連載は続く~SF掌編『ご無沙汰も、暇のうち』編



使い方も大事だけれど、道具が物を言う、ということも貴重な知見だ。
たまたま鋸を使っただけなのだけど、実に楽に、さっとはかどった。
これまでとの比較で言うと、少し大きめだし少し分厚い。それでもって木を切った。
切れ味と鋸の重量が負担にならない程度の大きさなのだけど、以前よりはかなり大きめ、ということで一つの動きが以前使ったものと比べて、遥かに切り込む。引っかかりの生じるようなことは、なかった。そういう切れ味。
職人諸氏が道具を選ぶ、育てるということのほんのちょっぴりに過ぎない追体験という言い方は多少大げさとは思うけれど、道具は素人の仕事でもモノを言ってくれた。
結果的な比較で言うと、要した時間が半減、疲れ度も半減、と言ったところ。
それほど違ってくる。
このことの応用としては、世の中、効率をめぐって急かせているけれど・・・、といった辺りに別の答えが用意されてそうに思える。

ところで、ヒトのほとんどは貧富の貧の方に甘んじることを潔しとしないと察する。
相対的貧を受け入れる場合でも、それなりの付帯条件を必須としていると察する。つまり一方的変わり者諸氏は余程というくらいごく少ないはずなのだ。
しかも貧富の実質的な個々への圧は、一方が一方へ強制力を働かせやすいか否か、だったりするわけだ。多少貧しくても、個々の生活をイメージ応用の中である程度実現できていればいちいち不満は生じない。一応ここで指摘しておいた方が良いことは、貧しさを応援することは、政治のこれからの為の営為とはなりにくい、つまりその束の間の多数にとっては不満=いつかは自分の相対的自由を確保したいぞ、の過程にあるだけでで、貧しい多数であることを潔しとしているわけではないのだ。市民社会的なフォローとして底上げとか、なんらか個々の可能性を見極めた上での助力提供は必須になるけれど、貧しいものの見方的な映画とか小説ののりでは、いつまでたってもヒトの真実には訴えきれない。またそこがヒトの世の救いのようなところでもありそうだ。ヒトは境遇に甘んじない。なんらか工夫したがっているし、個々の判断をなんらか生かそうと絶えずしている。そしてその個々が(個々において集団の営みとの関りにおいて)判断間違いしないだけの底上げ、育てを今なら市民社会のシステムが多くを担うようになっている。家庭とか近しい人々の貢献度はかつてほどとは行きづらい。
けれども貧富の格差を恒常化して刺激して革命へ、のような圧を古典派は使いたがる。弁証法発想の”資本家”諸氏ほかがそう考えがちだ。それはヒトのもともとの志向+試行に多分余計な関与となる。もう一つの一大事を人生にかぶせる格好にする。権力の問題は大変に込み入ってリアルにはきっと難しいままだ。けれど、とりあえず市民社会的モデルを試行中で、そこでのトリックほかを営む中では、とりあえずだれたちが担っているのかを棚上げにしながら、ある程度のバランスを保つ市民的な近似を得ている諸地域をある程度はイメージしやすくする。そういうお手本やお手本よりはこちらこそ、的な思考引力圏を育めてそこでのやりくりでなんとかかんとかできている間は、そこでの”正義”も通りやすい。
底上げの営為は必須だしだれかが担う。本人たちだけではどうにもならないことが多い。けれども、権力争いでのベースの要件にしても、不満分子を不満解消はお祭り騒ぎで、に代替する程度で、実質は、足元から支持を失っていく営為に近い。もちろん、具体的貧しいだれかを応援しているつもりが離れていくという現象で、貧しい他のだれかがいつものように新たに生じてくるし、数的にはマイナスになるかもしれないし、プラスになるかもしれないし、それでも、同時並行的に支持者たちにしておくことは至難だし、本末転倒に近い事態であることは、支持者そのものがそこを”住処”と希求しているはずがない、といことで一応は理解できそうに思える。

