連載は続く~ SF掌編『台風一号となったは5月26日』編


 各土地柄が生活上の調整機能を育てあって膨大な年月を経ている。
 各個にとって資源が似たように散らかっているわけではないから、そこらはどの土地柄においても、別の調整機能に気づいて工夫が求められ続けることになりそうだ。
 基本の消費の場、派生的に生産・流通と3区画を想定してみても。時々の事情に応じたよそ者の正義尺度から不正と見なされやすい事象や内輪にとっても不正と見なされる事象やがまぎれこむ。それら各所以上に、生活そのものを支え続ける育て、継承してきた知恵の塊のような3区画を構成する中身を空想できそうだ。
 ちょっとした百万人規模の街を想像してみる。
 その程度でも各地、各人の関わり方次第という辺りはおそらく実感的に察知したくさせるのでは、と素人老人は指摘してみたくなる。
 それが基本に作動していて、ヒトが為す様々な仕組みの類が円滑に機能してくれる。
 だれもが意見を出し合えることの実現可能性を巷の人々は実際的に思考するはずで、だれもが意見するような巷を決して空想したりしないと素人老人は察する次第。
 だから代議制なりが開拓されてきたのさ、とかわかった風に持ち出すのは、相当にお急ぎのどなたかたちとも思える。
 たまたま代議制とか法治とかの下での平穏を世界規模で一応認め合えている時期を幸いに、民主制とか民主化とかの内実を、子供のころの教育で得た素材が基礎となりやすいから、そこらを工夫しておいて、更に、直情的信念に陥りやすい20代ちょっと手前くらい前の年だいまでを無事に過ごせた予備の大人年代頃からより実際的な場に通用する議論としての、民主制、民主化の内実の論を摸索できるような学問なり、が今こそ求められてそうな気がしているのが、老体に(競馬の最終ストレートというわけではないが)‟鞭打って‟なんとか転ばずに歩けるくらい老いぼれの感想だったりする。


 さてWEリーグが一区切りを迎えて、人の動きも喧(かまびす)しい。
 様々に情動を表現されその動きは伝わってくる。
 第22節の試合では、浦和レッズレディースチームと日テレベレーザチームの試合を見ることができた。
 そこで早速、これだけは指摘しておきたいことを老人の余計なお節介ののりで一つ。
 カンフル剤投入タイプの女子サッカー応援方式には相当な工夫が必要、と思えたこと。
 女子に限らず、男子のサッカーでも同じと思うけれど、必要以上に選手を消耗させると実感した次第。
 ちょっと卓球試合場での観客感覚に寄せ過ぎる、かも、しれないのだが、良いプレイに拍手を送る。(内側での声は‟イイゾ!その調子‟くらいの感じ)
 本日放送していたワールドなニュース番組のフランス局版ではサッカーファンが決勝の両チームに分かれて、高速道のどこかで乱闘を始めてしまって大変な事態となったことを伝えている。
 メジャーリーグのコマーシャルノリも最優秀の勝者一人だけが勝者でそれ以外はその他大勢扱いのように仕向けるから、乱闘など起こらない代わりに結構、そのコマーシャル手法を学びすぎると(関連商品販売手法ほかも含めて)危ない辺りに気づかされるのだけど、ヨーロッパ方面では相変わらずフーリガンじゃない熱心なファン層が乱闘し合うくらいの単調なノリに誘われやすい応援方式を心身にこびりつけさせるファン動員の一面をたっぷり臭わせるニュースと受け止めさせた。子供たち、家族連れでも楽しめるスポーツ興行とはかなり異なるタイプと見なせそうだし、一方でそれが稼ぎの場を構成しているのだから外側からは複雑な気持ちにさせる。

 浦和チームとベレーザチームとの試合は、たとえば応援風景はというと、先の問題はあるけれど、応援席の人数ではホームの浦和チームが2でベレーザチームが1と言ったところか。その応援席の間では応援合戦の様を呈していたけれど、メインとバックに集う、浦和ならではの観客席一杯の浦和チームファンが極端な音量を出してゲームが発する音を感じ取れないほど、ということはなく、しっかりゲーム展開に浸(つ)かることができている。
 ただ、単調にカンフル剤を投入し続けるタイプの応援の仕方に両チームなっているし、テレビ放送のサッカーの試合でもそうだから、多分、全体がそういうノリを当然と思い込めているのだろうと、受け取って、素人老人は代案を持ち出してみたくなった。
 特に、女子サッカーでは、ないしベレーザチームのサッカーは変幻自在だから、単調にカンフル剤投入し続けることは選手を本格的に進行に応じて消耗させてしまうと推測できる。
 もちろん、得点して、更に応援頼むぜ!とシグナルを送る‟カツオ‟選手に応じないような洒落っ気のない応援団であってはならない。だけど、持続的にカンフル投入はまずい、と思える。
 時に応援が静かになる。そしてまたカンフル投入タイプの応援が始まるの繰り返しでは選手は消耗を誘われやすい。
 ライブの音楽演奏でも単調な音量音楽演奏タイプが流行っているのかどうか・・ここらはよくわからないが、ベレーザチームの試合前のライブではそれなりの変化での構成を経験させてもらえた。
 試合の流れ、実際に選手たちが使いこなす技や仕掛けの巧みに応じて、声援を遅れるちょっと卓球の試合での応援など参考にしてもらっての工夫を期待したくなる。

