連載は続く~ SF 掌編『技芸に関わる列島古代のちらほら』編


スピーカの高能率ならば、虫の音もその通りに、"けたたましく"奏でる。
楽器を奏でるダイナミックレンジの力量がしっかりしていれば、生な演奏会に行くまでもなくそれなりの"体験"を可能にしてくれる。
ヒトは大抵、慣れの中に居るから、なんらかの感受性に響く幅に出くわすことで、生理が応じて、慣れからの外れゆえの反応と、ヒトの生理こそが反応している領域を混ざった状態で"体験"しているけれど、そこをいつも、違う慣れに誘われ、いつのまにかまた忘却してしまっていつもの"慣れ"に誘われがちにする。
でも心身のどこかしらに記憶されているものだから、感受性に響く虫の音(深夜のシーンとした中でのたった一つの虫音源の場合や、セミ時雨(しぐれ)など)のようなこともあれば、目の前で楽器について公演技量の持ち主による生演奏を心身に浴びるように聞く、そこでの(揺れ)幅について一応聞く寛容さを身につけていられる。そして(揺れ)幅ゆえにいつもとは異なる情動なり思考への喚起を体験する。
こんな素人指摘をより芸術の観点から理解の手助けとなる発信を放送大学の講義の一コマから引用させてもらう。
テレビでの講義で、青山昌文氏担当の『舞台芸術の魅力(’17)』中、故蜷川幸雄氏が青山氏によるインタヴューに答えている内容(2016年に行われた)を参照していただきたい。


列島古代の人口密度とか読書の実際とかを素人調べなりにふれてきた。
そんなもので、山口博氏が『こんなにも面白い日本の古典』('07 角川ソフィア文庫)の中で竹取物語についての章を、素人ゆえに竹取物語を読みの重心の置き方への先入観の移ろいとして、受け止めていた。
短い話だし、初めから通しで読めればいいじゃないか、そういうものだろうが、そこが素人、なぞめいているのかそうでもないのか、その辺りをウロウロしている。
で、物探しのエピソード群はざっと流して、後段のところに何か隠されているか、という移ろいの昨今、この山口氏の本と遭遇、先の列島古代の読書のあり方からして、ということで山口氏の指摘をかなり興味を持って読むことができた。
写本を読める境遇、たったこれだけのはずなのに、列島古代ではかなりの制約条件を構成してそうだ。
文字、それも和漢混交文程度は3形態のどれをも、それなりにこなせる、となると、やはりこれも相当に具体的に制約になりそうだ。
それに、列島各地が、都のような京のような設計で過密を装ってでもいない限り、スカスカの列島古代だ。
だから親戚っぽい血脈の濃淡のかなりの人数が各地に散らばって住みつく、農ほかを営む、そして内輪の制度をそこに採用しながらネットワークを機能させる、そしてそれが目立って後世に記録として残って後に成る現代の人々の錯覚を生む、程度のことはしばしば起こりがちにすると素人なので察したりしている。

さて・・・・、(同じく角川ソフィア文庫版の竹取物語(全)から[現代語訳がついているので、該当の箇所をそれで参照してください]。ついでに古い日本文学小事典(岩波書店)によると仮名で記述された初期の物語と紹介されている。古今集よりも少し古い時期、その少し後年に浦島の話も)

かぐや姫
"いづれもおとりまさりおはしまさねば、御心(おほんこころ)ざしのほどは見ゆべし。仕(つか)うまつらむことは、それになむ定むべき"ということで、課題を並べ立てる。

① 石作(いしつくり)の皇子(みこ)→仏の御石の鉢を持ってくる。

② 庫持(くらもち)の皇子→東の海の蓬莱という山にある根が白銀(しろがね)、茎が黄金(こがね)、白い玉の実の木から枝一本を折って持ってくる。

③ 今一人(いまひとり)→火鼠の皮衣(かはぎぬ)を持ってくる。

④ 大伴の大納言→竜の首にある五色に光る珠を持ってくる。

⑤ 石上(いそのかみ)の中納言→燕のもたる子安の貝を取ってくる。


遣唐使とかも盛んだった時期を経ているから、山口氏は、たとえば『法顕伝』、『大唐西域記』の写本を読めるだれかたちを想起するように促(うなが)される。
まず龍について、
この二著の中で著者である法顕(ほつけん)氏と玄奘(げんじょう)氏が”川のあちこちに毒龍が住んでいると書く”(p39)。
出自の西の方での龍のイメージは悪にごく近いのに、東に及んで"神威のシンボル"(p39)に近づく。
竹取物語中の(五色の珠を纏(まと)う)龍(のイメージ)や、どの辺りか・・・。

仏の鉢はどうか。これも二著者がふれている。しかも、天竺には、なさそうだし、在ったとして運ぶことがそもそも難しいしろもののようだ。
"「心のしたくある人」と評している"(p41)その通りにイミテーションを用意して簡単にバレる。

p41にはこんなことも指摘される。
"『後漢書』の西域伝等"には、火浣布(かかんぷ(火鼠の毛皮))は唐土ではなくて大秦国(ローマ帝国)にあると書かれている。

更に同書から、金・銀・玉が今で言う"シルクロードから出土"(p41)していることを写本読みのだれかたちには読めていて、先の玄奘氏などは(現代地図帳からも知れる)"フンザからギルギットの間のバルティスタンで「金・銀を産する」と書いている"のも読めた。
現代で言うシルクロードイメージが当時の読者にはどれほどか、バルティスタン域のイメージは・・など、あくまでも文字からの喚起の可能性大だけど、歩き回る、移動することにおいては現代の人々の比ではないとも思える(飛行機での移動距離とかの話ではない)。
蓬莱の島にあるはずがない。

p42に竹取物語著者の語呂遊び例を並べ、『漢書』、『後漢書』、『法顕伝』、『大唐西域記』を読める立場に居た列島古代の限られた人々を想定しつつ、山口氏は(竹取物語の)"作者のこのカラクリを見破り、そのことを知らずに右往左往する色好みの男たちに、抱腹絶倒したのだろう"(p42-43)、と披露されている。
山口氏による(楽しい)部分訳も載っているので、是非参照されたい。

列島古代についてはテレビの番組群から東大寺関連で当時を様々に想像しやすくしてもいるけれど、人口密度のことや、写本をめぐりリアルやなど想起しながら、例えば同じ山口博著『万葉集の誕生と大陸文化』('96 角川書店)にざっと目を通すだけでも、大伴家持氏が『玉台新詠』を読んでいた史実など簡単に知ることができたりする。
そのp87から、魏の宋子候の「董嬌饒詩」が『玉台新詠』の巻一に載っていることがわかる。
ちなみに山口氏はこの家持氏が万葉集の草稿までは関わったとして、その後、菅原道真氏が初めてまとめ、より写本として普及しだすのが(いろいろな技芸を人生にしたとされる)橘俊綱氏(藤原頼道氏次男)による二十巻仕立て完成以後とされている。