更にところで、どちらもNHKのBS番組から知ったばかりのこと。旧ソ連ウズベキスタンではかつては機械操業の織物のために手作業での織物を禁じられたという。禁を犯せば法治の下(つまり法治というヒトの考えた仕組みは決して中立的ではない、なんとか働き掛けてそうなる性質を持つ)監獄に入った。その伝統手工芸を隠れて保った子孫氏がその技と工芸品を紹介してくれていた。民芸品ぽいし、育てば西陣とかその手の工芸品にもなってしまう。そう成った一つが会津にあり、その手工芸技術を活かして色々な手の込んだ民芸品販売で稼いでいた。白石美帆氏が案内役で訪れた織物工場では女性が織機のメンテナンスを担っている。熟練だから、細かい個々性に対応能力を持っている。そうやって代々100年間ほどはその機械を使い続けてきている。今、この文章を読み進めている諸氏はきっと驚かれたに違いない。一方で機械の織機に人々を誘導するために手工芸にこだわる人々を監獄にまで入れた。そういう現象を反省的に引用しているのに、早速、機械織機をメンテナンスする女性のことを引用してたりする。素材としての織物、布をその後で手工芸的に作品、商品に仕立てるから、端々の担い手諸氏にとっては関心事だったり関心外だったりしたろうことは想像しやすい。世の中はそういう出来事の織物でも成り立っている。事態は入り組んでいる。そこで探偵は、刑事は活躍しやすくなるわけだ、ね。





君:なんとかたどり着いたわ、ね。ふふっ。
私:苦しいながらも・・なんとか、ね。
君:じゃ、事件、解決したの?
私:事件?って、未だ、事件ないし・・。
君:偽入居者のこと、は・・・。それはともかく、大分時間あったじゃない、この間。で事件、一つも無かった、の?
私:無かった。だから暇。持て余すほど。でテレヴィ、見てた、ってわけ。
君:でも、テレヴィ画面ってヒトの関心拘束する、でしょ。本当にながらがテレヴィ中心に過ぎていく。これって探偵稼業上、まずいんじゃない、の?
私:確かに!まずいよ。仕事を探すことすらしてない。花粉症の季節だし。集中力、どうしょもなくなるかも。
君:頼りない探偵さん。こういう時は公務の刑事さんが頼りがいありそう。
私:ところがそちらの知識もないし、その構想もない。一応私立の探偵の話が進行中、なのさ。
君:ほら、また、偉そうに、なのさ・・・って。
私:そこで考えた・・・。
君:・・・、聞いた方がいいわけ、ね。・・・何?・・を。
私:個々性とか言ってみたものの、個々における判断可能性、ということを考えた時・・。
君:難しそう。長いの、かしら。
私:聞き流してて。
君:あら、優しいの、ね。
私:介護現場では、やはり、と言ってみたいけど、年寄りの介護担当たちの方が、みっちり介護に当たれる可能性は大、なんだ、よ。特に、バブル崩壊の跡、特に画期となったリーマンショック以後のご時世では、それ以前からどういう企みか、上の言うことを聞けとばかりに外食店舗の店長が新入り就業中の途中退職者めがけて乱暴なことばを浴びせてる場面をしつこいくらいテレヴィ放送してた。職場の現場ではそういう風潮があおられていたか、流されていたかの可能性を想像したくなる。その頃のボクは浦島太郎だったもので。実際の現場には疎い。学校は学校でいじめに参加しないと仲間外れになるようなタイプの風潮が煽られていたような報道が話題を賑わしていた。そんな中で人生の内容を具体化してしまうと、個々で判断する修羅場を逃れる代わりに愚痴を膨らませ話せるならばある程度は発散できるけれどそうでなければ内面にこびりつかせるし、生々しい現象相手にどう工夫できるかなんていう張り合いのある場面を担う機会を持てない。とにかく言うことを聞けの場面にしがちか、擦り寄って、取り巻きの上で何かを進言するかしかない。多くはリアルに取り巻きの埒外にならざるを得ない。そういう人生形成を経た若者たちに現場の生々しい諸々と付き合って解決する楽しみ方は具体的には身についていない可能性大、と今の時点では想像している。自分たち世代ができてきたことを今の連中はちっとも楽しめないし、八つ当たり的に年寄りたちに厳しい。つまり介護の実質を担えないキャラに育ってしまっている。40代になったかどうかくらいの年代まで若者に含めてもかまわない。素質がそうだから、お先真っ暗、って感じ。お金があるから施設で老後、是非、と言いたい。貧しくてよかったぁ・・。なんてね。でもそれでは老年の広がりとして、楽しくない。他でそういう絶望に晒されやすいことがわかってしまうと、日々の楽しみはヒトのシンパシー能からして、心穏やかとはいきにくくなる。そこで探偵の登場、と思ったら大間違い。
君:割り込むわよ。あのぉ・・、そう思わない、と思う。思わない、よ。
