連載は続く~ SF 掌編『山口氏の竹取物語の話はつづく』編


九州王朝のトップには今からすれば異常な頃もあったようだ(中国の史書)。
でもいつからか、倭がまるごと移動して大倭となる時期に近い頃、どうみても理想的な立派なリーダーが現れたことを九州王朝を無かったことにしてはまずいと学問する諸氏において、紹介されて、その関係本や記事を読んだ人々には記憶に残ることになっている。

隋の史書に出てくる人物なので、とかく聖徳太子しかも近畿圏に住んでいた人物と混同されがちだ。
更に込み入ってしまうのが、そう理想的に見える人物のことをめぐってのことか、異なる二人の人物について語られているのか、聖徳太子という名を持ち出す諸氏においてはとかくわかりにくい記述になりがちのようだ。

藤原宮を置く、今で言う藤原京域の整備が象徴的な中央集権化へ向けた事業の端緒の時期ゆえ、様々に体裁を整える事業も付随していた。
日本書紀万葉集がそれに含まれる。
山口博氏の指摘を素人関心の方へ引きつけて解釈させてもらった場合、万葉集第1から第53までの歌についての、事業起ち上げ意識というのが、ぴたり来る。
万葉集については、この1から53までを何度も何度も味わって、心身に浸透させたりできれば、その当時の編集に当たった人々の意気など近似的に体験できてしまうかもしれない。新規に用いるようにした天皇ということばも、多用されているので、当時の写本を読める立場の諸氏においては、そのうち馴染みのことばと化してしまうはずだ。
そして九州・百済系の天皇藤原氏脈を隠してしまう事業でもあったのだから、たとえばこの両テキストを繰り返し読んでいるうちに、過去と現在のつながりに九州の権威筋は失せてしまう。
古代中国の思惑と見る素人観測からは、だから日本ということばを用いることもその線で押さえることができると察する。
でも、列島育ち脈は、意味系をひっくり返す手法で三方良しをその昔からこなしてきたようにも受け止めている。
倭がまずそうだ。中華発想に沿うなら、自立心旺盛な場合、倭の意味がわかってしまった後は、いつかはその倭ということばを使わずに自分たちを表現してみたいと思うと想像したくさせるけれど、実際には大倭まで使い続けた。
日本は蔑称ではないだろうが、あくまでも外交上の呼び名だった。
天皇も巷に浸透する性質のことばではありえなかった。
それよりはお大師様タイプのことばが各地に広まり易かった。
九州時代のリーダーが行幸するなら、巷をひしひしと感じ取り観察できたと思える。
でも、天皇としてしまったことと、馴染みのない土地での権威付けということで、行幸もかつての実質はほとんど伴わなくなってしまったように素人には映る。
でも、理想的なリーダーがついに育った九州では確かに行幸も成功させていたと想像させる。
それが不可能になることの意味合いは相当に重い。
中央集権化は、1500年近くたって、浸透しやすい局面とそれが仕切っては上手くいきそうにない局面をほやっとだとしても、示している。
なんども言うことになるけれど、民主化末端の各組織においても、やはり中央集権手法は使われる。
細部に至るまで分権志向の民主手法で、とはいかない。
といって、中央集権手法敢行中の各現場ではしっかりフィードバック機能を働かせて突っ走り過ぎの制御を各人において試みられているのは、きっと昔からいつものことだ。
見え透いた失敗にもろともには、だれだって生き物の勘も働いて、避けたくさせるものだ。

