連載は続く~SF掌編『食な晩夏』編




確かに事態として個々の認識如何にかかわらず起こっていたりする。
ただあからさまな場合でも個々から発する解釈違いなどは意外に生じやすい。ただおしゃべりするタイプと黙っているタイプとそのバラエティ間のなんらかが働いて、その場は波風立たないということの方が多いようだ。
つまりドラマの事件物が都合よく筋を解説しがちな展開、作りにしてしまうかもしれないにもかかわらず、もう少しわが身、他人(ひと)の身に近づかせようとして構成するなら、ある事態として描けている事柄が、映画羅生門のような多面的描き方というより、こぼれおちるその場でのことば、ことば、ことば・・において、事態の多様な解釈としか起こりようのないヒト的現実が避けようのない在り方として出てきてしまう。そこに政治とかが働いて、納まりの付く方向性を普段は便利に使うようにするのがある種のリアルな一面ともいえるけれど妙な忖度として厭(いと)われるありさまでもあったりする。建前使いの場面ともいえそうだ。そうではない多少個々性が出てくる、個々が模索し合ってしかも円満な納まり方を探れそうな場合は、当然、そう試行される。でもそうは行きにくそうなときに(深謀⦆”遠慮”が働く。だから事実はどこかへとふらつきだす。
それでも事態の事実性に漸近する試行錯誤の手立てをヒトはなぜか開拓使続けてきた。そして開拓する毎に、更にその逆用すら開発してしまう。
探偵にとっては、探索欲をいよいよかきたててくれるけれど、部外者にとっては付き合う意欲と相談、という具合になりやすいとも思える。
だから科学捜査ものとか、過去に起きた事件の真実を探り直すとか、その手のドラマが見るのは大変だけれど興味を短期間は持続させる。へたるころには、シーズンが終わって、また次回シーズン開始を楽しみにね、となって上手くできている。スペシャルもののような単発で興味を誘うという手法もだから多用されている。そうでない作りのモノはだから恐らくながらで見られている可能性大と探偵ゆえ推測している。
ところで、大災害時のさまざまな必要知見も整理されて沢山知らされるようになっている。だから探偵こそそこらも踏まえて・・という話もしたいのは山々だけれど、もう一つ、その要素のなかの知識とも言えそうな食とからだに関する知見も相当に率直に試行錯誤されてきている。ここらがすばらしい。老後の長年月を生きることを選び始めた現代の人々ならではの、長期影響としての栄養の学というか食全般に関する知見探索は、実際、役立つに違いない。細胞の新陳代謝の知見も整理されつつあるのだし、どの年代においても蓄積的に後年影響してしまうような食の問題は指摘できる。入れ替わってしまうから、その時々の食物の方が大事、という食の分野もありうる。
お年寄り個々は、どう思考パニックが生じやすいか、個々において熟知されている。熟知されてはいるけれど、そういう条件が重なればそちらに引きずられて”パニくる”。大雑把に言ってしまうと、ある戸惑い場面で、戸惑いの心理的困惑と事態修復のための心の支え回復欲と実際のその時に必要な手立ての身体運動とが、他人からの責めによって、修復のリズムの乱れをきたして、修復の乱れ、その修復、更に責め、そのための種福と乱れの重奏となって、自らの内の出来事としては混乱この上ない状態をかこち、客観視できる責める他人の身軽さとは裏腹な状態で、その混乱状態をもバカよばわりされたりも混じれば、反論動機も混じってことばにできない更なる混沌を招いてしまうようだ。それはその場でもその後でも修復しずらい。そうやって疑似認知症状を重ねてしまう。記憶障害は当然、ストレスゆえに生じるから、猶更(なおさら)悪循環となる。介護職がだから助けとならないと・・・、余裕の場を提供できないと・・・。
