連載は続く~ SF 掌編『年末に台風被害の昨今』編


 今回のコロナ騒動では横並び忖度がグローバルに蔓延していた感じだ。そこらへの観点に参考になりそうなネット上のpdf資料を以下に紹介。
(『新型インフルエンザ(A/H1N1)』宮村達男=監修/和田耕治=編集 中央法規 '11)の一部

『第3章 新型インフルエンザ(A/H1N1)の特徴』(p49-79)から
「(6) ウイルス学的知見からパンデミック対応を振り返って」(p57) (以下抜粋 ここから) しかし,パンデミック対応での失策もあり,その1つはH1N1pdm ウイルスを新型インフルエンザとして高病原性H5N1ウイルスと同等に位置づけたために,柔軟性を欠いた制約だらけの対応を地方自治体やパンデミック対策に携わる機関が強いられ,大変な混乱を招いたことである。H1N1pdm ウイルスのリスク評価はパンデミック初期にはすでになされており,季節性ウイルス並みの低病原性であることがわかった時点で,速やかに最高レベルの警戒度から通常のものに体制を戻すべきであった。ただ,わが国はウイルスの取り扱いレベルBSL(バイオセーフティーレベル)をWHO の勧告であるBSL 3から,専門家からのアドバイスに応じて早い時期に見直し,2009年6月18日には通常の実験室でも扱えるBSL 2に病原体等安全管理規程を改正した点は評価される。ちなみに,WHO は世界各国からのBSL の見直し要望にもかかわらず,1年半以上たった現在でも当初のBSL 3勧告を維持しており,追加勧告としてそれぞれの国の実情に応じたBSL 対応をするよう責任放棄している。パンデミック対応は,柔軟性が不可欠で,状況に応じて最高レベル,中等度レベル,通常レベルと適宜切り換えができる体制構築を今後はすべきである。
(抜粋ここまで)

 折角グローバルにネット経由での"密で濃厚な"対話・会話ができるようになっているのだから、各地点が自分たちの判断ではとしっかりした説明付き(後日のお互いにとっての検証材料にできる)で独自の作戦を強弱織り交ぜて行えるはずを、横並び忖度が浸透しがちにして、折角の結果的に得られていたはずの知見を応用し損ねているのが現状ではないか。
 マスメディアは一方で冷厳に演者使い捨て装置の面を持っている(他人のふんどし利用を良いことに、専門家ほかの権威にすがって引用しただけの立場をメディア自体は採用しがちにする)と視聴者の立場からは噂に誘導されている面もまぬかれないけれど印象しているので、オルタナティヴなコメントを寄せる医療系識者ではなく、メインストリームとして発言を求められてしまっているレギュラー出演タイプの医療関係者の逆転劇を少しだけ心配できる。(統計系は現象を数値化しているだけなので、印象を持つ視聴者・聞き手諸氏においてそれぞれ勝手な解釈反応を示すことに誘うはずだけど、客観的には比較的安全な立場を持ちやすいと想像する)
 政治的には与野党の中での発言の様々がその後へ影響することになるのでは・・。
 "世界の"WHOだって、判断の精度を欠くことはあるはずで、そこらを忖度で追随するだけのような各国民国家というのではこの先も危ない。
 説明付き(検証用に必須)で各国が責任ある判断を独自に打ち出せるくらいが良さそうだ。
 事態によっては同じような判断が働くということも充分にありうる。
 インフルとか風邪系についての先例が折角、細かく判断を切り替える知見をもたらしてくれているのに・・というのが、この抜粋からの素人老人の感想。


