連載は続く~ SF 掌編『新型ウイルスとの付き合い方』編


最近は以前、それらから遠ざかっていたということもあってか、再放送も新作としてみることの出来る境遇を得ている。
なもので、結構、世間並みかどうかはともかく、(テレヴィ放送での映画やドラマの)数は見るようになっている今日この頃。
ドラマといっても事件解決物がほとんどと、そこらは興味の向きやすいのをつい選んでしまう。
その昔、というかかなり昔の小学生くらいの年代では、主だった登場人物へと誘われて、その活躍ぶりのなんらかを糧とする感じを思い起こせる。
今はそのノリを忘れてはいないのだけど、シーン、場を作る出演者諸氏+そこを支える演出や裏方の諸作業の不可欠なところにいつでも感心できるような見方が普通になってしまっている、というようなことを気づけている。
年のせい、だとすると、当方に限っては、その昔は偏見の塊だったのだろうな、と振り返ることができる。
偏って、という意味合いからの偏見ということばの使い方。
そこらは置いておいて、ということは、とドラマ・映画を形作る広く(裏方諸氏を含む)演者諸氏を想起して、なになに組みというある時期のドラマを構成する諸氏の貴重さに思いを馳せる。
その人々が演じたドラマ・映画がニュアンスとして響いて、かなりの影響をもたらす。とりあえず当方はそういうタイプで、影響されやすい。といってかぶれるとかというより、当方の見方において影響されやすい、という、ごく身勝手な鑑賞タイプの方からの指摘。
けれども、当方という特定のだれかとは無関係に、ある時期のドラマを構成してしまう。その時点での役者や裏方諸氏ということはリアルなことだ。
生の舞台での手ごたえは得にくいかもしれないけれど、また空気のようなムードでの騒がれ方とかに流れ勝ちかもしれないけれど、実は、そういうある時期の具体像を提供してしまうような要素的関わりを成している辺りを素人ながら指摘してみたい。
だから表の表役を取り巻く中でも、普通にその時期の空気感を漂わせるだけの通行人ほかの場を埋め尽くす諸氏においても、その時代のなにがしを観察・体感して、模倣のその先を演じてくれているのか、ないし演出家からのニュアンス誘導にのせられてのものか、自由度の中で吸収した時代相にテキストの内実の読み込みを演者ゆえのフィルターを通過させてある程度(メディア漬けでステレオタイプになりがちなのを巧みに回避させて)独自な表現にしているか、などなど、作品にするうえでの工夫も相当の余地ありと察することができる。
そこらを生の舞台ではない、息遣いが空気圧としては感じられない鑑賞の形ながら、楽しみとできる感じくらいは指摘しておけそうだ。
そして、ヒトは年を重ね、それは熟達と同時に表舞台から去っていく過程でもあり、構成の人々が入れ替わっていく。どの構成ではどういったドラマを感じ取れる、とかの変遷が見るものを戸惑わせもする。
(他人事ながら)もっともっと”面白く”できるかもしれないし、ちょっと、悩みすぎてしまう時期も通過してしまうのかもしれない。


さて、ネット情報を使わない手は無い偶然の幸いな時期、シオノギ製薬(Shionogi & Co., Ltd.)のページにて、相当に親切に見た目にもわかりやすいデータを読めた。

(以下はデータ、数値の引用)
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毎年のインフルエンザ(日本)
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平均 1000万人が感染している。

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2018-19シーズンでは
患者数 1200万人 "10人に"1人の割合だ
年齢層別割合
00-14 : 41.2%
15-59 : 44.3&
60- : 14.5%

学級閉鎖、学年閉鎖、休校などが3万施設

入院 2万人以上
年齢別割合
00-14 : 24.5%(0.5万人)
15-59 : 13.9%(0.3万人)
60- : 61.7%(1.2万人)

重症化
インフルエンザ脳症
00-10 : 69%
11-59 : 22%
60- : 09%
予後
    死亡 : 06%
 重度後遺症 : 07%
軽中度後遺症 : 14%
    治癒 : 71%

"https://influ.help/" から
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世界での平均
重症者数
平均 300-500万人
死亡者数
平均 29-65万人

