連載は続く~SF掌編『たまにはSFの話でもしてみたら・・』編


ある程度落ち着いたところで共有できそうなことを羅列。

(相変わらず、US事情に余計なお世話発信めく)

グローバルにも貧富の格差問題は入り組んで生じている。
US事情では貧富の差は極端に明確に出ていることを統計資料を用いて周知にされている。
明確にその多くを現大統領をかつぐ脈はすくいとって表舞台化に成功している。
今はイデオロギー上、諜報事情を鑑(かんが)み対中政策がごたごたしている。
そこらはそこにこだわれば、近代国民国家の独立性からしてそういうことはお互い様で起こりうる。お互いが分かり合って、落ち着きどころを探る騒ぎと取れる。
で貧しい諸氏にとって、気持ちが騒ぐ一方で、食っていくもろの所にも関心はいつでもいっている。
すると、貧しさをそう感じさせない低価格な商品をもたらす経路はリアルに響く。
自分たちの給料水準を低めないで生活を潤すことを探る。
今時のようにウイルス騒動をいいことに莫大なお金をばら撒ける幸いを強引に使えるなら世の中、いつでも気楽なもんだ。
溢れるほどお金を撒いて、それはどこへめぐってるんだろう。
一方では大変な経済の営みの苦労が蔓延しているけれど、お金のばらまきの気前の良さ空前絶後の規模だったりする。これはほぼグローバルな広がりで生じている。ここらは識者諸氏の中には勘違いして、世の中が貧しい方に絞められているように受け止めていらっしゃるかもしれないけれど、とんでもない事態が進行中だ。
ただ以前引用させてもらったように、慶応大の教授氏が、当面はばら撒いてもトンデモ系のインフレにならないで済ませる。ただし青天井じゃないよ、と注意をうながしていたわけだ。
それでも足りないのか、撒き方に工夫が要るのか。
列島もだから大変な状態だけど、USも大変だ。
そしてもう片方に期待している貧しい膨大量はまとめ掬(すく)いそこねている危なっかしい状態を抱えているのがリアルな様と素人は見ている。
一方はなんやかや騒がしくもまとまって表舞台で吸い上げを可能にしている。
ま、教科書秀才系な諸氏は、人生で多くを学んで、反芻系に知識を回す余裕が或る時はそうは反応しないと思うけれど、身体に沁みついてしまった回路では反射的に、ポピュリズム?!えっ、それって危険な思想なんでしょ、と怪訝な気分を沸かせてしまうと想像できる。(とりわけメディアでご活躍な諸氏においては、日々気にしているかもしれない給料を決定づける指標とポピュリズムとの親(ちかし)さを時には想起してもらえそうだ。だから決定的・固定的概念ということではないくらいには受け取れる)
USでは300km/hオーヴァーのぶっとびカーレースを目の前で観戦できるような土地柄で、それが各地に沢山催されているのだから、それに限らず、アメフトのようなのも燃えて脱力できるタイプのスポーツ観戦だろうし、そういうのが沢山あって、だから弁証法流役割分担に発想はつい馴染みがちにはしていると思うけれど(敵味方で決着を付ける発想)、でも祭りの後をその度に味わうこともしていると想像できる(異性とのもつれ合いでそれは解消しきれないほどの経験であることは、列島のかつてのヒット曲で知れ渡っている、そういう世代が未だ年寄りで沢山いらっしゃる。コミュニティ内役割分担で得られる心の張り合いへの想像へと多分誘うメカを含んでいる)。
ここまでくればもう少し付言できる。
だから実質を伴うハッタリ(300kim/h超の運転をなんなくこなせることを大抵の(老若女男)連中には無理なことをつい自覚してしまえる。そして熟練とか精鋭の数の多さとしかし膨大な集団の一部でしかない限定性にも気付かせている。すると・・・大国内でも平気で際どい戦地に赴くようなことは相当に難しくなってしまう、くらいは簡単に空想できると素人は考えるがいかが。だったらで、自前の死を恐れない精鋭を用意すりゃいんだ、ってなるんだろうか。それはおバカ、だから、世の知賢ならこの先の工夫のしどころへと思いが至るのではないか)
