連載は続く~ SF掌編『今のワールドカップサッカー噺と爺ぃネタ少々』編


 FIFA発ネット中継の録画版はだれでも見ることができる。
 そんなわけでUSチームとオランダチームの試合も見ていた。
 どちらのチームの選手もカリカリするくらい緊張感ある試合運びとなっていた。
 といって、U-20世代のワールドな組み合わせが見せる(ないし魅せる)技の応酬というタイプではなく、体の張り合い的面が濃い(或いは長い上から、ないし下を通過するバスが狙いのだれかに届けばシュート、タイプ。これは意外に点をとれたりする)。
 そこで、欧州の練達な10番選手がUSの生真面目な10番選手に体当たりで応じたシーンが問題となってしまった。
 太腿(モモ)側面を強く相手の膝から上の固い面で強く叩かれた関係となってしまって、US10番選手はひどく痛くそこ(グラウンド)に伏した。
 多分、ヨーロッパ地元でのプロの試合ではその手の荒っぽいことは日常のことと見え、オランダチームの10番選手は、ゲームを続けていたし、審判も反則は反則として普通に流した。
 ところが生真面目なUS10番選手は自分はそこまで荒っぽいことはしないぞ!とばかりに、激して10番選手に詰め寄る。
 審判はお互い冷静に、で冷静な対処に励んだ。
 ところがUS10番選手は怒り心頭引くものかの勢い。
 オランダ10番選手は、あのくらいのことは普通だよね、なんで怒(おこ)ってんだか・・と仲間選手たちと視線交換。
 が、少し時間が過ぎたころ、US選手と一つのボールをめぐってヘディングの競い合いの場面が登場、その際、US選手の頭突きの強打にあい、オランダ10番選手は、治療を受けるほどの事態に。一端、場外に出て少しして戻るほどだった。頭には保護用の頭巾が被(かぶ)っていた。(試合後は10番同志、同志として抱擁し合っていた)
 技が身につくと、大抵は粗っぽさを行使しがちなだれかを注意して避けるようになる。
 中には折角技を身につけて、しかも、自らの動作感覚から読める相手の予定動作に合わせて粗っぽい事をしでかすどなたかも、少しは出てくる。そういうのは、審判が余程注意してペナルティが待ってるからの信号を送り続ける必要がある。
 技に欠けるとどうしても肉弾戦に挑みやすい。切羽詰まれば詰まるほど、そう仕向けがちにする。
 しかもワールドな試合の場で、レッドカードばっかは、運営上も、審判の面子としても、出しにくい。そこを多分、旧世代サッカー選手たちは、知らず知らず突いてしまう感じだ。
 危ないプレーには一発レッドカードの退場も、目前に迫った世代交代で解決するはずだから、惜しまず、出してしまえば、と素人老人は思惑するがいかがか。サッカーファン諸氏からすると、数の不釣り合いのまま試合が行われてしまうという対等の条件での試合の緊迫感とは違ってしまうあたりを気にされるかも、と素人老人は推察する。

 日本チームは・・・と先走りして、多分、決勝に出る前に、スペインチームかオランダチームと試合することになるだろうの予想から、こんな話になっていた。
 大味には違いないのだが、実にせわしない試合進行になりうる。
 そこら。
 着実に点を積み重ねられれば、固い守りもそれなりに有効。
 固く守っていても先にボールを取ろうとしなければ直ぐ隙を見破られて崩しに合うし、ゴール前のセットプレーのしのぎ方も工夫の数々を試せる。
 とこんな感じで素人老人は選手諸氏の動きを追ってしまいがちだ。
 怪我を誘わない技の応酬、アイデアの応酬での一勝負一勝負をジッと注目してみたい。

 

 ジジィ年代ゆえ時事問題話題にもうんざりするくらいアンテナが働きやすくなっていた。
 列島の保守派とニュース発信系からラベルを張られた脈脈は、列島独特というかUSに似て特殊で共和党的過激なタイプとして扱われやすい。
 平和に拘泥する保守を革新がそんなことでは国は治まらない!と怒って改心を迫ったり議論をふっかけて延々と議論し合うのが筋だ。でも列島政治やUS政治はそうはならない。
 原爆投下とか核兵器行使問題など典型的な保守にとっての切実な話題のはずが、革新系の話題になってしまう。
 あれほど酷い兵器もないだろう!と強烈な一言が保守から出ないのが列島やUSの政治だ。
 環境問題はヨーロッパでは正統に保守側の議論に偏りがちにしている。
 でも列島やUSでは違う。
 だから政治に興味を持て、とことばにされたとして、焦点はちぐはぐに散り散りになって浮遊させやすくしている。実にわかりにくいのだ。実感系、実際的派諸氏にとってはトンでもな状況となっているはずだ、と素人老人は、老い過ぎたころにやっと気づきはじめた。USの共和党発想に縛られ過ぎていないかどうか・・・。
 追々、もう少し話題にしてみたいけれど、今回は、ちょっと疑問形としておきたい。

