連載は続く~SF掌編『散る散らない・・・瀬戸際のニュアンス、好感の方で』編



春です。花粉症の季節も去りつつあり・・・。という方々が多いとは思うけれど、アレルギー源次第ではで未だお困りの諸氏もかなりと察する今日この頃。

(君:なによぉ。)

日本史、ということでは、九州王朝をめぐってなど目立つように、所説紛々(ふんぷん)ではあって、その一部から整理整頓を試みるゆえ、流派観に反発が生じやすい。
大きく、弁証法で行こう、となってしまった諸派においては、とにかく張り合う説の間で競い合わせておけば追々なんとかなる、で流しがち。で実際的弁証法のくせは、そうはさせない、ということくらいまではわかるようになっているし、そうなってほしいようなつまり止揚のような納まり方はしなくて、悪く言われるタイプの官僚の作文的にどの人々も考えたり、志向しているわけではない、寄せ集め案が筋を通っているかのごとくまとめられてしまいがちにしてしまう。これでは弁証法を有難(ありがた)がれない。
それに競い合る流派間の争いの巻き添えだってありうるわけで、いい迷惑をばらまきがちなのだ。
たとえば大雑把に資本主義志向派対資本主義反対派というのがありえて競っているとしよう。それは今の知見水準からはほぼ不毛な争いということになる。
歴史的なあること、たとえばナチの暴挙をめぐっても、やったこととやっていないことの知見が積み重なっていて、ネオナチなど成り立ちようもないほど、ヒトにとっての迷惑行為を引き受けたないしやらされた集団の営みの面は否めなくなっている。ただ、その主犯格についてのより精度の高い知見がオルタナティヴに発見された後を今の人々は生きている難しさくらいは素人でも指摘できるようになっている。だから良識派から発信されるように、ネオナチは金を掛けたやらせの脈絡に当たり、ナチの出来事とともに、資金源を問題にできた方が、実務、実技の伝授脈を問題にできた方が解決に通じやすい。世界の諜報脈利害が困難を引き受けているらしいことは映画等から想像しやすくなっている時代だけど、だからといって許せることと許せないことがありそうに思える。違うやり方で・・、と言って、それもまた問題を生じさせやすかったりして、などなど、社会工学パスカルの原理応用の各局面は込み入っている。

君:難しいからって、困ったことが放置されるっていう理由にはならないと、思うけれど・・・。それほど難しいのかしら。
私:トランプ政権になって相当に表沙汰になってしまったのにも関わらず、少し前の冷戦っぽい感じの圧も応用しているようだし、知り尽くしている諸氏にとっては一筋縄ではいかないなんらか力関係が働いてるんじゃないのか、って想像くらいはできるけど・・・。自信はない。
君:頼りない・・・・・。こんな好い日、いかが、散歩しましょうよ。
私:時期柄、キミ、相当忙しいのでは。
君:心配していただいてアリガト。でもいいの。歩きましょう、よ。桜、満開よ。花吹雪の中を・・、ね。
私:雪よりもずっと軽いかも、ね。それに人々が、(自然の)現象に関心が行って、他人を適度に離していてくれる、そんな街路を・・。
君:散歩、よ、・・ね。ふふっ。