連載は続く~SF掌編『昼、陽射し、束の間で散策』編



私:暑くなりそう。
君:忙しいし・・・。
私:一段落、ってとこじゃ?・・・・
君:仕事ができたのっ。
私:こりゃまた、失礼。
君:おどけても、ダメ、よ。
私:ちょっとふらついてきた、よ。
君:あなたらしいわ、で、思いつkた?・・でしょ。
私:年取ってからだが痛んだい方々って、大抵、寝てない。そうなったから、というより順番的には寝てないことの継続の途中経過っぽい。
君:へぇーっ。(ただただ忙しそう)
私:近代の試行錯誤は多くの人たちへ、心の不安定を、お互いの妙な思惑も働くようにして、わざと誘うようにしてしまう。動いて仕事して、というタイプたちは未だそこらを外せる。でも面倒くさがったり、あいつしてないのに、こっちが仕事して損だ、ってつい考えてしまうタイプも同じ落とし穴が待ってるような気がする。相互補完の勘が働く者同士だと意外と結果オーライの状況が生まれやすい。ここらは経験的に多くの方々がなんとなくわかるのでは。でも、わかっていはいるのだけど、体が動かなくなっている。今時は特に。自らが心理戦を誘って・・・どつぼにはまって・・・。
 と、この手の話は詰めて言っても、面白みに欠ける。たまたま録画しておいた事件物テレヴィドラマを見て、フラフラしながら考え事してた、ね。派手目に人気タレントが主役を張って・・というタイプのドラマじゃない。一応視聴者向けに宣伝用に派手に人気を撒いているだれかを表に使って、という作りの時に脇をしっかり固めて、重石にもなりそうなタイプの役者諸氏がずらっと揃ってそのドラマはできていた。悪役も含めてそんな感じ。悪役すら、違うドラマならば善人役でしっかり感心を呼び込めるタイプたち、って感じかな。その事件物ドラマの、まずそういう作りが興味を誘ったね。アクセントつけずらいのでは、とか余計なお世話の関心を先入観にしてみてた。でも展開に応じて、ドラマに誘われてたね。仕掛けのいくつかも良かった。CSIっぽい知見からの攻め手法を少し感じた。それと、これは大事だし、ドラマに仕立てるのは、それなりにいつでも工夫とか難しさが伴うし、芸術・芸能のの、そういった作品として提供してなんらかを期待する、という思惑を持つ場合、更に、作り手にとってはやりがいにつながるけれど、その達成度次第で、苦悩も伴わせるタイプの、要素が盛り込まれている。ここらは、殺傷はとにかくダメ、だろう!というなにかしら基本中の基本を持ち出せることと、切り口によって、現象がどのようにでも情動を揺さぶれること。悪人として断罪したくもさせるし、とことんいいやつのようにも同時並行の人生の要素としてみせることがそれこそ具体的ある人物の属性として示せてしまえるリアルな場のとらえることの難しさのようなことを啓蒙試行錯誤社会は踏まえないとだめなので、そこらの視点を事件のような大事(おおごと・だいじ)にも見ることができるあたりが、このドラマでは、説明的に近い設定で描かれてたい。そこまでの伏線がこの役者諸氏の構成で、だからこそか、充分に誘ってくれていた。
  先日NHKの深夜便インタヴューでたまたま聞けた作者のことが頭にあって、ふと録画してたんだね。BSTBSのなんとかの『反転』、頭の方をうっかりわすれた。2005年に放送されたものの再放送らしい。
  とにかく啓蒙の世の中では、お互い様が基本だから、列島うまれだろうが、海外生まれだろうが、お年寄りをぞんざいに扱って、それで自分にも同情しろ、なんてことはありえない。お互いに尊重出来て、なんぼのもの、ってことだから。そういう基本以外での自由の広がり感。神の位置を避ける政治的なふるまい、その工夫を近代の試行錯誤がいかに達成しうるかなんていう大げさな話にもできる。
君:そろそろ、お茶にしたいかなぁ・・・、なんて。
私:歩く?
君:いいわ、・・よ。
(で、つづく)