連載は続く~ SF 掌編『監督は人事を左右して、試合展開まで演出可能だ』編

 

 

未だ生々しい時間帯に書き込んでおきたかったので早速。
最終的には監督の(采配)責任の話で締(し)め括(くく)る。

女子サッカーの対スウェーデンチームとの試合のこと。

サッカー試合と言っておいて柔道の試合の話を挟む。
見ていると、頭のてっぺんを使って首の力にものをいわせるような相手の仕掛けのかわしをした選手は大抵、反則!で逆に一本とられていた。
なぜかというと、柔道界では頚骨の骨折とか人生を左右させかねない事故に直結してしまうから、その危険性から反則扱いにしている。
そこで素人老人発想を誘われた。
頭での防御に限らず、怪我をもらわない技を心身化するトレーナーも当然いるはずだ。ないしいた方が良い、と空想した。
で、柔道に、それは限ったことではないだろう、と空想を広げた。
ここからサッカーに入る。
サッカーでも怪我とか心身の使いすぎによる身体箇所の疲労からくる故障が後を絶たない。
どの身体箇所なら使いすぎよりは鍛えられ易いとか、使いすぎると後戻りきかないくらい消耗させる、とかスポーツ生理学分野ほかで知見は蓄積されていると察する。
そういうことの応用分野として(単に注意するとかの話ではなくて攻め技同様に身につけるタイプ)怪我予防技を身につけるためのトレーニング、その専門トレーナーがいてもおかしくない。

① 怪我をしない、回避させる具体的な技を専門にするトレーナーが育っているのか?


ところでスウェーデンチームの選手は速い。走るのが相当に速い。と見えたけれど、ひょっとして日本チームの選手が遅いだけかも、とも思えた。
今はきっと違うと思うけれど、走る実力は女性、男性を混ぜてしまうなら、7、8割の男性が女性よりも遅いことが恐らく統計で出てくると想像できるのだけど、男の明治以後の錯覚とか先入観上、女の走りに男が負ける?では自尊心を相当に傷つけるようなことになりかねない。そういうことが未だ未だ継続してないかどうか。
そこで世の女の幼少から少し若い年代まで、サッカーのボール遊びは特殊だからいくらでも上手くなってからかわれたりすることはないとしても、ダッシュで男たちを尻目にするような女(の子)はひょっとして、今でも実際にやってしまうわけにはいかないあり方だったりして。
そうなると、走り勘の心身化を相当に遅くなった熟成一歩手前の年代になってはじめる事にもなりかねないから、もろ遅い走り力となって現れてしまう。
ここらは想像しているだけだから、実際の世の中はもうとっくに変わってるから、その心配は無用だよ、と返ってきそうだ。

② 男の子たちをげんなりさせるくらい速く走ることを平気で表現できる女の子たちの普通のありよう、は実現しているのか、この列島環境で。


6番と14番の選手はボールをしばしばもらっていたし、もらう位置をこなしているようだ。
14番の選手など先取点に関わっていた。
しかし、素人老人観測ではとてつもなくブレーキ役となっていた。
(パス回しほか)連携上のブレーキという意味。
恐らく、周囲の自分チームの選手の展開や動きをその瞬間前でもいいし、その現時点瞬間がより相応しいけれど、見えていないとたとえられるようなボール扱いが大半だった。
それがどういう副作用をもたらすかというと、そこでの保持力を欠くということから、後方の選手たちにすぐ危ない状況対応を迫るようなことになるし、前方の10、11番の選手にも防御のための過剰な動きを必要にしてしまう。単純にすべての選手を疲れさせる。
それだけではなく、スウェーデンチームクラスのボール精度のチームの場合、点取りの機会提供になるし、そういう危ない状況を生むということでの心身負荷効果は”抜群”となる。更に疲労がたまる。
この位置にたとえばこの間見ることのできた21番の選手のように自らが開拓していく意欲も技もだからおそらくイメージも持っているタイプの選手が出ていれば、それなりに時間もかせげるし、相手チームからすれば奪えそうで奪えないし、動かされるしで、嫌だったはずだし、自分チームにとっては10、11番(この二人のフォワード氏のお惚(とぼ)け表情は男子チームクラスだ。とくに10番)への負荷にしない、一段演出をはさんだ、前方での動き演出が可能にもできたと思える。
多くの日本チームの選手はトラップはそれなりにこなせても、消極的というか、決して余裕状況を応用してのものではない、後方パスが目立ちすぎて、自らを追い詰めている。
ここらは素人老人すらが気づけることで、ゲーム進行中に、副音声でサッカー試合を見ると気づけるのだけどやり取りや生な音が臨場感を醸す。その現場のすぐ脇で指揮も構想も練る監督氏が、気づけていないはずはないので、しかも、選手の中には、勘違いして点取りに関われたのだから、自分の技量は現状で充分とか錯覚していないともかぎらないわけだ。
そこを冷静に選手の将来のためにも、采配で応じないとまずい。
早い段階(前半の更に10分程度の段階)で6番と14番の選手を交代させてあげれば、試合の展開は相当に違っていたと素人なので率直に指摘してみたい。
選手自らはできないことだ。監督が動く他ない。
今日の試合では、最終版、各選手が疲労困憊していた。(控えを含む)全選手の頑張りが、なんとか試合終了まで、肉体疲労を表にしないことに耐えさせたとも年寄りなので直感できた。
そういう試合にしないで別の展開がありえたけれど、それは一手に監督次第だ、ということを指摘してみたかった。