連載は続く~ SF 掌編『シャイニングのように自分こそはと思いたくなるものだけど・・』編

 

 

映画の『シャイニング』('80) は、専門家とか相当な事情通諸氏がこの世の中、いかに活躍されていようと、とにかく”野生の”((心身に)得る知識系と生々しく得てしまう知識系とが混合している)感受系を忘れないようちょっとしたヒントを与え続けてくれると素人にはずっと思えている。
たまたま4K放送で見る機会を得て、照明使いのくせが露骨に表現されることの他に、なんと!!と素人映画好きはずっと知らずに来ていたのだけど、雪は本物ではなかったことに気づかされた。雪ではない、映画のための工作だ。大道具・小道具の諸氏が工夫した賜物(たまもの)だった。ハイビジョンクラスの映像からは、気づけなかった。

ヒトは、インフルエンザにしろコロナウイルス由来の風邪にしろ、ヒトの集団の営みにおいて、”いつものこと”に馴染ませるようにしてきた。(是非、各氏において想起されたい)
その中に、インフルエンザでの病弱な人々の死亡事例に無頓着でいられることを、一応入れた方が、事態を見やすくする。
昨今の事態とは対照的に、インフルエンザでの死亡事例は、流されがちにしてきた。ここらは、現場で直接対処した諸氏が、今も同様に現場で大変な集中を要しているのとも変わりはない。ただ事態をどう受け止めるかの集団の営みにおける感受と関わっている。
コロナ騒動の中、数がべらぼうに違うだろうが!!!とつい息巻きたくなる諸氏も少なからずおられようが、インフルエンザの時には、現場とは違う立場である限りにおいて、おっとぉ・・そうだったな、と気づけてもらえるのではないか。
そこらをコロナ騒動初期から素人なので、指摘もしてきた。
今後は今と同様にインフルエンザによる病弱系への負荷を大騒ぎするはずだ・・・としたら、コロナ騒動に限らず、この種の騒がれ方は今日の普段の姿勢へと変貌させているのか?とも思える。
夏場でも風邪で大騒ぎだ。となると、(これからの年月では)年中が大騒ぎというのが通常の姿になりそうだ。
ことばで、専門家ほか権威筋の飾りの部分で、風邪の一種なのに、ワクチンで対処可能であるかのような、ないし新しいワクチン製法ゆえに、対処が迅速化するとかを持ち出して風邪もワクチンでなんとかなってしまうかのような人の噂をはびこらせる気配も一方では作用させているように、諸氏においても感じられているのではないか。
でもインフル、風邪系へはワクチンはその一つ程度に考えておけば済むことだし、現に、死ななくてもよいだれか、そしてだれかにとってはかけがえのないどなたかが、ワクチン接種ゆえに亡くなってもいらっしゃる。その数は無視できない量であることが公式筋の数字からも判明している。分数表示の方ではなく、数量の数の方だ。
だからヒトはワクチンを職場圧とか社会関係からの様々な作用は混合されがちだとしても、強制するような、少数への全体主義的な強要はずっと控える策を採用してきている。
どさくさに紛れて万が一今の世の中の権威筋がそれに依存するようなことは、無知の方の問題と指摘しうる。相当にあけすけにヤバイ。
世の中のなんらかの趨勢圧が働きやすいとしても、実際的な回避策を工夫してきたのがヒトの集団の営みだ。そこらを忘れたくない。
とりあえずワクチンが効く人々もいらっしゃる、ということで押さえておける。
そういう意味から、ワクチンも手段の一つとしておける。
死の危険を犯すことになる未然のどなたかがわかるようなら知らせるとかするといいし、わからない要素も大なのだから、当面は、本人次第という扱い方が必須と察する。
で、これだけ感染者が出ているのに騒がないでいられるか、というのが流行にのめっている諸氏の思い込み状態とこれも素人には察することができる。
けれども、インフルエンザの事象と言うことでほとんどの諸氏が気付かれると思うけれど、風邪も本当に似ているのだけど、毎年厖大(ぼうだい)な数の人々が罹(かか)る。
なのに、今の一部の病院での大騒動のようなことを招いていない。
罹っても自分たちで面倒を見てしまうケースが厖大に動いているからだ。
しかも、その中にはお年寄りのケースとして、死亡に至る重篤化にすすむ症状進行タイプが観察できるわけだ。そして、一応、これまではそうなっても世の中としては流すことにしてきたわけだ。
だから世の人々にとって、錯覚している方々とそうでない方々でかなりの認識差を生じてしまうとは思うけれど、現状は風邪タイプの諸症状へ(医療関係の連なりが)相当に篤(あつ)く対応している。これが特別に素人には見えていて、インフルエンザの患者へも同様のことをこれからの世の中としてする気になったから、今のような騒ぎ方で問題を提議しているのだろうな、と思いたいわけだ。分類が違うから、とか後になって、別扱いの理屈づけが始まるとしたら、今混乱させられている経済現場の諸氏にとっては相当つらいリアルが後になって気付かされることになると予想できる。
