連載は続く~SF掌編『中世というべきか最近近くなのか』編




ヒトの記憶は怪しい。そう昨今の知見は確かなデータとして紹介し始めている。
だからその昔、文書を盾にするようにし始めている。それもだが、使いようなことは、わかり切ってしまった昨今だ。
お互いの信用。それは恐らく食べ物知見を巡る京大の山極寿一氏がラジオで言っていた事を参考にできる。ヒトは他人への信頼について結果的にそうなのだ、と納得させるようにして、食べ物を譲り合える。そうやって食べてきた。大抵の動物は信用の一歩を踏み出し損ねたままだ。
ヒトの脳は他人情報を覚えるのに好都合に働いて、神経の網の目を濃密にしてきたようだ。
だから巨大官僚組織へと誘うヒトの欲望の在り方にも反省が要る。
その昔を考察することは実に大変なことだ。一つ一つの決定的な証拠をたどり、積み重ねでなんとかおぼろげに描けるようにする。
けれども、(列島専門筋では伊東氏が紹介者になっている)12世紀ルネサンス知見のように比較的たどり易い頃の証拠からその以前を探れるようになっていて、当時のイスラム圏を担った遠隔地貿易系でもあったアラブ系の人々ほかの営為により、ここらはハンブルグの遠隔地貿易系な諸脈の諸氏やハンガリー系の遠隔地貿易を担った諸脈の人々の発信源要素と極似していて、受け手にそれなりの準備さえあれば相当な情報を得られた状態が現れてしまう。そこを踏み台にして更に一歩を踏み出せたりする。
そういう大きな動きの中で旅行記などが残され、そこからも相当な知見を得られるわけだ。
遠隔地を渡り歩き穏便に商売をこなしてこその差異に依るぼろ儲けが可能となる。だから広域における往来が可能な環境醸成は必須の事だ。間違っても唐の時代の安史の乱のようなことは起こらないようにしたい、で来ていたはずだ。
或いはヨーロッパ域における宗教がらみの残忍な騒乱をも出来れば起こらないで商売繁盛を目指していたはずだ。
たどれる時期、旅行記が示す時期に、イスラム圏ということで、比較的に安全に長旅ができている。
丁度、たとえれば列島の四国での巡りに似る。
そこに商売が絡むだけだ。
なぜアシュケナージなのか、がユダヤ教を信じユダヤとして生きる有力者の中から問いを発せられ、著作も出ている。その先の思索、追及が同じ強度で持続してきたのかどうかはよくわからない。
遠隔地貿易商諸氏の膨大な思惑や果敢な人々の都合を想像すれば、イスラム圏の安全確保が成ったように、土地土地で工夫された信じる何かを同じくすることでの安全保障圏が成り立っていたとシンプルに考えられる。
人々にとっても果敢な連中が考え方を相違させてしょっちゅう争っていられたら平穏で持続的な日常などあったものではない。だから自ずからそういった安全圏を保つなにかしらを受け入れていたと想像できる。
けれどもそういった動態(遠隔地貿易の往来、果敢な連中の旅程などなど)が失せて、信じることの軸が淀みにはまった時突出してしまう現象がありうる。それが宗派宗教の相対的な肥大現象と察する。
信じること、信じる内容を育てることなど別の探索すべき事柄はあると棚上げして(そうできるはずだから)、淀み現象という気付きはヒトの営為にとってきっと参考になると素人は指摘しておきたい。世の宗派宗教の官僚組織を営む有能な諸氏にあっては棚上げしつつひょっとしたら将来の変化の受け入れに参考にできそうだ、くらいには受け取ってもらえたらありがたい、と素人は考えている。
そうなのだ。宗派宗教系には技能集団が含まれそれなりに、組織論として歴史的な知見となっているけれど、それは肥大した官僚組織での技官にも似てしまうので、その淡いのところで押さえた知見とできるかどうかは重要だ。
山極知見では氏が参照した知見においてヒトが確かにしておける常時の人数は150人ほどだ。縦割りを批判することは簡単でも、それがヒトの能力と照らし合わせてみれば、無理もない、ということにならないか。
全体を見通せる、親身さを失わないで他人と関われるのが百人単位という知見は、それなりに(ヒトにとって)切実なことに違いない。

