"勢い"という捉え方で心身の状態を表現できる一面を指摘できる。
盗人(ぬすっと)だけど考古学知見をしっかり学習もするくらいの落ちつきも持ち合わせていた。
大抵本とか紙資料の数をこなす読込み時の心身状態はというと、免疫に適した体温の状態を保ちにくい内臓の働き方へと誘うような状態に誘いがちと素人なので想像してきた。
だから盗人動機が勢いを伴わせて知見応用に実際的時間内に成功することを学者諸氏に求めることは相当に難しそうだ。
私財をなげうっての探求心、興味津々(きょうみしんしん)のり、好奇心旺盛(おうせい)のりならば勢いもつくかもしれないけれど、その他の雑用に時間を取られがちな研究生活の一コマはきっと勢いを失速させるような日々ともさけかねない、と素人流の勝手な想像。
BSNHKにて盗掘が偶然にも貴重な遺跡・遺物を発見させたことを紹介していた。
盗掘だから、まったく壊してしまう、ということではないのだが、どうしても破壊を伴う。しっかり保存を意識した採掘ではないための傷が残る。
しかも一旦開けてしまうと、空気が入り込んで、成分との化学反応等、劣化の進行度合いがより進みやすくなってしまう。
だから開けずに時期を待って・・という作戦も相当に昔のことならば説得力を発揮できるけれど、少しずつの劣化が進行中で、数十年先の劣化した状態の発掘となるのが目に見えている昨今という経年的条件をしっかり踏まえてもらえれば、温存策は、劣化の度合との相談の時期であることいつも頭の片隅に置くことが不可欠だ。そういう切羽詰まった時期と(素人は)想像する(し心配もできる)。
かつての原型は密閉状態において火を灯し、酸化による成分の不活性を生じさせて長持ちするような工夫を持ち込んでいる。けれどもそれが持つのは完璧な密室の場合で、恐らくかなりの以前から徐々にの劣化が進み始めたはずだ。だから残り時間は今の時代において古代とされる考古遺物に漢詩て、時間はそれほど残されていないように思える。
資料読みの心身状態に引きずられ過ぎないように心身のトレーニングに慣れて、勢いを失うことなく研究の目標に向かって研鑽を積んでいるタイプの諸氏においては、きっと昨今の発見ほかを取り込んで、相当な研究内容を抱えておられるのではないか。
その番組でついでにほんのちょっとだけふれられていた称軍(でいぐん)墓碑についても、ネットで簡単に調べられるけれど、所説芬々(しょせつふんぷん)の状態のようだ。
しかも学者諸氏の仮説よりも漢文くせとかに精通してそうな書き込み諸氏が溢れてそうな雰囲気だ。
学究肌を忘れていない団塊の世代諸氏の多くがなんらか探求して暫定的な答えを公開しつづけてくれたりすることで、勢いを伴うとここまで、実際的時間内での研究成果を生めるかもよ、の仮説くらいは提供してくれるのではないか。条件付けで”縛らなくても”、自由でおおらかな環境下でこつこつと研究成果を生める。ただし(スパコンほか)巨大装置が要るとかのタイプの事象は除外だ。
素人仮説から、文字扱いに不慣れな古代列島。各地にリーダー層が割拠していて、戦闘的な土地争いを回避もしていて、仕切り方も土地それぞれ。そして、長年列島に清み続けてきた先住系にあたる縄文の文化をも身に染みつかせてきた人々(恐らく後に渡来してきた厖大な弥生系とひとくくりに一応できる人々の数と比べてかなり少なかったと想定される)は、持って生まれた素質が女性を惹き付けることもあってあたかもヨーロッパにおけるネアンデルタール人諸氏のように血として新参者諸氏に浸透して形としては消え去ってしまう。アフリカ系の超身体能力系に限らず欧米からもとてつもない身体能力系タイプが出現する。列島生まれからも時々各地でそういうタイプが育っている。そしてどちらかというと女性たちを(男性たちを)実質の所で魅了し続けているわけだ。建前上昨今は騒がないのかもしれないが(ここらは実際にそうなのであって女・男性からする差別の問題ではないと素人老人は察する)。その際、土地(列島環境)での生活を積み重ねる中で、先住系の智慧の厖大量に徐々に気付き始め、感服もし、面子との相談で、面子を意識しなくても済む世代の頃には相当に深く学んでしまったと想定できる。
その中身のうち芯となることの一つが欧米系発想ではアニミズムとかで整理されている類で、万物にアンテナを働かせて生活と連係させてしまうスゴ技の辺りだ。
なぜそう言えるかのちょっとしたきっかけをたまたま本日の多摩丘陵紹介の番組で得られた気がした。
少々若そうな坊さんだったけれど、”野仏”と自らことばにして、野ざらしの墓石にも貴重さを感じ取っていた。その状態に放置しつつ大切に扱える心身のところをことばにしていた。
普通、仏系の場合、掃き清めてしまうくらいキレイ好きだ。だけどそういうのが切羽詰まって襲ってこないのが多分列島(育ち)気質(かたぎ・きしつ)の持ち主諸氏だ。
今も外来で列島に住み着く諸氏が大勢いると思うけれど、世代を重ねればきっとそういう気質を身に着けてしまう。
それだからこその、聖武天皇へと至る時期(100年から150年ほど)と見なせそうに古代歴史”探索”への新参者である素人には思えてしまう。