 ベレーザチームはこの2試合で、監督の人事采配から2人の選手に負担増ということで副作用をもたらしている。
 一人は前回怪我で途中退場した藤野選手。2タイプのサッカーに順応して、耐えて、時間を作り、自らも攻撃したり、自チームのだれかに委ねたりで点をより確実なものにしつつあるところだ。
 もう一人は今回の試合でイエロー二枚を得ることになった10番を任された木下選手。
 DFの配置に試合途中からも変化があったくらい客観的にもそれなりの気づかれがあるような選手の配置だったわけだ。その無理が10番に重くのしかかりで、そこを許せば相手チームの得点可能性に直結という場面での2度のイエローとなってしまった。
 FW的MF位置のはずの山本選手すらがDF的MFとして相当の運動量を引き受けている。
 当然、センターで先発のDF(カツオ)村松選手にも負担がかぶさる。
 配置の問題から、トラップの瞬間性ゆえに可能な精度良いパス回しへと直結させにくいということはベレーザサッカータイプじゃないタイプでの試合運びを強いられるということを意味する、と素人老人の我儘から断定的なことばを用いてしまって流すが、更に、DF役柄の協力関係にもひびが入りやすくなって、消耗にも誘う。
 しかも熟練選手を揃える浦和チームが相手だ。
 点を取ってはいたけれど、浦和チームの熟練選手相手だからこそその弱点を付いてより点を取れる試合運びをしていたというタイプではなかったのだった。
 若者チームがしかし熟練選手チーム相手に奮闘してぎりぎりで相手チームの得点を抑制できていたのだが、後半はそういう試合だし、応援タイプがカンフル投入タイプということで、ジャブの巧みを引き受けてしまったボクサーのように疲れ要素を持ち込んでしまって、熟練チームの粘(ねば)りに押されがちとなってしまう。
 後半の終了近く、3-2だったのを、清家選手の(是非はyoutubeのハイライト動画を参照されたいが)巧みから得点されて3-3となる。がそこで終わらない。ベレーザチームが体力の若さ版を発揮して挽回的動きに出る。
 その時には監督の我慢した人事配置が有意に働く。
 ということで明らかになってしまったと思うけれど、DF配置の松田選手は一見おっとりふんわかタイプのようでいて、攻撃面での凄い隠し味を発揮してきた選手だ。
 けれども、DF機能としては、瞬間出足を遅らせて後追いDFの状態を相手チーム選手との間につくられやすい。
 浦和チーム3点目の清家選手のシュートの直前のシーンを参照してもらえれば幸いだけど、まず腕と体の有利さを使ってベレーザチームの岩崎選手をなんと自分の背後に固定することに成功している。もがく岩崎選手はなにもできないし、位置的には一方的に不利になっている。
 (ここで素人老人の小うるさい提案を岩崎選手に一つ。相対的に小柄な場合、押し合いを避けて、清家選手の体を軸に使って、表向きの状態で左回転しながら背が清家選手の体に向いている頃から清家選手の肘や手の甲の直撃を受けないように身をかがめて低くして、一気に表向きになると同時に当然、清家選手より半身前に出ているはずで、そこで清家選手に体重をかけて体を寄せて、一瞬間でも清家選手の出だしのタイミングをずらせるだけで清家選手世代にとっては相当な効果を呼び込めると素人老人は推理する。とにかく女子系筋肉系でも回転と屈伸系での瞬間技をイメージしながら瞬間技の回転を決めて、ちょっと前にでて邪魔する。いらだつ清家選手が我慢できなくて反則するかしないかも充分に起こりうる。からだの大きさ関係によらず効果する手法を更に岩崎選手タイプには開発してもらいたい)
 清家選手は一点目の時にも、清家選手の身体特性(相対的大柄、走力)を活かして、追ってを抜き切っている。
 しかし観客の目からすると、清家選手世代相手だからこそもう少しやり方次第で邪魔できたと思えたわけだ。(これも多分、ハイライト動画を見てもらえれば、気づいてもらえそうだ)
 清家選手がボールの進路を見定めた瞬間、ベレーザチームの側はDFの二人がかなり近いところで両側から挟み込める位置関係の前方を支配している。
 ただし、べらぼうに抜き切るスピードを発揮する清家選手がすぐ背後に位置している。
 そのストレスは相当と察する。
 でも、だ。より近いけれど、清家選手が即抜き切れる距離ではない右側前方の松田選手には、できることがありえた。
 更にその前方だけど左側を走る村松選手(やがてその先で清家選手と並走しつつ、更に前方を転がるボールに向けて(当然、反則を避けての)スライディングで応じる)。
 松田選手は先へと転がるボールめがけて疾走している。清家選手のボール接近を邪魔する目的よりもボールに向けての方向を選んでの疾走方向だ。
 そこでド素人老人の判断になるのだけど、その距離からして、反則にならないように、ボールを追う方向を取るための清家選手の前に入ることを試みる、清家選手が選んだ方向の線に乗った瞬間にボールを追う方向へ身を向けているならば進路妨害だけ目的の行為ではない実質を取れる。瞬間技として、線上に乗った瞬間に斜め後方へ地面を蹴って、方向転換と疾走の継続を試みればよい。図にベクトルの線を描いて、自分と清家選手との関係をイメージさせやすくできる。線上に入るときの線に対しての横向きベクトルに負けないだけの斜め後ろベクトルを働かせて、向きを変え、疾走の状態も保つ。その瞬間、清家選手は自らが反則する以外、ボールを有利に扱える位置関係を失うことになる。
 もしも、ボールを追う同じ線上に乗る動作には間に合いそうにないと判断するなら、最低でも体を寄せる(つまり同じボールを清家選手の追う線、松田選手の追う線のままで競争し合うのではなく、清家選手の動作へ邪魔に入ることが目的なのだから)ことでちょっとでも押し合いとかの清家選手からの反応を得られるだけでも疾走の瞬間的遅れを誘え、その先での村松選手にとってのスライディングのいちかばちか判断を、体の寄せ入り込みの万全の方を選ぶ時間的瞬間ではるけれど余裕をもたらす。こういう対処もありうる。
 もちろん、清家選手世代の制約であるはずのフェイントの巧みやドリブル、ボール扱いの辺りに即席での改善を持ち込めるようになれば、話はまた違ってくる。そこらは後述。
 岩崎選手ならご自身でできる様々な工夫が期待できそうなこと。
 松田選手なら、DF的先読み的初動(テレビドラマだと初動捜査に失敗すると事件は解決しにくくしてドラマが盛り上がる要素なのだけど・・)のくせを心身化することで、攻めに働かせているゲーム勘の辺りが効いてきそうだ。そうなる以前に、浦和チームのタイプでDFをいきなりまかせる監督采配には、素人‟感情‟として、ちょっぴりだけ不満を持つ。

