連載は続く~SF掌編『ごく稀に(施設)介護の話』編


たとえば起床ということで、お一人ではその必要なことのほとんどをこなしにくい心身の条件をお持ちだったりするどなかたをお手伝いする、という場合、急かせず、でもかっちり決まっているスケジュールには合わせる必要があるとして、起きて着替えて、身支度して、(たとえば)ベッドから車椅子へ移乗して、洗面や整容やをして、トイレへ寄って・・などすれば15分から20分は最低限でも要してしまう。
特にトイレなどは、その時々で時間は違ってくる。
介護度の数値の大きい方々が大勢の場合、たとえば、ある担当者が10人のお手伝いをするとして、同じ程度に重い、としたときに、その最低の要時間は

10分×10人=100分
100分÷60分=1時間40分
ないし
15分×10人=150分
150分÷60分=2時間30分
ないし
20分×10人=200分
200分÷60分=3時間20分

ここらは起床時刻が決まっているとしても、どうしても逆算してあるタイミングが要るということを示す。
一見スケジュール通りに動いているとかいかにも仕事熱心なように振舞ったつもりでも、この要時間のからくりを熟知しているだれかたちには通じるはずがない。
どの時刻に起床が始まったかで、そこに住むお年寄り諸氏への介護の仕方の実質が明け透けになる。
あなたが自分でできるとして、起床して、皆が待つ、広間へ行くまでに、たったの10分で済ませる場合、どういうことをなさっているだろうか、と一応質問できるわけだ。
そこを他人が関わって、要望を聞きながらのやり取りと成すことを並行させて、それが心身へ急かせる感じでない質を持たせて経過できる、という場合、どれほどの時間を要するか。
7時に起床して、8時から朝食だ、とする。
7時起床では間に合うはずがないわけだ。
でも要する時間と人数からある程度の計算は可能だし、施設の就寝時刻は世間が驚くほど早い。
そこらが応用力とつながる。
ただ、先のように一見仕事していることにする施設の現場担当諸氏においては、決まり通りを盾に、或る思惑が内輪を構成し易かったりする。
早めにご家族と面会する約束をして、早朝の姿を見学することも老親のためになりそうだ。
それが無理な場合は、身なりや部屋の片づけ具合を面会のたびに観察することで、自ずから判断できる。
判断できたとしても、弱みを感じる向きの方々が多いのかもしれない。
でも、そこは経営層をある程度信じて、クレーマー的なことば使いにならないよう注意して、現場に一応ことばを投げておいて、管理職諸氏へ、明確なことばを投げてみる、ことが、施設を育てることに通じると素人的には指摘できる。
施設を育てることになるという感じに受け取ってくれないで、クレーマーの一種かのように一方的に見なされる場合か、丁寧にお引き取りいただくような対応になることもあるかもしれないけれど、丁寧に観察して話す材料を整理しておけば、それなりに対応してくれるのが経営・管理・事務方層だから、そこらは試すことが大事だ。
お客がいきりたってクレーマーになって、でない限りで、客の必用とコミュニケーションできることでサービスのなんらかのヒントを得られることは、ある程度サービス競争面も持つ業界だから、有難いことに属する。
現場がどういう活性状態にあるかで、ニーズへの受け止め方は相当に違ってきてしまう。
(夜勤が続く極限ストレスを意識しつつも、介護の面白さ(ざっくり表現になるけれど、人生のたっぷり先達・先輩・熟練諸氏ということで(お一人お一人が"個性""孤性"になってしまっている)やはり面白いわけだ)が上回ることもあるので、ニーズ対応に向かない現場ばかりとは限らない)