列島の文庫本を手にする諸氏にとってはごく普通の知見と思える中国の古い文献『遊仙窟』は、山上憶良氏など遣唐使に関わった人々には常識の文献だし、列島の写本読み諸氏においてもかなりの評判を得た文献だったそうだ。
ただし、歌の憶良ノリの方は遣唐使経験から得たある人物の詩を援用したものであることを山口氏は紹介してくれた。
大伴家持氏も、招来した中国の文献を相当に身につけていて、それを歌つくりにかなり援用している。
とにかく山口氏知見参照から気づける中央集権化に当たっての体裁のためには、文学も必須だった。そのための突貫工事に近いことが生じたと素人は想像する。
知識とか歌に馴染んでいたとしても、それはあくまでもローカルなノリだ。それを国際的な漢字読みに読ませる体裁が必要な場合、それなりにオリジナルをあてにしたくさせたと素人は想像するわけだ。
今だってそうかもしれないが、当時も大変な事だった。
皆懸命だったのだ。
狭い土地柄での住みわけ発想に慣れている列島育ちにとっては戦争事は避けて通りたいことだ。なのに、当時は、それなりに時々争いごとを生じている。混乱していたのだ。
その一方で、写本読みたちは、世界地図を持たない当時の発想の制約の中、各地からもたらされる物や知見を、たとえば竹取物語に入れこんで、楽しい読み物にしていた。
追々、更に、工夫とか内容豊富なのが出てくるようになる。
そして、各地の住民がそれぞれにおいて自立心をたくましくして生活し合っていたわけだ。
ただし、人口圧の勢いがある域を超えてしまった時期だから、家族のようにだれかれと面倒を見られるわけではない集団の営みの状態を囲っている。
つまり、包摂外をたまたまとか恣意的に得た境遇は大変なことになってしまう。
得ること、蓄えることの発想が既に変化してしまっている。蓄財・巨富の力を支えのように発想する、心細さとご一緒の人生も今時とそう違わなくなっている。
外を意識した将軍は江戸期まで続いた。だから古代中国の思惑の指向は1200年間は継続している。そして江戸期の文字習得ほかの度合いは古代中国の(帝国的)思惑が時間を要するけれど達成しうることを示した。
ただグローバルには、帝国の配置換えの時期と遭遇して、列島各地(特に戦国~江戸期とかで各地と言っても官僚的に一見故郷を持たないような移動するリーダー層との関わり、影響関係もあるので各土地柄ということの押さえ方も多少は複雑にする)の自立心は攪乱状態の中での試行錯誤を余儀なくされる。
人口圧後のグローバル環境を想定できるし、それを意識して次を構想する時期ともなっているので、国民国家の散らばりという理念型を応用するようにして、今時は、たとえ大国で帝国発想のリーダー役であっても、各国民国家がまずは責任をもって平穏無事を内部的に形成してもらいたいと期待が先行する。古代なら、費用のことなどおかまいなく出しゃばったかもしれないが、今はそんな無茶はまずありえない。
でも思惑は思惑として、啓蒙が均されているわけではないので、歪(ひずみ)として、なんらかは生じたりする。

そうは言っても、だ、と素人は山口氏知見を応用したい。
今は物騒なユーラシアの中東域という印象がばらまかれがちだ。
ローマ帝国を真似て飴とムチ作戦だとかでは、統御できるものではない。伝統社会ほど構成員はかしこく育てられる。だから、お膳立て娯楽の大国バージョンの多くは、少数が歓迎しても、多くが嫌がる。でも、資金力とか宣伝力をかつては勢いづけて使いまくって、余計な摩擦を生じさせてきた。
テレビやPCを人生の中で相対的に多くの時間費やす世代には文献読みの達人は少数にしがちと察する。文献読みが全てではないし、PCを応用して、デジタルデータ処理での、より多くの文献渉猟を可能にしてしまう面も否定できない。
今西祐一郎氏の本から山口博氏の本のことを知り、その勢いを感じているところで、何気に、素人の力不足がちらっと見え隠れすることば運びとなってしまった。
戦争モードじゃない土地柄をユーラシア域でできるだけ早く人生にしていただきたい。
そうなれば、列島でも多少ゆとりのある層の年寄りたちはきっと竹取物語を手にユーラシア横断旅行くらいは日常の当たり前の生活にしていると予想できる。
足りない層は、ネットでちゃっかり訪問という形になりそうだ。
もちろん、文献読みも新しい発見とともに楽しいものにしている。
昔の作られた噺ということになれば、グローバルにだれもが、少しずつ関連し合うことにもなる。
しかも、噺は(各地の面白い話をネタに取り入れつつ)新たに作られ続けるのが普通だ。
(ちなみに戦争モードではない指標を持ち出すことは比較的容易だ。昨今だと、女性たち(や控え目な男性たち)が一定程度油断して(でも傲慢過ぎず)巷をオープンに歩き回れることが一番わかりやすい)