連載は続く~SF掌編『考えることの楽しみをそうできるようにするかしないか』編


繰り返しの指摘になるけれど、社会工学弁証法役割分担発想を骨肉化したタイプ諸氏だと、つい目先の勢力分布に無理やり乗せていることを意識しないように内面操作を働かせて戦いモードに強いがちだ。やつらと同じ立場を客観的に観測されるのは間違っても本意ではなーい!という具合。
たまたま早朝ニュース(諸氏においては12/7のうちにご覧になっているのかも)で知ったのだけど、USの医師、レミー氏が自ら撮影した動画とともに話題を提供されている。
マスクしないで集会にでたことを後悔するどなたかたちと遭遇した体験を語っている。
で人生の最後の最後にだれとも語り合えずにお亡くなりになるどなたかたちという事態も問題にできている。
つまりそこには相当な矛盾が発生しているのだけど、弁証法役割分担発想の氏においては、そこには気づけずに、アンチ対抗勢力で勢いづいていることをこっそり強力に控えさせてことばを選ばれている。
困ったことだ。隔離してしてしまうことの問題について、前回指摘した。
既に感染して重症だ。重症の状態の中身は多くの場合免疫系の暴走状態が問題の原因だ。
血流にかなり”ゴミ”を流すような状態にしている。詰まりやすくしている。
ウイルスが膨大になり過ぎた体内、というよりは、免疫系が暴走している。そうこれまで表現されている。
きっかけを提供したのは新型コロナウイルス。でも、なぜか免疫系が暴走して、血栓の類を発生しやすくしてしまう。そして重症化のスパイラルに陥る。
でもその多くを医療は工夫して制御するくらいになってもいる、という現状をニュースでも紹介し始めている。
多くの人々にとっては軽症で済む感染症であることもわかっている。感染して抗体を身に生じさせればそれはラッキーな状態だ。
だから可能性と本人の意思を踏まえた公的な指針を早速つくって、家族のだれかがその本人になるわけだけど、死にゆくどなたかと面会できることは簡単にできるはず。一応、今の建前として感染が明確なだれかと遭遇したので2週間は、どうなるか観察下に置かれる、という条件がつくかもしれない。でもそれでいいわけだ。面会如何は患者のご家族本人次第だ。撒き散らされても困る、で、観察下に置かれる。そこを今の発想の制約として一応受け入れて、面会する。
それさえ困るとか受け止められるとしたら、医療の指針の現状が、どういう症状だろうが隔離の策を採用しているからだ。毎年のインフルエンザ感染症のあくどさ、質の悪さを考慮できれば、新型コロナも同じくらいあくどいことはだれもが認めると察する。だから毎年のインフルエンザ感染症と付き合ってきたやり方を応用できるはずだけど、オピニオンリーダー的な諸氏が、弁証法役割分担発想で熱を帯びているから、中々リアルな落ちついた対応ができにくくなっている。
最晩年の内実が医療的にわかりきっている状態にも関わらず、家族のどういう条件のだれかであっても面会すらできない隔離をインフルエンザ類似の事態に適用してしまって、思い込み過ぎている。
エッセンシャルワーカーの備えについても、前回指摘したように、抗体を持たせる策の後手後手ゆえに、対応能力を1000分の一くらいにしているのではないか。だから現場は忙しくてたまらなくしている。工夫次第だったのに数か月の試行錯誤のもう一つが、弁証法役割分担発想ゆえに抜け落としている。
抗体を持てる機会を工夫し合える積極策。感染者が膨大になる事態についての対処をしっかり思考実験できているかいないか。心配心配頭と、弁証法役割分担発想の妨害にあっていないかどうか。
抗体を持った人々がどれくらいそれで完成しずらさを持続できるかのある程度の目測を持てれば、更に試行錯誤に向かわせる自信ともなりうる。
その一方で、毎年の悪質なインフルエンザ大流行同様に、晩年を向かえてしまう諸氏もいらっしゃるわけで、その際も、インフルエンザ経験を踏まえて、面会はいくらでも工夫できる。そこを弁証法役割分担発想が邪魔してしまうことは、たとえ短期の現象だとしてももったいないことだ。