ざっとこんなインフルエンザ現象をイメージできる。
だからと結論を急いでしまう。
インフルエンザ治療の現場でも、まずどういう(テレヴィドラマの見過ぎな表現になるけれど)"必殺”技を用いるかの準備如何(いかん)の辺りが懸案になっている。
通常は抗インフルエンザウイルス薬の中で何をこの患者に適用するか、専門家ならではの担当医師による判断を経て、患者の症状の軽減が図られる。
それでも対処しきれずに重症化することも通常は起こってしまう。数は少ない。でも、必ず毎年起こっている。重症化も通常対処の過程に含まれる。
インフルエンザの場合は、子供年齢層だとインフルエンザ脳症が特に心配されているようだ。
成人では重い肺炎とかになる。
先のように、また他のネット情報でのグラフからも素人には気づけることだし、だから多くの諸氏においては常識と思えるが、現コロナ感染症と似て、高齢者ほどきつい状態になりやすい。それもだけど少数の中の少数の現象で、似ている。
現コロナ感染症は、新型と認知され、だれもが罹(かか)る可能性を有する。
感染についての年齢別グラフを人との関わり濃度など勘案して調整すれば、きっと平坦になるはず。
どの年齢層も例外なく、似たように罹る。普段のインフルエンザが成人よりも幼い年齢層に罹りやすいのとは対比的だ。
日常生活を守る、という観点からは、緊急出動担当スタッフがインフルエンザに感染して実用にならない、という事態を想定して、そうならないように準備しておく、と素人は想像する。
だから今、ニュースで、自衛隊に看護士を求める、と報じられていて、医療現場は普段、何を考えているのだろう、と疑問を持ったところだ。
自衛隊とかUSでの事例の紹介は既に成されている。血清を使うタイプの緊急用の方法を確立させている。
どういう要素を溜め込んだ他人かがわからないまま生で血清を応用するということは相当に危険そうに素人からは想像されてしまうので、そこらはもっと信用できるやりかたを確立されているはずだ、と思いたいけれど、とにかく、感染症騒ぎで口角泡を飛ばすほどの医療界諸氏が、なぜ?という疑問は素人ゆえお許しいただくことにして、提示しておきたい。
そこは一応クリアしたとして、また万遍なく各年齢に感染者が湧き出る、という事態も既定として、次は、確立した、ないし頼れる治療法は何か、も工学部門でもある医療ならではの工夫がそろそろ出ていておかしくない。
ニュースからもそこらは素人にも伝わっている。いくつかあるみたいだけど、重症化をかなりの確立で避けることができるようになってきたみたいだ。
それでも、人手、病床が足りなくなる、というのは、相変わらず、極端な隔離策での資源の集中を方法として採用しているから?なのだろうか。
インフルエンザは新型でなくても、上記データのように相当に強烈で、しかも毎年起こる。
ヒトに馴れ馴れしすぎるのがインフルエンザウイルスとも言えそうだ。もう少し、距離を置いてくれよ、と、連中(インフルエンザウイルス相手だけど)には言いたくなる。
でもやつらは親しげに密着して、遠慮なく侵入してくるわけだ。
それが(現コロナ感染症とごくごく似ていて)少数だけど重症化もさせる。相当にあくどい。
現コロナもあくどいけれど、毎年のインフルエンザも実にあくどかった。
多くが感染して、抗体をもてれば、かなりの程度、安心材料となる。期間が短くても、症状の変化の過程を承知できる経験が物を言って、パニックにはなりにくくもなってしまう。
今は騒ぐほうも騒ぐほうで工夫が無いから、心理的にわざと追い込みがちにしている。そこらがマスメディア=貴重な啓蒙装置の時代ゆえに良し悪しを発揮してしまう。
昔、今タイプの医療が普及していない時代、土地柄に応じて民間知見の様々が試されてきた。で感染症的認知が成り立つと、わざと緩めに罹る試行を小さな集団の自発性において成したりが歴史知見として残っているようだ。
それくらい、感染症のくせ(一度罹るとそれなりに”免疫”を持つ、罹りにくくなる)については、熟知して、工夫してきた、とヒトについて自信を持てそうだ。ただし、思いつき要素を含むので、失敗もかなりこなしてきた可能性を素人は慎重に指摘しておきたい。
かかった連中へ差別する人々がごく少数いるらしいが、それはヒトの積極的な工夫の歴史を白無すぎるとここでは断言しておきたい。わざと罹って、危ない年齢層にも遠慮なく密接して感染させるような暴挙に出ない限りで、配慮できた感染のあり方は、安心材料になる、ということ。感染して、抗体を持ってくれた諸氏は、次の活躍の出番を待ちに待っている状態の諸氏であることに気づくべきだ。
そしてエッセンシャルワーカー系の諸氏においては(とりわけ”黒子”役である軍関係では血清を応用した方法で早めに免疫を持つようにしているとのことだ)抗体を持って、現場で活躍することを社会的に求められている。
免疫がなくて、いつか駆るかわからない状態で心配過剰になるというのは、活躍系にとっては邪魔以外のなにものでもない。
発生現場ではそのルートを押さえる公衆衛生に限定しての強制が働く。そして、ある絞込みを早急にこなす。そうでなければ、その意味は失(う)せる。
かなり以前に、先の民間発想からの緩い感染による対応策を発信された専門家のことを引用した。
ムードが心配心配で来ているので、そういう重要な知見をことばにしにくくしてしまったかもしれないけれど、ここは素人、ぱっと言ってしまうけれど、管理された感染の知見も専門家筋においては熟知されていると想像するので、次の新型の際にパニクらないよう、管理された感染手法を整備しておいてもらいたい。
世の恐ろしいと喧伝されがちな諸外国の感染症の実質は啓蒙不足だ。それらがどう対処すればどれほど制御できてしまう感染症でしかない!か、を世の人々が知れば、ヒトになれなれしいウイルスたちとも仲良く付き合っていけるようにする、というものだ。
医療現場では死にいたるかもの状態において、現コロナ感染症では未だ戸惑っていらっしゃるのではと推測する。通常のインフルエンザでの毎年の大量死の現場では、ある程度スケジュール化されているのではないか。そこらのギャップをどう合意形成して埋めていけるかも多少急げる段階ではないか。不可逆過程の諸氏には今は尊厳重視で大切に扱えるノウハウを介護現場でも学び始めている。そういう時代になっている。
ただその発想や内実、技量が普及しきれていない。列島の各現場の熟達度次第で死に行く諸氏の扱いは千差万別となってしまうのが恐らく今時のリアルと推察する。
そこらはなんとか早く、誰もが共有できる熟達へ向かわせたいものだ。
感染して生還して、というサイクルに慣れてくれば、もう新型コロナウイルスもヒトの体にとってはお友達だ。時々かなりわるさするけれど。そこも制御できるようになる。