いつ九州勢の主力が近畿域へ移住してきたのだろうか。蘇我氏の名が登場する時期と関係がありそうだ。聖徳太子の名よりは蘇我のなんとかさんたちだ。
そこにエピソードを彩る後の藤原のなんとかさんたち。中大兄。話を持ちあげる必要。
九州の一勢力が中央集権のために担がれたとしても、それがわかってしまったら、自立的な古代の各勢力にとっては力でのとか色々が要請されてしまったに違いない。エピソードとしての壬申の乱が語られているが如く。
なんと壬申の乱が起こったとして郭務悰氏一行が帰国してすぐのことだ。
武装解除に近い贈り物を同じ年にしていたのだし(672年)。
先の禰軍氏も当時の倭には郭務悰氏らとやってきている(660年代のこと)。
色々が続いて、一応格式ばった中枢がそういうものだと思いこめる時代をしばらく構成してしまう。(BSテレ朝の("相棒"コンビでもある岸部氏と水谷氏コンビを見られる)"無用庵"参照)
一方で宗派系も独特の格式を整える方向を採用してきた。
ここらは中央集権化以前を意識できるならば相当な作為、人為が働いているとたっぷり目に予想できそうだ。
文字にも慣れていなかった優秀な諸氏が中央集権の官僚制を担った。
とにかく少数の慣れた連中にこき使われながら(少数の連中は目標に向かって必死だったはずだ)熟達していくわけだけど、身にあたる要素をどう空想してしまうかでその後が変わってくる。
偉そうに振舞うことに多少感じ過ぎたかもしれない。
その為に格式ばる、といってもそのやり方を個別具体的に列島的に外を学びつつ工夫してしまった。元気で活発で狡猾だったかもしれない遠隔地貿易系の智慧と振舞いからも相当に学んでいた可能性を想像できる。
中秋の中秋はともかくお手本である唐の時代のテキストからより多くを学んで、それゆえのとてつもない何処の国柄?と決めつけにくい海外性も身に着けてしまっていた可能性も山口博氏知見から気付かせてもらえる。
しかし文字熟達は世代を重ね、しかも持続できた脈のみが達しうる。そこらが難しはずなので、少しずつ1000年間とかかけて学者なみの文字資料熟達者が巷に輩出するようになる。
その過程では中央集権の為、のために自らを投じていると思いこんでいる中央からの距離が様々な諸氏が担って、形を成していった。
そこにたとえば神道という形(かたち)化も含みうる。
だから中央集権と秩序維持とかの脈絡上、勘違いのその先として相当に格式ばるやり方を採用した可能性大だ。
もしも、様々に未完のままの中央集権化の端々で質の持続性に問題ありとお考えならば、その勘違いが時代に晒されていると、ちと振返ってもらえれば、きっと代案はすぐに出てくると素人には思える。
ヒトはある程度ざっくばらんな場でことばを鍛錬して、個々に持ち帰った場で目標などを意識して集中を発揮できればそれなりの仕事を成すことができるようにする。
心身に染みつかせた方が良い事象に関してでも、やり方についての試行錯誤は要る。
仏系についても神道と似たことがきっと生じていると察せられる。
これからの仏系の担い手諸氏が試行錯誤することに躊躇は要らないのではないか。
藤原氏探索の流れで、つい去年くらいまでの古代探索素人である老人の当方は、或る思い込みができていた。
藤原氏が天皇系の試行錯誤を取り巻いて邪魔してそれが戦争的な殺戮事を生じさせやすくしていたのでは・・という仮説だ。
だから天皇系の諜報脈と藤原氏系の諜報脈を分けて考えていた。
浄土真宗系ならば当然藤原氏だ。日蓮もそうだ。
けれども、九州王朝知見の古田氏に関わる諸氏の熱心な発信のおかげで、九州王朝のトップは呪術王に近い在り方であることに気づけて、トンでも系に近いことを踏まえる必要が出てきた。
しかもどういうわけかやがて尊敬の対象となるくらいのヒトの熟成に至っている。なにかが作用して変身してしまったわけだ。そこに大陸系・半島系の仏教が相当に関わってそうに思えた。
その時代こそが九州の呪術王を他の教養も身に着けた人々をも魅了するし、だれからも尊敬に値すると見なされるようなリーダーに仕立てた。
そして九州から近畿圏に集団でまとめて移動する機会まで到来する。
八女の石造物が有名らしいけれど、斉明期の石造物ほかの造り物群も有名だ。
他の教養の持ち主からすると、相当にヤバイ感じだった九州王朝系リーダー層なのだけど、その片鱗を発揮してしまうなら、他からすれば珍奇ななにがしを造らせてしまう可能性もなきにしもあらずだ。
或る時期の前後に遣唐使が盛んで、その時期以後には名を遺す人物が中国からも何度もやってくることになる。
そして山口氏紹介の山上憶良氏のように突貫工事のシツラエ準備作業に熱心に加担する優秀な人物たちが登場し始める。山口氏の指摘する原万葉集(歌1-53)では、勘違い系の柿本人麻呂氏が列島の継承・伝統知らずの神概念を明け透けに文字にして残してしまっている。
それは引き継がれることなく、八百万発想の地底(ちぞこ)を踏まえつつ仏の生き物への尊厳を虚ろに走らない発想でつかもうと以後模索し続ける。
それはだけど中央の中央の話で、端々で威厳を装う中央集権の一つの試行錯誤の形を思いこんで、仏もまたある道を形成していく(だけど根源を忘れないだれかたちがかならず時々に現れていることは種々の作品として残っているから一応知ることができている)。