連載は続く~ SF 掌編『サッカー噺、付け足し』編

 

 

サッカー噺続編。
男子チームの対フランスチームの試合で気づけたこと2点。

63:10-26間の出来事。(16秒間の連係プレー)
素人老人は今回に限っての視野しか持てていないのですが、ドーアン選手のプレーにも連携ブレーキ要素を感じていて、テレビの解説氏とは違って批判的に見ている。
しかし!この時間帯での10番の選手(ドーアン選手)の動きは見事で、そういう動的なイメージを使おうとすればできるタイプであることは確かなようだった。でも、他の多くの場面では異なる。
このシーンは日本女子チームに非常に参考になるとも思える。ミドルかちょっと長めの精度100%かそれ以上(100%は受け取りてにとって次のプレーにつなぎやすいかどうか関係なく確実に確保できる質の場合で、100%を超えるというのは、パスの受け手が次のプレーをし易くする質のパスと受けとめてもらいたい)のパスをこなせればこういった展開へ持って行ける。
キーパーへ返すパスからはじまる。
キーパーはそれを受けて、前方近くの5番へ出す。
5番は?番へ出して
?番は6番へ出す
6番は8番へ出す
8番は10番へ出す
10番は視野を広げて、左サイドの13番へ空を駆けるパスを出す。
13番はドリブルで前進
18番が中央、10番が右の位置取りで疾走。
この三選手はオフサイド回避のための対相手選手との位置関係も瞬時計算して動いている。
やや先行して13番が前へ。
やや遅れていた10番がより速く疾走して抜かれては困るフランスチームの選手と競る。
中央の18番は相手選手との位置関係に注意深く対処しながらスルっとゴール前に出てくる。
勢いのある動きで誘う10番がフランスチームの注意の第一候補になって視野を独占しつつある。
で当然13番は18番へ速く転がるパスで一点のはずが、フランスチームの選手たちの誘導された動きに、同じようにつられて10番へパスを出していた。
この間がなんとたったの16秒。

まず10番の選手の巧みを認めたい。しかし反応できなかった13番、ということだ。
(もちろん、状況変化次第では、10番へのパスが正解になることもありうるけれど、今回に限っては18番が見事なかわしでゴール前に出てくれたのだ)
では13番はその程度のテクニシャンなのか?
サッカー遊び世代の老人観点からは、次のように振返れる。
草サッカー試合の集中と楽しくやる気楽さとの同居心身状態ならば、間違いなく18番の巧みを見逃していない。でもここは4年間に一度しか体験できないスペシャルなイベントだ。心身がそれに順応し切れていない時、通常の反応ができなくなっているということも想定内だ。
これで13番は吹っ切れた、と想像できる。
相手選手との位置関係やその先でのプレー展開をイメージしながら、しかも生々しい変化に心身をゆだねつつ、有効なスピードを(変動込みの意味で)維持しての連携技の3様態、ということを学ばせてもらった。

さて次に90:00となって延長時間
00:41-00:51 でのプレー(マエダ選手の得点シーン)
ここもテレビの解説氏とは違ってしまう。
とにかく普通にボール扱いできる世代に変わっている。
そういう連中を前提に話しにすればよい。
もの凄く速く走れるマエダ選手という紹介だった。
すると素人の年寄りは、日頃の連係プレー練習に、緩急の走り込み使い分けも含めた、どの位置へ出して決めるかのパタンくらいは、お互いのものにしているはずだ、と勝手に想像した。
00:41に18番がもみくちゃになり離れたボールを8番が受け取り、更にもみくちゃにされそうになりながら、16番へ適切なミドルかちょっと長めのパスを普通に精度良く出した。
受け取った16番は、ゴール近くで動き回っていた9番(マエダ選手)がスススーッと出てきていることをしっかり認識して、位置取りをシミュ―レーションしていたはずだ。
当然とはいえオフサイド回避の位置関係も頭に置きながら徐々に加速する姿を16番に提示して、どこに出せばそこまで加速できるということを暗に示す。
タイミングを見て、ここぞ(相手に補足されにくく、9番にはシュートに向かいやすい)という時に鋭くパスを出した16番。
その通り、9番はコースを狙ってしっかりゴールを決めている。もうボールコントロールに関しては、世代が変わっていた。

余計なことだけど、選抜のポジションは良くも悪くも排他的な一か所だ。
からしてどうにもならないくらい頭抜けただれかという場合もあるかもしれないけれど、柔道で気付けるように、我こそで勝ち負け勝負の場合は、ライバルだらけになってしまう。
サッカーポジションは勝ち負けで狙うことはできない性質だけど、排他性は避けようがない。
罵詈雑言の類は迷惑になるはずだけど、それなりに率直な意見は欠かせないと素人は察する。
貶め目的ではない、意見発信はネットの時代、それなりに使えるのでは、という思いは持っている。