連載は続く~SF掌編『晴れの日は実に暑くなってきた、今日この頃』編




たとえば PC を日ごろ使い慣れていて、余暇にはシミュレーションゲームを楽しむとかも普段の姿になっているとして、今時だと、ネット経由で多くを入手可能。
でそれぞれに手を付けて・・・となると、いくら時間があっても足りない。
楽しんでいるようで、遊ばれている感じがしないでもない。
年寄りならば、自らが楽しんでみたい。
すると自ずから選択という過程を持つことになる。
前日、録画してみた、飛行機自作の話。
それだけで十数年の人生を費やせる気にさせるようだ。
PC 系のシミュレーションゲームにしろ、ある程度のリアルを意識できると、それなりに熟達が要る。勝ち負けとかでなく、自分なりに使いこなせているかどうかの辺り。
しかも、自作飛行機じゃないけれど、運転(飛行機でもいいし、自動車でもいいし)のコックピットをデザインして作る、ということを踏み出せば、単にPC慣れしていて済まなくなる。日曜大工っぽいのりが思い出されてくる。
老後、その期間はそれぞれだろうけれど、自作飛行機の十数年とか数十年とかと同じくらいになるかはわからないにしろ、それなりに年間、という歳月をきっと要するようになる。気持ちがそちらに傾いて経(た)つ時間を忘れる。
飛行機の話が出たついでにふと思い浮かんだこと。
飛行機飛行は実際運用となると危険だらけなので、かなりしっかりした規則が敷かれている。それに乗って、飛行計画をたてて、実際に自在な飛行を楽しめる。
その入り口にいる人々にとってはだから、学ぶことが多い。実に多い。
今時のしくみの知っているようで知らないことにふれる機会ともなる。そういう老後がありうる。
普段の道路交通でより自由を味わいたければ、交通法規に通じて、自由を得やすい。警官諸氏の知識に近づけばそれなりの自由に近づける。
一方でレーストラックでもそれなりに、自由をお互いのものにするための規則を持っている。暗黙の・・・というのもありうるけれど、きっと多くが明文化されているはず。
それを踏まえて、とばせる自由を得られる。だから規則の作り方にもそれなりの工夫は相当に要る。

その昔、MSXからPCに乗り換えた頃、秋葉原のPCの店でsublogic 社の文字の入った『Flight Light』をただその社名入りのシミュレーションソフトということで、そのうちきっと遊べるようになるだろう、程度に受け止めて、衝動買いしていた。それが数十年後の今になって役立っているというか遊べるようになった。その中身が先のようなことを想起させるように仕向けてくれている。





君:楽しそう、じゃ、ない?
私:キミがいてくれて、もっと、・・・かな。
君:・・・かな?・・なに、よっ。
私:でもさ、年をとって、お互いが人生の中で養ってきた興味っぽいのをなんとなくわかるようになってとか、明示的に知らせ合ったりできていた方が、後々の心のなにがしにとっては良い方に作用する、って思ってる、よ。
君:先・・・は、当然・・・。失礼。
私:ふふっ。いいんじゃ、ない、それで。
君:私の楽しみは・・・。
私:なに?
君:言わない。いいの。
私:今、マニュアル、画面で読むのも不便、ということで、どこでも読めるように、縮刷の印刷に励んでる。
君:で、珍しく、忙しそう、なの、ね。でも、からだに良くないわ、よ。散歩にでない?
私:気持ちの切り替えが、こういう時って、難しくて・・・。
君:他人のこと、どうでもよくなるんでしょ、PC 系、スマホ・携帯系?
私:操作に、夢中になるに応じて、そんな、かな。
君:では、私がきっかけ、になりましょ。さ、散歩、よ!
私:ハイ、はいはい。行きましょ。

(つづく)