支払い手段の占有の度合が、使い方の上手さを伴うようなら、各種の職人、伝統芸の熟達水準は生活観を失わずに売り買いの活動の中で伝承され続けると思えるけれど、半端な金持ちがいくらいても、それらは滅びに向かいがちにする。多少でも支払い手段を占有したいと思わせるのが生活を豊かにする品物にも囲まれる意思を大抵は含むと想像できるので、当然、そこに矛盾を見ることができる。大した要求も購入もできないから結局そうなる。
人件費をけちるか、差異を利用するかだから。そういう表向きのことばにはしずらい難しさも素人の年寄りだから一応ことばにしておきたい。
だから・・・貧しい連中が人生の中で得た”糧”の可能性にも注目できるのではないか。
中身はここでは想像していただきたい、としておく。
職業探ししているなら今回のことは偶然のようで趨勢も含むのだから、現場で働くしかない職業をめざしてもらいたい。その一つが介護だったりする。医療でもいい。
ストレスを為てお年寄りに八つ当たりしてしまうかもしれないから、それには備えておいた方が良いよ、くらいはヒント発信できる。相手から率直な介護内容への注文を聞けるようになれば、それなりにやりがいを得ながらの介護業を営めるようになる。同志のような頼り頼られの張り合いをきっと持てるようになる。その前に我慢できなくて押し売りしてしまうと多分、その先は見えている、とこれもヒント発信できる。
ただ人手不足の現場的職場はいくらでもあるのだから、そこを是非諸氏よ、目指してもらいたい、と年寄りは思う。
そこが支払い手段の巡りのある重要な部分を担うようになれば、もうそれがもろ収入に響くようになる。でもその為にはサービスの質を保てるようにしなければ、業界として相手にされない。それはリアルなことだ。
支払い手段の背後には資源がついて回っているという発想が結構役立つ。
支払い手段の使い上手こそに、支払い手段が集まって使い切ってくれる。それが巡り続けている。
資源を死蔵したままでいいわけがない。もちろん、万が一の準備も不可欠。そこはオープンに余裕を持ってローリングストックしておく。でもためこむ心配をできるだけ省ける工夫を駆使して、使い上手に支払い手段を集める。アイデア次第かもしれないし、信用も要る。結果の成功率もちゃっかり資料にされてチェックされてそうだ。でも、資源を失業状態とかで死蔵していてはダメだろう。
そういう発想をUSではファーストとかちょっと困る方で受け止める諸賢もおありだったようだけど、そういう含みを素人は見ている。
だってUSの製造業の質についての報道はかなりのことを指摘していなかったか?
使い慣れして、その為に更に支払い手段を欲する、という循環を観念系に育て始めてしまった巨富諸氏もきっと大勢いらっしゃることだろう。
これはちょっと扱いが面倒だ。上手だからそこへ支払い手段がめぐっているのか、為にする事業ゆえに巡りやすくしているだけで、実際には世の中に迷惑を巻きがちにしていることもありうるからだ。
支払い手段の莫大な占有が他人を沢山使ってなにごとかに傾けらるという可能性については前回かでふれている。
だから欲がどうしても出てしまう。自分は上手いと思い込めてしまう。どう検証できるか。
貧しい方も、半端に金持ちになって浪費してでは、足元の基盤を育てきれない。むしろ集団の営みとしては、脆さを育みかねない。
しっかり集めて、万が一の備えに投資できるか。など例示できる。
こんな感じで貧富の格差の事態を雲散霧消するような観点を持ち込んで、映画の展開のように地表面での活動をもう少しだけ元気にできれば、というのが、年寄りのSF発想に近い。