連載は続く~SF掌編『変色域の話題』編


 素人プラス老人だから、だとは思うのだけど、肝心の自然災害に向けた世の中に発信された貴重なサヴァイヴァル知見の整理は放置した状態。
 どちらかというと古代史っぽい方に向きがち。
 その古代史に関しては、それへと熱心な諸氏こそは学習熱心な方々だらけで学ばせてもらう一方には違いないのだけど、素人っぽく感じることを、そこは素人の発言ということでふれてしまうけれど、お国自慢というのかなんなのか、大袈裟に、どこそここそが中央集権で列島各地を統一的に指揮命令していた拠点だ、となぜかことばにされがちのようだ。
 そこらについては藤原京へ向けた中央集権、急遽策以前と以後を画期的変化と見る素人からすると、まったく宝の持ち腐れになりかねないこだわりのように映る。
 仕事慣れした沢山の官僚職人たちが、どこかしらで藤原京以前から育っていた、と捉えてしまうことから(つまり熟達した官僚仕事人たちが、これまでも活躍していたはずだ、そのべらぼうな専業の人数を食わせていく衣食住分を提供できる一方通行が成り立っていた前提の為の列島各地)、文書管理・扱いの今日に至る"独自性"の辺りをどう受けとめていらっしゃることか。六国史で一応終わってしまうようなその内実をどう理解されているのやら。
 持続性の部分については素人的に一応何度か説明してきたつもりで、プランがあってその理解の濃度の濃い人脈の2系統(その中に、見逃せない別流としての663年まで当時の半島・列島の"市井の人々をも犠牲に巻き込みかねない暴挙に出た残党人脈が桓武以後は特に、プランを濃く理解する脈としての全員体制として(日陰者扱いにならないように)組み込まれた)の由来を含め各種の疑問を整理しうる仮定から指摘してきた。
 列島にはお隣中国事情に精通した人脈が、数は相対的に有力圧を持つほどではないけれど、実力脈としてしっかり一目持ってもらえる人脈として古くから連絡網も持って(多分、交易も絡む)列島に根を張っている。その人々と、660年後のきっかけから来日したその時点での中国からの使者と列島プラン共有人脈がとりあえず指揮命令系を発揮して、藤原京からスタートすることになった。それ以前の試行錯誤は、せいぜい親類縁者ネットワークがあたかも全国支配であるかのような錯覚を呼ぶ列島に張った網の目の一つ一つの一部たちとみなさないと、その後が説得力を持てそうにない。
 藤原京以後にかなり本格的に官僚仕事層を育てるようになって、それが時代の移ろいの中、持続できる形を持てた、くらいは指摘できそうだ。それだって、その後からして、分解しがちではないのか?
 平和共存的京都からの中央集権のイメージからすると、流布する京大イメージとは異なる。なぜかそのイメージが東の東大に移っている。夫々が関心にめがけて邁進する研究の様々な筋が寄せ集まって、その様は温存されるようにしてだけど量的な集まりの有利さを保つためのリーダーシップくらいはその組織の長が巧みに司っている、っぽいのは京大の方にイメージとしては流布してそうに素人なので勝手に思いこめている。
 でもそこらは由来としてなら東国圏で、各地の自立的営みをまとめる有利さに導くような結果としての東大的な研究組織でも良かったようにもここらも勝手な想像。
 そこらは平氏の地、筑波学園都市辺りが担っているのかも、など今、勝手に想像したくなった。
 中央集権が上意下達の単調な力作用で上手くいくものではないことは直ぐにわかることだから、歴史的に試行錯誤される。
 ばらばらで自立的で・・も当方的な発想からは各自に技能を育ててもらって、質を点検できる仕組み込みで、相互性がうまく絡むようになれば、自発の相乗効果的に秩序も、刺激も、その他集団の営みの魅惑に満ちた営みがいくらでも可能になるとは思うのだけど、官僚組織の透明性を確保できて、中央集権の集積ゆえの、負担感を錯覚できた安心・安全圏確保策も、間違ってはいないと思えるので、中央集権の軸に、各所がいかに自発的な活動がもたらす張り合いのようなものを得て人生を遅れたりが成り立たせうるかなど、考え方の論の面からの将来版を今日この頃の課題として、地道にでも熱心に、時に集中もありで進めてもらえると、老人的にはありがたい。


 前置きが長すぎた。
 本題。
 列島版の『しきさい』観測画像がトンガの活動状況の進行状態をかなり鮮明に示してくれるようだ。そこらをネット検索から知った。
 研究組織にはそれを日々、時々刻々利用できるようなルートも形成されているらしい。
 素人は処理済みのニュースとかで知る他ないので、ちょっと寂しいところはあるのだが、1/18時点での拡大した海水変色域の広さ(100km規模)が、噴火に近づく時期にも変色が見られたなど、直結する事象なのかどうか、事情通、専門家諸氏による、逐次のネット発信をよりだれもがニュースとして知ることができるような発信をお願いしたいところだ。
 311ほか、"生きている"地球の活発度合が、単に列島域に限ったことではなさそうなことは一世代の30年間としてもその間に記憶に残るように多くのことが起きている。
 ということで、仮にサヴァイヴァル知見の整理と知見の流布が上手くいっていたとしても、各所の条件の異なりから、一様な準備で対応はできそうにない。
 であるなら、どういった事象として、起こりうるかの前段階として、その変異がどういう状態であるのか、経験とか知見を整理し慣れた学問の熟練諸氏こそが発信してもらえると、多くにとって判断材料となるのでは、と年寄り的には思えている次第。
 ブロードキャストを主のマスメディア系も今ではネット発信にも躊躇がないので、助かるけれど、コロナ騒動も、かぜは万病のなんとかの線で(持病の主には感染そのものがリスクの話)専門家もニュースに登場するようになって、いよいよ(毎年膨大な人数が感染し、沢山の方々が亡くなる原因となっている(コロナ死とこれまでのインフル死を別だと言い張る"優しい諸氏"はブラックユーモアだ。どうあっても最善は尽くすのが人(々)の世だ))インフル並みに転換をはかってそうで、素人的には早くと願いつつ、良いことと受けとめているわけだけど、福島の件でもそうだけど、災害対応のための様々な意味での費用を考えた策に向けて、ニュースが出てくるようになることも、惰性になって危険度を忘れない"ドラマ仕立ての工夫"も込みで、素材提供の要素も含むニュース報道を期待したい。