ほぼ同じ事態へ、まったく違う対応として、一時、経済活動を極端に犠牲を強いるようにして、混乱を招かせた世論作りの圧行使は、そういう問題を抱えることになる。
患者数が少なくする成功事例としてある時期まで列島関係者はほこりつつ、少ないがゆえにデータとかその後の策をこうじる上での不利も指摘されていたはずだ。
現に沢山の患者を生じて、得られるものの不足はないはずなのに、ヒトがこれまでしっかり成してきた実際的に無理のない対処の過程の案すら医療業専門家筋から出てきていないのは、素人的に相当に不思議に映る。
自宅療養に回したら亡くなった、そういう不可抗力的症状変化を掴(つか)みにくい病例なのだ、とか専門家諸氏がこの患者数を得て、しかも長時間を費やしてきて、おっしゃるのだろうか。素人的には、裸の王様に近づくように思えてならない。
風邪は通常、ヒトにとっては蔓延(まんえん)しやすい。
蔓延しても、学校を休む症状が出なければ、ちょっと前の学校事情であれば、マスクをして登校していたろうし、今時ならば、親が、子が休むことを判断する。
その休む数の上下動に応じて、休校になったりならなかったりだ。
そういう実際的対応で済ませてきた。
介護施設だって経営層の多くは出鱈目派はごく少ないから、インフルエンザ感染で亡くなることを避ける工夫を積み重ねてきて、限定的面会など人と接しないことでの衰えを避けつつの工夫を持ち込むようになっている。ただし、精神系の薬多用による死へ近づかせるような心身衰弱が起こりやすい現場の利害には経営層は今の時代、そのリアルに気づけていないかもしれない。インフル死を抑制できても他で頻繁な死を招きやすい安易が現場を席巻しやすい。つまり要請があれば医療業の側にも処方してしまう油断が介在しやすい問題を抱えている。コロナウイルス対応に懸命だと言い訳したいだろうけれど、実際の医療現場への不満は世の中全体から、うっすらとためこみがちにしてきたわけだ。
実際的な快・解・回答を提供できることでその実力を判断されがちな政治家諸氏はすでに、飲んで効くタイプの症状緩和のための策を模索していることばが昨今目立ってきていた。なのに、医療現場の騒動がその実際的趨勢作りを台無しにして振出しわざと戻すような、自分たちを認めろ適発信が目立ってしまう。ここらも、冷静に成った時、きっとなにかしら、腑に落ちないことに気付けると素人には思える。
USでは、厖大な感染者を生じた。そのことが裏付けとなって、支えている。単標的での活用になるワクチンよりも抜群にその後の対応力を持つ。だから、万が一の時には罹って対抗する策がとられてきた。ここらは医療史知見発信を率直にやわらかくかみくだいて発信してくださる専門家諸氏が今日もいてくれるおかげだ。
お金はいつでも満遍なくめぐりめぐってくれることで資源配分の最適化をしらずしらず図りやすい。だから特定の領域に厖大なもうけが押し寄せ、その間に、必用を満たすためのめぐりを困難にするようなことばあれば、罰金ものなのだ。そこらはただ経済理論の側からする合理性という理屈ではなくて、実際問題レベルで測れるはず、と素人は見る。
滞留させたくないけれど、実のところ、予備をもたないと不安だ、は実際的な意味合いから、切実に違いない。でもできれば満遍なくめぐりやすい状況にしておければ、だれにとってもより生活しやすくはする。手に技を付けて、なにかやってみなさい、という促しが基本にある世の中だから、そこらは、巷にとっても通じやすくなっていそうだ。働かざる者食うべからずだけのただ厳しい圧を意識させる世の中ではない。漠然と働けではなくて、必用と結びつく技量を身に着けると、その具体性の線が引けてそこへ仕事を探せる。
ただそれには、その職場が活性していないとまずい、という注意点が伴う。身に着けたけど、その業種が不景気で・・では話しにならない。
ここらも含めて、ヒトは集団性において、とにかく列島の人々は特に、実際的観点で受容しやすい形にして日常に馴染ませてきている。
インフルエンザのお年寄り事例にはこれまでだと目をつぶってきた。でもこれからはひょっとしたらコロナ騒動レベルで騒がれるようになるのかもしれない。風邪も厖大に感染し続けてきた。”富山の”じゃないけれど、飲み薬とか、日常の発想でこなせる技を、アイデアを形にして取り込んできた。そうであっても、専門分野、医療現場での騒がしく集中した機会が消滅したりはしない。より厖大な領野をしめる巷がしっかり受け入れている。
医療現場はいつでも忙しい。そういうことに一度、冷静になって観念整理できないものだろうか。