 さてこのところ関わってきた列島古代史。
 列島版教科書では今でも660年の重みよりは白村江の出来事の方を目立つように記述されているのかどうか。
 鎌足氏と中大兄が仲良しだしグルだったという記述がなぜ必要になったのかの結果が、白村江の出来事を目立たせる記述への誘導と重なる、と素人的には今の時点で押さえたくしている。
 ここらの人脈の真相を探ることは必須と思えるけれど、専門家諸氏において不明確なままで、考古の方も推測の域の段階だ。
 そこへ山口博氏も参考にできるはずだけど、近藤健二氏も参考にできそうな著作を知った。
 いつもお世話になっているネット新刊案内のページにちくま新書の2022年1月新刊分のうち3冊が紹介されていた。
 そのどれもに興味を持たされているところなのだけど、言葉の学も育ち盛りとのことで、ついこの間まで一般書としても出ていたような本の内容を実は今に至ったことばの学からするとこうこうでとそこらを説明しつつ著者による新解釈を万葉の頃を対象に読めたりする。(『花咲く大和言葉の森へ』('20 松柏社))
 ヒトの移動、文化面での営みの変遷・つながりを探る参照素材を提供してくれている。
 専門分野での考え方なので、異論ほかを参照できて、その中での落ち着かせどころの現状版として押さえることが可能になる。
 当時のグローバル状況からは浮いた中大兄であり残党系の百済人脈だったはずで、660年を踏まえられる大道(だいどう)を行く倭国中枢脈や百済人脈(という言い方は当方が九州系の中枢と百済系の実務人脈が主に藤原京運営以後の主脈を目指したと前提しているから。近藤文献はそこへ中国通の列島在住脈がしっかりしていたことを示唆してくれる。
(なぜ仏教で、儒教系の易姓革命発想を回避してきたのかなど)
 九州王朝知見の諸氏の研鑽からは『二中暦』やネット(仏教系)資料を踏まえて"大化"の期間をぐっと7世紀の末の時期に持ってきている。(695-703。一般的には645-649と教えられている)
 すると大化の改新について木簡研究系から出ている再検討発信にもそれなりの説得力が付く。前期難波宮の出現を驚くと共に、連続でよりは非連続的質変化を読める藤原宮の出現の驚きを流れとしてすんなり受け止めうる"660年の区切り"説を素人流には持ち出したい。
 だから残党組みも組み込んでしまったシンボル脈と仏教的平和を芯のところに据えたい思惑込みで暗躍もする藤原氏脈にとっては、出発のシンボルと先祖の鎌足氏が仲良く同志として活躍させる必要があったと、素人はつい見たくなってしまう。蘇我氏がそのものとしてそこに居たのか、別のだれかの営みを踏まえて登場人物に使わせてもらったのか、身内のだれかをモデルにだから悪役になってね、とでも説得して登場してもらったのか、とにかく、権威付けの文字化作用の応用作戦のための手が込んだことを、ただ文字使用に慣れ親しんだ脈以外の先住民の膨大量を相手になんとかすることに勤(いそ)しんだ、と書紀に関わる諸知見をざっと読みながら素人的には整理したくさせる。
 ローカルな主脈がいきなり列島の広範囲を中央集権的に統一して治める、なんてことをそう易々とできるはずはない、と発想の育(はぐく)み問題からも素人でも想像し易い。
 列島の今を振り返っても、億単位で利害が錯綜している生々しさはただ恐れるしかない。
 でもならないで済む惰性をある程度生々しく育てることにも経験がものを言ってくれるような人の配置をこなしてきた。全体を知らないことが勘違いだとしても勇気を生み、それなりに辛口での批判言葉を対象へ浴びせることを、良識の範囲でオーケーにしているのが列島だ。洗脳されてチェックが必要だからと思い込めている諸氏もおられるかもしれない。(装置の中で、利用される立場を構成しやすいのが実質に近いはずだ。"政治"(かけひき)は実に入り組み易い)
 実質的には、率直なことばを浴びせ合ってもカッカこない関係を気づくか、地縁とか兄弟姉妹的な紐帯の円滑な方を想像できて、言いたいことを言い合える関係において理解を深める、というような言い方が可能だ。
 何百万人、何十万人であっても、個々の具体性の寄り集まりという絶対的な要素性を忘れるわけいにはいかない。十把ひとからげの策は即見抜かれる。それへどうこう・・・は、そうされる側の受け止め方次第だ。マスメディアの一面としての保持思惑内容への誘導的関与がある塊性(かたまりせい)を育ててしまっていたとしても、話し込むうちに、個々の具体性はにょきにょき現れてくる。そういうことに耐えられるのはにわか仕事ではできそうにない。割り切ってはいけないのだけど、割り切りに似た構えがきっとまとめ役には育つ。
 ここらは何度も指摘していることだけど、介護施設で介護仕事を試せば似た体験が可能と指摘できる。
 利害の嵐はたとえ静かでも絶えず生じている。時間や持ち場は限定的だ。なのに、かなりの複数の人々、具体的な人生を生きている最中の人々と共にする。こういうと理想論の方からの発信と勘違いされそうだけど、ぐっと地べた系の体験の場だ。限られた条件の中で、なにかしらし続けて、なんとか要求の部分についてお世話できる。
 何万人もの相手をしているわけではないのに、利害調整ストレスに疲れて、(明確な意思の下かどうかはともかく)つい割り切ってしまう発想を内に育ててしまうと、介護の質にてきめんにあらわれてしまう。
 ミニ版でそこらを簡単に体験できて、自らを照らす鏡に使える。
 小さな集団(せいぜい数千人規模、ないし首長間の調整程度)を治めることはなんとかなったけれど、いきなり数万とか数十万とか、数百万とかの規模でしかも住んでいる土地の性質もばらばらでそれを知った上で平和を希求するとなると、ただごとではなかったはず、と素人でなくても想像してもらえそうだ。
 藤原氏はプランを実現する実務的主役を担う。多くの熱心な仏教系人脈が裏方として支えてもくれている。(どういう具体的人生のだれかだったかはともかくシンボルとしての"聖徳太子"を文字資料に載せることに成功した)
 素人感想に過ぎないけれど、山口氏を知る以前の段階で、紀貫之氏の意欲みたいのに勘違いかもしれないけれど感心していた(古今集の仮名序)。
 グローバル試行錯誤には中央集権と関わる知見も不可欠だ。分権が含ませる、何かをしてもらう・させる中央集権要素のことは何度かふれてきている。
 だからモロにその実験を未完の状態で継続できている列島自体がなにげに生々しいままの歴史遺産のようにも映る。言論を統制しすぎていないゆるさは列島流解釈での仏教下敷きを捨てなかったからとも思える(虚無に走らせず、だけど(固執とか)こだわり過ぎを慎むように(内へ)働きかける)。(儒教への対応と似て、先鋭化に誘いかねないキリスト教系発想を相対化できている、多分)
 主に7世紀(推古(前)後)の長期間について、当時の知見諸氏の造作のくせを発見できれば、それなりに筋の通った書紀解釈が可能になりそう。で素人は、660年を起点にして、白村江の出来事年を本筋に介在して後々に影響するようにした要素(記紀において思惑を造作しつつも実勢は別の意識を持つ人々の営為)という扱い方を仮説にしてみた。(説明不足分は、これからも時々ふれたい)