私:思わない、よね。そぉ。そうなの、わかってはいるんだけど、つい言ってみたくなって・・。だから流す。ここは流させて。で、これからの年寄りにとっても余程のラッキーがない限り、ヤバイ介護担当たちと適当に距離をとって面倒を見てもらう工夫が要りそうなんだ。ボクはさ、探偵のように外に出る、すると絶対的距離を保てる。けど、スタッフね。もともと専門家だった連中はそういうわけにもいかず、毎日がその境遇に浸かることになって、ちょっと可哀そう。・・といきなり、この間、間違ってたことに気付いた。探偵のこと。ダーク氏はヴェネチアで美少年を恋してしまう今時のやつだった。言いたかったのはハンフリー氏。こちらこそカサブランカで美女タイプの女優氏と共演した探偵もので活躍したボガード氏、なんだ。大変失礼。年寄りの介護するその様がもろ人と成りをあからさまにするから介護の仕事って一種残酷、だね。
君:また割り込む、わよ。あなた、も、例外じゃない、わけ、よ。お気づきの通り。
私:そ、ね。未だにダメ、だから、いつも努力とか目標は立ててるつもり、だけど、さ。
君:私が、頼みたくなる、それが目標、でしょ。本当かどうか。
私:近すぎて、つい遠慮してしまう身体介護、それを一種の信用をもらえることで、できるようにしてみたい、んだよ。少し、売りこんでおく、って・・・、順当にはボクが先だから、さ。
君:そうよ、ね。でも、何かの時、ってこともあるから、一時的に必要な時?それでも頼みたくなるかどうか、ってこと、よ、ね。
私:そっ、そっ。日常的に裸の付き合い、といっても夫婦の営みっぽい方に一方的に偏らせない広い意味で、だけどさ、それなのに、いざ身体介護、入浴や食事や排泄なんかで頼みたくないとかの心の働きが強まる。距離を置けない、そんなところを巡って実相は?となるかな。そういう場面でのもたれあいの微妙さをお互いが察知したり受け入れたりが、抵抗を生じさせるっぽい、とか今思いついたりしてるけど・・・。
君:かも。その場面で、心をトロトロっと絡ませるなんていう芸当は、できにくい?
私:キミなら、できそう。ボクがそれにしっかり反応できるかどうかが、むしろ問題、かも。
君:わかってるんじゃない?自分の事。ふふっ。
私:話戻す。というか、進める。啓蒙のためのメディアであるのだけど、その主流であったテレヴィとか出版メディアで一時は風雲児だったファッション界の人物がNHKのラジオに久々に登場してこれまでとこれからのことをちょっとだけ話してた。啓蒙ツールではあるんだけど、人気とかの話題性がツールにとって非常に大切な要素にも関わらず素材そのものを使い捨てにしがち、ということのリアルを改めて確認したくさせた。次から次へと話題を捏造していくわけさ。捏造は言葉としては雑かもしれないので、創作でもいいんだ。事件も事件屋がいるわけだし。諜報とか資金巡り利害も絡むから、本当は何が起きているの?を頭に浮かべながら、自分は自分でしっかり足元を確保して積み上げるなりに時間を費やす必要を指摘できる。話題はあくまでも話題で、ふわふわと流れ去る。リアルにはヤバい現象。ただそこを勘違いし過ぎると、芸術芸能がただ操作ツールに落とし込められかねない。そこはフィクションの試行錯誤の貴重なヒトの営為の部分として認識できる工夫が要る。ただここでは啓蒙ツールの素材になった諸氏は自身としての工夫を迫られる、ってこと。そこを自らを失うような方で流されると、人生の足元さえゆらぎかねない。
君:また突っ込む、わよ。そういう超がつくほどの有名な方々の話とあなたのような巷で生活しているどなたか、と混同し過ぎてるように、聞こえてるんですけれどぉ。
私:とはいえ、なんだ。有名人税っぽい負担もある一方で、信用も得やすい。信用って金融とかの話とも関わる意味でね。それでいて、やっぱ消耗品っぽい、し。いかに可能性と関わり続けられるか、なんて、他人事にはなるし、大げさだし、でも、ヒトの生き方の参考にはなりそうな気もするし。
君:女優さんの名前も出てたような・・。
私:キミと似てる、ひとみ。たばことかバタイユ氏が引用してたカイヨワ氏の言うめまい系の嗜好品とは無縁、本当はどうか知らないけどさ、と印象を持ったひとみ、だったの。よく周囲を見てる感じ、顔のなかでの比率とか。印象ね。で。輪郭は似てなかったかも。でも頬の辺りは少し似てそう。
君:細かいわね。でもかも、程度しか見てなかった?