 

 東北も火山が並ぶ。
 高速を車で行って、それら山々を縫いながら、目的地へと向かう。
 たとえばそこが西馬音内だったりしたら。
 素人老人の感覚からだと、その足運びは、微妙に刺激的だ。形を心身化できて体がそう動いてしまうだれかとなってその長時間を足運びする。その姿は、微妙に刺激を撒き続ける。ふと気づけばお囃子連がとてつもない熱を帯びた状態での熱演中だ。
 踊り手諸氏は半分憑依しているのか、それくらいの感じで踊り続けている。
 足ばかり見ていたけれど、顔を隠しているから余計なのか、手の動作はなんとも東北の桃源郷に間違って来てしまったかのように誘う。
 西馬音内は2003年放送分の番組内容からすると、今でも農業は栄えてそうだ。
 だからそのお囃子のテンポ、リズム、隠されたビートの間隔は農身体とシンクロして充分成り立つ。
 番組内容から、その地で職や学問の場を得られない若者が他へと出ていくそうだ。
 それが東京の方か仙台とかだったりすれば、ビート感覚への影響は甚大となりうる。
 二度と農のビートには戻れそうにない。それでも跡を継ぐ都合で戻ることになって、西馬音内の盆踊りお囃子を担うことになる、としたらそれなりのご苦労を経ることになりそうだ。
 それくらい、今時は、というか、1980年代を経て、1990年代から2000年代のごく初期の頃に大きな変化を被(こおむ)っていて、スケートボードや曲のり自転車やオリンピックの競技に採用されたのかもの街頭でも踊ったりしている頭をはじめ体各所を支点に使って激しく踊るのや(ブレークダンスとか)は、もう最低でもビートは16を刻んでる。筋肉への信号がそう脈を送り続けることで疲労よりも持続的に変幻自在に、体を使いこなさせる。
 農の身体とシンクロするビートとは違ってしまう。
 激しく筋肉を連続的に働かせ続けるし、単調でもまずい、という感じで、だから列島でなら秩父夜祭の祭り囃子がブレスなしに連打するのと似ている。農のビートではない。
 夏は盆踊り、が定番と察する程度には地域に育てられた素人老人だけど、盆踊りの担い手諸氏がすでに多数派は農と切れて都会のビートとともにの生活と密接だったりしてそうだ。中には、昔なら、ディスコブームにはまって相当に遊び歩いただれかたちがわんさか爺さん初歩の年代と察するが、その後はDJとか更にショーアップしてビートも強烈な踊りまくりをわが青春とできた都会暮らしというか、寝る時だけ田舎生活の諸氏が圧倒的に多そうな気配だ。
 そうなると自前の盆踊りとはいえ、それなりの工夫を持ち込める条件は整っているとも言えそうだ。盆を好機と捉えられるのは列島ならではだし、踊りは時代に合わせてで充分だ。いつだってそうだった。
 民謡新曲を工夫してしまえる好機到来と受け止めることができる時期だったりもしてそうだ、なとは素人老人の回顧ノリ。

 


   川柳もどき

    台風がもたもたしているが
    気象庁発の水蒸気流全球画像を見れば
    だれだって多分大きな部分の気流の妙な流路が
    影響してそうなくらいは気づける
     そこらをどう理屈として説明してくれるかは
     天気予報解説諸氏のことばのこなれ方次第だな
    いまどき、7時をすぎて8時近くなると
     陽の強さをうるさいほど感じる
     避暑のどこかで午前の蒸し暑さを感じて、これでも避暑か
      とか思えたのとも違う
     PC使いとしては
     やっぱCPU発熱は無視しちゃまずいだろ
      くらいは言っておいた方がいいかも
      温室へ熱を送り続ける熱源の一つ
     熱源無けりゃ、温室はただの張りぼて