食の知見について試行錯誤されている話から突然逸れてしまったけれど、食だけではどうにもならない場面もありうるという話。
その一方で、サバイバル場面では、食の持続的調達がきっとモノを言う。長期化した場合猶更だ。
1940年代のUSでは我が土地での農作業か牧畜かを担う後継者にもなりうる人物がたとえ二等兵だろうと小部隊が命がけで探し出すし、(我が土地に)戻れるようにことを運ぶ、ということをかつてのスピルバーグ監督、ハンクス氏主演だった映画で知らされた。
命がけの方に関心を寄せすぎて読まれても困るけれど、将棋とかで守るところは何?めいたイメージで受け止めてもらえるなら、(集団的営みの中で)ヒトの命を軽んじない(ただし仕返しというのか何倍返しめいた怨念に事実に即すしないにかかわらず戦争術として誘導してそうな辺りは、普遍性追求の面からはオルタナティヴ志向へと誘いたい)方向性くらいは感じ取れる。
人口問題を直前にしている地表面人類ではあるけれど、融通を効かせ合えれば、そこはなんとかなる。だって列島産のコメは作ろうと思えば有り余るほど効率よく作れるわけだ。ただし、その列島が気候条件次第では多国からの助けを必要とすることもありうるわけだ。
その弱点を取引条件に使い合う考え方を浸透させる普遍的思考なのか、そうではない方を選ぶ普遍思考なのかなど色々試行錯誤の過程を模索できる。
調査活動は一種サバイバルな状態なので、今時の探偵にとっては試行錯誤してその結果を成果としてほかの探偵たちに提供しやすい環境だ。





君:・・・、って言ってるけど、いつも施設の住人・・じゃないの。
私:みたい・・ね。
君:涼しくなってきた感じ・・・する。
私:探偵、呼ぼうか、な。
君:是非。
探偵:雨降りで涼しくもあり・・。風情を感じる、よ。
君:・・?なに言ってるの、よ。
探偵:風情、感じない?
君:蒸し暑いし・・。
探偵:そうだよ、そうそう。風情?軽々しく使うものじゃない。
君:あなたと探偵さんと年代はどうなの?聞いていて、わかりにくい、わ、よ。
私:うーん、実は、そこらはよく考えてなかった。老人ホーム生活するくらい少しボクよりは年が上、かな。
探偵:上、か。ここの食事、糖質制限のゆるいタイプだけど、メニューにあって選べるんだぜ。
君:それってわざと若ぶった?
私:恐らく、思い付きで・・・。
探偵:超小型の電気自動車が出回りそうな気配。試用して感想聞かせれば無料で提供、なんてこと、ないのかね。
私:ちょっと使っただけの中古がもらえるっていう話?そんなうまい話あるわけない。ただ試用するにあたってその期間はどうぞ、っていうのはあり、かも、ね。
君:超小型?
私:確か、一人か二人乗り、だったような。
君:高齢者の暴走の話題、生々しいけど、どうなの?
私:時速45㎞が最速だったみたい。40㎞超えると確かに危ない速さだけど・・・。でも道路、40㎞以上出てないと、実用的じゃなくなるから。アクセルを踏み込んでも45㎞/hと思えば、ね。
君:微妙ね。
探偵:免許を返上しない実質運転に支障のない老人方なら、それくらいのはいいんじゃない。そして・・遠出?
私:えっと、140㎞、だったと思う、充電した状態での走行距離。
探偵:片道70㎞、余裕を見て50㎞ならここから都内中心まで行って余裕で返ってこられる、ぞ。探偵仕事にはピッタリ、じゃ。
君:あら、急に年寄り!
探偵:年齢を偽って見せるのも、探偵のわざ、であるぞぉ!
君:年齢不詳・・・。
私:お値段が、そのぉ・・、調べてなかった。
探偵:素人だからしょうがない。私なら、その情報を得たらば直ぐに調べているゾイ。
君:それ、なに語、よ。
私:かなりやばくなってきてる。
君:お茶にしましょ。散歩がてら・・。
私:喜んで!!