介護にも引き寄せてみたい。
家族の枠内では、濃くなりすぎて一方が疲弊してしまうことが経験的に知れ渡っている。ある種の割り切りとノウハウを持つと家族内であってもお互いをすり減らさずに人生の一方を全うさせることはできる。けれどもそれはまだ全体としては未熟なままだ。だから介護の業が育っている。
その業界でも未だに介護保険法が謳う”生活の面倒をみる”を理解できないまま、生活の面倒だから当然にも個別の扱いしかありえないにもかかわらず時間とか人員とかを言い訳にして、まとめてよいしょ扱いにしがちな施設の営みも残りがちにしている。
ちょっと説明するならば、学校生活とかもともと集団を前提に集めて、そこでのなんやかやを工夫し合うというイメージで、個別に生活して、これからもそうできる年代の人々が仕方なく施設に入所することとごっちゃにしてはいけない、ということになる。
否、集団生活に変更になるのだ、と言い張りたくなる先入観をひょっとしたら多くがお持ちになるかもしれない。けれども、介護保険法はそうは前提していない。ちょっと以前の苦い経験をしっかり踏まえて介護保険法を作ろうとしていたと想像できる。解釈次第ではない、と察する。或いは、解釈に多義を持ち込みそうであるならば、個別に生活のお世話ができるように解釈していく必須を指摘できる。それは自分がされて嫌な扱いはしないの原則から簡単に導ける。
自分が、としないと我が子について他人には口でどれほど心配しているかなど言っておきながら、やたらと叱りつけたり、溺愛(子にとっては過干渉)していたり、妙な現実を包み隠すようなことがありがちだからだ。自分の子にしないことを他人にするな、では通じないことが充分にありえてしまう。
介護現場では既知になっていることだけど、入居者諸氏の多くは愚痴ほかを長話のノリの中で聞いてもらいたがっている。認知症の兆候ありで、記憶が頼りなくなっていたとしても、その昔のこだわりを振り返れてしまうことはいつも通りに可能なので、そこらのはけ口になってもらいたがってもいたりする。それで気が休まる。集団での遊戯は気分転換とか体の動かしに作用はするけれど、長期に渡るわだかまりの解消には役立ちにくいのだ。だから認知症状が出て他人と円滑に交わりにくくなっていても、気の合うだれかと遭遇できるだけで日々を円滑に遅れるようになってしまう。これは不思議でも何でもない。
そこを介護担当の都合からあーせいこーせいと煩くすれば、その気持ちは失せて滅入ってしまう。こんなとこに来るんじゃなかった、になりかねないのだ。
気持ちが晴れて、自らの動き出すことに億劫がらない状態が持続すればそれなりに、介護の負担も減るし、ご本人もそこそこ生き生きした状態を保ちやすくする。上手くいくわけだ。どちらともなくちょっと声を掛けて雑談し合える。ちょっと簡単スポーツゲームをする、など個別の付き合いが欠かせない。そしてその晴れた気持ちが入居し合っている、という同じ条件の下で遭遇すれば自ずから話も進む。それに介護担当は委ねられ、当たり前の世間が密かに成り立っていることを観察できる。
不満たらたらだと個別に利害が錯綜するし、介護担当諸氏にとってのあちらをとればこちらには行けずのようなことの裏返しで、だれそれには・・自分には・・のぶつかり合いが目に見えてしまう事態が生じやすい。そういう条件を整えることができるならば、入居者諸氏が世間を作ってしまう。そこは年の功で、なまじっかな介護担当諸氏の簡単には届かない人生の知見が詰まったところから応用が成される。





君:それって、いいわぁ。私もそういう所なら、入ってみたい、かな?
私:?そこで?。やっぱ未だ”?”?
君:そうね。ところで、話し合う時、なんだけど、わかる人にはわかるってこと、よりも、話し手の間で知っている事実が別々、ってことない、かしら。だから話が散らかってしまうの。
私:うん?なるほど。同じことを違う風に理解している、ってことじゃなく、別々の事実を持ち寄ってお互いが相手は知っている物として、知らなかったらそれは相手の過失のような扱いで、ってこと、ね。うーーむ、そうだよ、な。難しいよ。それって知らないことを政治的に使って、そんなこと知らないのか話にならないぞって、退ける理由にしたり、その場の作られ方次第では話し合いとかの性質を考えないやり方もできてしまうから。一応、啓蒙の考え方は衆知にして、それを前提に話し合うのだから、相手が知らないなら、それをまず知らしめて、その上で話を進める、ってことにならないと・・・。
君:でも、あなたの言う政治、それが働いて、知ってる方が話を勝手に進めて、でもその内容が不十分過ぎて返って、その話し手が不利になったりもする。
私:ははっ、そうか、そうね、そういうことだってあるわけだ。
君:テレヴィ見てると、ついわかった気にさせられるし。別にテレヴィが悪いってわけじゃないけれど。
私:結構テレヴィもワルイかもよ。くっくっ。
君:寒くなってきたわね、急に、よ。
私:確かに、寒い。足の方から冷えるって感じ。足を互い違いにするって、どぉお?
君:あら、都合の良いこと・・・。
私:落葉を踏みしめて・・・なんて・・・。
君:ハッキリいいなさいよ。散歩に行こうって。
私:きょうのキミも・・・。
君:なに?
私:へへぇぇ。
君:なによ、散歩、でしょ。葉が降ってくるの、ハラヒラホラって。
私:言うことなし。
君:でしょお!