き続ける。内容は状況に応じてきっと軌道修正されていく。内容が改まっていく。試行錯誤の自由さと抑制効果との溶かせ方、工夫がいつでもついて回る。でないと、これまでの試行を無駄にさせかねない法治になりかねないから。『サピエンス全史』の致命的なところは素人たちの方がきっと気付けていて、今やごく少人数の農業で膨大な人々を食わせていける。働きづめはむしろ勤め人たちだ。ラッシュアワーとかそんなイメージ。ただしそこにこれからを構想するための材料を示しておかないと、単調な印象記述になりかねない。少人数の農業で本当に膨大量の人々が食っていかれる世の中だ。けれども、農機具にどれだけのヒトの仕事が要るのか、それらを作る過程で関わるヒトの数とか資源とか。それからごく限られた土地での生産だからそれを流通させ、しかも色々な加工作業も過程に含まれて初めて膨大な人々の所で食われるわけだから、実質、どれだけの仕事がどれほどのヒトの関り、資源投入によって可能になっているのかをしっかり数値的に押さえられる必要を指摘できる。そこから、一体、現在というのはどれほどの余剰、ヒトや資源(電気とかも含めて)やを想定できるんだろう、なんてね。その余剰を回してほしい構想上の産物過程がどこかしらに既にかあくまでも想像上かで準備されているのか、とか。ここらこそ試行錯誤の自由と大いに関わってくるし、その内容次第では抑制の働きかけも必要になるけれど、一体、どういう判断でそこに関与できるのか、っていう問題も孕(はら)ませる。このことを全的に想像力たくましく思考実験できるならば、ヒトの世の行きつく先について、ある程度確実な可能性のいくつか、とか選択の分岐をいくつか示せるようにする、んだ。
君:確からしさ、そうね。間違わなければ、そうなる。だれもが間違わなければ、そうなってくれる。そうなって、それを踏み台にして更にその先がある。ってわけね。けれど、ヒトは間違える、あなたはそう言うわけ、よ。間違えないことはヒトが想像できる。だからそれを悪用することもできる。ヒトがそう想像してしまえることを悪用?悪用かどうかはともかく、擬人化したくなる人たちが出てきたりして・・・。でしょ?
私:そうね。そんなところ。もう一つ、別の話題としてそういう分岐、ありだもんね。でも、ってこの間、話した。交易圏ってことで。
君:交易の都合で・・・ってこと、なの?
私:一種の法治、ある地域にかぶせることが可能になった決まり事のまとまりがその領域では一応理解し合えていて、でもって他所から来ただれかたちにとっても好都合に働けば与したくさせる。予想がつく確実さを日々なんとなく検証できてしまえる。そういう安心感。だから偶然の敷地体験、っぽい。順としては・・・そんな感じじゃない。
君:あなたの固い言葉を借りてしまうけれど、私たちの試行錯誤・・・、受け入れられる敷地ってどんな感じ、かしら。
私:フランスっぽいとちょっと派手かな。もう少し、おいしいからだれも気付かない空気のような感じがいい。きょう、この、瞬間、っぽい。
君:そうね。
私:現代を将来を目指す方向で押さえるなら法治担当部署はCIA手法で有名な乱暴な事件を起こすための軍資金集めを仮に防御はできなかったとしても、時代が変わったのだからその後を人脈とかフォローして、捕まえて、軍資金ゆえに可能だった事件を未然防ぐくらいの方に仕事を転換してもらいたい、って考えるね。
君:せっかく、身近になったかな、なんて受け止めていたのに、いきなり、なによ、また大げさな話にしてしまってぇ・・・。
私:ごめん。
君:いいわよ。・・そろそろお茶、しない?
私:歓迎。
君:あなた、淹れて、よ。
私:?!も、もちろん、・・よろこんで。
君:淹れてもらえる、って思ってなかった?
私:・・図星。くっ、くっ。なにに、する?
君:外、もっと美味しいの飲みにいかない。
私:それって、少しだけ、グサってくることば、なんですけどぉ。
君:あら、美味しく淹れてるつもりだったの?
私:追い打ち、それ。
君:まじめぇ・・。冗談、よ。いつも美味しい珈琲、アリガト。でも今日は、出かけましょ。
私:うーーーん、感動させる、なぁ。それ、考えた演出?できすぎ、でしょぉ・・。
君:ふふっ。