私:ながらで見てたし・・。印象、だから。でもしっかり話題からは学べたぞ。
君:出た。ぞ。出たぞ、じゃない、わよ。ぞ。
私:面白い。キミが言うと面白い、わ。
君:笑いの種にしないで。私、可笑しくないし。でも一応受けた?わけ、ね。くくっ。
私:時間があったもので、古いノートパソコンのOS、未だメンテナンス期間内なので今のうちに、ということでアップデート作業してました。探偵も暇そうで忙しい。商売道具。
君:あのぉ・・・、あなた・・なのかしら?それとも話の探偵さん、のこと、なのかしら。
私:探偵、断じて、探偵が、ってことで。忙しかったみたいだ、よ。
君:あなたが、それを見てたの、ね。あなたも暇、だった、ってこと、ね。
私:そういうけどね、OSのアップデート作業って結構工夫が要るんだよ。ごくたまにやろうとすると意外にトラブルっぽいのに遭遇するんだ。で手間取って、時間がかかってしまう。
君:いつ頃してたの、アップデート。
私:きょう、この瞬間までしてたし、途中、だったりして・・。キミと話すなんて偶然にしてはできすぎ。きょう、この瞬間。
君:何言ってんの?!もぉ。
私:ふと思ったわけさ・・。
君:またぁ・・。聞かなきゃだめ?何って。
私:アリガト。・・、昔の不良連中が経験、子供のころからのね、経験から学んだ他人への思いやりの心身とさ、お説教でぶちかましてくる思いやりなさいというお仕着せとは区別しておきたい。
君:でも、それってさ、私からすると、あなたがそう不良さんたちのことを他人に紹介することもお説教のたとえ話になってしまうのでは?筋としては脆い、って思えるんですけど。
私:そうだ、そうだよ。難しいな。・・そこで、と逃げるわけじゃないけれど、被災の時、一週間は漏電調査で電気を使えない状態になる。今時の市民社会ではシステムとして電気の復旧は義務的に手堅くこなされる。そう奥田氏も坂本氏も紹介してくれていた。そしえ坂本氏はご自身が調理啓蒙の専門家であったりして電気が復旧した後の便利な道具としてIH機器のことも紹介してたんだ。手軽に使えるIH器具が手ごろな価格で今は手に入る。キャンプ道具も使えるけれど、出火原因にしない工夫が非常に求めらえる。それと比べて、いくらか使いやすい。電気調理器具。でも電気が復旧してのこと、だから。そこは注意しとかないと。携帯のガスボンベを用意してのコンロ、ってのがこれまでの災害時の緊急時の姿だったかもしれないけれど、電気の使い勝手が良い土地であればIHっていう手があることを知った。列島の介護現場のお年寄りという他人への扱い方が、今の一般的な他人扱いのリアルな質のはずだから、運不運次第ってことも想像しておいた方が無難。てきぱきで目くらましに合わないリアル。空気のように関係性として、事態の推移として実質が表現されてくる。いつでも結果的に気付ける。どういう置き去りにしない事態進行が可能になっているか、で一応検証できる。置き去りにしないだけではなくて、介護とも通じるけれど、落ち込んでどうなるものでもないから、自立的に自発的に必要をお互いのことばとしても探り敢えて、それを相乗へと持って行ける進行の姿、って感じ。
君:そうなると、いいわね。いいところで、お茶にしない?
私:もちろん、いいところ、見つけたから、そこ、行かない?
君:出てないのでしょ?探偵さん。
私:ボクは少しは出てたし・・。
君:一応、違うのね、あなたと探偵さん。ふふっ。