 ベレーザチームは3-3の後こそのように、勢いを緩めなかった。チームとして育ち盛りが持続している。粘りが違う。
 しかし!!!(おまけで3つ使ってしまう)浦和チームのワールドな試合経験でしかも同じく育ち盛り年代の石川選手をなんと!!!目覚めさせてしまったぁ・・・・!
 松田選手の攻撃モードがさく裂し始めて関わってもいる連携プレーの際、また土方選手の少しだけ若さが出たゴール目前のシーン。
 ベレーザチームの選手の動きだしをボール展開を視野に入れていたワールドなモードの石川選手が見逃すはずもなく先手の動きからどちらにとっても得点か、防御か、というきわに防御が勝(まさ)る形で決着をつけてしまう。
 土方選手へは、ワールドな熟練チームともしも当たるようになる場合、攻めの時にどうタイミングを応用するかの試行実験を経験した感じと指摘できそうだ。
 ベレーザチームの土方選手ならば猛然と防御に来る相手チーム選手との間で怪我に誘われない外し方の工夫の引き出しも持ってそうだけどそれをより磨(みが)いておいて、外し、蹴りやすいボールタイミングに合わせるのではなく、その今蹴るべき時に蹴れるタイミングとボール位置観測の瞬間的タッチ感覚などベーレザチーム選手ならではの技を披露できそうだ。