社会工学パスカルの原理応用の場を、大国的な工夫の網の目の世界において、手抜きするわけにはいかない。
だから、様々に圧を関係者それぞれの工夫において掛け合う。だからより内部的な情報交換できているような濃密な諸氏以外にとっては、更にわかりにくい事態が推移してしまうのが、パラダイムシフトに近い事態変化の時期と想定できる。
更に、というのは、担い手諸氏だって生々しい現実と発想の個々性とがどうしたって関わるから100%同じことをめぐってなにかを100%同じように取り組めるなんてことにはなりえないからだ。
建前ことばとしての民主とか保守とかの用語を弄べていることも、基礎知識としては便利には違いないけれど、いざ応用、という場面では、広瀬本が役立ってくれるような事態との関り濃度などを考慮した動きの階層構造や、役割分担や、忠誠度やなんやかやを、押さえて、更には、どういう事態をめざされてというのまで届けばよりわかりやすいけれど、そこまでできないのが普通だろうから、建前のことばの群れはともかく、どう日常の落ちつきへ、ないし日常の改良・工夫の中身(をしっかり観察、理解して)と相談して、関わろうとしているのかなどを判断材料にしてみたり、役割分担発想からある程度距離を置ける工夫を尽くして(相当に観念系引力が働いているので難しいのだから)、事態と向き合えるかどうかが事態の推移を人生の糧にできるかどうかと関わってくる。
滅びるタイプのパンデミック演出ではない。
そこは押さえることが可能になってきた。工夫の向けどころを勘違いして、多忙に追い込んでしまっている。
石炭依存から石油依存の基礎社会条件転換を成し遂げたヒトならではの工夫を歴史から読み取れる。
今の転換期待はイデア先行だ。ここらを押さえておきたい。下手すると観念遊びになりかねないわけだ。
ここらは古く槌田敦氏が指摘していた石油文明圏をどういう質で問いかけ得ているのか、今時の人々は?と振返られるだけでも、かなりの要所に観念操作できそうだ。
人の動きに極端な制約を課して、支払い手段だけ膨大量撒いても、琵琶湖周辺の河川の水が琵琶湖に流れ込むと勝手に想定して、支払い手段の流れは、そちらへと澱み始めてしまうだけだ。
動いて支払って、巡り巡り続けるのではない形。
そういうことに貢献するだけでは、折角の出費大儀捏造もかつてよりも無駄にしかねない。
イデアの空転。
でその可能性についても若手の金融に詳しい女史がBS報道番組の中で今回の事態のごく初期に指摘されていたことをここで引用させてもらっている。

資源の使い方の工夫を全体として良好に使いこなせるような方で日々思考し続けることは相当に労苦をともないもする。それを悪いストレスとしないタイプたちが、せっかくの同時代を共有する人々とともにで、協働できる時間共有を成せれば成せるほど(だれもが平等に関われるというのとは違うし、相対的に実際的な対応の一つ、というくらいの指摘はできそうだ)そこそこに改良・保守点検しつつの円満な生活持続を成り立たせてくれそうに思える。ごく少人数でできることではない。個々性が関わってしまうくらいの膨大量の志向・思考が関わって、更にそこに個々の生活(伝承を含む世代を継いでいく工夫やくつろぎの為の工夫に費やす時間も含めて)で手いっぱいの膨大量が関わっているイメージ。
今はどういう状態にしようとしているのだろう。
活動に制約を課し過ぎていないか、と問える側の説得する努力も含めた圧も非常に大事な時期と素人は見ている。
大国役割を担えるかどうかの一般には見えにくい場面でもだからかなりの圧を作用させ合っているはず。
そこでも同様に建前上使ってしまう民主や保守やで事態を見損ねる前に、アヘン戦争の内実が見えるような脈から、ネットワークから見えてくる広瀬本ヒント発信に少し耳を傾けたりも助けになると素人なりに考える。
広瀬本の読込の込み入り方についても何度か指摘しているので、一方通行な見方にはならないもの、と期待する。
危険をかえりみないし、一般からすれば迷惑千万な手法を平気で行使する蛮勇たちが、結構蠢(うごめ)くのが広瀬本の主役たちだし、民主のなにがしを支えもしてきた。個々を大事にすることの歴史のどの時点でもの大切さだから、そこにどういう関りが可能かも、膨大に工夫が要るけれど、思想史に関わるような距離を取った観点を押さえられることで、”やつら”(たとえば19世紀くらいまでのオックスフォード大出のエリート教育を得た諸氏による果敢な他国へ向けた”おせっかい”意欲、その両義性などをしっかり押さえないと敵味方論で割り切って判断を誤る)の大きな関わり方と各地の一般にとっての困った様を読み取りやすくする。18,19,20世紀史を読み解くちょっとした手がかりを得られる。

間接的にヒント発信すると、ニュースで報道されたばかりだから通じやすいかもしれない。
小型ジェットも便利だよ、というニュース。
一方で、小型ジェットの持ち主が危ないことに手を出していた、というニュースも。
ここらだと二つの対比だからついわかったつもりになりやすいので、誤解も提供しかねない。そこに、ネット情報からもう少し様々を取り込んで、それらをどう調理することで、その先に、少し円満でこなれた日常の営みに小型ジェットを融け込ませられるかななど考えることを試せる。