連載は続く~SF掌編『紀貫之氏による古今集仮名序の”文字”』編


古今和歌集の古い文献には一つ「古今倭歌集」と文字にしているのを含む。
それはさておき、紀貫之氏が書いた仮名序について少々。
氏は最後の方で(以下引用)
"つらゆきらがこの世におなじくむまれて、このことの時にあへるをなむ、よろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのこと、とどまれるかな。たとひ時うつり、ことさり、たのしび、かなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。"(ここまで引用)
ともう少し続く。
ネットで読めるのはここらに大きな違いはない。
また長い文章ではないので、諸氏において是非全文に目を通されたい。
貫之氏の年齢が30代から40代の頃(生年が明確ではないようで年齢に幅を持たせることになる)。
氏は藤原兼輔氏や源公忠氏らと近い人物とされている。
兼輔氏、公忠氏についてはネットでも大体の人脈上の要点を掴める。
当方は、新潮古典集成版『土佐日記 貫之集』の木村正中氏による解説を参照している。
木村氏は萩谷朴、松村誠一、田中登ほか各氏の先行の研究を参照されていることを断られている。
素人仮説から啓蒙の一脈を担う紀貫之氏という発想を踏まえているためか、この仮名序について、引用していない部分でのテーマ表示の意気込みを踏まえつつ、この終盤での記述から、”文字”使用についての更なる意欲の辺りを感じてしまった次第。
文字を使うことで、がもたらすなにがし(音楽のエピソードとして有名な発言のニュアンスを持ち出すなら、音は消え去るのみ(ただし・・なのだけど))・・・の辺り。
晩年に至るまで中枢のなんらかを伝え聞ける人脈を持って、(現場、各地の実際を探れる位置をも担う)実践的な立場も続けていた貫之氏だから、文字を使いこなす啓蒙の線でも自らがその先端でその役を担えている充実感は余程、と素人は感じてしまった次第。
映画・テレビドラマの刑事、探偵もの、諜報部門ものに偏って見ている素人というのがあり、多少は発想バイアスに関わってそうだけど、藤原氏は只物では近衛氏のつい最近までなかったのだから、その情報収集末端の活躍ぬきにその躍動はありえそうにない。そういうことを踏まえられるなら、当時だってそういうことを想起しておいた方が良さそうだ。
当時のエリート層は中央集権事業を担う意欲、だから人々とともにある発想はぴか一だったとも想像できる。とはいえ血縁だからだれもがというわけにはいかず”不良”たちもどうしたって出てくる。ないし”事件(惹起)屋”系を担うだれかたちも含むからそこらは複雑だ。
ただしそういう幹を長くはきっと保ちにくかったとヒトのことを思えば直ぐに気づけてしまう。
でひょっとしたら、単に崩(くず)れの方で諸氏においてはここらを受け取られたかもしれないけれど、上から一本調子での統制の無理は芸能のなんらかを解する諸氏においては簡単に察知されたはず、ということで、自発性における無茶な流れへはそれなりに働き掛けがあったとは思うけれど、そこらを尊重しつつの試行錯誤への転換くらいはこなしていたと素人的には想像してしまう。
中央集権化の担い手諸氏の趨勢は人数的にごく限られている。列島の多くを中央集権的な秩序へと誘導できるための巧みをきっと動的に準備していったと思える。
しかも思惑を事にする流れもそれなりの勢いを持っていたとしたら、それら勘違い勢力との駆け引きも免れない。そうなるとぎくしゃくして、それなりの事が起こりうる。
そして列島中にはそれぞれの自発性が発揮されて集団の営みが営まれ続けている。風俗習慣のある程度の違いはいたずらに統制的に秩序化する愚策は取らなかったはずだ、と想像したい。
それでも、ヒトのそれぞれ性が持つ権力量とも関わって、場所場所で困ったことも生起させてしまう。
ここらは現代、この今にも通じる。介護施設のお年寄りの個々性を尊重することの集団の営み上の困難を、この時期に居合わせた諸氏が想像できれば、昔も今も、ヒトの営みでの実際の難しい辺りには気付かれると素人は推察する。

藤原冬嗣氏の頃からそうたっていない時期だった。
しかも人脈上は中枢に近かった。
そういう人物であった紀貫之氏を想像してもらって、仮名序を再度読み返していただけるとありがたい。
グローバルに中央集権と分権との合わせ技での動的秩序系が模索されている昨今、かつての意欲ある中央集権化事業に乗り出したころの試行錯誤の様の一面を探れることも貴重かと。

* 仮名序の引用元はネット上の『伊達本古今和歌集 藤原定家筆』(笠間書院刊影印本)を底本に作成とあるページから。
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kanajo.html