 一方、この石川選手のワールド質の技を最後の最後に見せてもらってあっぱれと受け止めつつも、DFからFWっぽい選手へと配置換えした清家選手の特徴発揮の様とFW系からDF位置へとポジションを変えた高橋選手の特徴の出し切れなさの辺りにも素人流を発揮したくさせた。
 DF的心身の頑丈さの装い発揮力+走りこむ力量を使いこなして(しかもネット発信によるとFWのための練習を相当にこなされている)得点と直結させている清家選手がいる一方で、なでしこDFとしていまいちな高橋選手という具体性を観客は見ている。
 FWは息抜きできる(多少の語弊の辺りは流されたい)。DFはとんでもない突っ込みはめったにないかもしれないが、試合中のすべてにおいて息抜きする暇を持てそうにない。動きが緩慢になる場面でも観察の連続性を中断するわけにはいかないポジションだ。GKとは守り方が異なるだけ。恐らく、FW感性が、ゲーム展開の弛緩タイミングの際、FW感覚が知らず知らず出てしまっている可能性を素人老人は憶測したくなる。
 もしもそこらをより意識的にDFモードの心身化に慣れて(単に慣れなのだから)DFっぽく振る舞う高橋選手に変身してしまったらその体格と走りとFWならではの勘が作用して(なでしこチームに浦和チームから2人も(老人性の個人的にはそこへ怪我が完治したベレーザチームのDF池上選手が加(くわ)われば、JFA福島アカデミー出身の若者DF女子も含め盤石となりうる))とんでもくらいスゴいDF誕生となりそうだ。

 翌日の深夜帯、テレビではマラドーナ選手が自在に動けることを抑えた元浦和の監督だったブッフバルト氏のことも話題を誘う試合が鮮明処理の上放送された。
 安藤、楢本両選手は研究熱心・練習熱心で知れ渡っている。
 多分、清家選手もそうだ。
 ということで素人全開に老人の一言多い話。
 清家選手世代は一工夫しないと、フェイントもドリブルも相手チームからの圧にわずかひるんで、仕掛けに一瞬の遅れをとってボール保持に失敗しがちだ。
 けれども、幸いなことに浦和チームには座談側の解説に出ていた福田氏もおられ、しかもブッフバルト氏の生の試合、話も聞けているし、なんとマラドーナ氏の生の試合も体験されている。
 清家選手にマラドーナ選手が近いと素人老人ということを外してことばにすると勘違いの失礼を提供してしまいそうだが、確かにど素人の老人なので寛容の方で受け止めてもらって、福田氏が言うには、FW系の福田氏が体を寄せようにも近づけなかったくらいの動作をするらしいマラドーナ選手という生々しさを紹介されている。どういう動きかをきっと生な事態として言葉で細々と具体的に描写してもらえそうだ。
 またそのマラドーナ選手を封じたブッフバルト選手の手法についても動作の具体性として詳細にことばによって描写してくれそうだ。
 そういう浦和のチームに属す‟得点‟を事前に使わない手はないと察する。
 最善のDF技の一つを心身化して、それをどうかわすかをイメージトレーニングできることは、普通なら滅多にできることではない。
 マラドーナ選手の相手選手との駆け引き上の巧みは逆に、自らが真似られるのだから、ヨーロッパチームのブッフバルトタイプの(そう沢山いるはずのない熟達タイプの)DF女子がいたとしても対応可能になる。
 けれども、ブッフバルト氏が抑えたマラドーナ選手の技ということでは、現代のヨーロッパチームの女子選手たちも清家選手が即席に身につけていつでも使える状態にしたフェイント技、ドリブル技は覚えられて間もなく邪魔されやすくなる。
 その時に、ブッフバルト選手技への回避策イメージが役立つ。更に、清家選手にとって真似たい選手の技、その個人的感情にこだわらず、自らの心身特徴に似て真似ると使えるかもの選手たちの技を真似ることで短期の心身化を可能にするから、それら技をヨーロッパで応用して使いこなせると判断したならば、遠慮することなく、さっさと里帰りしてもらって、こちらを拠点にワールドな各地での試合が盛んになる環境になっているはずなので、なでしこなり浦和なりのチームで活躍して、技を観客に披露してもらいたいものだ。
 各チームが連携と個人技量を身につけてしまうのだから、ベレーザチームの凄さも磨きを怠れそうにない。
 出場機会を見込めそうにないとかで堅実な技の選手が他所のチームに出てしまうとかがないように、力量のある選手たちを絶えず生な試合に出場してもらって、ゲーム感覚にいつでもゲームの熱が注がれ続けるような選手の起用と、連携軸の選手構成の巧みは怠らないチームの営みをスタッフ諸氏には期待したくなる。